最終話 受け継がれる生き様
ごとり、と首を地に落とす岩熊。アグラをかいたまま突っ伏したその不自然な倒れ方が何を意味するかは、小なりとも人の死に触れた経験のある者なら明白だった。
「い、岩熊の……」
八斤親分が辛うじてそう絞り出すのが精一杯だった。周囲にいる組員たちも、彼らを取り囲む警察官たちも、その輪の外にいる野次馬達も、病院の窓やベランダから身を乗り出して見下ろしている子供達も。
そして、この中継を見ている日本中の視聴者達も皆、その『死に様』に言葉は出なかった。代わりに溢れ出るのは熱い想い、ヤクザへの偏見に対する自らへの嫌悪感と、その背中に描かれた文字を真っ向から実践し尽くして命尽きた男への心からの感動が、目から、喉から、熱いものとなって零れ落ちていた。
しばしの間の後、救急隊員が彼の元に駆け寄って来る。マイナカードを持たない反社者に手当の義務も責任もない彼らだが、それでも人命を救う使命がその体を突き動かしていた。
だが、彼らが岩熊勝平の体を抱き起した時、もう全てが手遅れである事を悟らざるを得なかった。その表情が、彼の命が尽きたことをありありと語っていたから。
(なんて……安らかな)
まるで畳の上で眠るように逝ったかのように、その死に顔は穏やかで、満足ささえ感じさせるものであったから。
やりきった男の、安らかな最後の顔だったから。
誰ともなく始まった拍手。それはほどなく夜の病院周辺に響く大音響となった。子供達は尊敬と憧れを称えて、八斤組の者達はその任侠道を貫いた気高さに、警察官たちは、自分達こそが正義の味方として『かくありたい』という思いを胸に。そして民間人たちは、今まで忌み嫌ってきたヤクザに対して、その評価を覆す感動を拍手に変えて贈る。
『今、自称”せいぎのみかた”のヤクザが救急隊員に搬送されていきます。果たしてこの男の土下座がゾンビを成仏させたというのでしょうか……』
◇ ◇ ◇
「当ったり前だ、バッカ野郎っ!」
「おやっさん、おやっさぁーーーんっ!!」
大阪、天狼組事務所。岩熊の子分であった可部と風月がTVにかじりついて涙を流し、叫ぶ。
自分たちは守られた。絶縁されることでヤクザとゾンビの関わりから外された、現場に居なかった事でゾンビに殺される事もなく、また俺達に無抵抗で土下座なんて真似をさせなかった、自分だけが戦わない事でゾンビ達を納得させて場を収めて見せた。
「そりゃぁ、無ぇでしょうがぁーっ!」
庇われた、自分だけが体を張って死ぬまで謝り続けた、俺達が一緒に土下座しても意味がない事くらいわかる……それでも、おやっさんと一緒に死ねなかった事に対して、無念を吐き出さずにはいられなかった。
そんな彼らに、梅之助は静かに諭す。
「子分ってのは命に代えても親を守るもんだ。だからこそ岩熊はお前たちを絶縁したんだよ、自分のわがままにお前たちを付き合わせて死なせんようになぁ」
◇ ◇ ◇
日本は、少しだけ、変わった。
翌々日に行われた岩熊勝平の葬儀。本来ヤクザはおおっぴらに葬式を上げることが出来ないので、密葬としてひっそり行われるはずだった。
だがそれに、何と日本中からヤクザと民間人の参列者が殺到したのだ。解散を求める警察官たちに対して誰もが聞く耳を持たず、あの正義の味方を送るためにはせ参じ、その死を悼んだ。
現場を指揮する刑事、
喪主は特別に復縁を許された二人の子分、可部と風月が務め、遺影には背中の入れ墨のアップ『せいぎのみかた』が掲げられた。花束を抱えた参列者の先頭に立つ少女は、自分がかつて淡路島で彼に命を救われた事を弔問文として読み上げた。
続いて本家、天狼組の総長である犬神正和が、彼が元々はいじめられっ子であった事、どうして侠客を目指すに至ったのかを語り、若頭の梅之助は勝平が長いヤクザ人生において、ただの1人も人間を殺めていないことを語った。
その様が日本中に中継され、ネットの情報や組事務所の近所の小学生たち、ヤクザ関係者の証言、果ては彼に叩きのめされた死刑囚までがその事実を赤裸々に語った。特にその死刑囚は、自分があの時殺されてもやむない状況で情をかけられ、今も刑の執行まで生きていられることに感謝していると語った事で、岩熊への国民の好感度は一気に跳ね上がっていった。
もちろん称賛の声ばかりでは無かった。元々ヤクザのせいでゾンビが沸いた、だからヤクザは無くなるべきだと主張していた排斥派の偉い学者や先生方、政治家達の言葉は根強かったが、その言葉は逆に世間の反発を招いただけだった。偉そうにTVの前でコメントするだけの有識者とやらが、現場で命を捨ててまで謝罪をやり切った岩熊より支持されるはずも無かったのだ。
あの夜以降、日本のあちこちに現れたゾンビは、地元のヤクザの謝罪や和解、供養の儀式を経て次々と成仏していった。誰もが岩熊に習って筋を通し、頭を下げてゾンビを鎮める。
世論が動けば、政治も変わる。
『国民が政治を監視する社会』において、一連のゾンビ騒動に対する反社組織の行いを評価する世間の声に、現行の反社法律の見直しが進められた。
ゾンビ達を生み出したヤクザの『殺し』は重大事項だが、それ以上にまた湧いて出るかもしれないゾンビへの対抗手段としてヤクザがいないと困るという点も考慮され、罪への追及はひとまず先送りにされる形となった。
また反社組織所属者用のマイナンバーカードが制作され、世間にはヤクザ者と分かる機能を残しつつも、普通に買い物や店への出入りが認められるようになった。勿論何か問題を起こせば厳罰化が待っているのだが。
こうして世の中は、少しだけヤクザに生きやすい社会になった。
◇ ◇ ◇
とある工場跡の廃墟にて。
「貴様ら、キサマら……キサマらあぁぁぁっ!!」
一人の男が震える手で拳銃を構え、向かい合う五人の男に対して怒りの声を上げる。
「な、なんだよアンタ、ヤベェもん向けやがって、正気か?」
おいおいという表情で五人の内のひとりが手の平をかざして後ずさる。半グレの彼らにとって恨まれる覚えは山ほどあるが、いきなりチャカを突きつけられては強気にも出られない。
「貴様らが襲った二葉、あれは俺の……妹だっ! よくも、よくも……」
男の言葉に半グレ共は「ああ、あの女か」と顔を見合わせる。と同時にこの男がただの素人な事、バックに誰かがいるわけではない事を察して、強気の態度を取らせる。
「オイオイお兄さん、勘違いして貰っちゃ困るよ。妹さんも十分楽しんでたぜぇ、アンアン言ってよぉ」
ゲラゲラと笑う半グレ共。男はその言葉にいよいよ殺意を漲らせる。
「全身に火傷を負わせておいて、どの口が言いやがる、この外道どもがぁーーっ!!」
彼の妹は半月前、この連中に拉致されて手籠めにされた。しかもその後はこいつらのオモチャにされて散々いたぶられ、何日も暴行を受け続けていたのだ。最後には面白がって花火で全身を焼かれ、ボロボロにされて打ち捨てられた。発見がもう少しでも遅れていれば彼女は生きてはいなかっただろう。
現代は国民が政治を監視する社会、もしこの悪行を世間に訴え出ればこいつらは極刑を免れないだろう。殺した人数によって刑量が決まるのではなく、その非道さを世間がどう見るかが焦点になるからだ。
だが、その為には被害に遭った女性がその証拠を提示しなければならない。自らボロボロになった体を世間に晒して、このおぞましいレイプ犯に相対するのは、彼女にとっても家族にとっても耐えがたい事だった。外道共が彼女に全身やけどを負わせたのも、そういう悪辣な狙いがあったのだ。
だから彼女の兄である男は拳銃を手に入れて復讐を試みた。だが彼は普段は荒事に無縁のサラリーマンで、ピストル一丁で半グレ五人を相手にするだけの力も経験も無かった。
五人は扇形に広がって一斉に取り押さえようと、じりじり間合いを埋める。男は右に左に照準を向け直して息を飲む。引き金を引けば戦闘開始の合図、そして当たっても当たらなくても、その先に自分がどうなるかを察して臍を咬み、その恐怖を憎悪で塗りつぶそうと……。
バンッ!
工場の入り口のドアが外から勢いよく蹴破られた。そこから黒服を着た男が数名、どやどやと入って来る。いずれも鍛えられたであろう体躯を纏った強者感ありありの男たちであり、銃を持った男はもちろん半グレ達も敵いそうにはない、いかにも見た目
「おー間に合った。早まった真似しちゃいけませんぜ、
男の肩にぽん、と手を置いて諭すように語るのは、天狼組系岩熊組二代目組長、
「な、なんだ、あんたら……」
「アンタを止めに来たんだよ。いやー拳銃を捌いてるバイヤーをフン捕まえて警察に引き渡したら、販売先にアンタがいたって言うじゃねぇの。ダメだよ、ちゃーんと警察に訴えなきゃ」
軽い口調で語るのは舎弟頭の
「あ、あんたらに、何が分かるっ!」
鳥黒と呼ばれた男が怒りに震えながら二人に怒鳴る。妹の貞操と尊厳を踏みにじられ、未来を奪われた怒りと悲しみはコイツらを殺さなければ収まらない、こちらの弱みに付け込んで犯罪を訴える事もさせずに、のうのうと逃げ延びようとしているこの下衆共を、せめて俺の、兄の手で!
「いいのかい?そんな簡単に済ませて」
その可部の言葉に、え? という顔をする鳥黒。
「銃なんて引き金を引けばそれで終わりだよ、お前さんの怒りはそんな軽いもんだったのかい?」
「そーそー、後味の悪さが残るだけだぜ。銃を使って殺すなんてなぁ」
その言葉にはた、と気づく。そうだ、ここで引き金を引いてコイツらを殺して、それでいいのか? 妹は殺人を犯した兄を受け入れるか、そもそももしここで自分が返り討ちに合ったら妹は、両親はどうなってしまう?
呆然とする鳥黒から銃を抜き取った風月が、ニヤリ笑って拳を作る。
「ぶちのめしてやれ!」
「代表者一名、前に出ろ!」
可部が半グレ共に向きなおってそう告げる。五人は顔を見合わせた後、一番体躯のいい男が「ああ」、と肩をいからせて前に出て……
ばっきいぃぃっ!!
可部の右フックで豪快に吹き飛んだ。
「代表者っつっただろうが! 県議の息子、キサマだよ!!」
既にこいつらの調べはついている。半グレ共をこっそり囲っているのは県議会議員の息子、というよりその権力と財力を利用して裸の王様に収まってるだけの小物だ。
「もし勝ったら俺達は引き下がってやるよ、だが負けたら嫌でもこの事を世間に暴いて、一族もろとも破滅に追い込んでやるから覚悟するんだな!」
指定暴力団、天狼組系岩熊組。かつてゾンビ騒動を収めた『せいぎのみかた』岩熊勝平の一家は、それからも彼の志を受け継いで侠客としての生き様を貫いてきた。弱きを助け強きをくじき、堅気の衆に迷惑をかけるのを何よりも嫌う。こうして法の目を潜って外道をする奴等には、損得抜きで正義の鉄槌を打ち下ろしてきた。
そんな彼らの唯一つの縛り。それはいかなる時でも『殺し』はやらない、ということ。
そして犯罪被害に遭った人たちのケアも怠らなかった。可部の妻である
今回の件も件の県議会委員に息子を絶縁するように勧め、また賠償金と共に被害者の彼女を救うためのクラウドファンディングを立ち上げ、火傷した皮膚移植のドナーを広く募集していた。彼女は幸いにも妊娠してはおらず、数カ月もすれば元の綺麗な体に戻れるだろう。あとは彼女の心を癒す伴侶が現れてくれれば万事めでたし、だ。
「て、てめぇら! 何仕切ってんだよ、調子に乗ってっと……」
バタフライナイフを抜いた半グレのひとりが粋がる。が、修羅場を潜り抜けて来た岩熊組の面々にとってそんなものは屁のツッパリにもならない。
「安心しな、お前らとも俺達がタイマン張ってやんよ」
そう言ってジャケットを脱ぎ捨てる岩熊組の面々。上半身裸、またはランニングシャツ一枚になった彼らの手に武器は無い、だがその鍛え込まれた肉体は、ナイフやピストルなど何するものぞと雄弁に語っている。
戦闘開始から三分もしない間に、リーダー以外の半グレ共は地面に転がってうめいていた。
「さぁ、あとはアンタだけだ、存分に恨みを晴らしな」
風月が鳥黒にそう告げる。だが彼は状況が自分に有利になった事、また仲間が全員やられて奴らのリーダーが涙目になっている事に、さっきまでの殺意を保てないでいた。
妹にされた事に対する恨みはある、だがそれでも彼は真っ当な倫理観を持った一般人、追い詰められた立場の者に暴力を振るうのはどこか躊躇われたのだ。
「それでいいんだよ鳥黒さん、あとは俺達に任せときな」
可部が前に出て、纏っていたシャツを脱ぎ捨てる。その背中にはひらがなの七文字が刻まれていた。ああ、知っている。あのゾンビ騒動の中、ただひとり土下座で立ち向かったあの人。そうか、彼らはあの人の……
「歯ぁ食いしばれ! なぶられた妹さんの恨み、苦しみ、とくと味わってみやがれえぇぇぇっ!」
渾身の右ストレートが放たれる。頭蓋骨をぶち抜く勢いで下衆野郎の鼻面を捕らえたその拳は……打ち抜かれる事無く、そこで止められていた。
涙と鼻血を流し、失禁しながら崩れ落ちて失神したその男を見下ろす可部の背中には、亡きおやっさんから受け継いだ『生き様』が、確かに刻まれていた。
―せいぎの みかた―
ゾンビvsヤクザ~人気なき戦い ―完―
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