青いわたしと碧先輩

ルーシャオ

わたし青子じゃないです

 初恋の告白というのは、人生でたった一度だけ訪れる特別なイベントだ。


 だから、わたし——篠坂しのざかアイリは、絶対に成功させたかった。




 自慢じゃないが、私はモテる。同じ小学校、同じ学年で、篠坂アイリわたしに告白したことのない男子はいないほどだ。中学に入り、わたしのことを知らなかったであろう他の小学校出身の男子たちも、三日と空けずに「付き合ってください」の文言をわたしへ告げてきた。


 もちろん、わたしは一蹴した。理由はただ一つ。


「わたし、好きな人がいるの。だからごめんね」


 それでもと食い下がる男子もいなくはないが、その好きな人とは誰かと尋ねられて回答すれば、ほとんどの男子は納得する。


 わたしの好きなひと。初恋のひと。そのひとは——逢坂おうさかあお


 わたしのを綺麗だと言ってくれた、一つ年上の中学二年生。


 生まれつき青い髪と青い目のわたしにとって、彼がいてくれなかったら『男子にモテる篠坂アイリ』はいなかっただろうし、『初恋の告白を夢見る篠坂アイリ』もいなかっただろう。『気味の悪い子』、『着色料で染めたような頭』、『普通ではない子』、そんなふうに呼ばれてのけものにされるわたしは、今は彼がいるのだから、もういない。


 わたしは、逢坂碧に「好き」と伝えたいのだ。






 青いセミロングの髪に、インナーカラーを黒く染め、同じく黒のメッシュも前髪に入れてみる。


 改造自由のセーラー服は白を基調とした夏服で、所属するクラスの丸型エンブレムをアップリケで左胸元に配している。紺色のプリーツスカートはただ膝上丈に短くするだけではなく、後ろを若干長くしたフィッシュテールだ。そう、お尻を冷やすとよくない。さらにオフホワイトのカーディガンを腰に巻き、夏の極寒冷房対策もバッチリだ。


 中学生になって、お気に入りのセーラー服はどこから見ても可愛らしい。でも、野暮ったい着こなしは御法度だ。だからみんな真面目に研究して、どうすればより可愛く見えるかを追求している。千里の道も一歩から、おしゃれは一日にしてならず、女子も男子も関係なくおしゃれを求めていいのだ。


 二限目と三限目の間の休み時間に、学校の階段の踊り場にある大きな鏡で何度も自分の格好を確認していると、聞こえよがしにこんな声がかけられた。


「見て、アメリカのケーキみたいな色。どぎついわ」


 分かっている、わたしの姿は女子にはウケが悪い。ただでさえ青い髪と目でハブられるし、その上ここまで制服に手を入れてみんなと一緒の格好をしないから、流行に合わせないからと日常の会話さえも拒まれる。


 そんなこと、わたしは慣れていた。物心ついたころから小学校までずっとそうだった。それでもわたしは、この『青』がわたしなのだと知ったから、何を言われても自分のスタイルを貫いている。


 とはいえ、わたしの姿をおかしいと思わず、近づいてきてくれる同級生だっている。


 階段を降りて、ひとりの女子生徒がわたしの横へやってきた。アンリ・ジュジュ、隣のクラスの女子生徒、なのだが——シャツにスラックスという男子生徒の制服を着て——目鼻立ちのくっきりした美人だから宝塚のスターのごとく似合い、すらりと背が高いせいでそこいらの男子生徒よりもずっと格好がいい。女子人気もむべなるかな、ジュジュはこの学校のアイドル的存在だった。


 そのジュジュは、いつもわたしを朗らかにからかう。


「やあアイリ、気合い入ってるね。ひょっとして僕のため?」

「いや、それだけはないわ」

「つれないねぇ」


 軽口の軽快さはジュジュの明るい性格から滲み出るように、心地がいい。


 ジュジュはフランスからの帰国子女で今は隣のクラスだから元々接点はなかったのだが、何となくジュジュからわたしへと話しかけてくるようになって、何となくこうして友達になった。ジュジュは女子だが、わたしに嫌味を言ったりしないし、青い髪そのものよりもトータルコーディネートに目を向けてアドバイスをしてくれるから好きだ。


 わたしは片手を取ってエスコートするジュジュとともに階段を下り、廊下の窓辺から外を見た。次の授業が体育なのだろう、白い体操服と鉢巻をした一クラスが校庭のトラックに集まっている。


 この時間なら、あのクラスは——彼のクラスだ。


 わたしは無意識に、探していた。あのひとの姿を捉えようと、あちこち見回す。


「碧先輩は、どこだろ?」


 すると、ジュジュがトラックを指差す。


「あそこ、走ってる」


 わたしはすぐに目線を向ける。四百メートルトラックの内側で、クラスメイトとふざけて鬼ごっこをしている男子生徒たちを発見した。


 その中に、彼がいたのだ。逢坂碧は、楽しげに笑っていた。不思議な雰囲気のひとだから友達はいるのだろうかと心配していたが、杞憂だったようだ。


 逢坂碧は際立ってイケメンというわけではない。背も普通だし、スタイルもごく普通だ。帰宅部で、たまに弱小サッカー部に人数合わせで入れられて校庭でサッカーボールを追いかけて遊んでいる姿を目撃するくらいで、別に運動神経がいいというわけでもない。


 それでも、逢坂碧は、わたしにとって特別なのだ。不思議な雰囲気のひと、それがわたしは好きなのかもしれないが、まだよく分からない。


 わたしが窓から乗り出して階下の校庭を眺めていると、横からジュジュが茶々を入れてきた。


「恋する乙女ってどうしてこんなに素敵なんだろうね」

「恥ずかしいセリフを耳元でささやくのやめて」


 ジュジュはそういうところがある。いい加減アイドルでスターな存在なのに、演劇のセリフのような歯の浮く言葉をスラスラ並べるのだから、もはや乙女心をときめかせることが趣味なのだろう。


 でも、ジュジュの言葉でわたしは自分が『恋する乙女』なのだと再確認する。


 わたしは逢坂碧に恋をしている。それを何度も何度も心に刻んで、わたしは自問自答する。


 ——わたしは好きなひとに何をしてほしいのだろう。わたしの『青』を褒められたから、それで?


 その続きを、わたしはまだ思いついていない。


 中学校に入ってまだ二ヶ月、慌ただしい日々にわたしはまだまだ慣れておらず、いっぱいいっぱいだった。


 そんなわたしへ、通りすがりに野太い声をかけてくる男子がいた。


「篠坂、次は移動教室だぞ。視聴覚室」


 わたしは振り返り、声の主——同じクラスの男子、御蔵まとへ反応を返す。


「えっ、ほんと? 聞いてなかった、ありがと!」

「おう」


 こうしてはいられない。わたしはジュジュと御蔵に手を振って教室に戻ろうとする。


 その途中、こんな会話が聞こえてきた。


「御蔵もアイリが可愛いって思うだろ?」

「かっ……い、いや、可愛いけどさ、あれだろ」

「逢坂先輩にゾッコンだからチャンスはないと思う? だからって男女のおしゃべりをやめる理由にはならないんだよなぁ」

「このフランス人め」

「むっつりな君に言われたくないよ」


 わたしは聞かなかったことにしたが、本音を言うとちょっとだけ嬉しかった。


 可愛いと言われて喜ばない女子はいない。本当に、そう思う。







 視聴覚室で英語のドラマを観ていた三限目が終わり、教室に帰る途中の渡り廊下でのことだ。


 わたしは走っていた。筆箱と教科書とノートを抱え、四限目の代数はひょっとして当てられる日ではなかったか、と気付いたからだ。早く教室に帰って代数の教科書を読んでおかなくては、視聴覚室を飛び出して近道の渡り廊下を突っ切っていたそのときだ。


 自販機の影から、体育の授業を終えたクラスの一団が現れたのだ。わたしは避けようとして足を止め、勢いそのままに体が前のめりになって転びそうになった。


 そこに、ひとりの男子生徒がすっと両手でわたしの肩を支えて、転ぶのを防いでくれた。


「走ると危ないよ」


 びっくりして、わたしはへにゃりとコンクリートの地面に座り込む。「おっと」と言いながらその男子生徒もしゃがんだ。


 こんなに間近で会うのは久しぶりだから、わたしは上擦った声を出して、その名前を呼ぶ。


「あ、碧先輩!」


 逢坂碧が、わたしの目の前にいた。わたしの肩を掴んでいた手を離し、逢坂碧は片膝を突いてわたしに目線を合わせる。あまりにも自然な動作だったものだから、見惚れてしまった。


 その逢坂碧は、わたしを認識してくれていたようで、いきなりストレートなあだ名をかます。


「ん。青子ちゃん」


 青子。青い髪と目だから、青い子で、青子。


 そんな安直なあだ名に、わたしは反発する。


「青子じゃないです、アイリです!」

「知ってる。今日も青くて綺麗だなって」


 まるで暖簾に腕押しとばかりに、抗議はへにゃりと避けられてしまった。


 逢坂碧はわたしの髪をじっと眺めて——その目は何とも愛おしげで、年齢に似合わず大人びた雰囲気で、わたしは目を逸らしてしまった。


「な、何ですか? おかしいところでもあります?」

「んーん、やっぱ女子はおしゃれだなと思った。髪の毛の表と裏で色が違うとか、マジでおしゃれ。俺もやりたい。青くしたい」

「だ、だめですよ」

「君の専売特許だから?」

「そうです、これはわたしだけのおしゃれです、えへん」


 別に、髪を青くしていいのがわたしだけというわけではないが、でも、わたしの『青』はわたしだけのものだ。


 その答えを、逢坂碧は気に入ったらしい。


「いいね。世界でたったひとり、青子ちゃんだけの青だ」


 安直なあだ名よりも、何よりも、その言葉はわたしをウキウキさせる。わたしを興奮させる。わたしを恋に落ちさせる。


 湧き上がってきた熱い感情の激流を何とか乗りこなし、わたしはこの機を逃すまいと提案してみた。


「先輩! 今度、一緒にお出かけしませんか! 青く染めるのはだめだけど、帽子ならオッケーです!」


 それがデートのお誘いと気付かないほど逢坂碧は朴念仁ではないだろう、わたしはそう信じている。


 だが、逢坂碧は表情ひとつ変えず、少しばかり悩んでいた。


「考えとく。連絡先おせーて」

「あ、はい! 昼休みに、そっちの教室行きます」

「いや、俺が行くから。ご飯一緒に食べよ」


 怒涛のイベントの予約連続にわたしの頭が追いつかない。デートのお誘い、昼ごはん同席のお誘い、連絡先の交換——考えること、やることが多すぎる。


 わたしは間違いなく、高揚感と多幸感に襲われていた。四限目のことなんかすっかり忘れている。このまま授業を受けたって身につかないと確信している。


 ところが、である。


 自販機の影から、ヒョロリと背のある男子生徒がやってきた。失礼なことにわたしを物珍しそうに見ながら、逢坂碧へ話しかける。


「何してんだ、碧」

「虎谷」

「こいつ、青い髪のあいつじゃんか。気味悪ぃ」


 わたしはため息を吐きたくなった。


 そんな言葉は言われ慣れている。何十回、何百回言われてきたと思っているんだ。


 でも、好きなひとの前でそれを言われると——逢坂碧は、どう思うだろうか。


 わたしが振り向く直前、すでに逢坂碧は動いていた。立ち上がり、思いっきりアッパーを虎谷という男子生徒の顎に命中させていたのだ。


 吹っ飛んでベシャリとコンクリートの床に落ちた虎谷へ、ウィニングポーズの逢坂碧はこう言った。


「虎谷、ちょっと歯を食いしばれ」


 虎谷は顎を押さえて寝転んだまま、ツッコむ。


「言うの、遅いわ! 殴る前に言えよ!」

「でも今のは虎谷が悪い。青子ちゃんに謝って」


 逢坂碧は威圧的に、虎谷を見下ろしていた。


 ——もしかしなくても、わたしを庇ってくれた?


 お礼を言うべきだろうか。しかし目の前で見事なアッパーカットを見せられたわたしは、開いた口が塞がらない。


「虎谷。お前は可愛い子の髪が普通と違う色だからって可愛くないって言うか? 言わないだろ? 可愛い子は何をやっても可愛いんだ、分かったか」

「なんでそんな偉そうなんだよお前は! くそ、痛ぇ」


 虎谷の言い分に頷けないことはないが、わたしとしてはもっと痛みにのたうち回ってもいいと思う。そのくらいのことを言った。


 ただ、虎谷は逢坂碧の説教に耳を貸し、きわめて不機嫌そうな顔をしつつも、自分の非を認めてわたしへと謝ってきた。


「悪かったよ」

「あ、いえ……はい」


 それだけ言って、虎谷はさっさと校舎へ入っていった。周囲にいた生徒たちもまばらで、特に関心を示していない。いつものことだ、と言わんばかりだ。


 ——こういうひとだよね、碧先輩は。


 わたしは知っている、逢坂碧はごくごく普通のひとだ。感性も普通、能力も普通、何もおかしな特徴はない。それでも、逢坂碧は——正確にはその心は、間違っていることを間違っていると言い、正しいことを正しいと認め、美しいものを美しいと感じる、自分に素直な少年だった。その感情を、気持ちを表すことを決してためらわない。誰かが泣いていたら慰め、いじめられていたら助け、落ち込んでいたら励ます。当たり前のようで、当たり前にはできない不思議なことをやってのける。逢坂碧は、そういうひとなのだ。


 わたしを初めて見たとき、逢坂碧はその感動をそのまま口にして、わたしのハートを射抜いたのだから。


 虎谷を見送った逢坂碧はようやく、わたしへと振り向く。


「青子ちゃん、大丈夫?」

「わたしは平気です」

「そっか」


 もう彼の中ではわたしは『青子ちゃん』で固定されているようだ。いちいち訂正するのもややこしいし、それよりも尋ねたいことがあるから、わたしは思い切って聞いてみた。


「わたし、可愛い、ですか?」


 逢坂碧の答えはあっさりと、一言。


「うん」


 わたしの頭の中で、盆と正月が一緒に来たかのような大騒ぎが湧き起こる。江戸の街並みに半纏を着たウサギは屋根を跳ね、犬の出す屋台はりんご飴を売り、猿は一斉に提灯を掲げ、通りには猪と馬が行列を作って絢爛豪華に着飾っている。そこまで妄想が膨らんでから、わたしは我に返った。


 もうここは、言わなければならない。今だ、今がそのときなのだ。


 初恋の告白というのは、人生でたった一度だけ訪れる特別なイベントだ。だから、今。


 わたしは顔を上げ、腹から勇気を、喉から声を振り絞る。



「碧先輩、わたし」

 キーン。

 「あなたのことが」

   コーン。

  「好きで」

    カーンコーン。



 ——誰だ今チャイム鳴らしたのは。


 わたしの告白の文言は、すべて至近距離のチャイムの音源によってかき消された。いや、聞こえているかもしれない、そんな希望に縋って逢坂碧へ視線を移すと、彼はひとつ伸びをして、呑気なことを言っていた。


「予鈴鳴ってら。あーあ、着替える時間あるかな」


 逢坂碧には、何の変化も見受けられない。


 おそらく、わたしの告白は逢坂碧に聞こえていないと思われる。


「じゃ、早めに教室帰れよー」


 そう言って、逢坂碧もまた、校舎に入っていった。


 わたしは先ほどまで脳内で繰り広げられていた盆と正月の縁日模様が急に閑散として、動物の一匹もいやしない大通りでひとりポツンと突っ立っている幻覚を見た。


 事実、わたしは今、予鈴が鳴ったにもかかわらず渡り廊下にひとり寂しく突っ立っているわけだ。


 もうまもなく、本鈴は鳴る。


 そしてわたしは、膝から崩れ落ちた。


「こ、告白し損ねた……! 恥ずかしいーー!」


 初めての告白、わたしは当たる前に勝手に砕け、しくしくと落ち込み人生で初めて授業をサボった。


「つ、次こそ、ちゃんと告白するし……お昼ごはん、一緒に食べるんだから……」


 次の機会は、そう遠くない。たった一時間後、わたしは再度チャレンジすると決めて、とりあえず渡り廊下の端っこに体育座りをして傷心を癒していた。


(了)

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青いわたしと碧先輩 ルーシャオ @aitetsu

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