風追歌の夏

湾多珠巳

まえがき、あるいは十七年越しの返信 (読み飛ばし可)




Oさんへ


 十七年前、とある小説講座で私がこの「風追歌の夏」を発表した際、その講評の場にいなかったにもかかわらず、Oさんが私のもとにやってきて直接コピーを取るや、詳細なコメントを書き込んだ上に、手書きの感想のお手紙をつけて渡してくださったこと、今でもつい先日のように憶えています。

 今回、カクヨムで本作を発表するということで、改めてその昔の印刷冊子を掘り出していたところ、その、あなたからの感想を綴った手紙が一緒に出てきました。……いえ、正直に言うと、探していたのはOさんからの手紙の方で、印刷冊子の方はついででした 笑。

 今の私に必要なものは、最低限のメモしか書き込んでいない本文の記録よりも、熱い言葉を便箋四枚にびっしり連ねてくれた、Oさんからの言葉に他ならないと思えたからです。

 十七年も経ってこんなことを仰々しく述べ立てているのに、奇異な思いを感じられるかも知れません。もちろん、あの時も手紙をいただきながら、私は精一杯の感謝の気持ちは伝えましたし、感想の中身も入念に目を通したつもりです。ただ、何しろ講評が済んで、作品作りそのものが一段落ついた後でもあったので、読み取りにいささか真剣さが欠けていたであろうことは告白しなければなりません。

 加えて、当時の私が、人様からの批評を率直に聞き入れられる謙虚さから大きく隔たった未熟者であったことも。

 すでに見抜かれていたかも知れませんが、私は講評の先生のコメントにも半分以上不満でした。これはその先生の切り込み方に問題があったなどということではもちろんなく、私の作品がいろいろと、対象読者とか、狙いどころとかが不明瞭であったせいなのですが、それ以上に一朝一夕では改善しようがない課題点が浮き彫りになって、「どないせいっちゅうねん」とやや投げやりになっていたところもありました(この件については、「あとがき」で改めて)。

 改めてOさんからの感想を読み込んでみると、その件とは別の、観点も着想も異なる意見がいくつも書かれていて、当時の私がいかに視野を狭くしていたかがわかります。あの時期に、これらのコメントを間に挟みつつ、何往復でも存分に意見をぶつけあうことができていたら、私のその後の執筆生活はだいぶん違うものになっていたかも知れません。

 何はともあれ、今回の版ではOさんの意見を取り入れつつ、原版に数箇所の加筆・訂正を施したこと、この場にてご報告するとともに、遅ればせながら昔日のご厚意に感謝申し上げたいです。なんだかんだ言って当初のスタイルそのままを押し通した箇所も多々ありますが w、「足りない」パーツをさまざまな言葉で伝えようとしてくださったこと、間違いなく今回の版に生きているはずです。

 あちこち「惜しい」を連発していた本作への印象が、少しは前向きなものになっているなら幸いです。


 講座を去って後はOさんを含め、どなたともやり取り一つしていませんが、今も小説を書いていらっしゃいますか? 書く方であれ、読む方であれ、言葉の海が今も、そしてこれからもOさんの幸せの元となることを、なり続けることを祈ります。


  2023年6月15日

                         湾多珠巳


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