第31話 知らないうちに


 私はそのまま普通に授業を受けた。なんとなく遠巻きにされている気はするけど、必要な会話はできるし嫌なことを言われたりはしない。でもいつもの、くだらない話でワーワー笑うようなのはなかった。

 クラスの全員が、私に気をつかっているような感じ。


 最初は静かにしててくれてよかったと思ったけどモジモジする、こんなの。

 わかるよ。私だって、あんなことがあったクラスメートが再登校したら何を話そうか迷っちゃう。

 「落ちる」とか「窓」とか、なんなら「三月」「一年の時」とかまで、言っちゃだめそうな気がして黙るかも。私はとくに勢いだけでしゃべるから、うっかりしそうで。

 こうやって知らんぷりするのは正しいんだと思う。

 これからの授業や行事をつみ重ねて、だんだん話しても平気なことを増やしていく。そうすれば冗談も言えるようになる。バカ笑いできるようになる。

 だけど。


 それじゃ、私たちの中に撫子なでしこはいなかったことになっちゃう。


 嫌だよ。撫子がいたことを無視して。撫子が空を見ていたことを忘れて。

 撫子は自分が自分らしくいられる世界に飛びたかっただけ。それを誰も覚えておかないなんて嫌だよ。撫子のことを話そうよ。

 だけど、話せない。

 私はどうすればいいんだろう。





「何よ」


 次の日の昼休み、図書室にでも行こうと思った私が廊下に出ようとしたら、大嶺おおねさんにぶつかりかけた。鈴菜すずなちゃんの前の席の、撫子を嫌っていた子だ。

 別にわざとじゃないのに、不機嫌な顔でにらんでくる。


「なんでもないよ。当たってないじゃない」


 ちゃんとよけたのににらまれたので、私は言い返した。


「うそ。ギリギリでよけたりしてさ」

「そんなことしてない」


 突っかかって、どうしたんだろう。教室に残っている人たちもチラチラこっちを見ている。大嶺さんはいら立った顔だ。


「私のせいだって言いたいんでしょ。ずっと嫌な顔で私のこと見て!」

「なんのこと?」


 私はわけがわからずに困ってしまった。すると鈴菜ちゃんが飛んでくる。私を背中にして割って入り、大嶺さんのことを見下ろした。鈴菜ちゃんは背が高い。


「やめなさいよ」

「……あなたはカンケーないでしょ」

「なら、はこべちゃんだって関係ない。大嶺さんが今ひとりになってるのは、大嶺さんの問題」


 鈴菜ちゃんは何を言ってるんだろう。私は目を丸くして肩の向こうの大嶺さんを見た。彼女は泣き出しそうな顔でクルリと背を向けると、走ってどこかに行ってしまった。


「――」

「はこべちゃん、ちょっと来て」


 いろいろびっくりして突っ立っていた私は、腕をつかまれて鈴菜ちゃんにズイズイ引きずられていった。



 連れて行かれたのは保健室だった。萩野はぎの先生が私たちを見てヒョイと眉を上げる。


「おー、わりと早かったね」

「はこべちゃんじゃないです。大嶺さんがキレました」

「あっちかあ。ま、そりゃそうなるだろうな」

「なんか走ってどっか行っちゃったんですけど」

「ありゃ」


 仕方ない、と先生は立ち上がり、奥のドアを示す。


「じゃあ相談室使っていいから。すこし話してあげな」


 鈴菜ちゃんはやや不満顔でうなずいた。出て行く先生を見送って、相談室に二人で入る。二日ぶりのパイプ椅子に座って、私は情けない顔だった。どうやら私がわかっていないことがあるらしい。


「大嶺さんどうしたの」

「……あの人、撫子ちゃんのこといじめてたでしょ」

「あー。悪口言うぐらいはね」


 去年のクラスで撫子のことを気に入らないとあからさまに態度に出していたのは三人だけだった。大嶺さんはその一人。

 撫子は私と一緒にいることが多かったし、私たちのグループでは普通にすごしていた。大嶺さんたちはクラスの主流ではない――というか自分たちだけでガッチリ固まってる、みたいに思われていたと思う。だからクラス全体のいじめみたいなことにはならなかったんだ。


「撫子ちゃんが死んじゃって、あの三人が追いつめたせいだ、みたいになったの」

「――ふぁ?」


 私はびっくりしてまぬけな返事をした。

 そうか。そうだよ。私は自分の気持ちに精いっぱいで他の人たちがどう思ったのかなんて考えられなかった。だけどみんなだって、クラスの子が死んでしまったらショックを受けるんだ。泣いたり誰かのせいにしたり、いろいろあったんだろう。


「逆にあの人たちが無視されるようになったりしたんだよ」

「え」

「すぐ春休みになったから、たいしたことなかったって。自分が悪いんだし」


 鈴菜ちゃんはわりと怒っているみたいだった。グループを作っていた撫子がいなくなり私は入院してしまったのだから、そうだよね、鈴菜ちゃんだって傷ついたんだね。さっきも大嶺さんへの当たりがきつかった。


「二年では三人バラバラのクラスにされてるの。一年の時どんなだったか知らない人を混ぜて、ふんいき変えようとしたんじゃない?」

「先生たちが?」

「うん。いじめで自殺か、みたいなこと起きたんだよ。先生だってあわてるよ」


 自殺、と言ってしまうのは私は嫌だった。撫子は死のうとしたわけじゃない。『生きても死んでも、どっちでもよかった』と言っていたんだ。だけどみんなは、そんなこと知らない。


「調査の結果、事故ってことになりました。いじめといえるような事はありませんでした、て言われたけどね。そんなんでおさまるわけないし」

「そう、だよね……」

「でも逆いじめになっちゃいけないから、あの人たちのこと気をつけて見てるみたい。私が頼まれたのは、はこべちゃんの方だけど」

「頼まれた?」

「はこべちゃんがつらそうだったら、ここに逃げて来ていいよって。はこべちゃん、がんばろうとしちゃうからって萩野先生が言ってた」


 ……それで鈴菜ちゃんは迷わず私を引っぱって来たんだね。

 私、ひとりでがんばろう、なんて考えていたのに。友だちも先生も、しっかり私のことを支えようとしてくれていたのだった。かなわないなあ、という気分になった。



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