私たちのアンビバレンス
津川肇
ep1 直子の告白
父も母も魔法を使えないと知ったのは、私が中学に上がってからよ。それまでは本当に、二人とも魔法を使えると思っていたの。
うちは、この町でたった一つのパン屋だった。隣の八百屋のおじさんも、はす向かいの花屋のお姉さんも、みんなが両親のパンを愛してたわ。もちろん娘の私も、そんな両親を誇らしく思ってた。
ねえ、最期のわがままだから、聞いて。あなたに話しておきたいの。
小さい頃は、両親の仕事姿を見るのが好きだった。空が明るくなる前に目が覚めてしまった日は、布団を抜け出して、ダイニングから丸椅子を運び出すの。ダイニングから廊下に出ると、玄関の右側に厨房の出入り口があった。真っ暗闇の中、その扉の小窓から柔らかい明かりが漏れててね。扉の前に椅子を置いて、その上に立って背伸びをするの。そうしてこっそり中の様子を眺めてた。父が白い生地に触れると、まるでそれは生きてるみたいに伸びをしたり丸まったりして。それからお行儀よく並んで、母にお化粧されるのをじっと待つの。つややかにおめかししたら、仕上げに少しの日焼け。まあるい真っ白な生地が立派なパンに成長していく過程は、見ていて飽きなかった。きっとこれは両親が使える特別な魔法なんだ。そう思ってたわ。私は上げたかかとをたまに休めながら、朝日がやってくるまで二人の魔法使いを眺めてた。そうして布団に戻ると、決まって同じ夢を見るのよ。ふかふかの食パンのベッドで眠る夢を。あなたも見たことあるかしら?
中学に上がって魔法基礎の授業が始まって、私は初めて自分に魔法の才能がないことを知ったわ。
「ずっと話すべきだとは思っていたのに、傷つけることになってごめんな」
父は、売れ残りのクロワッサンを私に差し出してそう言ってた。父も母も魔法を使えない家系であること。この町に移り住んでからはそれをひた隠しにして暮らしてきたこと。ただ、遺伝子異常で魔法を使える子が産まれる可能性もあったこと。中学に上がるその日まで、そのもしかしたらに賭けていたこと。父は全てを打ち明けてくれた。
「ちゃんと産んであげられなくてごめんね」
母は顔を手で覆いながらそう謝ったわ。ひっく、ひっくと言葉を詰まらせながら、何度も。父も顔を伏せたままで、目を合わせてはくれなかった。私は何と答えればいいのか分からなくて、黙ってクロワッサンを食べてた。両親の秘密を知っても、それは魔法がかけられたかのようにとびきり美味しかったのを覚えてる。その頃はまだ、魔法で作ったパンを食べたことはなかったけれど、きっと負けないだろうと思った。涙がぽたぽた落ちてきてしょっぱくなっても、私は気にせず食べ続けた。自分が魔法を使えないのが嫌で泣いたんじゃないのよ。こんなに美味しいパンを作れる両親が、当たり前のことがたった一つできないだけで惨めな思いをする、そんな世界が憎くて泣いたの。あなたもいつか、魔法が使えない辛さが分かる日が来るわ。
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