03_59V 2流と1流
殺風景な赤と灰の丘陵が、ひたすらに起伏を連ねている。黎明と共に移動を開始し、勾配の重なる丘陵地帯に無理のない間隔で45分の移動と15分の小休止を繰り返した。それでも乾燥した空気に、喉が渇くのは避けられない。まして節水も二日目に入って、身体も渇きを訴え始めていた。人は常の七割、牛は六割の水量を割り当てられていたが、全員が節約しても牛一頭分にもならない。「……エール飲みたい」と誰かが小さく零した。
遠い空に鳥が鳴いていた。風に削られた岩塊が、獣の背骨のような尾根筋に無造作に転がり、僅かな茂みが時折、気まぐれに穏やかな色彩を滲ませていた。草も乏しく、ところどころに捩じれた灌木が身を縮めるように生えているだけだ。陽光は澄み切っているのに、地平はどこか煤けたように感じられた。敵影は愚か、生き物の気配も、地には殆んど見当たらない。
それでも先頭を歩いているマギーは、警戒を怠らずに、絶えず視線を岩陰や尾根筋へと走らせていた。道中、幾度となく偵察に出たり、地図を広げては進路を変更し、回り道や迂回を重ねる為、時間は砂のように零れ落ちていった。一つ一つは僅かな遅延にしても度々、立ち止っては明日になっても丘陵地帯から抜け出せないかも知れない。マギーの打つ手にしては、らしくも無く中途半端に思えた。マギーとて人の子だ。失調しているのか、とニナは首を傾げた。
囚人ヘレンが口を開いたのは、三度目の小休止の時だ。出発が五時少しだったから、おおよそ午前の八時頃。
「……命乞いして上げましょうか」唐突な一言に、エマ・デイヴィスがギョッとしたように護送犯を見つめた。ヘレンはなんでもなさそうに穏やかに微笑んでいる。
護送犯を一瞥したマギーは、硬質の表情を揺るがさずにあっさりと視線を外すと、グラハム『狐』バートンや、ルーク・アンダーソンなど主だった面々を呼んでくるようにエマへと頼んでいた。黙殺された
行く手の風景を指し示しながら盛んになにやらを説明してるマギーだが、進路変更の理由は、ニナにもまだ説明されてない。 若干の説明と質疑応答が交差し、同意を求めるマギーと難しい表情をしつつも頷いているエマやルーク。大人衆が納得している様子を見れば、相応に成算のある計画を提示したのか。或いは、進路変更せねばならない理由があったのかも知れないが。丘陵一帯の地形を把握しているニナは、遅れが致命的になる可能性を察しつつも、唇を固く結んで沈黙を守った。水の量やロニの傷を思えば、不安も押し寄せてくるも、それでもマギーを信頼すると決めた。
大人衆たちが顔を突き合わせてなにやらを真剣に話し合っている最中、イザベル・ミラーや放浪者の娘ミリー、ガイ少年らは軽い軽食を済ませていた。薄いパンに塩で煎った豆や干し肉、刻んだトマトを挟んだ代物で、格別に
「帰ったら、肉団子のスープが飲みたいな」負傷して寝転んでいるロニの傍らで、なにを食べたい、飲みたいなどと話している。
「羊毛通りの裏にある喫茶店のロールケーキが絶品なのだよぅ」と主張するイザベルに「ああ、あれはいいね」と気も
「評判は聞いてた……そんなに?」と言うロニに「そんなにだよぅ」とイザベルが言った。
「戻ったら、みなで食べに行くのじゃ」とイザベルが提案するも、ガイ少年は「甘味を?」と怪訝そうな表情を浮かべた。
「……甘味を馬鹿にするとか、ポストアポカリプスの風上にも置けねえな、こいつ」ニナが言いだして「いや、甘味はいいね。俺も好きだよ」と多対一に気づいた少年は前言を撤回した。
ミリーは沈黙しているが「……お金がない」恥ずかしそうにぽつりと呟いたので、「戻ったら、今の徒党を抜けて、居留地で働きなさい」とイザベル・ミラーが年長のお姉さんぶって告げた。
「エマ・デイヴィスが紹介してくれる。マギーでもいい。
「そしたらケーキは贅沢だけど、手の届く範疇になる。皆で食べに行こう」とロニが 言い、イザベル・ミラーが
ミリーは暫く沈黙していたが、やがて静かに肯くと、それから俯いたまま「家畜を見てくるね」と背を向けて歩いていった。
腰を落とした牛たちは時折、足元の赤い礫を確かめるように細かな砂を蹄で押し分けていた。羊たちは互いの側へ寄り添い、風の匂いを嗅ぎながら短く鳴いている。砕けた石片がミリーの足元で微かに鳴った。
※※※※
岩棚の下の崖道を歩きながら、韋駄天ハリスは額の汗を拭った。
息を切らして、小休止を命じた。
若い連中が一斉にへたり込むが、しかし、ハリスは平然としているようで、疲労が中々抜けない年齢になっていた。一方で若者は回復が早い。
肉体の衰えを自覚して、俺も年だ、とハリスは苦笑を浮かべた。
【
それにしても、スネイクバイト。本来なら、戦いたい相手ではない。蛇は執念深い生き物だ。引退しても、連中の繋がりは強い。創始者の一人を討ち取れば後々、祟るかも知れない。
それでも、と。ハリスは本陣の有るだろう南西の青空を見やった。
数百人規模で都市に地区拠点を持つ遊牧氏族の庇護は、たまらなく魅力的だ。
勿論、危急の際には、氏族の兵として駆り出されるだろう。
だが、ハリスも、もう何処かに腰を落ち着けてもいい年頃だ。
そして二十年も昔に飛び出して以来、一度も顔を見せてない故郷に帰るよりは、今の仲間たちと都市の片隅にでも落ち着ければ、それ以上に望むものはなかった。
だから、マルグリット・モイラの首を狙った。
一流と称される賞金稼ぎ。かつて、【ウロボロス】と呼ばれていた女。
二流扱いされているハリスだが、一流と二流の間に大きな差はないとも考えていた。二流の撃った弾でも、人は死ぬのだ。
それでも、旅隊はよく武装と準備を整えている。そこら辺、流石の手腕だ。
まともに戦えば此方の被害も大きい。故に挟撃を計る。揃えられるだけの頭数を揃えて送り出した。中世の軍事活動さながら、別動隊と別れてしまえば、後は信じて委ねるしかない。こんな時は、無線機が欲しい、と常々思う。
別動隊を任せたライアンは古参の傭兵仲間で、副官につけたオードリーは長年の右腕であったから、別動隊についてハリスは何ら心配していなかった。
若年兵たちを混ぜたのが些かの不安要因だったが、練度の維持よりも人数を嵩増しする方を選んだのは、挟撃には頭数が必要だったからだ。なにより別動隊は、標的のポレシャ人たちを足止めするだけでいいから、それほどの練度は必要ない。
中距離からの射撃戦を挑んで足止めしているだけで、ハリスたちの本隊が
それでもおのれが油断していないか。ハリスは常の癖で敵の立場になって考えてみる。(……俺が伏兵を受けたとして。短時間で足止めと見抜けるか?)
ここで己の知性に都合のいい嘘を付けば、戦術的思考に良くない影が落ちる。
見抜けない、と結論する。仮に装備の性能の差があっても、遮蔽物である岩塊や岩壁がある地勢で突破も出来ない。ハリスがこの伏兵を受けたら、なにも出来ずに追い詰められる。仮に敵が仕組んだ伏兵だとしても、よく出来た作戦だと中立的な視点で評価し、肯いた。
ただ、相手もかつては凄腕と呼ばれた元賞金稼ぎに率いられている。
中々に腕利きの銃士や牧者もいると、雇い主には警告された。
勝てるとしても、相当な犠牲が出るかも知れない。
幸か不幸か、味方の小隊は追い付いてこなかった。故にハリスたちは単独で戦わざるを得ない。手柄を独占するとも言えるし、危険を一手に引き受けているとも言えた。
初陣の若者たちが少なからずいた。誰も彼もよんどころない事情を抱えてる。喰う為、家族を喰わせるため。誰も彼もが命を懸けている。
あの若い娘も、張り切っていたな。と志願兵の顔を思い起こした。
妹を学校に行かせるのだと言ってた。家族を養う為、鉄火場に身を晒す。
ありふれた話だが、鉄火場に身を置く者の大半は、誰かのために命を懸けていた。
「休憩終了!」感傷を振り切って、ハリスは出発の号令を下した。
もうじき、別動隊が接敵する頃合いだ。足止めしている合間にハリスの隊が後背を突けば――――
戦えば、犠牲が出るのは当たり前で、何時もの事だ。――誰も死ななければいい。それが虚しい願いだと知りつつ、ハリスは別動隊の連中の無事を祈りながら、黙々と歩き続けた。
※※※※
若者たちが笑っている。いい兆候だ、とマギーは小さく頷いた。必要以上の不安に捉われていない。実際のところ、平然な振りを装うマギーには、脱出の確信など欠片も無かった。不明瞭な状況にどれほどに脳髄を振り絞っても最適解など出よう筈もない。とは言え、それでも妥当と思いうる選択肢を一つ一つ積み重ねて、最善に近づけるべく尽力するのが旅隊頭としてマルグリット・モイラが己に課した責務であった。
【
さて、ポレシャは――
味方にもそれなりの利け者はいる。ポレシャ公使や
友好国と仮想敵を兼ねた自由都市ズールにも
或いは伝書鳩や狼煙、無線、古い隧道、特殊な早馬や飛脚など複数用意されているかも知れないが、ポレシャ市の国力から言って少し考えにくいとも思えた。なんだかんだ言っても、一介の大型居留地に過ぎないのだ。
歴戦のキャシディ自身の戦術的判断は、もしかしたらマギーよりも信頼していいが、それもこれも事態を把握していればの話であった。ポレシャ口に出ても救援は期待できないかも知れない――油断しない方がいい。彼方に逃れても追撃を受ける可能性があるならば――――
幾ら考えても無駄だとマギーは思考を打ち切った。推定に推定を重ねても意味はない。その代わりに味方を見回しながら「……それほど精確ではないにしろ、既に測量を済ませた一帯に入った」力強く断言すると、他の面々は頷いた。エマ・デイヴィスと、ルーク・アンダーソンのポテンシャルを最高に維持することが闘争に突入した際には生き残る鍵になると踏んでいた。
旅隊は依然として順調な足取りで丘陵を進んでいたが、ポレシャ市への帰還は、予定よりもややずれ込みそうな見通しだ。時間的に水が足りなくなる、と危惧はしつつも、必要な水分は取らせている。脱水症状とまではいかずとも、あまりに強い喉の乾きを覚えれば注意力に散漫になるのは避けられない。憂慮すべき点は多いもののマルグリット・モイラは、既に馴染んだ地形に入っていた。そして此方だけが測量した地図を所持して交戦するのであれば、都市軍は愚か、領域国家の一線級の尉官や軍曹、大部族の百人隊長などを相手取ってもそう引けは取らないと自負を抱いていた。
本来、旅路の前に広がるのは、
背後の丘陵から冷たい気配を漂わせた追手が迫っているのをマギーは既に疑っていない。起伏に富んだ稜線のいずこかに先回りした伏兵が潜んでいても驚かなかった。
危急の際、希望的観測に拘泥せずに、現実を受け入れて、妥当な選択肢を重ねられるのはマギーの長所だった。戦闘は避けられないと結論し、打ち合わせも済ませている。弾薬の消耗を抑える必要もあるが、勿論、抑え過ぎれば此方が負傷したり、敗北する可能性もある。だが、一戦で銃弾を浪費すれば手詰まりとなる。
馬鹿々々しい、と思いつつ、どこかでリスクを取らざるを得ない。戦場に付き物の、戦術的なトレードオフだ。
襲撃を受けたのは丁度、やや広めの開けた岩場に差し掛かった時だった。丘陵域に複数の隘路が交差、錯綜する中々に複雑怪奇な自然の造形は、初見の旅人が一目で把握するのは困難な地形だろう。伏兵が置かれるには絶好の地形にやはり銃弾を撃ちかけられ、マギーは口中「クロム!」と守護神の名で呪詛を洩らした。
東に対して進んでいる
「……間合いも分からんのか」と吐き捨てると、即座に全隊に早足の号令が下される。先頭にはマギーとエマが早足で駆け、殿にはルークと用心棒ハロルド・コッゾォが付いている。マギーが戦闘を継続できない深手を負うか、戦死した場合は、ルーク・アンダーソンが。二人とも負傷したら、エマ・デイヴィスが指揮を執る取り決めをしている。人も、家畜もある程度は散りながら敵の眼前を駆け抜け、一人だけ膝撃ちで素早く応射していたイザベル・ミラーが悲鳴を上げながら後ろを追いかけてきた。
敵の傭兵たちは早めに発砲してきた。音と着弾の散り具合、発砲の間隔から、恐らくは滑空砲の
ただし、余りにも早く打ち過ぎた。距離を詰める前に発砲してくる無様さに、マギーは一瞬、素人か?と疑念を抱いた。
距離を詰める前に火蓋が切られ、着弾は大きく散布し、此方を足止めする意図すら読み取れない。此方を誘引、油断させる為の熟練兵の擬態、と言う可能性もあったが、そもそも擬態を行う意味が薄い、と考え直した。
囮と言う可能性。波状攻撃にまず未熟で装備も劣悪な雑兵を当てて、戦力を測ると同時に損耗を強いるつもりかも知れない。或いは、後方に後込め式やボルトアクション式の狙撃手が控えているとしても、此方が高所を取る為、強引な敵前での走破を試みるとは予想できまい。
いずれにせよ、足を止めてもいい事はない。運動し続けるだけだ。マギーたちは気にせずに移動を続けて、隘路のひとつへと到達すると、殿にハロルド・コッゾォとイザベル・ミラーを残した。無理せず、遮蔽を取り続けるよう言い含めて足止めを頼むと、其の儘、丘の上へと昇って姿を消してしまう。
敵の傭兵たちは戸惑ったように、しかし、なお撃ち掛けながら、じりじりと寄せてくる。「予想通りいかんのが実戦だ!あわてるな!」彼方の岩陰から叫んでいる塩辛声が聞こえてくる。統制を保とうとしているようだ。十分掛からずに丘陵の稜線にマギーとルーク、エマが姿を見せる。さて、丘陵には敵を側背から観測できる絶好の位置にあって高所から狙い打ちし、また身を守るに絶好の地勢でもあった。
「各個に射撃」マギーは低い声でそれだけ命じた。測量済みの地図には、敵の散った隘路までのほぼ精確な射程も割り出すことは容易く、ルークとエマは練達の射手で、後込め式ライフル銃の性能においては、速射性と精度において滑空式の火縄銃に遥かに優越していた。そして三人とも容赦しなかった。マギーは最初から最後まで、時間と状況を完全に統制下においてコントロールした。戦闘はほぼ一方的な呈を為し、短時間で終わった。
敵勢は、丁度十人。粗末な衣服の若い男女も含まれていた事から、小規模な徒党と推測できた。大した戦利品はなかった。彼らの火縄銃と黒色火薬は粗末な代物で、例え牛に載せるとしても足を鈍らせるだけの価値さえあるとも思えなかったし、簡単な地図や命令書も見当たらない。取りあえず水筒だけ奪ってみれば、井戸から汲んだと思しき綺麗な水で、これは有難くいただいた。水に困窮していると知られても困る事はそれほどないと思えたし、追手側も水の確保には苦労している筈だから、水だけ奪うと水筒は切り裂いておいた。
マギーは、余暇に折を見てはニナを連れて、丘陵地を歩き回っている。地理を把握できる程度とは言え、一応は庭と言えるし、測量済みの地図と併せれば何処で待ち伏せを受け、何処が戦いやすいか。一線級の軍人なら予想は付けられるものだ。
歩き回ることで丘陵に関する地形の情報をそれなりに蓄積していたマギーは、事前に作戦を組み立て、想定通りに遂行し、朝食のパンでも毟るように追手を殲滅してのけると、素早く戦場から離脱していった。【
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