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 里見京子は何か隠している。

 遥はそう言い切った。

「徳川徳次郎の『初恋』とかいう本に里見さんは何かを隠していた。そしてその本が消えてしまったというわけか」

 そうよ、と遥は言う。

「一昨日『初恋』は棚にあるはずだった。しかし、それが予定外に無くなってしまったから彼女はあそこまで思い詰めてたのよ。何か大切な秘密をページの間に閉じていたのかもね。何かしらのメモ、もしくは日記とか? それとも宝くじの一等当たりくじかもしれないわね。徳川埋蔵金よ」

「徳川徳次郎の本だもんな。それだったら夢があるな。報酬で何割か貰おう」

「それじゃあ宝探しにでも行きますか」

 遥は元気よく立ち上がった。

「行くってどこに?」

 俺は慌てて付いていく。

「図書室よ。『初恋』について色々と調べたいことがあるの」

 遥の気分も乗ってきたようだった。宝探しと聞き、俺も少しわくわくしながら図書室へと向かった。


 *


 俺たちの通う私立南ケ丘高校は三階建てであり、生徒が普段過ごす教室は一階に三年生、二階に二年生、三階に一年生と割り当てられてる。俺は二年四組、遥は五組で教室は同じ棟にあった。図書室もまた同じ棟の二階にある。

 図書室に入ると、カウンターにいる眼鏡を掛けた女子生徒——おそらく図書委員だろう——以外は誰もいなかった。

 遥は真っ直ぐカウンターへと向かう。

「こんにちは。ちょっとお聞きしたいことがあるんだけどいいかしら?」

 眼鏡の陰気な女子生徒は、はいと答えた。

「徳川徳次郎の『初恋』って小説はここにある?」

「徳川……えっと誰ですっけ?」

「徳川徳次郎よ。『初恋』っていう彼の代表作なんだけど知らない?」

「知らないですねぇ。私全然本読まないんで」

 図書委員は臆することなく言った。そんな図書委員もいるのか。

 検索してみると言い、彼女はカタカタとパソコンのキーボードを打った。あったと声を上げるとパソコンの画面をこちらに見せてくれた。

「『初恋』っていうのがあります。徳川徳次郎の本はそれだけみたいですね。マイナーな作家なんですね。貸出中じゃないんでたぶんあの辺の棚にありますよ」

 そう言うと、図書委員——後で聞いたが吉川由紀よしかわゆきという名前の一年生らしい——は指で奥の方の棚を指し示した。

 俺は少々面食らった。一見陰気だが話してみると意外と愛想が良かったからだ。

「そう。ありがとう」

 礼を言うと遥とともに棚を探してみるが、「初恋」は見当たらなかった。

 探し方が悪いのかと思いもう少し探そうと思ったが遥は早々にカウンターへと引き上げてしまった。最初から探す気がないのではないか、俺にはそう映った。

「探したけどどこにもないみたい。誰かが持って行ったのかも」

「そうかもしれないですね。防犯カメラでも付けてもらいますか」

 吉川はさして困ったふうでもなかった。

「ところで『初恋』の貸出履歴なんだけど、過去の履歴も見れる?」

 遥は聞いた。

「ええ、待っててください」

 吉川は嬉々としてキーボードを叩く。どうやら本よりもパソコンを構うのが好きなようだ。

「ありましたよ。ほら里見さんしか借りてない」

 パソコンの画面には里見京子への貸出記録が一件書いてあるだけだった。

「誰も借りてないじゃないか。やっぱり無名作家なだけあるよな。逆に凄いや」

 俺は思わず感心してしまった。

「お気に入りの本なのに、一回しか借りてないのね、里見さん。それも去年の今頃だわ」

 見てみると遥の指摘通り貸出日と返却日は去年の六月だった。

「図書委員になったら、借りなくてもここで読めますからね」

「まあそうよね。それに里見さんおそらく新品で買ってるだろうし」

「え、そうなんですか?」

 吉川は驚く。

「ええ、あくまで推理だけど」

「はぁ、推理ですか」

「ねぇ、里見さんは当番以外の日でも図書室には来るの?」

「ええ、よく部活前に来ますよ。今日は来ませんでしたけど。吹奏楽部でフルートやってるそうです」

 フルートを演奏する里見はとても絵になるだろう。清楚なお嬢様だ。

「里見さんフルート似合いそうだもんな。じゃあ、ここで本を借りてから部活に行くわけだ」

「いえ、何も借りません」

「え? 借りないの?」

 俺は驚いた。

「はい。棚をぐるっと回って見てる感じですね。で、何も借りません」

 吉川は里見が辿るルートを指で示してくれた。

 入り口から壁伝いに棚を眺めて行くような感じだ。吉川の指が指し示す終着点は「初恋」が置いてあったという棚付近だった。

「そうだ、高橋先生ってよくここ来たりする?」

 遥は次から次へと質問する。幸い、吉川は迷惑そうではなさそうだ。おしゃべりは好きらしい。

 里見曰く、貸出処理をせずに本を持っていくという教師のことを聞くと吉川は考え込むように言った。

「うーん、どうかな。前は来てたみたいですよ」

「それっていつ頃?」

 吉川は首を捻る。

「図書委員の先輩たちの話だと去年の秋頃から今年の春頃ですね。急に図書室通いするようになったからみんなびっくりしたみたいです。私は一年生なので去年のことは知らないんですけど。そういえば四月にはよく見たけど、先月辺りからは全然来ないですね高橋先生」

 高橋先生といえばあくまで俺の印象でしかないが読書家という感じはしなかった。去年俺と遥のクラスで数学の授業を担当していた三十代前半の男性教師で、ゲームとかアクション映画が好きだと前に聞いたことがある。

「そういや、あんまり本の話はしなかったな高橋先生。ゲームと映画の話ばっかだった。あと嫁と子供の話も好きだったよな」

「え、高橋先生結婚してるんですか?」

 吉川は意外そうな顔をしていた。

「うん、結婚してる。まあ気さくで明るい人だし不思議じゃないと思うけど」

「へえ、知らなかったです」

「ねぇ、もう一つお願いがあるんだけどいい?」

「いいですよ」

我々は相当に図々しい来客だが、よく嫌がらずに聞いてくれる。やはり第一印象では人の性格など分からないものだ。

「高橋先生の利用履歴を調べてくれる?」

「ええ、もちろん」

 吉川は快く引き受けキーボードを叩く。しばらくすると吉川は、

「あちゃー」

 それだけ言うと画面をこちらに向けた。

 見ると高橋先生の利用履歴は「なし」だった。


 *


「犯人は高橋先生だな。貸出処理せずに本を持っていきまくってんだよあの先生」

 吉川に礼を告げ、俺と遥は教室に戻った。

 先程の調査から俺は「初恋」を持ち去ったのは高橋先生だと推測した。

「今から高橋先生のところへ行って貸出処理をさせよう。それで事件は解決だな」

 遥もきっとそうするだろうと思い、提案したが彼女はその必要はないと言った。

「覚えてない? 本は直接、里見さんに渡さなきゃいけないのよ。それに高橋先生の元には本はないわよ」

「どうして分かるんだ?」

 推理よ、と遥は答える。

 遥はしばらく黙って何事か思案しているようだったが、今度はゆっくり立ち上がり通学で使っている黒いリュックを背負った。

「敬介。あなたもう帰っていいわよ」

「え? もう今日は終わりか?」

「ええ、私は少しだけ残るけどあなたは帰っていいわ」

「そんなぁ、せめて他の教室を探してみるとか——」

 そう言い、遥の顔を見ると何かただならぬものを感じた。「帰っていい」という許可ではなく「帰りなさい」と命令するような表情。俺はその、もの言わせぬ雰囲気に圧倒されてしまった。先程から思案していたこと、何か事件解決に必要な算段が整ったのだろうか。

「分かった。じゃあ今日はお開きだな」

「ごめんなさい。ここまで付き合わせておいて」

「いいよいいよ。また明日探そうぜ」

 そう言うと俺は荷物を取って一人教室を後にした。

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