この世界ではよくあること

「…………ッん」


 咄嗟に息を呑んだ。彼女は……死んだ? 死んでいる。あんな一瞬で……ガラスが砕けるみたいにバラバラになったんだ。


 部屋に押し入る数名の治安維持部隊(メガハートポリス)。


 全身を覆う分厚い衣服にハートのサングラスが特徴のエスコエンドルフィア製薬の下部組織だ。……なぜ? パパ達も同じ会社の人間なのに。


「約束が違うぞ。わたしは薬品サンプルも製造法も全て渡した」


「予定が……変わったんだ。薬品データは僕ら人間に開発できる領域を超えているとの判断だ。何か隠しているモノがぁ……あるんじゃないか?」


 カツカツと靴音が鳴り響く。治安維持部隊とは別の人間が前に出た。灰色の髪。澱んだ翡翠の瞳。片腕、それに中性的で整った顔の半分は義体だった。無骨な金属が露わになっている。


 彼? 彼女? は指揮者みたいに指を振るいながら、テーブルの上に置かれた物を乱暴に叩き落して、機嫌良くパパの目の前にまで歩み寄った。


「……ああ、初めまして。このたび本社に依頼された便利屋のルドヴィコ・アーヴェと申します。貴方は……アレッシオ博士ですね」


 パパの名前だ。けど、パパは口を閉じたまま何も喋らなかった。額に滲む汗。ルドヴィコと名乗った半機の便利屋は肯定と受け取ったらしい。一礼をしながら微笑むと、鼻歌を囀る。


「最近、歌姫が話題になっているから聞いてみたんですよ……あぁ。確かに素晴らしいと思いましてね。聞いたことあります? 《薬物的恋愛主義者》っていうアルバムでね……嗚呼、お前らは例の薬と被験者を探せ」


「捕縛した研究者と警備はどうしますか。数名、便利屋もいました」


「幸福促進剤を投与して吐かないなら臨時収入です。適当に持ち帰って各自処理すればいい」


 ルドヴィコの一声で治安維持部隊が散っていった。パパの部屋を物色し始めた。散らばった書類、既にデータの消された端末を一つ一つ確認していく。


「それで……あなたも死ぬ前に聞いてみますか? 好きなんです。特に一番の歌詞。けど、二番までの前奏が長くて……、いつも切ってしまう。嗚呼、貴方が正しい情報を提供するなら久々に二番も聞けますね」


 ルドヴィコが端末を弄ると限界まで張り詰めた空気のなか、アップテンポな曲調と透き通った少女の唄声が響いていく。ルドヴィコは満足気に聞き入っていた。


 曲がサビに入っても、パパは何も喋らない。見ていることしかできない私と違って、パパはゆっくりと、音を鳴らさないように。壁に立てかけていた銃に触れる。


 そしてパパは躊躇いなく六発もの弾丸を撃ち込んだ。銃声と同時、劈く金属音が連続する。弾丸はルドヴィコの手前で薬莢と共に転がった。


 彼の手に握られる白い刃が妖艶に煌めく。……弾丸を、いなした? わからない。見ているだけしかできないのに、見ることさえできなかった。


「……残念です。やっぱりまだ、前奏じゃないですか。もう少し待てば二番だったのでしょうか。これでは歌詞も覚えられない」


 ルドヴィコは淡々とパパの首元に刃を当てた。底冷えた翠の眼差しが見下ろす。


「最後に、もう一度だけ聞きましょう。薬と被験者の居場所を言うべきです。せっかく、綺麗な絨毯なんですよ。汚したくありません」


 パパは鼻で笑うと、ルドヴィコの顔に唾を吐いた。諦めの開き直り。窮地にもかかわらず嘲笑を浮かべる。


「異星に人類を売った裏切り者で、脳内麻薬で人間を支配した奴隷商人に言うことはない。幸福促進剤でもキメてろ。クソ――――」


 言葉の途中でロドヴィコは白い一閃を薙いだ。ほんの数滴、零れる血飛沫。首が跳ねることさえできない研ぎ澄まされた斬撃。


「……吐くつもりはなさそうでしたね。ああ、しかし。糞!」


 穏やかだった物腰は豹変して、ルドヴィコは声を荒らげた。


「……が褒めてくれたこの顔に、よくも唾をかけてくれたな。時代の流れに着いて行くことさえできないヒーロー気取りの犯罪者共が!」


 頬についた唾をぬぐい取ると、激昂してパパの身体を何度も斬りつける。衝撃が窓を裂き、数滴、数滴。僅かな血飛沫と白い軌跡が舞う。


「待て。ルドヴィコ。それ以上斬るな。脳が傷けばスキャナーにかけられない」


 治安維持隊の一人が恐れる様子もなくルドヴィコを宥めた。義体部分から零れ出る白い蒸気。動かなくなったパパの身体を指で軽く弾いた。


 ボタボタと、それまでつながっていたはずの四肢が、首が、胴体が。パズルみたいに崩れ落ちる。


「ッ…………!!」


 咄嗟に目を瞑った。漏れ出そうになった悲鳴を手で覆う。堪えきれずに私は、自分の指を噛んで誤魔化した。パパも……死んだ。殺された。私を愛玩動物みたいに扱ってきた奴らが、全員。


 でも、そしたら私はどうやって生きていけばいいの? わからない。出ていいって言われるまで出るなって。でも……これじゃあ二度と外に出られない。あいつらが私を生かすとも思えない。


「最悪だ……。僕の、まだ人間の部分を汚しやがって!! ふざけるな! ふざけるなよ!」


 ルドヴィコは何度も、何度も、死体を滅多刺しにしていく。治安維持隊の奴らがとめなかったら、ずっとそうしていたと思う。


「落ち着け。もうこいつは痛みだって感じない。無意味だ。これ以上死体を傷つけたって……何になる。俺達はブツを探します。ルドヴィコ隊長は一度外に出ましょう」


「……は、はは。そうだな。すまない。僕は少し……外にいる。キミ達は引き続きクスリと被験者を探してくれ」


 散らばる書類が血まみれになるのを嫌がって。彼らはルドヴィコを外へ連れ出していった。


 静まり返る部屋のなかで、全員がハートマークのサングラス越しに目ぼしいものを探していく。

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