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「今から、また山田先生を待つ?」

 荒井先生が建物の中に消えると、遥は言った。

「荒井先生は一時間以上かけてここに来たわけよね? てことは帰るのにも一時間以上よ。なのにまた一時間、山田先生を待つっていうの?」

 遥は腕を組んで憮然としていた。

「確かに変だな。でも、まあ元凶は俺たちだしな」

 俺もおかしいとは思ったが、立場的に不満を言うのも躊躇われた。

「そうよね? 何でだろう?」

 遥はこめかみに人差し指を当てる。推理をする際の彼女の癖だ。

「もう一台レンタカーを借りるのよ? もったいないじゃない。そんなとより時間が惜しいわ。山田先生もきっと驚くわよ。今からわざわざ兵庫に来いだなんて言われたら」

「でも荒井先生は来てくれたじゃないか」

「佐々木さんもね」

 そう言うと、何か閃いたように遥は顔を上げる。そして、つかつかと駐車場に停まった車に向かうと扉を開けた。

「おい、荒井先生鍵を挿しっぱなしじゃないか。不用心だな」

 これは意外だった。荒井先生らしくない。ここなら人もいないし、車が盗まれることはないだろう。でも万が一ということもある。レンタカーなのだから何かあっては、後々面倒だろう。

「見て、敬介。この車、マニュアル車よ」

 遥が運転席を指差す。その先にはクラッチペダルとシフトレバーがある。

「うん、そうだな」

 だからどうしたと言うのか。

 すると、遥はおもむろに運転席に座った。ハンドルに腕を伸ばし、足元はブレーキやアクセルのペダルの位置を確認する。バックミラーに触れようとしたが、途中で手を止める。

「そうか、そういうことなのね」

「どうした? 運転するのか?」

 俺は冗談のつもりでそう言った。

「ええ、運転するのよ」

 満足したように言うと、遥は車から降りて道の駅の方へ向かう。

「おい、どうした? 本当に運転するんじゃないよな?」

「私が? 何言ってるのよ! できる訳ないじゃない!」

 遥は信じられないというように、驚いて言うと、

「さあ敬介、京都に帰るわよ」

 真っ直ぐ前を見つめたまま建物の中へと入った。


 *


 建物の中では佐々木と荒井先生が何事か話している最中だったようで、俺たちが入って来るのが分かると、こちらを振り返った。

「おう、どうした? 今から山田先生に電話するところだ。すまないがもう少し待ってもらうぞ」

「その必要はないですよね?」

 遥は言った。

「いや、だから山田先生に」

「荒井先生」

 遮るように遥は言う。

「先生、車の免許はマニュアルですか?」

 その問いに対し、荒井先生は一瞬迷った後、

「ああ、そうだが」

 と答えた。

「そうですか。ならちょっと駐車場の中を運転して貰えませんか? 私乗ってみたくて」

「今は勘弁してくれ」

「どうして?」

 容赦なく遥は先生に詰め寄る。

「長時間の運転で疲れてだな」

「ふーん」

 遥は目を細める。すると、佐々木が吹き出した。

「まっきー、多分バレてるよー。柊さんは名探偵なんだからもう無理だってー」

 佐々木は遥の方を見る。

「気付いた?」

「うん」

 遥は笑顔で頷く。

「なんだ、分かったのか。凄いじゃないか柊」

 荒井先生は観念したように言った。

「さて、じゃあ山田先生を呼ぶ必要はないな。みんな車に乗るんだ。京都に戻るぞ」

「オッケー」

「はーい」

 佐々木と遥はそう言うと、荒井先生に続いて駐車場の車へと向かう。

「おい、何のことだ?」

 俺は訳が分からず遥に耳打ちした。

「何って京都に帰るのよ」

 遥はそれだけ言うと、後部座席に乗り込む。俺もそれに続こうとした時、前の座席の光景にぎょっとした。

 助手席に荒井先生が、そして運転席には佐々木が座っているのだ。

「おい、待て!」

 俺は思わず声を上げ、座席から腰を浮かし、車の外へと出た。

「待てないわ。早く帰るわよ」

 遥はなんでもないことのように言う。

「いや、待て。なんで運転席に佐々木が座っているんだ? 早く荒井先生に変わるんだ」

 俺は言ったが二人が動く気配はない。

「津田くん大丈夫だよー」

「大丈夫じゃない!」

「大丈夫だよ津田。早く乗るんだ」

 異常だ。女子高生に運転を託す教師がどこにいる。俺はこの三人が怖くなった。

「敬介、いいから乗って。分からないようだから説明したいけど、夕食バイキングまで時間がないの。車の中で説明するから早く」

 遥がぴしゃりと言う。車のエンジンが掛かった。ハンドルを握っているのは佐々木だ。ブレザーを着た女子高生だ。

「早く!」

 遥が厳しく言うので、俺はええいままよ、と車に乗り込んだ。


 *


 車は山道をどんどん下ってゆく。運転に危なっかしいところはないが、見た目にはとてもハラハラさせられた。女子高生が運転しているからだ。

「おい、いいのか! 佐々木が車を運転して」

「ええ、いいのよ」

 遥はこともなげに答える。

「じゃあ逆に何がダメなの?」

「何ってそりゃ、免許がなきゃ車は運転しちゃダメなんだ。まさか知らないのか⁉︎」

 俺は唖然として聞いた。

「ええ、知ってるわよ」

「私も知ってるー」

 佐々木も運転席から元気よく答える。

「へえ! じゃあ今すぐ車を止めるんだ佐々木」

 やだねー、と言うのが聞こえた。車は加速する。ギアチェンジもスムーズだ。

「敬介、免許がなきゃ公道を運転しちゃいけないのはみんな知ってるわよ」

 遥は人を馬鹿にしたように笑う。

「じゃあ、佐々木は免許を持ってるっていうのか?」

「ええ、そうよ」

 呆れた。俺はため息を吐く。

「知らないのか。免許を取れるのは十八歳以上なんだぞ。だが俺たちは高校二年生だぜ? 十七歳だ。免許を取るのは無理なんだよ」

「あらあら、もっと柔軟に考えてみてよ」

 遥は愉快そうだった。俺一人が異論を唱えているのがそれほど面白いのか。

「敬介、免許が取れるのは十八歳からなのよね?」

「そうだ」

 俺はやや気分を害していたので吐き捨てるように言った。

「佐々木さんは高校二年生の十七歳だから免許は取れない。だから車の運転をしているよはおかしい。そういうことよね?」

「よく分かってるじゃないか。だから荒井先生と運転を代われって言ってるんだ」

 俺は前の二人に向かって言った。

「敬介、その必要はないわ。いいえ、それは出来ないのよ」

「え?」

 遥は勝ち誇ったようにこちらを見つめる。

「いい? 『高校二年生の佐々木さんが車を運転出来るはずはない』。それは彼女が十七歳だったらの話よ」

「いや、だからさっきからそれを……」

 遥はちっちっと人差し指を振る。

「佐々木さんは車を運転出来るの。だって彼女はもう成人して免許を取っているもの」


 *


「ピンポーン!」

 運転席の佐々木が言う。

「津田くん、そういうことだから私は車を運転出来るんだよ。よく分かったね。柊さん」

「凄いな、一体何で気付いたんだ」

 荒井先生が遥にそう尋ねた。

「そうですね。ポイントは主に二つあります。まずはさっき見つけたところから」

 遥は推理を披露し始めた。こうなれば反論せず聞くのが早い。俺は黙っておくことにした。

「先生と佐々木さんがあの廃墟みたいな建物に入っている隙に車の座席に座ってみたんです。そしたらハンドルに容易に手が届きました。そしてペダルの位置、バックミラーの角度。どれも直す必要がありせんでした。もし私が免許を持っていたら、恐らくあのまま運転出来たでしょう。手足の長い荒井先生が運転していたのなら、ハンドルに手は届かず、もっと座席を直す必要があったはずです」

 荒井先生は苦笑いを浮かべる。

「なるほど。ところが何も直す必要はない。そうなると車を運転していたのは俺じゃないってことだな」

「はい。そして佐々木さんと私の体型はほぼ同じです」

「さっき遥がやっていたのは、座席が自分の体に合うかを見てたんだな」

 俺はようやく一つ納得した。

「ええ、そうよ。ちなみに荒井先生に免許の種類を聞いたのはこの車がマニュアル車だからよ。先生はマニュアル車の免許を持っているって答えたけど、実際はどうなんですか?」

 すると、荒井先生はやや恥ずかしそうに頭をボリボリ掻いた。

「あれは嘘だ。本当はオートマ限定だよ。柊の考えてる通り、俺にはこの車は運転出来ない。レンタカー屋に行ったら車がみんな出払っててこいつしかなくてな」

「先生は佐々木が十七歳ではないことを知ってたんですか?」

「ああ、知ってたさ」

「それで佐々木に運転をお願いしたんですか?」

 俺は驚いて聞いた。なんて大胆なことをするんだと思ったからだ。

「まさか! 最初は別の先生に運転を頼んで俺はナビ代わりをしようと思ってたんだ。関西には土地勘があるからな。マニュアル車を運転出来る先生を見つけようとホテルに戻った時、佐々木に会って事情を話して誰か知らないか聞いたんだ。そしたらこいつ、『私がいるじゃん』って言うんだ」

 口調から二人は相当、打ち解けた仲だということが窺えた。

「反対したが他の先生たちも忙しそうだし、こいつもうまくやるからって言うしな。運転をお願いしたんだ」

「荒井先生、先生はいつから佐々木さんの年齢のことを?」

 遥が聞くと、荒井先生は入学当初。つまり去年からだと答えた。

「荒井先生も去年から南ケ丘高校に赴任しましたね」

 遥は聞く。

「ああ。その通りだ。こいつの入学に関しては俺が一枚噛んでるよ」

 荒井先生は洗いざらい吐くつもりのようだ。

「ちなみに佐々木の実年齢は何歳なんだ?」

「今年で二十七よ」

「二十七歳⁉︎」

 俺は驚いて声を上げた。遥も「うそ、見えない」と本気で驚いているようだった。

 俺は佐々木と同じクラスだから普段の彼女を知っているが、どこからどう見ても同年齢としか思えなかった。実年齢を聞いた今でもとても十歳上とは思えない。

「ところで柊さん。何で座席の確認なんてしようと思ったの? それって私が成人してるって思ったからなんでしょ? それまでで私が女子高生らしからぬところなんて見せたかなー」

 佐々木が首を捻る。

「それこそ、私の推理の二つ目のポイントよ。お昼にカフェで注文する時、佐々木さん『お願いしまーす』って店員さんを呼んだでしょ? あれはラウンジ嬢とかキャバクラ嬢のような水商売を経験してた人がやってしまう癖なのよ。ボーイさんを呼ぶ時のね。普通の高校生なら『すいませーん』だもの」

 それを聞くと佐々木はあちゃー、と片手で頭を押さえた。

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