第3話

「結婚して下さい」


 少し高めなイタリア料理店で志人は杏花に婚約指輪を差し出した。


「え? え? ……えぇ!?」

 杏花は驚いているのか、ずっと言葉を詰まらせていた。

「わわわわわわわ、そんな急に」

 そうやって杏花は震えた手で婚約指輪を受け取った。


「あ、違う。これは俺が」

 志人は杏花の左手薬指に指輪を着ける動作までやりたかったため、杏花の取った指輪を取り、もう片手で杏花の左手を持った。

 しかし、お互い手が震えたりぎこちなくなってしまい、婚約指輪を落としてしまった。

「あ、」

「あ、やべ、待ってて」

 志人は緊張で杏花の手を持ったまま床に転がっている指輪を拾おうとしたため、手を引かれた杏花は体勢を崩し、倒れはしなかったもののゴンッという音を鳴らしてしまった。

 周りの客はこちらを見てクスクス笑っていた。少し恥ずかしかったが、目の前の杏花も笑っていたからどうでもよかった。


 志人は杏花に惚れた日から自分に誓っていた。彼女を毎日自分が笑顔にすると。


 後日、志人は杏花の両親に挨拶をしに行った。

 和室に招かれ開口一番

「志人君はお酒は?」

 と、義父に言われた。

「お酒は普段はビールを」

 と答えると、義母がビール缶とコップを持ってきて机に置く。そして義父がコップを志人に差し出してきた。志人は受け取ると義父はビール缶のタブを開けた。

 志人は父に酒の場での立ち回りを教わったことがあったが、仕事柄飲みの場がないのでそこまで実用する機会はなかった。だが、今日初めて父の躾が活かされた日となった。


「すみません。失礼します」

 志人はコップを斜めにして義父の方へ向けた。義父はそこに注ぎ始めるが、ビールがコップ内を満たしたいくのに合わせてコップを水平に戻していった。

「分かってるね」

 義父はなんだか嬉しそうに笑った。


 なんだか想像と違って、ご両親とはほとんど雑談とか、志人の地元の話なんかをして盛り上がった。

 後で聞いたのだか、杏花には弟がいて、その弟は元々飲酒をいていたのだが、ある日を境に禁酒をし始めたため、父親も少し寂しそうにしていたそうだ。

 あと、そういえば挨拶を済ませ、杏花の実家から出る時に玄関で義父に

「うちの娘がもし泣くようなことがあればすぐにうちに返しに来い」

 と急に言われ少し背筋が凍ったのだが、これも父親が娘を嫁に送り出すとき時に絶対に言うと決めていたセリフだったそうだ。


 それから3年後、2人の間に1人の命が生まれた。

 杏花は子供には普通と違う新たな個性を持って欲しいという願いを込めて「新」という字を希望したが、志人は代々「人」という漢字を引き継いでいるため、志人のわがままで2つ合わせて「新人」と名付けた。

 せっかく杏花が「新たな個性を」と願っていたのに、志人の古くからの家系のお決まりを引き継がせてしまって申し訳ない気持ちになったが、本人に何回も「新人」と声をかけていくうちに、一番相応しい名前だったんじゃないかって思えてきた。

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