五章:向かい合う刃先

飲みきれない杯

 五章:向かい合う刃先



 もうじき夜が訪れるだろう。高層ビルの窓に広がる濁った空は陽光の輝きを失い、地上だけがピンクに、緑に、とにかく幾つものネオン光を煌めかせ、存在を主張していた。


『第八貯水区の巡回中メガハートポリスからの定時連絡無し』


『八咫護衛便利屋事務所エルクス・スプロケットからの定時連絡無し』


 二つの通知が音声となってエスコエンドルフィア製薬の一室に響く。


 ルドヴィコ・アーヴェは口角を吊り上げて笑った。


 淡々と、使えない警備連中共と一部の対暴徒用の機械を送るように指示を出していく。


 所詮は薬物中毒者のハート共では大した戦力にはならないと分かっていたが、同じ思想を持った便利屋を失うのは僅かに堪えた。


 エルクスもまた、緋色に魅入られた仲間だった。


 嗚呼、だが彼から連絡がないということは……【緋刃】が少しでも本来の力を垣間見せたということだ。いくら企業と張り合う力があると証明された色付きの便利屋であれど、死を望んでいれば勝てる相手にも勝てないだろうから。


「嗚呼、僕は喜ぶべきなんですか? ――……師匠」


 ゾクゾクと、武者震いが体を満たす。近い再開に心踊らせるなか、不快な足音と光輝が近づくのがわかった。街を支配する鮮やかな髪の、虹彩の支配種族の誰かが来たのだろう。


 振り向くのは億劫だった。背を向けたまま彼女の声に耳を傾ける。


「あまり我々の手駒を使い潰さないでほしいものだな。薬中を使い潰すぐらいなら我々にはもっと高性能な駒もある。要求すればいいだろう? それをしないのはなぜだ」


「余計なアドバイスをありがとう。かわいい蛭ちゃん。けどさぁ……わざわざ便利屋を雇った時点で、君たちは戦力を露わにはしたくないんだろう?」


 便利屋もまた捨て駒だ。企業が手の内を明かしたくないがための代行者だ。


「その高性能な駒がどれだけ【緋刃】に通用するか、外部の連中に知られるのを――そう、怖がってるんだ。違うかい?」


「我々はリスクを恐れるだけだ。だが、シルヴィ・ラヴィソン……同胞でありながら我らが主義とかけ離れた者を放置はできない。貴様が失態を犯せば我々はルークでも、ビジョップでも、強力な駒を動かすだろう」


 人ならざる存在がいかにも尊大な態度で言葉を続ける。


 薄藍に広がる夜空を映す窓が、彼女を反射して映し出していた。


 長く、幾つもの色を持つ髪が悠然と靡いている。口を開くたびに鋭い牙が垣間見えた。


「プレッシャーでも掛けに来たのかい?」


「肯定しよう。貴様が私情によって仕事に支障をきたすとき、我々は君達へ血の瞳を送る」


 血の瞳。その言葉が意味することは理解できなかった。


 その体液によって人を掌握し、幸福を管理するおぞましい種族の奥の手とでも考えるべきだろうか。それとも、そう名付けられた便利屋でもいるか。


 考えても仕方がないことだった。仕事に支障をきたすとき?


 嗚呼だって、それを望んでいる。仕事だけを考えればありえないことだろう。


 【緋刃】が全力を振り絞ることを望んでいるんだ。


「血の瞳か。一応覚えておくよ。それよりさぁ……キミも一杯どうだい? 僕一人じゃあ飲み切れないぐらいあったんだ」


「酒類はこの街に持ち出すことも販売も禁止している。どこでその製品を入手した?」


「さぁ? 偶然ただそこにあっただけさ。……僕一人じゃ飲み切れない量でしたよ」


 キツイ刺激臭を喉に流し込んだ。


 体が火照るような熱さが染み渡る。ゆっくりと深く息を吐いた。


「ところでさぁ――シルヴィ・ラヴィソンに投与された幸福を打ち消してくれただろう? どうやったんだい? あの博士が作った……君達の力を抑制する薬と、幸福を治す薬。あれの量産体制でも整ったのかい?」


 怪物に顔も合わせないまま尋ねる。


「あり得ない。あんな悍ましい薬物の存在を我々が許す訳がないだろう」


 虹に煌めく髪を揺らしながら、支配種はそう答えた。


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