ルカとの再会

 アクセルはルカに避けられて悶々とした日々を送っていた。

 しかし、彼との再会は呆気なく訪れたのだった。


 剣術の授業からの帰り。アクセルはルカのクラスに立ち寄ると、いつものように、教室の入り口近くでたむろしている男たちに彼はいるかと尋ねていた。

 そのとき、向こうから一際目を引く男が歩いてきた。

「きみが探しているのは僕だろう、アクセル」

 男は小首を傾げて微笑んだ。


 食堂で出会ったニコラに、ルカの話題を出した途端、俗っぽいと言われた理由がいま分かった。

 小柄で細身の体格に淡い金髪。それに、ルカはとにかく可愛らしい顔をしていた。

 これまでルカを探すアクセルをさんざん邪魔してきた男たちはみんな、ルカに惚れている連中だったに違いない。


「ここじゃなんだから移動しよう。『二人っきり』で話したいんだろう」

 あの日ルカに会ったことを忘れる代わりに、アクセルが示した交換条件。

 ルカはニッと笑うと背を向けてさっさと歩き出す。虚をつかれたアクセルも、慌ててその背を追いかけた。


 アクセルがヘスペリデスの園で会ったことをずっと秘密にしてくれているようだから、もう一度会うことにした、ほんとはもう個人的に話す気はなかった、とルカは語った。

 一方的に約束を取り付けておいて、自分は反故にする気でいた。そんな強気で勝手なところを、少しかわいいと思ってしまった自分にアクセルは驚いた。

 ルカに質問したりされたりしながら、ぶらぶらと外を歩いた。秘密主義だと思われたルカは、意外にもアクセルの問いかけになんでも答えてくれた。頭の回転が速いルカとの会話は楽しかった。

 最後に、約束を守ってくれるならこれからも二人で会ってもいいと言われ、アクセルは一も二もなくうなずいた。

 しばらくぶりに気が晴れた心地がした。


 アクセルが授業のためクラスに戻ると、教室の空気がいつもと違っていた。みんながいつも通りを演じながらも窓際の席に意識を向けているのがわかった。

 アクセルもつられて窓の方に目をやって、そして、ゆっくりと息を呑んだ。


 昨日まで空席だったそこには小柄で細身、金髪の少年が座っていた。

 少年はまるで周囲の浮き足立った様子など意に介さないように、まっすぐ前だけを見つめている。


 整った顔立ちはまるで精巧に作られた人形であった。

 その銀鼠色の瞳は透明度が高すぎて、すべてを見透かすように、あるいは何者をも映さないように思える。

 ただ、午後の日差しを受けてきらりと光るうぶ毛だけが、その白磁のかんばせに生気を添えていた。


 そういえば、とアクセルは思い出す。昨日の午後に王女がニヴルガル帝国から帰国したと聞いたはずだ。王子の子守り役である乳兄弟と一緒に。

 彼がこの国の第二王子、ロジェであるとすぐに分かった。


 アクセルは思わずロジェに見惚れ、吸い寄せられるように近づいて行った。

 しかし、その行く手を阻むようにすっと男が現れた。


「はじめまして、テブネ伯爵家の次男クロードだ。えっと、君は……」

 男は名乗ると手を差し出して握手を求めてきた。

 なるほど、女に好かれそうな容姿である。筋肉がほどよくついて引き締まった身体に、笑顔はどこまでも爽やかだ。

 しかしアクセルを見つめる瞳は少しも笑っておらず、油断ならない人物だと感じさせる。

 ああ、これが噂の『姫君』の『騎士』か、と思いつつ、アクセルも手を握り返して応じた。

「ドラジャン辺境伯家が嫡男アクセルだ。今学期からこのクラスに転入してきた。ロジェ殿下にもぜひご挨拶をと思い――」

「あいにくロジェ殿下はいまご気分が優れないんだ。またの機会にしてくれないだろうか」

 握手したまま、笑みの形を崩さないクロードとしばし睨み合う。

 これは取り付く島もないと退こうとしたとき、クロードのジャケットの裾を引く者があった。

「クロード、構わない」

 ロジェを振り返ったクロードが一瞬、駄々をこねる子を見る目で彼を見つめた気がした。


 ロジェが音もなく立ち上がる。アクセルもそれに合わせて片足を後ろに引き右手を胸元にやって膝を軽く折る最敬礼の姿勢をとった。

「ドラジャン卿、ここは王立寄宿学校だ。生徒のあいだに貴賤はない。私に対しても特別扱いは不要だ。面をあげよ」

「はっ」

 アクセルがゆっくりと顔を上げるとロジェと目があった。やはりその瞳はガラスのように生気を感じさせない。

「ご挨拶遅れました。ドラジャン辺境伯家が嫡男アクセルにござい――」

「ロジェ・ダラゴンだ。御母堂であるドラジャン辺境伯の見事な采配はかねがね聞いている。貴殿も御母堂にならい精進されよ」

「ありがたきお言葉」

 アクセルがそれを言い切るかどうかのうちに、ロジェとの邂逅は終わった。二人のあいだにクロードが割り込み、遠ざけられてしまったのだ。


 アクセルも今度こそ退いて自席につく。

 はじめて聞くロジェの声は感情の機微をまったく感じさせず、ただ、涼やかだが甘さもあるその声音ははじめて聞く気がしなかった。

 それにしても、平等と言いつつ生粋の『お姫さま』の振る舞いだったな、とアクセルは妙に感心したのだった。





 それからのアクセルは、暇さえあればルカのもとへ通った。いつも快活で切り返しの早いルカとの会話は楽しかった。

 ルカは剣術や馬術といった体術はそれほどだが、魔術全般や算術などの座学は得意なようであった。

 とくに魔術のうち、結界魔法や認識阻害魔法といった防衛術と呼ばれる類にわずかながら適性があるらしく、その点でもアクセルと意気投合した。


 防衛術は適性をもつ者は少ないと言われるが、極めれば強力な武器となる魔術である。

 アクセルもこれに適性をもつ一人なのだ。

 ただし、いま使えるのは、遠くに見えるヒースの茂みの影を猫に思わせるだとか、ミモザの香りを一瞬だけ不快に思わせるだとか。その程度の魔法に限られていて、いまいち使い所が見いだせなかった。


 ルカとのそんな日々が一ヶ月もつづくと、はじめのうち彼に向けていた異様な熱情は冷めていった。

 そして自然に、ルカは大切な友人のひとりになっていった。


 今日も今日とて二人で取り留めのない話をしながら校内をぶらぶらしている。すると、いつのまにか中庭に面した回廊に出ていた。

 回廊はほとんど外と変わりない。そろそろ冬の足音が聞こえはじめた今の時期は身体の芯まで冷えそうな寒さだ。

 しかし中庭の中央にあるこじんまりした噴水の周りでは、下級生だろう、数人の生徒たちが度胸試しのようにお互いに水飛沫を飛ばしたりして遊んでいた。

 その光景を見て、アクセルはウルバーノ王国に遊学したばかりの頃を思い出していた。


 入学して数日、アクセルは生意気な遊学生への制裁だとばかりに、上級生から校内の噴水に突き落とされた。

 そこを助けてくれたのが、のちに悪友となる男である。

 隣国はここより温暖なため、あとから風邪をひくなんてことはなかった。ただ、突然に悪意を向けられて、まだ幼かったアクセルはかなりショックを受けたのだった。

 その後、アクセルがダラゴニア王国で有力な貴族の嫡男と知るやいなや、上級生たちが手の平を返したように平身低頭して許しを乞うてきたのには笑ってしまった。


「それにしても、ここではほんとうに平等を尊重する風土が実現されているのだな」

 アクセルがふとつぶやく。それに、ルカはちょっと呆れたような顔で笑った。

「そう感じるのはアクセルがロジェ殿下のお膝元にいるからさ。エロイーズ殿下やロジェ殿下は身分による差別を嫌うから、彼らの周りもそれにならう。……この学校にだって、爵位で人を見るやつは大勢いるよ」

 いつも明るいルカの表情が一瞬陰った。

 ルカは男爵家の子息であるが、いつも身なりがよく、実家が裕福であることが感じ取れた。そのために嫌な思いをしたことでもあったのかもしれない。

「まあ、あのお二人もたいがい自由気儘だけどな」

 ルカは陰鬱な雰囲気を吹き飛ばすように笑った。

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