首にかけられた薬、築き上げた幸福の終わり
「こっち!」
エストの手を引いてレーヴェのいる部屋まで走った。拘束を外してと言うよりも早く、エストは拘束具だけを両断していた。金属音が転がっていく。
「……レーヴェ、無事か?」
淡々と。感情の見えないガスマスク越しに声が響いた。解体台に仰向けにさせられていたレーヴェを支え起こし、顔を覗く。
「っ……ん、ぅ…………アハ。……ぁ」
レーヴェはぼんやりと光のない黒い瞳で見上げると、気だるげな甘い吐息を零した。意思なく跳ねる肩な。自制なく開く口から、言葉にならない声が溶けるように鈍く響く。
「……レーヴェ?」
シルヴィは直観的に顔を歪めた。愛玩動物(ヴィヴィ)として従事するときみたいな、現実から離れたような声に思えて寒気がした。
「何があった。説明できるか?」
答えはない。鳴き声にも近い甘ったるい声だけが呻くみたいに返ってきた。
エストは動揺するように一歩たじろいだ。言葉を失い、力のこもった握り拳が強く震える。
「……ああ」
零れるような落胆の声。エストは達観したようにレーヴェを優しく背負おうとする。彼女はそれでもまともな反応はなく上の空で、脱力するような溜息と呻き声が腹部から搾られていく。
「え、エスト……?」
「――彼女は戻らない。末期の幸福症だ。何もせずとも、何もする気がなくなるほど脳内麻薬が分泌され続け、まともな応答はできなくなる。……依存症ですらない。なにもできない」
淡々と。失意の言葉が溢れ出る。シルヴィはすぐに首を横に振った。首に下げたもう一つの薬瓶を見せつけるように手に握る。
「治せる。幸福は治せるの……。だから私は追われてる」
錠剤を二つ。レーヴェの口に押し込んだ。……彼女は飲み込めない。
シルヴィは息を呑み、薬を口に含んだ。そのままレーヴェの口に舌を使って押し入れる。顎を持ち上げて、無理矢理飲みこませた。
「……ぷは、ッん。――慣れてるな、とか言ったらぶっ叩くからね」
「その薬はなんだ」
「抗幸福剤アンチエンドルフィン。街を支配するために広まった幸福剤の末期症状も依存症も治す薬。……私の身体から造られた。だから私は狙われて、パパは死んで、私に関わったからレーヴェさんは攫われた。……と思う。多分だけどね」
――言わない方がいいのに。
言い切って、シルヴィは苦し紛れに微笑んだ。牙を隠す様子もなく口を開けたまま不安げに頬を引き攣らせる。呼応するように蛍光色の髪が暗く煌めいた。
「わかった? 私、危険な女なの。エストみたいにぃ、ビビリで。ものぐさな雑魚には不釣り合いなわけ」
近づくなと言わないのかと。素直に聞けなかった。エストは言葉を包んでくれたりはしない。怖かった。
「無駄話はあとで聞く。ここに長居はしたくないだろう。戻るぞ」
エストはレーヴェを背負い踵を返した。何も言及すらしないまま灰を踏み締め店を出て行く。
「……戻っていいの?」
エストは答えなかった。シルヴィはパッと目を見開いて慌てて背を追いかけて、ニヤニヤと扇情的な笑みをガスマスクへくれてやった。
「へ、えへぇ……。まぁエストが私と離れたくなくてぇ、照れて言葉も出ないなら一緒にいてあげる♡」
都合のいいように解釈して。シルヴィは恥じらいに開き直っていつものメスガキ調に戻った。
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