どうか美しく、私を殺して

SEN

第1話 宵闇の中で

 宵闇に紛れ月下を駆ける。冷たい風を切り裂いて、一切の無駄がない動きで物陰に隠れる。ここは都心から離れた山中に聳える大豪邸、世界的大企業サクラコーポレーションの社長が暮らす「桃園邸」。アリ一匹通さない厳重な警備を、少女は華麗に潜り抜けていく。


 彼女の名前は華宵かしょうあかり。暗殺者一家の長女であり、世界最高峰の殺し屋である。その実力は国家すら動かすレベルで、彼女の手にかかれば米国の大統領ですら暗殺できると言われている。


 しかし彼女は依頼の選り好みが激しい。時に汚職警官、時に悪徳政治家、時にマフィアの幹部、要するに世間一般に悪と分類される者しか殺さない。


 彼女は別に正義の味方気取りなわけではない。ただ、殺すならそっちの方が目覚めがいいからだ。精神衛生上の問題、メンタルヘルスケア、働き方改革に成功した殺し屋が成せる技である。


 そんな彼女が今回受けた依頼は、社長夫人の暗殺である。名前は染井そめいさくら。とある筋の情報によると、彼女は社長夫人としての権力で邪智暴虐な振る舞いをしているらしい。ファッションやアクセサリーへの浪費はもちろんのこと、ノロマな召使いへのいじめ、夫以外の顔がいい男を漁るなど、挙げ出したキリがない。


 多額の前金も貰えるということもあり、あかりは二つ返事でこの依頼を受諾した。


 孤立していた警備員を気絶させ、服を剥ぎ取り変装して館の中に紛れ込む。大規模な施設に侵入する際の常套手段。


「おいお前、見ない顔だがこんなところでなにしてる」


 顔に傷跡がある筋骨隆々な男が威圧するように声をかけてきた。態度と顔からしてリーダー格の一人だろう。


「そ、そのですね。配属されたばかりで、その、お手洗いの場所がわからなくて」


 肩を縮こまらせて怯えたように返答する。指をこすりながらチラチラと視線を合わせたり外したり、強面な上司に怯える新入りの演技を完璧にこなす。男は呆れたようにため息をつくと、さっきより少し優しい声でトイレの場所を教えた。


 一言お礼を言ってから、教えられたトイレへ直行するフリをしてその先にある給湯室へ向かう。扉を開けて中に入ると、黒髪の小柄な少女が召使い用の服の埃を取りながら待っていた。


「お早いお付きですね」

「まぁね」


 軽く言葉を交わして少女から服を受け取る。その場で瞬時に着替え、警備員の服を少女に渡す。少女は暗殺一家に仕える「影」と呼ばれる一族の一人で、暗殺をスムーズに終わらせるために前もって潜入していたのだ。


「三十分後くらいに騒ぎになると思うから、そのどさくさに紛れて逃げてね」


 あかりが襟を正しながらそう告げると、少女は不思議そうに首を傾げた。


「あかり様なら騒ぎを起こさず終わると思いますが」

「こっちにも事情があるの。っと、これでよし。それじゃあ逃げるの頑張ってね」


 あかりは少女の疑問をはぐらかし、触り心地のいい彼女の頭を撫でてから給湯室を出た。紅茶と菓子が乗ったワゴンを手で押して、社長夫人のいる部屋まで直行する。何事もなく計画通りに進み、あかりはターゲットの部屋までたどり着いた。


 薄暗い廊下の先にある一室は、まるで攫われた姫が幽閉される場所のような不気味さがあった。コンコンと扉をノックすると、向こう側からどうぞと返ってきた。ゆっくりと扉を開けると、冷たい空気が肌を撫でた。


「失礼します」


 顔を上げてターゲットと目を合わせた。


 ベランダへ続く一面のガラスから取り込まれる淡い月光が、物憂げな儚い美女の横顔を照らす。じっと訪問者を見つめる青い瞳はアクアマリンのように昏く輝き、柔らかくカーブを描いた口元は妖艶で、絹糸のように繊細な毛髪は月光を受けて青白く照らされていた。


「いらっしゃい。あかりちゃん」


 あかりの訪問も目的も、知っているのは依頼主のみ。しかし、ターゲットであるはずの彼女は当然のように暗殺者の名前を口にし、笑顔で迎え入れた。


「ひどい顔してるわね」


 いまの桜を見てそんな感想を抱く人物はこの世の中に存在しない。しかし、あかりは冷淡にそう吐き捨てた。


「そうでしょう?」


 美女はその罵倒を微笑みながら受け入れた。その不可解なやり取りの意味を、二人だけが理解していた。


「だから、あかりちゃんにお願いしたの」

「相変わらずわがままだね」

「みんなの前だと我慢ばっかりだから」


 ダーゲットは暗殺者と親しげに話しながらも、その表情は憂鬱から変わらない。暗殺者は懐からゆっくりと拳銃を取り出す。コツコツと足音を立てて、彼女の目の前まで歩み寄った。


「依頼の話だけど」


 ターゲットの胸に銃口を向け、引き金に指をかけながらあかりは話を切り出した。


「人の死に綺麗も汚いもないわよ」


 目の前に死が迫っている。けれど彼女は微笑み続けている。それどころか、その瞳の昏い輝きは月光を反射してより美しくなっている。


「そうかもね。でも、殺されるならあかりちゃんに殺されたい。これは私の最後のわがまま」


 グリップを握るあかりの手に優しく手を重ねる。その手はひどく冷たくて、この桜は今にも散ってしまうということをありありと告げていた。


「どうか美しく、私を殺して」


 彼女がそう告げると共に、屋敷に銃声が響き渡った。

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