第2話 あなたは誰なの
私の手と、彼の手。重ねたところからフワァン、と空中に
どうして? 空気なのに、水みたいに目に見える。あおられて髪が乱れた。
波はぐんぐんふくらみ、台風の海のように私に寄せて全身を包もうとする。
おぼれる――!
私は思わずギュッと目をつぶった。
何かが私を通りすぎていった。
ちぢこまって息をとめていた私の手を、彼がそうっと引く。
「平気だよハコベ。目を開けてみな」
あんまり普通に言われておそるおそる細目で辺りをうかがってみた。
「ひゃっ!」
まず悲鳴をあげたのは、彼が私の顔をのぞきこんでいたからだ。近いって!
私が叫んだせいで向こうものけぞる。握られたままの手が引っぱられて私もよろけた。二人してたたらを踏む。転びかけた私をグイと支えて、彼は文句を言った。
「うるせえなあ」
「誰のせいよ!」
私は手を振りはらってそっぽを向き、そしてぼうぜんとした。
ここ、なに?
私はあわてて周りを見まわす。
家の前にいたはずなのに、うっそうとした木々の間にいた。大きな葉が重なって空を隠している。見あげても雨は降っていなかった。
森?
――でもないか。地面に木の根はなく平らで、土や落ち葉のかわりに広がるのはウッドチップかおがくずのような物だ。足で踏むと木のいい匂いがふわりとただよう。だから森のような気がするのかもしれない。
でもまっすぐに並ぶ木々は細く、どれもそっくりで不自然だった。それに表面がツルリとしていて奇妙にメタリックに見える。
「あっ! カバン! 傘も!」
私はとても身軽なことに気づいてまた悲鳴を上げた。キョロキョロしても荷物はどこにもない。いつの間に手から放してしまったんだろう。
「ちょっとやだあ……私の筆箱とポーチ、どうしてくれるのよう」
お気にいりの物がいろいろ入っているのに。カラーペンとかマステとか。ヘアピンも香りつきティッシュも、とっておきのだった。
私はどれぐらい情けない顔をしたんだろう。彼はあっけにとられてから、ヒーヒー言って笑った。
「やっぱハコベはハコベだわ。変わんねえや」
「え……」
私のことをよく知っているみたいに言われて罪悪感におそわれた。私の方は、この人のことがまったく思い出せない。
「……俺のこと、わからないんだろ」
モジモジしているのが伝わったのか、彼はニヤリと言った。仕方なくうなずく。
「……わかんない」
「やっぱりか。うーん、でもごめん、それはハコベに当ててほしいんだよなあ」
「なんで? 教えてくれたって」
食いさがったけど、彼は首を振った。
「ダメなんだ」
「そんなあ。じゃあせめて、あだ名とか?」
「ダメ。今は俺のこと――そうだな、レイって呼べばいい」
「レイ?」
うなずいて私をじっと見る。どうしてかその視線はなつかしさに満ちていて――そしてほんのすこし、悲しそうだった。
レイという名前に聞きおぼえはない。そりゃそうだよね、あだ名でさえないのなら。どうして名前が秘密なのかはわからないけど、とりあえずの呼び方があるならそれでもいいか。
「じゃあ、レイくん。ここはどこなの?」
まず訊きたいのはそれだった。家の前にいたのに、よくわからない場所に連れて来られて大迷惑だもん。
「どこ……っても」
来て、と言った張本人のくせにレイくんは上を向いて考える。
「ここ、ていうものじゃないし」
「はあ?」
何を言ってるの、この人。せめる私の視線にレイくんは困った顔をした。
「想い残り、とでも言うかな」
「……おもい、のこり?」
レイくんの言う意味がわからなくて私は首をかしげた。うーん、とうなりながらレイくんは考え考え、話してくれる。
「ハコベのことを想ってる誰かがいるんだ。どういう気持ちなのか、俺は知らないけど」
「おもってる……なに、私のこと……」
好き、とかそういう? ひゃー、うそうそ! どうしよう?
「なんかアホなこと考えてないか?」
レイくんがにらむ。あ、やっぱりそんなのじゃないんだ。私は恥ずかしくなって両手でほほを隠した。
「べつに、何も考えてない!」
「うそつけ」
馬鹿にしたようにレイくんは言う。ううう、そりゃ私が馬鹿だったけど感じ悪い!
私が口をとがらせてうつむくと、レイくんはあらためて周りを見た。
「ここはさ、その誰かの心の中なんだ。ハコベに伝えたいことがあって、だけどできなくて困ってる」
「心の中……」
なんでそんな所に来られるの? じゃあレイくんはなんなの? そんな疑問が頭の中をぐるぐるする。でも、うまく言葉にできなかった。
「だからその誰かを、ハコベが見つけろ。ここにある物はぜんぶヒントだから」
「……私が見つけるの?」
どうしてそんな。
なんにもわからない、知らない場所なのにどうすればいいっていうの。
「ハコベがやるに決まってるだろ。そいつ、俺の知らないやつだぞ」
「えー、ここに連れて来たのはレイくんでしょ! 無責任!」
ちょっとふくれて抗議してみたら、レイくんは平気な顔でニヤニヤ笑った。
「困ってるお友だちがいたら助けましょう、て幼稚園で習っただろ? 俺はそいつが困ってたからハコベと引き合わせてみただけだし」
「何それ。レイくん、めっちゃ嫌な感じ!」
「ああ、そーですかー」
会ったばかりなのに、口げんかしちゃう。レイくんとなら軽く言い合ってもいいような気がする。どうしてなんだろう。
その時、緑の奥からガサガサと何かの音がして私はビクッとした。
わりと大きな音――誰か、ここにいるの?
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