3
カフェを出ると俺は酒井たちと別れ、遥を待った。男というのは食事が終わるとさっさと店を出たがる生き物なので、女子会が終わるのをだいぶ待った。
遥たちが出て来ると、俺は手を挙げて彼女に自分の存在を示した。やって、なんだか恋人みたいだなと思って恥ずかしくなった。
さあ行くわよ! という遥の元気な掛け声に合わせて俺たちはバス停を探した。ずんずん進む遥を見て、この時、俺の頭の中ではラヴェルの「道化師の朝の歌」が流れていた。
どうやらバス停の場所は心得ているようで、遥の歩みに迷いはなかった。ルートの確認はちゃんと出来ているようだ。五組の友達との集合は地主神社だったかの縁結びのスポットらしく、女子らしいなと思った。ここは清水寺の近くだった気がしたので、俺としては一度来たようなものだ。そうそう迷うことはない、清水寺にもう一回行けばいいんだ。俺はそう楽観していた。
バスを降りると、見覚えのない景色が広がっていた。この時の違和感、そして焦燥感。
もちろん京都に来たのは今日が初めてだったので、見慣れない景色ばかりであるのは当然だ。しかし、遥は横でしきりに「あれ、おかしいな」を連呼している。それで俺は不安になった。
幼い頃親戚の集まりか、町内会のレクリエーションだったかで、みんなと沢で遊んでて、いつの間にか一人取り残された時を思い出す。
あれ? 真っ直ぐ後ろに戻ればいいんだっけ? それよりみんながあっちに行ったような気がするからそっちに行けばいいのかな? 自分に冷静を強いていたが、不安で仕方なかった。
このまま自分はここで、飢え死にするのを待つだけなんだ。そう思い、泣き出しそうになったが、泣くと本当にそうなりそうだったので、泣くに泣けなかった。あの時は、結局すぐ誰か年上のお兄さんが見つけてくれたのだったか。そんなことを思い出していた。ついでに遥だけでなく、俺自身、方向音痴であることも思い出した。そう、俺たちは今、迷子なのだ。
「敬介、残念なお知らせよ」
「うん、そうだな」
聞く必要はないので俺は即答した。
周りを見渡す。寂れた道の駅のようだった。停まっている車はなく、さっきのバス以外走っている車も見ない。元々は観光地のようだったがバブル崩壊の煽りで衰退した町。前にニュースで見た光景を思い出す。ここはそれに似ていた。
「まさか乗るバスを間違えた上、寝過ごすとは思わなかったわ。いや、そもそも路線が違うから乗り過ごすとは言わないわね。乗り換えも盛大に間違えたみたいね。うーん、こういうのを何て言うんだろう。敬介はどう思う?」
遥は聞いた。しかし俺は無視した。そんなことを考えている暇はない。
「おい、そんなことより遥。ここはどこなんだ?」
遥はこめかみに人差し指を当て、一応推理する仕草をしてこう言った。
「兵庫県ね」
信じられない! 俺は絶句した。何をどうしたら兵庫の山の中に来れるのだ。
確かに変に乗り換えをしたなと思い出す。そもそも俺は案内ではなく、付き添いみたいなものだったのでそれに口を挟む気はなかった。だいぶ歩いたし、疲れてたからバスの中で二人とも眠った。目を覚ますとどうやら、窓の外の景色がおかしい。遥を揺すって起こし、すぐのバス停で降りたら兵庫県の山の中だった。
「おい、どうするバスは二時間後だ!」
俺は時刻表を見て言った。現在時刻は午後五時前。十一月ということもあり、辺りはもう暗くなり始めている。年甲斐もなく俺は怖くなった。
「そんなに待てないわ。敬介、スマートフォンはあるわね」
「あるよ」
「じゃあ誰かに電話でもして、先生たちに伝えてもらいましょう。私のは充電切れだから」
「ああうん、そうだな」
焦りからか、俺はそんなことも考えていなかった。これは幼い頃の迷子が相当トラウマなのか。
俺はさっそく酒井に電話した。圏外でなかったのが有り難かった。
バスの乗り換えを間違え今、兵庫県の道の駅にいることを伝える。すると、酒井はなぜかと聞いてきたが、だからバスの乗り間違えだと言うやり取りをし、酒井は分かった、先生に言っておくと言い電話が切れた。見ると俺のスマートフォンも充電が切れている。
「おい、大丈夫だろうな俺たち?」
俺は遥に聞いた。
「大丈夫よ。海外のスラム街なら命はないかもしれないけど、ここは日本よ。まあなんとかなるでしょう」
遥は相変わらず気軽な調子で言った。どこかこの状況を楽しんでいるような気さえする。
「いや、でも大丈夫かなぁ」
「道の駅の名前伝えたでしょ?」
「うん」
「じゃあ大丈夫よ。今に誰か迎えに来るわよ。酒井くんが伝えたらだけど。
敬介、酒井くんたちに嫌われてないわよね?」
遥は初めて心配そうな表情を見せた。
「それはない……と思う。そうだといいな」
俺は自信なく答えた。嫌われてはいないと思うが、もしあいつに何らかの恨みを買っていて、ここで俺たちを放置するという形で報復をされる可能性もゼロではない。そんな被害妄想的な発想もまたあったからだ。
「寂れた場所ね。お店もやってないみたい」
遥に倣い、俺も道の駅の方を見る。確かにお店がやっている様子はない。遥は建物の方に行くので俺も着いていく。
遥が自動ドアの前に立つと意外なことに、これが開いた。
「わー、廃墟みたい」
誰も人がいないからか、遥は遠慮なく言う。中は明かりが灯らず、暗いが廃墟という程乱れたり、埃っぽい感じはしなかった。一応管理されているようだ。
それから俺たちはしばらく中を散策した。最初は乗り気ではなかったが、ずっと陰気臭いのもなんだと思い、遥のように楽しむことにした。所々にスキーという文字が見えたので、もしかしたらここは、ウィンタースポーツの季節にのみ開くのではないかと、遥は言っていた。
たっぷり一時間は見ていただろうか。散策を終え外に出た。中にもトイレはあったが、薄暗くて使うのを躊躇われたので、外のトイレを使うことにした。
用を足し、手を洗っている時だった。外で車のエンジン音が聞こえた。俺はハンカチで手の水を雑に拭うと、外へ飛び出した。見逃されてはたまらない。
「あ、荒井先生!」
見ると、荒井先生が建物の中の様子を伺っているところだった。駐車場には一台の黒い車が停まっている。
「おお、津田! 柊!」
振り返ると今まさに、遥がトイレから出て来たところだった。
「大丈夫か⁉︎」
荒井先生は俺たちに詰め寄る。怒っているのではなく、本気で心配していたようだ。
「先生迎えに来てくれたんですか! ありがとうございます!」
「柊と津田が兵庫にいるって連絡が入ってな。引率の数も限られてるし、土地勘のある俺が迎えに行くことになったんだ」
「そうなんですねぇ。あれ?」
遥はそう言うと、先程探索していた建物の方を見る。誰かが出てくるようだ。
「あれ、佐々木さん。なんでここに?」
建物から出て来たのは佐々木胡桃だった。やっほー、とこっちに手を振り、遥も振り返す。その様子を荒井先生はバツが悪そうに見ていた。
「佐々木さんも迎えに来てくれたの?」
「うーん、まあね」
すると、見かねたように荒井先生が割り込む。
「いや、本当に困ったやつでな。俺がレンタカーを借りて、迎えに行くってどこから聞いたのか、こいつがドライブなら私も連れてけって言って聞かなくてな」
「へえー」
遥はそう言うが納得はしていないようだった。それに関しては俺と同感で、まさかという可能性に思い当たった。
「もしかして、その、お二人は……」
俺は思わず聞いた。佐々木は荒井先生に対して「まっきー」と、あだ名で呼び、話し方もタメ口だ。もしや二人はただならぬ関係なのではないか。そう考えていた。
「ん? いや、違うぞ! 断じてそんなことはない!」
こちらの意図を察して荒井先生は強く否定した。全くの心外であったようだ。
「もー、変な想像しないでよー」
佐々木もそう言った。
「それにしても、よくこんな所まで来たな。君ら従兄妹の方向音痴には呆れるぞ」
「ごめんなさーい」
遥は大して申し訳なさそうに言う。
「本当にご迷惑お掛けしました。京都までお願いします」
俺は従妹の非礼を詫びて言った。だがあとはもう安心だ。
すると、どうした訳か荒井先生は苦々しい顔をした。
「いや、それなんだがなぁ」
「それが……?」
うーん、と荒井先生は唸る。
「まあなんだ。柊は五組だが、佐々木と津田は四組だろ? だから担任の山田先生に来てもらう方がいいかなぁと……。だから今から山田先生を呼んで来てもらおうと思っててな……」
俺は首を捻る。今から山田先生を呼ぶ? なぜそんな二度手間なことをするのか。どう見ても車は四人が乗れる。
「え、荒井先生が運転すればいいじゃないですか? だって泊まるホテルはみんな一緒でしょう?」
遥は無遠慮に聞く。だがこれは尤もだ。
「うーん、そうだが」
ちら、と荒井先生は佐々木を見る。すると、その視線を受け佐々木はわずか微笑む。
「まあまあ、いいじゃん。山田先生を待とう! あ、私、廃墟探検して来よう」
そう言うと、佐々木は道の駅に再び入っていく。
「おい、あまりうろうろするなよ。二人ともそういうことだ。少し待ってなさい」
そう言って荒井先生は佐々木の後を追い、道の駅の中へ入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます