第4話 一度目の人生

「・・・さま、エヴェリーナさま!」

 ふと目を開けるとメイドがそばに立っていた。

「おはようございます。随分うなされておいででしたが、ご気分いかがですか?」

「あ、ああ。ありがとう。大丈夫です。後で濡れたタオルくださいますか?」


 アルビンの家では使用人含めて皆が大変親切にお世話をしてくれている。

 濡れたタオルで汗をかいた体をふきながら、先ほどの悪夢を思い浮かべた。

 悪夢といえば悪夢、でもそれは一度目に送った人生。




 婚約者のステファンが義妹とベッドで睦みあっていた。

 領地から帰ってくるのはまだ先の予定であったが、義母から早く帰るよう連絡を受けて帰ってきたらこのざまだった。

 ステファンは気怠そうな顔でこちらを見た。少しだけ目を見開いてエヴェリーナを見た後、自分の隣に寝ている義妹のテューネを見つめた。

「お姉さま、ごめんなさい。彼がどうしてもって・・・」

「そんな・・・うそ・・・」

「お姉さまより私と結婚したいって・・・本当にごめんなさい」

 テューネがポロポロ涙をこぼす。

 ステファンは眉をしかめてテューネからこちらに視線を動かした。

「なんだ?見ないでくれ、出て行ってくれ!」


 エヴェリーナは思いもよらないことに動転して、屋敷を飛び出した。

 まずは気を落ち着ける場所が欲しかった。

 友達のエルシー令嬢の元へお邪魔させてもらうと、話を聞いてもらい涙が枯れるまで泣いた。そしてしばらく泊まればいいと快く、宿泊させてくれた。


 家には顔も見たくない恥さらしな義妹がいる。両親もあてにならない。

 婚約も解消され、そしてすぐに義妹と婚約しなおすのだろう。

帰る場所などどこにもなかった。自尊心も恋心もズタズタだった。

 

 いつまでもエルシー嬢に迷惑をかけるわけにもいかず、エヴェリーナは亡くなった母の実家の侯爵家を訪ねた。

 父が再婚してからはほとんど会うことがなかったが、エヴェリーナだけが時々手紙のやり取りをしていた。エヴェリーナの境遇に胸を痛めた祖父母は温かく迎えてくれた。

 そして、もともと母が亡くなってからの父に思うところがあった祖父は、侯爵家の力をフルに使うと伯爵家をあっという間に追い詰めた。


 領地の事業がうまくいかないように根回しをし、社交界には妹とステファンの不貞関係を大げさに流した。二人の関係を両親ともが後押しし、実の娘を虐げた血も涙もない父親だと噂されみるみる間に伯爵家は傾いていった。友人も事業関係者もみんな潮が引くように離れていった。


 もちろん、ステファンも無傷でいられるわけがない。人としても信用を失い、生家から離籍された。

 テューネと婚姻を結べば落ちぶれたとはいえ貴族の末端に籍は置けただろうに、平民落ちしたステファンは何度も侯爵家を訪ねてきていたらしい。エヴェリーナと話がしたい、謝りたい、説明をしたいと懇願するステファンに、門番は門を開くことなく追い返していた。


 祖父母はエヴェリーナをこれまでの分、幸せになってほしいと行きたかったドラン国に連れて行ったり、ドレスやアクセサリーを贈ってくれた。

 ある日、祖父母と買い物に出かけ、店から馬車まで向かおうとしたとき、

「エヴェリーナ!!」

 ステファンが青い顔で呼び止めてきた。

 さっと護衛が侯爵夫妻とエヴェリーナを守る位置につく。

「聞いてくれ!本当に申し訳ない!ごめん!でも僕は君を愛して…」


 生家を追い出され、エヴェリーナと復縁することで貴族に返り咲こうとしているのか。惨めな女に口先だけで愛を告げれば喜ぶと思ったのか、エヴェリーナは怒りと悔しさで体が震えそうだった。

「エヴェリーナ、たわごとを耳にする必要はない。お前は先に馬車に戻りなさい。」

 祖父は護衛の隙間から杖でステファンのお腹を思い切りついた。

「は、はい。」

 そこから一歩離れたとき、わき腹に激痛が走った。


 え?と思う間もなく何度も何かを体にたたきつけられているのを感じた。そのとたん、地面に崩れ落ちてしまった。わき腹や背中が灼熱のように熱く痛いが、冷たい地面の感触がいやに気持ちよく感じた。息も思うようにできなくて声も出ない。


「ざまあみなさい!お前のせいで何もかもめちゃくちゃよ!」

 その声に何とか視線を向けるとテューネが血まみれのナイフを握ってあのかわいらしい顔を醜くゆがめて笑っていた。

「あははは、ステファン様が護衛の気をそらしてくれたのよ。お前が憎いってね!」

 ステファンは護衛に拘束されたまま、何かを叫んでいた。

(・・・そんなに恨んでいたの?・・・裏切ったのはあなたの方なのに?)


 テューネもすでに捕らえられ、拘束されている。

 それを目の端に捕らえながら、泣いてすがる祖父母にこんなことに巻き込んで申し訳なく思った。自分がここに来なければ、無駄にこんな悲しい思いをさせることはなかった。

 どうすればよかったのだろう。だんだん思いが霧散していき、思考がまとまらなくなっていく。そうしてどんどん視界も暗くなり、もはや痛みも感じなくなった。ただ寒くて冷たいという思いだけが最後の意識に浮かび、そのまま消えていった。




「うん、今回はおじいさまたちには頼らないっと。」

 前の時にお世話になった祖父母とは、今回は手紙のやり取りをたくさんしていた。 

 時には屋敷に遊びに行き、交流をしていたが助けは求めなかった。万が一にでもまた悲劇に巻き込みたくないからだ。

 ただ、家を出て国外にいる事だけは知らせておいた。

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