消えぬ炎

『久々に力を使ってくれるのですね。ならば言葉を。ワタシを――』


「……灯せ」


 定められた言葉が呟かれる。異界の怪物を殺すために、異界の剣が淡く光輝した。刀身に炎を纏い、じりじりとひり付く熱が空気を歪める。ガスマスク越しに双眸が赤く輝いた。


「お兄ちゃアん。あいツ、強イ」


「わかっていますとも……」


 解体屋は嗜虐的な笑みから一転して苦渋に幾重もの牙を軋ませ鳴らす。接近戦を避け、無数の杭を狙い澄まし投げ放つ。


 斬撃が全てをいなした。杭を両断し、切っ先を向けて至近する。対抗するように肉包丁を振り下ろすゴードン。しなるような一撃が刃を断ち切り、渦巻く烈火と共に緋色の軌跡が怪物を横切った。――数瞬の沈黙。


「……今なにを?」


 解体屋達はエストの方へ体を向けようとして、どちゃりと。滑るように半身が落ちた。大量の黒い血が部屋に広がっていく。


「…………なるほど。恐ろしい技術だ」


「お兄ちゃアん。新しイ皮、探さないトね」


 解体屋は死ななかった。離れ離れになった半身が不定形にのた打ち回って、ぶちぶちと肉の千切れる音を鳴らしながら骨格を無視して肥大する頭部。エストを丸呑みにするほど巨大に開く口腔。


「どれだけ鋭くとも。無意味ですよ。餌が、っ人間ごときが。っ、我々が解体屋でいるときに死ねればまだ、幸せだっただろうに!」


 断面から人間ではない無数の腕、脚が映え伸びていく。エストは追撃することなくジッと見据えていた。


「いくら斬ろうとも。撃とうとも、我々を殺すことはできない」


 人間の皮を突き破って露わとなった黒い粘性の肉体。無数の眼がエストとシルヴィを見下ろし、幾つもの醜悪な口が嘲りを溢す。


「……斬るだけで殺せるとは最初から思っていない」


 怪物の体に一条の光が灯った。刃が撫でた部分から炎が広がり、怪物の身体を覆っていく。


「なるほど。これがその赤い剣の力ですか? 子供騙しな能力だ。ただ火をつけるだけとは……貴方の技術に不相応と言えましょう。火なんて、空気が無くなれば消えてしまうのですから」


 ゴードンだった怪物は流動性の肉体を裏返すように広げ、自身を燃やす炎に覆い被さる。だが、業火が消えることはなかった。


「消えない。……なんだ、この炎はッ! なんなんだッ!?」


 火の粉を散らしながら勢いを増して不定形の体を焼き尽くしていく。


「お兄ちゃァん! 熱っイ! こレ、消えナ。なんデ!?」


 怪物が熱から逃げるように商品棚の血液パックを浴びる。血の蒸気と煙を広げ、音を響かせるだけだった。


「お前らが消えるまで燃え続ける。真空になろうが、水をかけようが燃え続ける。そういう道具だ」


「人間がッ、こんな――許されると思うので、すか……? この街は我々を認め、……っ人間が食殺されることを許す、我々のマち…………」


「黙認されているだけだ。誰もお前らのために動くことはない」


「――こ、ナ。  助……」


 悲鳴にも近いうめき声と怪物の唸りを響かせながらバチバチと炎が揺れ続ける。エストはゆっくりと刀を収めた。瞳の残光が尾を曳きながらシルヴィへ視線を向ける。


 シルヴィは呆然と、一瞬でついた結末を見詰めていた。視線に気づいて慌てて我に返る。安堵の先、気まずいような緊張に頬を引き攣らせた。


「…………っ、な、なに。だって……! レーヴェさんが襲われたのは私の所為で――」


 問い詰められるよりも先に言い訳を口にした。エストが責めようとなんて思ってないことは分かりきっている。自分への言い訳だった。


「……私の所為なのに。知った口聞いて、エストに酷いこと言った。……最低だった」


 シルヴィは俯いて、誤魔化すように蛍光色の髪を撫で掻いた。妨げるように手袋の感触が頭に触れる。思わず、期待するようにエストの顔を見上げた。表情は……分からない。


「よくわからないことを言わないでくれ」


 エストはぶっきらぼうな一言を投げかけただけだった。拍子抜けになって、シルヴィは虚を突かれたように沈黙した。


「…………そ、それだけ? 私、あんなこと言ったのに」


「それがキミの言う役割(メスガキ)なのかと思っていた。違ったのか」


 素直に話せたと思ったのに。違うと言われてカチンときた。それが罪悪感を打ち消して、一転して挑発的に笑う。


「……アハ。赤色甘味料を買おうとして偶然ってさっき言ったけどぉ。人肉のお店にそんなの売ってるわけないよね? もしかして、もしかしてぇ。私のこと、心配してたけど素直になれなくて誤魔化しちゃったぁ? 可愛い♡」


 ――――本当は、ありがとうって言いたかったのに。


 シルヴィは頬を吊り上げたままジッとガスマスクを見据える。エストは無言のまま手を伸ばすと、シルヴィの両頬をつまみ、伸ばした。


「ほっひょ……! はひふふほ……!!」


「すまない。減らず口を黙らせたかった」


 シルヴィが涙目になって顔を赤く染めたのを見て、慌てて手を離した。言葉が途絶えると、沈黙が張りつめる。火の音は消えていた。


「…………えへぇ。感情的な痛みね」


 にへらぁと微笑んだ。満更でもない様子で自分の頬を撫でながら、燃え尽きた解体屋を一瞥する。一戸前に立ち寄った解体屋と同じように、店主は消え。血の痕と灰の山だけが残っていた。


「懲りたなら力に呑まれるな。無謀は控えろ」


 怒気を帯びた威圧的な声が響く。ビクリと、肩を竦めたのは一瞬で。シルヴィはすぐに表情を緩めた。


「…………ん」


「――キミだけでも無事なのが幸いだった」


 達観にも似た言葉。表情のないはずのガスマスクに暗い影が差し込める。シルヴィは慌ててエストの手を握り締めた。ぶんぶんと首を横に振って、小さな手に力を込める。


「違う! レーヴェはまだ生きてたの! 生きてる!!」


「どこにいる」


 たった一言。僅かな沈黙さえ挟むことなく重々しく呟かれた。

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