エノラ・ゲイ 原爆投下!広島長崎の原爆投下の真実
長尾景虎
第1話 エノラ・ゲイ 原爆投下!広島長崎の原爆の真実!!
小説
大河小説
エノラ・ゲイ 原爆投下!
名もなき者たちの熱き衝動 – 原爆投下を舞台に繰り広げられた激動の物語
<戦後78周年記念執筆戦後の最大のドキュメント>
なぜ日本人は侵略戦争を認めないのか?
~原爆投下の真実!
わが心の広島長崎~
total-produced& PRESENTED written by
NAGAO Kagetora
長尾 景虎
this novel is a dramatic interpretation
of events and characters based on public
sources and an in complete historical record.
some scenes and events are presented as
composites or have been hypothesized or condensed.
〝過去に無知なものは未来からも見放される運命にある〝
米国哲学者ジョージ・サンタヤナ
……この作品は事実をもとにしたフィクションです。事実とはいささか異なる点がありますご了承ください………
あらすじ
マイケルとジョンは親友同士だった。ともに夢はパイロット。そして、夢をかなえて米軍パイロットにまでなる。そんな中、日本軍による「真珠湾攻撃」がある。負傷したマイケルを介護したのが、ジェニファーという女性だった。ふたりは恋におちる。しかし、マイケルはヨーロッパ戦線で行方不明に………
マイケルか死んだと思ったジェニファーは悲嘆にくれるが、それをジョンが慰める。やがて彼女はジョンと愛し会うようになり懐妊。
奇跡的に助かって生還したマイケルはそれを知りジョンと喧嘩になる。そんな中、エノラ・ゲイ爆撃機にのって原爆を日本に落とせという命令がくる。
ふたりはトルーマンのいうままに広島に原爆を投下、三日後長崎にも投下……
マイケルは原爆被害を知ってショックを受けた同僚の自殺をとめようとして、暴発した弾丸を受けて死亡。残されたジョンとジェニファーは苦悩するのだった。
『人物表』大河小説エノラ・ゲイ~原爆投下78年目のその真実~
ジョン、マイケル、トルーマン大統領、ローズベルト大統領 他(米国人主人公篇)
昭和天皇裕仁…… 畑中健二…… 阿南惟幾…… 迫水久常……
下村海南…… 下村の妻・ふみ…… 鈴木貫太郎首相……
石原莞爾…… 小磯国昭…… 山本五十六…… 辻政信… ウムボルト…
他
おわり
1 立志
マイケル家は裕福で、当時のアメリカでは珍しく西洋的でモダンな家庭だった。家は、アメリカでも超高級住宅地として知られているところにあったが、広壮な屋敷内にはテニスコートがついていた。
父親は、お抱えつきのアメリカ車、ビュイックで会社に出掛け、家の中にはすでに外国製の電気冷蔵庫や洗濯機が置かれてあった。
母親は、クラシック音楽が好きで、よく子供達を音楽会に連れていき、レコードを聴かせた。家には、小さい時からビクトロンと呼ばれる古い手回し式の蓄音機があったが、アメリカで電気蓄音機が発明されるようになるとすぐに買い入れた。アメリカでは第一号であったという。
父はいつも「お前は医者になるんだ。期待してるぞ。父さんの期待を絶対に裏切るなよ」と長男にいった。
マイケルの父は子供たちに厳しかった。しかし、厳しい反面、子供達のためになると思えば何でも買い与えた。そういう寛大さもあった。家族思いだったのである。
が、マイケルは飛行機の訓練ばかりしていたという。
学校の勉強そっちのけでその日も飛行機を訓練していると、父が部屋にやってきて、
「馬鹿もの!」と雷を落とした。
「医学はどうしたんだ!」
抑圧のある声だった。
マイケルは黙りこみ、そして真剣な顔をして、「でも、父さん。ぼくはパイロットになりたいんです」と素直にいった。
それが、また怒りを買い、「馬鹿もの! パイロットなど夢みている暇があったら……医学でも覚えなさい!」
「そういうのは…ぼくは好きじゃないな」
マイケルはいった。
「うぬぬぬ」父はあまりの正直な答えに、歯ぎしりした。
そして「とにかくパイロットじゃなく、医者になれ!」と怒鳴った。
父が部屋から去ると、マイケルは黙り込んだ。
マイケルはもどかしさを隠し切れずに、唇を噛んだ。誰にもわかってもらえない。そう思うと、寒くもないのに身体の芯から震えが沸き上がってくる。しかし、そんな気持ちを救ってくれたのは母だった。
母が、「お前の好きなようにやりなさい」といってくれたのだ。
「……母さん」
「お前の……好きなようにやりなさい。なんでもやりたいことをやりなさい」
母は優しくいった。
マイケルは涙の出る思いだった。
かつて、『侵略戦争と罪と罰』というような〝かつての日本軍・日本兵は全部、悪であり、ナチスと同じだった〟〝侵略・虐殺〟、というような自虐史観があったと思う。
まあ、確かに、ある程度の虐殺行為も侵略行為も強姦などもあっただろうが、すべて日本軍だけが極悪だった……などはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)によるアメリカからの洗脳でしかない。
では、日本軍だけが悪で、連合軍の、都市無差別爆撃や広島長崎への原爆投下は悪ではないのか?
確かに、数十年前はみんな騙されていた。ひたすら、日本軍・日本だけの〝悪・戦争犯罪〟だけを言及したのである。だが、もうそのペテンは通用しない。
と、同時に、韓国や中国の、「(かつての侵略戦争の)謝罪をしろ! 賠償金を払え!」というのも違うのではないか? と思うのだ。
韓国には1965年の日韓請求権交渉・国交正常化交渉で、日本は国家としての謝罪もおわっているし、その当時、5億ドル(1860億円・現在の価値7700億円)の賠償金も韓国政府に払っている。慰安婦・徴用工の賠償金も「韓国政府」がその金で払うのが本来正しい。
また、中国へも国家的謝罪も日本はおわっており、賠償金代わりに中国へのODA(政府開発援助)で、5兆円も払っている。もう、おわっているのだ(北朝鮮はまだ独裁国家なので、払えない)。
また、かつての戦争(太平洋戦争・大東亜戦争)でも物凄い欧米人達のアジア人・日本人差別があったことは否定しようがない。欧米人は日本人をイエロー・モンキー(黄色い猿)イエロージャップ(黄色い日本人野郎)と呼んでいた。
東京や大阪などの無差別大空襲や、広島・長崎の原爆投下もその差別からのものである。
原爆で30万人が死に、大空襲でも数万人が死んだが、〝黄色い猿〟と思っていたからこそ躊躇なく攻撃できたのである。しかも、被害者は非戦闘員で、子供や老人や女性だらけ。
前にアメリカの外交筋の馬鹿が、「ローズベルト大統領が真珠湾攻撃を知っていた……なんてふざけるな!」とか激怒していたが、「お前ら原爆を落としただろう!」と言いたい。
米大統領が真珠湾攻撃を知っていたことはもう常識レベルの歴史の事実だ。それでも外交官か!欧米での日本人捕虜の虐待は『アーロン収容所』という本に詳しい。
映画『グレムリン』というのがあるが、あの小さくてうるさくて水で凶暴化するギズモーグレムリンは、「日本人」がモデルだとか。そうまで馬鹿にしているのである。
だが、日本軍は〝差別主義者〟の欧米兵士に勝った! とまでは言わない。
けしてあの戦争は『正義の戦争』ではないからだ。ある程度の虐殺も、ある程度の侵略も、ある程度の強姦もあったのだ。日本国のために戦い、戦死なされた英霊たちには失礼だが、過去の日本兵や日本人を英雄やヒロインにしたところで、何も変わらない。
我々は現実を見よう。〝アジア人差別〟〝黒人差別〟はなくならない。
だが、憎しみあっても意味がない。それに最近の日本人だって外国人差別をしているではないか。アメリカ兵は原爆で大虐殺をしてもまったく裁かれない。
ベトナム戦争時でもアメリカ兵は酷いことをやったが、何も裁かれない。
だが、日本だけが過去に〝自虐的〟になって、何でも、「謝罪しよう」「賠償金を払おう」というだけでは何一つ解決しない。
過去の謝罪も賠償金もおわっている。(北朝鮮へは独裁政権が崩壊してから)
まずは、現実をしっかりと見よう。現実に立脚して戦略を練ろうではないか。
福本悪乃介(世界一承認欲求が強い男。足りない頭脳で、戦争について語る(『WGIPの洗脳の歴史観・頭がおかしい歴史観』)
まず、Yahoo!知恵袋への匿名の人物の投稿内容を読んでみてほしい。流石に頭がおかしい。
*************************
1150464420さん 2023/8/15 13:24 5回答
本日8月15日、終戦記念日ですね。最近、バービー人形の映画が原子爆弾を茶化したコラを作成し炎上していました。日本人特有の信念による義憤が募った人たちをTwitterなどで沢山見受けられます。
ここで本題です。自分も一人の日本人ですが、どうも怒る皆さんの気持ちがわからず釈然としません。戦後の日本人なら戦争、そして原子爆弾の凄惨さを学校教育で嫌というほど見ます。それが謂れとなりこのような結果に至ったという理屈はわかります。くどいようですが、僕がわからないのは理屈ではなく気持ちです。理由は2つ。①太平洋戦争は大日本帝国側から始めた。②原子爆弾があったからからこそ、日本はポツダム宣言を受諾したからです。①は言わずもがななので②についてもう少し説明します。原子爆弾が落ちる前、ポツダム宣言には国体護持の有無が明記されておらず、本土決戦は遂行されるのは確実でした。その後、広島・長崎と落とされ陛下のご聖断がくだりポツダム宣言受諾は満場一致となりました。これは原子爆弾のご力添えあってこその受諾なのではないでしょうか?本土決戦ともなると、より多くの原子爆弾が落とされ、サリンを撒かれ、より多くの大和民族が鏖殺されるのは明瞭です。前述の通り、原子爆弾の凄惨さばかりに凝視してしまい、有用性に気付けないのではないでしょうか?気付いている人も欺瞞し、本質から目を背けているのではないでしょうか?無論、被爆者に対し深甚な哀憫は大切なことだと思います。一度これはこれ、それはそれでと柔軟に慮ってほしいと自分は思います。以上により自分は怒る気持ちがわからないのです。この意見に、賛同、否定、悪罵…思うとことがあればドシドシ言ってください。ただし、被爆者でもないにも関わらず被爆国の出自をいいことに「原子爆弾は絶対悪!被害者の気持ちを考えろ!」などという厚顔無恥な感情論は個人的に好ましくないので、あんまり書かないでネ!余談①自分は己の信念に従いざっくばらんに吐露したいだけです。余談②昭和天皇は原子爆弾が投下されたことに、遺憾だが致し方ないと言っています。虎の威を借る狐です!余談③長々してるので誤字ってるかもしれません。もしよかったら指摘してくださいね〜
雑談 | 生き方、人生相談・152閲覧
**************************************************
これが頭がおかしい人間の『戦争論』である。本当に頭がおかしい。
バービー人形の(実写)映画で、原子爆弾を茶化したコラを作成して炎上した事に対して。
「(日本人特有の)信念による義憤を募らせた人たち」を沢山、ツィツター(現在・X)で見てきた。自分(投稿者)も日本人の一人だが、「(広島長崎への原爆投下の怒りへの。理屈ではなく)感情」がわからない。戦後の日本人なら戦争、そして原爆の惨劇を学校教育で嫌というほど見ます(学ぶんじゃないんだ??見ただけ。読みもしない。学習もしない)。
(1943年から米国はソ連に対して日本との中立条約を破棄し攻撃に参加する事を求めていた。1945年ポツダム会談。この場でスターリンはソ連が8月15日みに日本へ宣戦布告する事を表明。これにより米軍ソ連事による二方向からの日本上陸作戦が現実味を帯びてきたのですが、ソ連参戦を決めた時点でトルーマンは考えを変えています。ポツダム会談が行われた頃、ポーランド、東欧諸国、西側諸国とソ連との対立は厳しくなっていた。
ソ連の勢力拡大は米国にとって脅威となっていた。
ソ連が極東地域に参戦すればアジアへ勢力を伸ばす事を懸念。
トルーマンはソ連と同盟関係を維持する一方でソ連参戦前に戦争を終わらせ米国の軍事的優位見せつける原爆の使用に舵を切るのです。
7月21日にプルトニウム原爆の実験成功の報せを受けトルーマンは自信を深めた上で「ポツダム宣言」を発表し受け入れない場合は徹底的な破壊をすると突きつけています。日本はこれを黙殺。1945年8月6日広島原爆。
この時、ソ連はまだ満州国境へ部隊を動員中で、原爆投下で日本が降伏するとスターリンは絶望した。が、日本から助けを求める電報が届きスターリンはまだ戦争が終わらないと判断しソ連軍への侵攻を命じています。
つまり原爆はポツダム会談に直線的な関連は無いのです。
1150464420さん 質問者2023/8/17 17:04
え…ちょっと俺は頭が弱い方だから……理解できないっす。
8月9日にソ連軍が満州へ進撃した事で日本の指導者は初めて降伏へ向けて向き合う事になる。「無条件降伏」は「天皇制の解体」になると判断し「天皇制の保持」を目指すが戦争継続派は「決号作戦」による攻撃を続け譲歩を引き出す作戦。和平派はソ連による和平調停を目指したがソ連参戦は和平派の希望を打ち砕き、継続派はソ連も相手に両国と戦う備えは無かった。
この議論の最中に長崎へ二発目の原爆が投下。共産主義のソ連の支配下では天皇制は難しいと判断。実利主義の米国の方が天皇制を認めると可能性があると考える。そこで降伏を命じる事が出来る天皇へお伺いを立てる御膳会議が開かれ、天皇が「ポツダム宣言」受け入れを表明していました。)
わからないのは2つ。
①太平洋戦争は大日本帝国側から始めた(「奇襲攻撃だ」とまで言っている笑。今更。あれは「奇襲」ではなく、アメリカの役人がサボったからだ、だから「奇襲」にされたという事実は、世界中のジャーナリストやインテリが知っている)
→戦争を始めたのは「日本」も、正確には間違い。ABCD包囲網や禁油などの資源を枯渇させる兵糧攻めで、「戦争をするように」米軍にもっていかれた。イラク戦争でもわかったように、アメリカは戦争をしたければどんなこともする。話し合いの反対の「手段」。戦争=悪じゃない。無論、誰だって戦争など嫌だ。誰も殺したくない。だが、そんな綺麗事では何もなし得ない。理想はどんな国のリーダーも「戦争をしたら勝とうが負けようが裁かれる世界」がいいが、人類はそこまでには達していない。
(投稿者は、原爆投下と日本「ポツダム宣言」受諾というのをwin-winとか。……完全にあたまがおかしい)
(本土決戦を行った時に、原爆投下(広島・長崎で非戦闘員の女性や子供・老人などが30万人犠牲になった)や大空襲(日本の戦没者だけで310万人)で殺された以上に殺された??もし、本土決戦をやらなかったら被害者は少なく済んだの?エビデンスは??)
(だが、投稿者はそれには答えず、米国のダウンフォール作戦(ジャップ皆殺し作戦)を引用しただけ、と逃げまくる。「原子爆弾は役に立ったんだよ」、と嘯くだけ。)(加えて、原爆においても、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルが構想していたレベルの話で、公式なダウンフォール作戦の中身に原爆など出てきていない。そもそも、原爆開発のマンハッタン計画自体が極秘計画であったため、それを知っている人物自体がかなり限られていた。)(>ちゃんと証左はあります。くどいようですが自分は引用しただけです。→いやいや、絶対に引用ではない!ドイツが降伏した後、そこからドイツのサリン製造方法を米国が研究し始めたんだよ。対日戦争で使えればいいという希望はあったのは間違いないが、>より多くの原子爆弾が落とされ、サリンを撒かれ、より多くの大和民族が鏖殺されるのは明瞭です。
→サリンが撒かれることが明瞭であるなんてことを言っている文書があるわけない。引用しているなら出典を提示してください。サリンが撒かれることが明瞭であると言っている著作なり、証言を。
私はあくまで、「より多くの原子爆弾が落とされ、サリンを撒かれ、より多くの大和民族が鏖殺されるのは明瞭」なんてことは言えない、と言っているまでです。言える根拠を提示してくれと言っている。
加えて、原爆においても、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルが構想していたレベルの話で、公式なダウンフォール作戦の中身に原爆など出てきていない。そもそも、原爆開発のマンハッタン計画自体が極秘計画であったため、それを知っている人物自体がかなり限られていた。>感謝しろというのはあなたの解釈→そうですよ。あなたの文章から解釈したまでです。
>これは原子爆弾のご力添えあってこそ
>原子爆弾の有用性に気付くべき
→これらの言葉からあなたは原爆を落としてくれてありがとう(感謝)と解釈したまでです。「お力添え」は相手に感謝の意を表明する際に使いう言葉だからです。その上で有用性とまで言っている、有用性とは「役に立つ」という意味であり、感謝の意を表明した上で役に立っているのなら、どう考えても原爆を落とされたことをプラスに捉えている。
>自分が一番言いたいのは、広島と長崎だけで済んでよかったねということです。
→ならば、なぜその言いたいことを本文中に書かない?
本文中に書いてあることは、原爆を非難している人々の感情を逆なでするような「お力添え」だの「有用性」だのであり、2発で済んでよかったなどどこにも書かれていない上に、タラレバのなんの確証もないサリンや原爆の話を明瞭だと断言する発言。
あなたの発言から一番言いたいことを推測することは不可能。
>原子爆弾に感謝しろではないですね。→ならば、言葉を改めるべき。
大前提として自分の意志を相手に伝えるには、正確な言葉を使う必要がある。
>犠牲は最小限が理想。ならば本土決戦は望ましくない。
→だからと言って、原爆に対して「お力添え」だの「有用性」だのということは間違っている。
犠牲を最小限にしたいのであれば、ソ連の仲介などバカな行動を辞め、即刻ポツダム宣言を受諾すればいい、という話になるのでは?
そうすれば原爆さえ落とされずに済んだ。
なぜ原爆投下までは「お力添え」だの「有用性」だのといって、ダウンフォールよりマシ、ダウンフォールに至らずによかったとなるのか、その思考回路が全く分からない。
犠牲が少ないほうが良いなら、ポツダム宣言即受諾と主張すべき!
受諾しなかった日本を批判すべき!
本土決戦も望ましくないが原爆だって望ましくない!
本土決戦は望ましくないが、原爆は「お力添え」だの「有用性」だのと原爆を落とされた国の国民が言っていることに、猛烈な違和感を感じる。)
(1150464420さん 質問者2023/8/17 9:39 Yahoo知恵袋初心者だから、段落の仕方がわからん。読み辛いのはメンゴ。 >これで意味わかる? →またごっちゃになって勘違いしている。自分は原爆茶化しコラに怒ってる人の気持ちがわからない。その理由の一つに大日本帝国から始めた戦争だから、先に手を出した日本にも非があると言いたい。連戦連勝に慢心し、希望的観測の日本に冷や水の役割を果たしたのが原子爆弾だと個人的に思う。 流石にこれを勘違いしたのは読解力が無さすぎる。老婆心だが、もう少し本を読む力をつけたほうがいいと思う。
ハイビスカス中毒さん 2023/8/17 10:06 分からない人だね~
>原爆茶化しコラに怒ってる人の気持ちがわからない
→だから、具体的にどのように茶化したりしているかわからないから、それに対して史実を書いたって意味が分からない、と言っています。どうせ本題ではないので別にここを掘り下げないで良いです。
本題についてはノーコメントですか?
相手を読解力がないと非難するだけ?
サリンについては?
ダウンフォールの原爆明記については?
「お力添え」だの「有用性」については?
犠牲を考えるなら、原爆投下で降伏より、即ポツダム宣言受諾だろ?については?
>希望的観測の日本に冷や水の役割を果たしたのが原子爆弾だと個人的に思う。
→また本文中にはないことを言い出す...
議論ができないのですか?
17歳だから?wwww 2023/8/17 11:58 回答できないならできないで結構です。
今後のためにも、自分が一番言いたいことを後から追記しないでください。
本当に自分が一番言いたいことがあるのならば、本文で書くべき。メンゴとか久々に聞いたわ。
最近おっさんでも使ってるの聞いたことないww
表現力が古風な17歳もいるもんだww
頑張れ17歳!ww)
②原子爆弾があったからこそ、日本はポツダム宣言を受諾した(アメリカ人の詭弁の「原爆投下は戦争終結を早め、それで大勢の人間の命が救われた」のまま。頭に(洗脳の)WGIPがヒットエンドラン笑しているかのよう笑)
(さらに、「原爆は絶対悪!被害者の気持ちを考えろ!」は厚顔無恥な感情論とまで。頭がおかしい。非人道的な兵器を、日本国民に対して使用したことに対して、なぜそのことを批判してはいけないのか??意味がわからない。軍事施設ではなく、民間人への空襲でこうなった。人口密集地域への(人体実験での)攻撃対象が日本人である、とハイドパーク覚書やグローヴィスの証言から明らかになっているのに、なんで被害者の立場の日本人が批判してはダメなの??本当に、頭がおかしい)
「原子爆弾投下の悲惨さばかり慮ってしまい、有効性(?なくはない?)に気づいていないのではないか?」(投稿者談)
(本当に頭がおかしい。「被爆者に対して深甚な哀憫は大切だが、一度これはこれ、それはそれでと柔軟に慮ってほしいと自分は思う」(投稿者談)??)
この投稿者は「日本は悪で、広島長崎で大勢殺されても仕方ないことをした」、とかの、戦後教育(WGIPの洗脳)に頭をじゃぶじゃぶにしているのだろうが。まさに愚か!!なんでも謝罪すれば賠償金払えばいいの「純粋まっすぐ君」「洗脳された馬鹿」
しかも「ハルノートを受け入れればよかった」とか……笑厚顔無恥はどっち??
ハルノートなどの要求を受け入れたら、満洲も朝鮮もソ連のものになっていた。あの時代は植民地支配の時代。今の感覚で考えたらダメだよ。広島長崎の原爆投下は「人体実験」だった。それもわからず、原爆投下とポツダム宣言受諾(による敗戦で)win-winなどという。
この投稿者、本当に「日本人」か?コリアンか中国人ではないか??
日本人な訳がない。完全にコリアンか中国人の考え方だ。完全にWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の洗脳に毒されている。アメリカ人が最も望んだ考え方だ。洗脳で、頭がおかしい人間。
しかも、この投稿者は被爆二世の人から「自分達の家族が殺された大量殺戮の写真を使って、茶化されているのに感情が解らない?」と、聞かれると、「(自分は被爆者のことを勝手に代弁するのは厚顔無恥と言っただろ?やめろって)俺は自分さえよければそれでいい人間なんで。自分さえ良ければいい」と厨二病の投稿者は嘯く。
世界一承認欲求が強いとかは知らないが、だったら戦争に対してくだらない間違った主張をするな! お前なんかに誰も聞いていない!
自分だけよければそれでいいんだろ? なら、投稿するな! 迷惑だ。
Yahoo!知恵袋のスタッフも閲覧者にも、大迷惑だ。
この投稿者は本当に、コリアンか中国人じゃないのか?
こいつ、自分さえ良ければいいんだからな。
こういうのが世の中に「いらない人間」「死ぬべき人間」なんだよな。
臥竜 長尾景虎
<一九四四年九月一日―コロラド・スプリングス、アメリカ陸軍第二航空隊司令部>
いままでいつも、彼は正直に真実を語るようにしてきた。嘘をつくことがあるとしたらそれは自分のためではなく、他人を思いやってのことであった。ポール・ウォーフィールド・ティベッツは、このトイレの中で自分に質問してきたのはその男はいまでもそうか?ということであった。
原爆投下の悪名名高いポール・ティベッツであるが、2014年度で広島に原爆投下した爆撃機『エノラ・ゲイ』の搭乗員はすべてあの世の人となった。
ランズデールは自分の質問に対する答えをまった。だが、思うように得られない。
原爆投下の悪名高いポール・ティベッツは一九一五年に生まれた。
彼の母親の名前こそエノラ・ゲイ、である。その珍しい名前のようにやさしい女性であったという。
母親は我が息子が広島に原爆を投下して、何千万人も、一瞬で虐殺する悪魔の手下になるとは思わなかったろう。
父親も息子が一九三七年に入隊した時、父親は結局、「お前の思うようにしろ」と言っただけだ。
母親は息子に「きちんとした身なりをし、出来ないことをいわず、けっして嘘をつくな」と教えた。
しつけたつもりだった。だが、悪魔の手先になってしまった。
だが、アメリカ人はいまだに『広島や長崎への原爆投下は「戦争を早期に終わらせるための戦略だった」「戦争早期終結で数十万のアメリカ軍人の命が助かった」と米国人にしか通用しない詭弁』を学校で教わるという。
広島や長崎の原爆の被害者の写真や映像はもとより、ベトナムでまいた枯葉剤の悪影響で生まれた『奇形児(サリドマイド・ベイビー)』等もものの見事に教わっていない。
だから、ホワイトハウスから、アメリカ大統領から〝謝罪〝が〝賠償金〝がいまだない。
だから、アメリカ人は無知である。ある天才映画監督の作品では原爆実験場に迷い込んだ主人公は「冷蔵庫」にはいって原爆から命が助かる……という苦笑するしかない知識しかもっていない。
また、最近、核兵器を開発したオッペンハイマー博士の伝記映画がつくられていたが、観て驚いた。原爆の発明・開発と、広島長崎の悲劇はセットのはずなのに、その描写がまずほとんどない。
結局、戦争を早期に終わらせた英雄―――――みたいに描くだけ。これじゃあ、原爆で殺された女性や子供老人などの非戦闘員30万人が報われない。
アメリカ人からしたら「黄色いサルへの原爆投下」程度の認識でしかないのかも知れない。だが、あれでは酷い。核兵器を、博士を、英雄にして描いても何もならない。あんな映画、意味がない。何の意味もない映画である。
まあ、映画の中ではオッペンハイマー博士が被爆の実情を知り、軍拡競争を批判している姿も描かれている。だが、それだけである。映画で被爆者の悲惨な被害を描けば、少しはマシだったが、そんなシーンを導入すると米国政府・軍部などに都合が悪い。
今まで、原爆の悲惨さを教えてこなかったのだ。今更、描いても米人は反発するだけだ。
ティベッツは「僕は大学で原子力は専行いたしましたが、原爆は知りませんでした。あんなに殺せるなんて…なんというか。クールですよね」
エリントも答えに困ったことだろう。「でも、それで戦争が早くにおわって米兵の命を大勢救ったんでしょう?仕方のない犠牲ですよ」
また詭弁だ。記者は広島や長崎での原爆被災者の写真や映像を見せると、〝悪魔の手先ら〝はやっと押し黙った、という。
(参考文献引用『エノラ・ゲイ ドキュメント原爆投下』著作ゴードン・トマス+マックス・モーガン=ウィッツ、松田銑日本語訳、TBSブリタニカ出版1980年 14~19ページ)
マイケルには親友、幼馴染みがいた。同じ近所に住む同年代のジョンと、オードリー、である。三人はよくあそんだ。木登りやパチンコなどなんでもやった。ジョンはマイケルより面長な眉目な顔で、オードリーは美少女だった。オードリーは確かに美しかった。
黒く長い髪を結っている、透明に近い肌、ふたえの大きな瞳にはびっしりとまつげが生えていて、伏し目にすると影を落とす。血管が浮くような細い腕や足はすらりと長く、全身がきゅっと小さく、彼女はまるで神様がこしらえた人形のようだった。赤い服姿だ。マイケルとジョンは父親のプロペラ飛行機の操縦桿に乗った。
パイロットの勉強などといったところで、飛行機を実際に飛ばしたことはない。頭の中で〝飛ばした〝だけだ。
エンジンをかけてみた。
すると、エンジンがかかり、プロペラが回りだした。
「やべえ! どうやって止めるんだ?!」
飛行機は動きだす。
しかし、なんとか納屋に衝突してとまった。
「あぁ、また父さんに怒られるよ」マイケル少年は顔をしかめた。
オバマ大統領の広島訪問 所感の全文
5月28日 0時26分
オバマ大統領の広島訪問 所感の全文
アメリカのオバマ大統領(当時)は27日午後、現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問しました。被爆者の人たちを前に述べた所感の全文です。
71年前の晴れた朝、空から死が降ってきて世界が一変しました。せん光が広がり、火の海がこの町を破壊しました。
そして、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示したのです。
なぜ、私たちはこの場所、広島を訪れるのでしょうか?
私たちは、それほど遠くはない過去に、恐ろしいほどの力が解き放たれたことを深く考えるためにここにやってきました。
この場所に来て10万人を超える日本の男性、女性、そして子どもたち、数千人の朝鮮半島出身者、数十人のアメリカ人などの犠牲者の死を悼みます。
犠牲になった人たちの魂が、私たちに語りかけています。
もっと内側を見て、私たちはいったい何者かを振り返り、今後、どのようになろうとしていくべきか、私たちに語りかけています。
戦争は広島だけが特別なのではなく、暴力的な紛争は古くから行われています。われわれの祖先は火打ち石で刃を、木片からやりを作る方法を覚えました。こうした道具は、ただ単に狩りのためではなく、人類を殺すための武器として使われてきました。
どの大陸でも、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。
穀物の不足や、金への欲望、あるいは国粋主義や宗教的な理由から戦争が起こってきました。帝国は台頭し、衰退しました。人々は支配され、解放されました。
それぞれの歴史の転換点で罪のないひとが苦しみ、多くが犠牲となりました。
そして、犠牲となった人たちの名前は、時がたつと、忘れられていきました。
広島と長崎で残忍な終わりをみた世界大戦は、裕福で力のある国によって戦われました。
これらの国の文明は、すばらしい都市を築き、壮大な技術を生み出しました。思想家たちは正義、調和、真実の考えを生み出しました。
しかし、支配したい、制覇したいという思いは、小さな部族でも、争いを生みました。
古くからある思考の在り方が、新しい能力によって、増幅されてきましたが、そこには制約するものはありませんでした。ほんの数年の間に6000万人の人たちが亡くなりました。
私たちと同じ、男性、女性、子どもたちです。
撃たれ、殴られ、行進させられ、拘束され、飢え、毒ガスで殺されています。
世界中には、戦争を記しているところや、勇ましく英雄的な行動を伝える慰霊碑があり、墓場やからっぽになった収容所などが、声にならない悪行を伝えています。
しかし、この空に上がったキノコ雲のイメージのなかに、私たちは人類の矛盾を強く突きつけられます。
私たちを人類たらしめている思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして、私たち自身を自然から区別し、思いどおりに自然を変える能力。
そういったものが、私たちに度を超えた、大きな破壊力を与えるのです。
物質的進歩や、社会的革新は、こうした真実を見えなくさせるのでしょうか。
どれだけたやすく暴力を正当化してきたのでしょうか。
すべての偉大な宗教は、愛や慈しみ、公正さを説いていますが、決して、信仰が殺す理由になってはいけないのです。
国は台頭し、人々が結束できる理由を探し、犠牲や協力、偉業が生まれますが、同じ理由が人類を抑圧し、異なる人たちを非人間的に扱ってきました。
科学によって、私たちは海を越えてコミュニケーションを図り、空を飛び、病を治し、宇宙を理解しようとしますが、また、その同じ科学が、効率的に人を殺す道具として使われることもあるのです。
近代の戦争は、この真実を、私たちに教えてくれます。
そして、広島は、この真実を私たちに教えてくれます。
私たちの人間社会が、技術の進歩と同じスピードで進歩しないかぎり、技術はいずれ、私たちを破滅させかねません。
原子を分裂させることを成功させた科学の革命は、私たちの道徳の革命をも求めています。だからこそ、私たちはここに来ました。
広島の中心にある、この場に立つことで、原爆が落ちた瞬間を想像せざるをえません。私たちは、あの日、目にした光景に恐れおののき、困惑した子どもたちの気持ちに、思いをはせなければなりません。
私たちは、彼らの悲鳴にも耳を傾けます。あの酷い戦争、その前に起きた数々の戦争、そして、あの酷い戦争の後に起こりうる、あらゆる戦争で殺害された、罪のないすべての人たちのことを思います。
彼らの苦しみとその声は、どんなことばであっても表現しきれないものです。
しかし、私たちは、みな、歴史を直視する責任があります。そしてこのような苦しみを再び起こさないためにも、私たちは何を変えなければならないのかを、自問すべきなのです。
被爆者の方々から、証言を直接うかがうことは、いずれできなくなるでしょう。
しかし、1945年8月6日の記憶は、風化させてはなりません。
その記憶によって、私たちは現状に甘んじてしまうことに、あらがうことができます。その記憶は道徳的な思索を後押ししてくれます。
そして、変わることも可能にするのです。
あの運命の日以来、私たちは希望を持つことのできる選択をしてきました。
アメリカと日本は同盟を結んだだけでなく、友情で結ばれました。その同盟と友情は、戦争が奪う命の数よりも、はるかに多くの人たちに恩恵をもたらしました。
ヨーロッパの国々も連合をつくり、かつての戦場を商業と民主主義で結ばれた場所に変えました。
迫害されている人や国々は自由を求めています。
そして、国際社会は国際機関や国際条約を成立させ、戦争を回避するとともに、核兵器を制限し、減らし、究極的には、廃絶させることを追求してきました。
とはいえ、国家間のあらゆる対立、テロ、腐敗、残虐、迫害といった、世界各地でいまも見られる出来事が、私たちの任務に終わりがないことを示しています。
私たちは、人間が悪を行う可能性を完全に消し去ることはできません。
だからこそ、国家と、それらの間で結ぶ同盟は、自分たちを守る術を持たなければならないのです。
しかし、わが国アメリカのように、核兵器をみずから持つ国は、恐怖の論理から脱する勇気を持ち、核兵器のない世界を追求しなければなりません。
私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、破滅から世界を遠ざける努力を続けなければなりません。
そのために、核兵器を廃絶するための道筋をつけることができるし、核兵器が新たな国家や狂信者たちの手に渡るのを防ぐこともできるはずです。
ただ、それでも足りません。どんなに粗雑な銃や爆弾であっても、すさまじい規模の暴力を可能にするさまを、私たちは今も、世界の各地で目の当たりにしています。
私たちは、戦争に対する考え方を変え、外交によって、紛争を回避し、すでに始まった紛争についても、それを終えるための努力を怠ってはなりません。世界の国々は、ますます相互に依存するようになっています。
しかし、それを暴力的な競争ではなく、平和的な協力につなげるべきです。
起こすことのできる破壊の大きさではなく、何を作り出すことができるかで国の価値を判断すべきです。
もしかすると、何よりも必要なのは、私たちがいかに世界の人々と互いにつながっていて、人類の一員であるのか、改めて思いをいたすことなのかもしれません。
このことこそが、私たちの種の特別さなのです。私たちの運命は、遺伝子で決まっているわけではありません。だから、過去の過ちを再び犯す必要はないのです。
私たちは学ぶことができます。選ぶことができます。子どもたちに、これまでとは違う話を伝えることができます。人類に共通の価値観があり、戦争が起こりにくく、今よりも残酷な行いを許さない世界の話を。
そうしたものを、私たちは被爆者の方々の話しの中にみることができます。最も憎んでいるのは戦争そのものだとして、原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性の被爆者の話。肉親を失ったのは自分と同じだとして、広島で原爆の犠牲になったアメリカ人の遺族を探した男性の被爆者の話。
アメリカという国は、シンプルなことばで始まりました。「すべての人は平等で、生まれながらにして生命、自由、そして幸福を追求する権利を持っている」と。
ただ、こうした理想を現実のものにすることは、アメリカ国内であっても、そしてアメリカ人どうしであっても、決して簡単なことではありません。
しかし、この理想は大陸や海を越えて共有されるもので、追い求めること自体に大きな価値があるのです。
どの人もそれぞれの価値があり、誰の命も貴重なものです。私たちが伝えなければならないストーリーは、私たちはみな、人類という1つの家族の一員だということです。
それが、私たちが広島に来た理由です。
愛する人たちのことを考えるために。朝、子どもたちが見せる最初の笑顔。妻や夫といったパートナーがキッチンのテーブル越しに見せてくれる気遣い。そして、安心をくれる両親からの抱擁。
私たちは、同じような大切な瞬間の数々が、ここ広島で71年前、多くあったことに思いをはせることができます。
亡くなったのは、私たちと同じような人たちです。普通の人たちには理解できると思います。人々はこれ以上の戦争は求めていません。彼らは、科学のすばらしさが人生を終わらせるためではなく、向上させるために使われることを望むでしょう。
国々が選択をするとき、リーダーたちの選択にこのシンプルな英知が反映されれば、広島の教訓は生かされます。
ここで、世界は永遠に変わってしまいましたが、きょう、この町の子どもたちは平和な日々を過ごすことができます。
それはなんと尊いことでしょうか。それは、守り、すべての子どもたちに広げていくべきことです。それは、私たちが選択しうる未来です。
広島と長崎を核戦争の始まりとして記憶するのではなく、私たち自身の道徳的な目覚めにしなければならないのです。
オバマ大統領(当時)とG7サミット各国首脳広島訪問の成果?
2016年4月広島でG7外相会談があった。2023年5月にはG7サミットが広島であった。参加したのは米国国務長官(外務大臣)ケリー氏(当時)や日本からは岸田外相(当時・現在首相)、他にフランス・イギリス・EU等の外相が広島市の原爆ドームや慰霊碑や原爆記念館などに慰霊した、と岸田外相・首相は胸を張る。「歴史的な一歩を我々は踏み出した」とのたまう。
だが、はたしてそうだろうか? 米国のケリー国務長官にしても他の外相にしても原爆記念館の撮影はNGである。首脳陣のG7サミットでもそうだろう。
しかも米国人の詭弁「原爆投下は米国兵士と日本兵士がこれ以上殺し合わない為、戦争終結を早める為に必要だった」
というプロパガンダはそのままでは(詭弁を覆さなければ)〝外交成果〝とはいえない。
オバマ大統領の広島原爆ドーム訪問がなったが「去りゆくアメリカ大統領」なんかを訪問させただけで〝外交成果〝とは笑わせる。まさに噴飯ものである。何故外交戦略というものがないのか? 岸田外相(現在・首相)には無理なのか?外相オバマ大統領(当時・G7サミットでは各国首脳)だけでなく世界に〝広島長崎の原爆投下の非人道性〝をちゃんと世界に知らしめなければ〝外交成果〝ではない。馬鹿にするにも程がある。広島長崎の原爆投下の非人道性や残虐性を世界にわからせなければ意味がない。
例によって米国外相や米国政府は「広島の被害者とか写真や映像はNG」ということでの慰霊となったというがそれで〝外交成果〝とはとんでもない悪辣さである。只、参加させればすべてOKで外交成果だ、とは流石は岸田外相(当時・現在首相)、だが(笑)
外交とは武器を持たない戦争だ。その武器なき戦争もまともに戦えない外務大臣・首相などいらない。
只、G7の名だたる外相・首脳を広島に訪問させただけで、〝去りゆくオバマ大統領〝を広島に訪問させただけで〝外交成果〝だという無知はいい加減にしてほしい。オバマ大統領広島訪問、G7広島サミット会談にみる〝外交成果〝とかゆう悪質さはもはやもう噴飯ものであり、悪いジョークでしかない。もっとちゃんとして欲しいものだ。
日本の非核化戦略
わたしは大河小説シリーズや他のコンテンツで「まだ北朝鮮のこともあるし、パックスアメリカーナ(アメリカの核兵器の傘の下の平和)でもあるので日本の非核政策はまだすすめられない」と述べてきた。だが、わたしは世界の誰よりも日本のそして世界の非核化を望んでいる。現在(2018年始め)各国の核弾頭保有数は、米国6800発、ロシア7000発、北朝鮮10~20発、中国270発、インド120~130発、パキスタン130~140発、イスラエル80発、フランス300発、英国215発……という感じとなっている。2017年度のノーベル平和賞は、核兵器禁止条約の採択に貢献した国際非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)であった。
「ヒバクシャ」が世界に平和の尊さを訴えた。米国の「核の傘」に頼る日本政府は「ゴールは共有している」としながらも条約に否定的だ。唯一の被爆国・日本の非核政策はどうあるべきか?
ノーベル平和賞に参列した日本原水爆被害者団体協議会の田中煕巳さん(代表委員)と藤森俊希さん(事務局次長)に加え、日本から高齢の被爆者30人が自費で駆けつけて頂いた。広島の「被爆ピアノ」によるピアノ演奏も印象的だった。
今回のノーベル賞は「しっかりと前に進めよ」という応援であると思う。とりわけ、日本で核廃絶の中心となってくれた広島長崎の「ヒバクシャ」の存在はおおきい。授賞式でフィンICAN事務局長と一緒に、広島で被爆したカナダ在住のサーロー節子さんがメダルを受け、演説したことがそれを象徴している。
「核兵器は必要悪ではなく絶対悪。禁止条約を核兵器の終わりの始まりにしよう」というシンプルだが重みのある発言こそ至言である。
ぜひ、広島や長崎を訪れ、被爆された方達にあって経験を聞いて欲しい。今なお16万人の被爆者が生存していて当時の話をきくことができる。
われわれは唯一の被爆国としてアドバンテージを握っている。但し、そこには非核化政策にはそれなりの戦略がいる。何の戦略もなく声高に「核兵器廃絶」だけを叫んでみたところで何もかわらない。北朝鮮もイスラエルもインドもパキスタンも核兵器を廃棄などしない。やはり、何かしらの戦略や策略がなければ世界の非核化など夢物語である。全体のバランスを考えた上で戦略的に世界の非核化のシナリオをすすめていく。この戦略こそ唯一の被爆国・日本のある意味、当然の立場であるのだ。より実践的に非核化を進めていく。それが日本の役割である。
だが、原爆の被害を世界で唯一受けた日本だからこそ、核兵器禁止条約の批准が出来る。
被爆国の日本国ならそのリーダーシップをとれるだろう。もう、パックスアメリカーナだのの言い訳は聞きたくないのだ。アメリカ人は、「原爆投下で、戦争終結が早期に訪れ、百万人の犠牲者が出なくてすんだ」と、原爆投下を正当化する。
そのようなことはない。原爆など落とさなくても、その当時、日本国中焼け野原である。
一部の軍人は竹槍でも戦っただろうが、象に立ち向かう蟻である。
「戦争の早期終結のために原爆は必要だった」などとふざけるな、といいたい。あのキノコ雲の下には20万人の軍人でもない一般庶民がいたのだ。女性、老人、子供、障害者など庶民が大量殺戮されたのだ。
それでも、真珠湾攻撃をした日本人だから、〝黄色い日本人だから〟死んでも仕方がないと、いうのか? アメリカに忖度して、原爆を憎まない日本人など非国民でしかない。
核兵器が何故、世界からなくならないのか? 悔しいが、それは核兵器は世界最大のビックビジネスだからだ。パキスタンのカーン博士(故人)は核爆弾ビジネスで億万長者になった。このカーン博士が、パキスタンや北朝鮮や中東の核開発に手を染めた。
核の抑止力の幻想がある限り、世界から核兵器はなくならない。
原爆(ウラン型は細く小さい爆弾。プルトニウム型は太く大きい爆弾)が爆発したら、何が起こるのか? 熱線、爆風、放射線。核戦争が起こったら第三次世界大戦で地球が何万回も破壊され、世界の人類も何万回も虐殺される。
まさに世界のおわりだ。
また、『電磁パルス攻撃』も恐怖だ。核爆弾による電磁波でその国の電気がすべて使えなくなり、石器時代に逆戻りである。現代社会で電気が使えなければ、飛行機も列車も自動車も動かず、テレビもパソコン・スマホも動かず、照明も動かず、水も出ない。
話を戻すと、何故、アメリカは広島・長崎に原爆を落としたのか?
「戦争を早期に終結させるため」では決してない。要は、旧ソ連などの共産主義国へのデモンストレーションである。「せっかく2兆円(マンハッタン計画(米国の核兵器開発)・費用2兆円・人員12万人・科学者*二号計画(日本の核兵器開発・失敗)費用57億円・人員数十人・京大の科学者)もかけて核兵器を作った」ので、「核実験」のために黄色いジャップ(日本人の蔑称)で〝人体実験〟をしたのである。
何万人も大量に罪のない市民が、原爆で、虐殺されたのだ。
「〝戦争の早期終結〟のために必要だった」などとふざけるな!
「核兵器は〝世界平和を保つための抑止力〟」などでは決してない。ふざけるな!
〝パックス・アメリカーナ(アメリカの核兵器の下の平和)〟だのふざけるな!
だが、ぼくはアメリカ人を憎むのではない。今の米国人に何の罪もない。
憎むとすれば当時の原爆投下の関係者だろう。
憎むとすれば核兵器を保有し、かたくなに核兵器禁止条約の批准に反対するろくでなし国家だろう。被爆国の日本なら、非核化、のリーダーシップをとれる。いや、それこそやらねばならない。それが、日本の役割、である。
アインシュタインは、一九三九年八月二日、ロングアイランドのペコニックにある彼の別荘でその手紙にサインした。それはローズベルト大統領への警告で、ナチス・ドイツやその他の国の核分裂の研究が進んで、「新しい種類の、きわめて強力な爆弾が製造される段階に到達するかも知れない」と述べてあった。
「この種類の爆弾ただ一個を船で運んで港の中で爆発させれば、ゆうにその港全体のみならず、周辺地区の一部までもが破壊されてしまうだろう。だが、おそらくこの爆弾はあまりにも重すぎて、航空機で運搬はできないであろう」
アレグザンダー・ザックスという金融家がその手紙をホワイトハウスへ届けることを承諾した。それから二か月経って、やっと一九三九年一〇月一一年にザックスはローズベルトに会えた。ザックスはアインシュタインの手紙を自分が読んで聞かせるといってきかなかった。ローズベルトは飽き飽きしてきて「そういう特殊爆弾(原爆)計画は時期尚早」といった。
ザックスは目を真っ赤にして泣いて「大統領、フルトンは汽船の話をナポレオンのところにもっていったのですが、しかしナポレオンは実用にならない、と言ったのです。そのためフランスは汽船を手にする機会を失い、イギリスに進攻するチャンスを失ったのです」
ローズベルト大統領はながらく悩んでから側近を呼び、
「パー(エドウィン・パー・ワトソン将軍)、これについて処置しろ」大統領はパー将軍にアインシュタインの手紙等をつきだした。
「パー、………行動だ!」
この言葉がマンハッタン計画(人類初の核兵器開発)の産声であった。
一九四四年になっても、ローズベルトはまだマンハッタン計画を、議会にも選挙民にも知らせずに続けていた。
その秘密の中で、ニューメキシコ砂漠のロスアラモスにあるY地域は、ジュリアス・ロバート・オッペンハイマーが一九四二年に選定したのである。
科学者たちは核兵器開発に熱中したが、それが神をも滅ぼすような兵器になると薄々感じていた。
中性子がさらに多くのウランの原子核を分裂させて連鎖反応を起こすということを立証して見せた。科学者たちはこの過程を「K因子(ファクター)」と正式に命名したが、仲間うちでは「K大神」と呼んだ。
(参考文献引用『エノラ・ゲイ ドキュメント原爆投下』著作ゴードン・トマス+マックス・モーガン=ウィッツ、松田銑日本語訳、TBSブリタニカ出版1980年 20~25ページ)
三人はそれから、草原の土手に寝転んで、空の蒼を見た。どこまでもきらめく空、浮かぶ雲……なんとも愛しい。マイケルはいった。「ぼくはパイロットになりたい。将来……父さんは医者になれっていうけど……」
ジョンもいった。「俺もさ。親父なんかにわかるもんか。俺もパイロットになりたい」「ふたりともすごい。わたしはそんな夢ないもの」オードリーは感心した。
………パイロットになりたい。
その夢を適えるためマイケルはあいかわらず〝妄想の飛行〝を続け、なぜか急に、空軍に入隊した。親友のジョンもしばらくしてから空軍に入隊した。
「ジョン」
マイケルは自分の部屋で、ジョンにいった。ジョンもマイケルもふたりっきりだった。ジョンたちは成長していて、決起盛んだった。部屋は夕暮れどきでセピア一色だった。
「……なんだ? マイケル」ジョンは生返事をかえした。
「ジョン……オードリーをどうする気だい?」
「オードリー?」ジョンはすっとぼけた。「……オードリーはこの町にとどまるんだよな」「うん。結婚もしなそうだし…」
「結婚? あのお転婆のオードリーが?」ジョンは笑った。
「ジョン!」マイケルは諫めた。「オードリーだって女なんだから…」
「わかってるって!」
「ジョンはわかってないよ。オードリーは……」
マイケルは何かいいかけたが、ジョンは手をかざしてとめた。
「わかってる!」
「……何を?」
「オードリーは……俺の女房にする」ジョンはにやりとした。
「それはいい!」マイケルはにこりと笑った。その表情は安堵のものだった。
マイケルはにこりとしんと輝くような顔をした。
ジョンは「でも……オードリーは他の男が好きなのかもしれんぞ」と、にやりとした。
「……誰?」
「マイケル、お前さ」
「え?」マイケルはびっくりとした顔をした。予想もしてなかったからである。確かに、マイケルはオードリーが好きだった。しかし、それはまるで〝妹〝のように思っていたからだった。オードリーは確かに美女に成長した。しかし、オードリーはジョンのことが好きなのだと諦めてもいた。とにかく、マイケルにとってオードリーは〝幼馴染み〝であり〝親友〝でもあるのだ。
「オードリーが……ぼく……のこと…を…?」
あえぎあえぎだが、やっと声が出た。
「驚くことないだろ?」
ジョンはにやにやしだした。
「……だって………」
マイケルは言葉を呑んだ。そして「ジョンはいいの? オードリーちゃんのことは?」「へんだ!」ジョンはいった。「確かによ、おれのおっかあはオードリーのこと好いとるが、それとこれとは話が違うよ。オードリーは好きだよ……でも…な」
「でも? とは?」マイケルは是非答えがききたかった。
ジョンはにやりとした。「大学にはいい女がいっぱいいるって話だぞ。オードリーより、いい女みつけて、ドンチャンよ」
「ジョン…」マイケルは呆れた。しかし、ジョンはどこ吹く風だった。
アドルフ・ヒトラー(ナチス党党首・総統)は画家になりたかった。パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス(ナチス党宣伝大臣)は作家になりたかった。
しかし、ふたりとも夢をかなえることは出来ず、右翼的思想を持ち、ナチスとしてさまざまな虐殺にかかわっていく。挫折が屈折した感情となって、侵略、虐殺へとむかった訳だ。その結果が、ユダヤ人を六〇〇万人も殺す原因となった。
ゲッベルスは作家になりたかったが、誰も彼を認めなかった。(大学の国文学博士号を取得していたが)とうとう何にもなれず、定職にもつかず、金欠病に悩まされ続けたという。そんな若者は、藁をもすがる思いでナチス党のポストにしがみついた。
そして、〝宣伝〝という武器で、ナチスの重要な人間にまでなる。
しかし、それはまだ先の話しだ。
アドルフ・ヒトラーもまた、苦労していた。
「私が画家になれないのは……画壇や経済を牛耳っているユダヤ人たちのせいだ! 憎っくきジュー(ユダヤ人)め!」ヒトラーは若かった。自分の力不足をユダヤのせいにした。とにかく、ユダヤ人が世界を牛耳っている……かれはそう考えていた。
ユダヤ人たちを殺さなければ、わがドイツに未来はない!
ヒトラーは屈折していく。
しだいに彼は絵を描かなくなって、政治活動に目覚めはじめる。とにかく、偉くなってやる、とういう思いがヒトラーを揺り動かしていた。つまり、全部〝己のため〝である。 ヒトラーは「ユダヤ人たちを殺さなければ祖国はダメになる」といって憚らなかった。 呑むとかならず「ジューどもを殺す! それがドイツの再建だ!」とまでいった。
そして、ヒトラーは〝武装蜂起〝を考えた。
自分の意のままに動く組織をつくり、そのトップにたつ。そうすれば自分の政治指針は完成する。団体名はNSDAP(ナチス)、旗印は……
ヒトラーは閃く。日本の神社の称記号「卍」、これを横に傾けて…ハーケン・クロイッツ(鉤十字)だ。色は赤と白にしよう。主義はナチズム、つまりドイツ第三帝国をつくり、ユダヤ人たちを一掃し、祖国をヨーロッパ一の大国にする。
ヒトラーにはそれはとても簡単なことのように思えた。それにしてもこんなにおいしい計画なのに、なぜ自分の目の前でバラバラになってくずれてしまうのだろう。どうして、アドルフ・ヒトラーの耳のまわりでばらばらになって倒れてしまうのだろう。
共産党もヴァイマール政権も糞食らえだ!
失業者や餓死者を出すかわりに、祖国を再建するとか、ビルを建て直すとかしたらどうなんだ?!
1920年代のドイツ・ベルリンは、まさにカオス(混沌)であった。
第一次大戦の敗北によりすべての価値観は崩壊していた。インフレにより金は紙屑にかわり、大量の失業者があてもなく街をうろついていた。女たちは生きるために街角に立ち、人間的な感情は夜毎、乱痴気騒ぎの中でお笑いの対象となった。
絶望と餓死がベルリンを飾っていた。
ヒトラーは意を決する。
「よし、〝武装蜂起〝だ! NSDAP(ナチス)を決党し、ドイツを再建するのだ!」 それは、人々の絶望の中でのことであった。
ナチスは人々に〝今日と明日のパン〝を約束した。輝かしい未来、〝ドイツ第三帝国〝をも……人々の飢餓に訴えたのである。
街角には共産党とナチスたちがうろうろしてアジを張るようになる。
「ドイツ共産党です! 今こそドイツに革命を! ヴァイマール政権を倒し…」
「だまれ共産党め! 我々NSDAP(ナチス)に政権を! 敗戦の屈辱をはらし 再び大ドイツ帝国を…」
「売国奴! 楽隊、〝ホルスト・ヴェッセル〝をやれ!」
「ナチスを黙らせろ! 楽隊〝インター・ナショナル〝だ!」
まさにカオス状態だった。
ヒトラーの「わが闘争」は始まった。
「はやく武装蜂起を!」ハインリヒ・ヒムラーは焦っていった。ナチス党のNO2である彼は、のちにユダヤ人六〇〇万人を殺す首謀者となる。彼等はナチス党の本部にいた。
ヒトラーは「まぁ、待て」と掌を翳してとめた。「まずは政党として正式に認められなければならない。まず、選挙だ」
「しかし…」ゲッベルスは続けた。「勝てるでしょうか?」
「そのために君に宣伝係になってもらったんだよ」ヒトラーはにやりとした。「国民は飢えている。〝今日と明日のパン〝〝輝かしい未来〝をみせれば、絶対にナチスに従うに決まってる」
ゲッベルスはにやりとした。「プロパガンダを考えます。まず、庶民の無知と飢えに訴えるのです」
「うむ」
「まず、人間の〝値札〝に訴えなければなりません」ゲッベルスはにやにやした。「〝値札〝とは人間のそれぞれのもつ欲求です」
「欲求? 金か?」ヒトラーは是非とも答えがききたかった。
「そうです。ある人間にとっては〝金〝でしょうし、また〝正義感〝、〝名誉〝、〝地位〝、〝女〝〝豪邸〝……その人間が求めているものにアピールしていけば九十九%の人間は動かせます」
ゲッベルスは『プロパガンダ(大衆操作)』について論じた。
この頃は、まだプロパガンダについての研究は浅く、しかも幼稚であった。しかし、勉強家のゲッベルスはあらゆる本をよんで研究し、プロパガンダの技を磨いていた。
「ゲッベルス博士、頼むぞ。わがナチスに政権を! ヒトラーを総統にしてくれ」
ヒトラーは握手を求めた。ゲッベルスとヒトラーは握手した。
こうして、ナチスは政権をとるために、動きだした。
一九三三年、ナチス・ヒトラーが政権を奪取…
一九三六年、ドイツ軍非武装地帯ラインラント進軍…
一九三八年、オーストラリア併合
……「ハイル・ヒトラー! ハイル・ヒトラー!」
(ヒトラー万歳)という民衆がナチス式敬礼で興奮状態だった。
「どうなっちまうんだ?!」
ジョンは新聞を読んで疑問をもった。「ドイツ第三帝国の英雄、アドルフ・ヒトラーだとさ? どう思う、マイケル?」
「狂人さ」
軍部の一室で、マイケルは親友にいった。
もう夕暮れで、室内が鬼灯色に染まっていた。
「きっと世界的な戦争になるね。そのためにぼくらの迎撃技術が必要になるのさ」
「まあ、アメリカもいずれは参戦だからな」
ジョンは煙草を吸った。
「ナチス・ドイツと提携した日本帝国も、中国の東北部に傀儡政権つくったってさ」
「いよいよ。ぼくたちのパイロット経験がもとめられることになる訳だ」
マイケルは続けた。「とにかく、飛行を極めよう。世界中に出掛けて敵を迎撃しまくるんだ!」
「そりゃあいいね」ジョンも同意した。
一九三二年、日本帝国は世界の反対をおしきって満州国という傀儡国家を作った。国際連盟はこれを非難、翌三三年連盟はリットン調査団の報告書を採択、満州国不承認を四十二対一、棄権一で可決した。一は当然日本、棄権はシャム(タイ)……
日本は国際連盟を脱退した。
そのときの様子を日本の新聞は〝連盟よさらば! 総会勧告書を採択し、我が代表堂々退場す〝と書いている。これを機に日本は孤立し、ヒステリーが爆発して「パールハーバー(真珠湾)」攻撃にふみきる。結果は完敗。
当時の世界情勢をきちんとみていれば日本はあんな無謀な戦争に突入するはずはなかった。しかし、現実は違った。軍部によってつくられた戦闘ムードに熱しやすい国民は踊らされ、破滅へと走った。そこにはまともな戦略もヴィジョンもなかった。
あるのは「大東亜共栄圏」という絵にかいた餅だけ……
プロパガンダに踊らされているだけだ。
ナチスや日本の暴挙をみて、マイケルは思う。
「ぼくたちパイロットが、この世界を混沌から救う! それしか道はない!」
血をみただけで気絶するような〝パイロットの卵〝だったが、マイケルは志をもった。……ぼくが世界を救うんだ!
原爆投下後のインタビュー。陸軍・トーマス・ファレル准将
「私たちもはこの大きな武力を託された倫理的な責任がありました。
この武力が敵国によるもわが国に与えられたことを謙虚に受け入れなければなりません」
(原爆開発開発のマンハッタン計画・現場責任者を務めた人物)
21万人の原爆被害。ファレルこそ悪魔。
(ファレル手記)「原子爆弾は単なる爆弾ではない。激変、大災害、大混乱、そして大惨事である。私は原子爆弾の力とその不吉な脅威を知っている」
(日本側は原爆開発を知っていたものの、真剣に考えてはいなかった。)(アメリカの原爆開発を一部の日本人は知っていた。)
内閣書記局長・迫水久常「我々は、アメリカから投下前に警告があると考えていました。アメリカが現実に、あんな無慈悲な兵器を使用するとは思っていませんでした」
(犠牲になったのは市民)
マンハッタン計画〝われわれは人類の破壊者〟原爆最高責任者グローブス陸軍少将。
(ファレル准将手記)「人里離れた砂漠で行われた実験は驚くほどの成功だ。巨大な火の玉が放つ強烈な爆風がおさまるやいなや外に出た。その場にいた誰もが、今、目の前で起きたことに驚嘆していた」
(国家機密で議会の承認も得ていない)開発費20億ドル(3兆円) 1200人の科学者が参加。原爆の父・ロバート・オッペンハイマー博士・原爆開発現場責任者
亡命ユダヤ人科学者レオ・シラード博士。
科学界の大物・ヴァニーヴァ・ブッシュ博士。
「私たちは、世界をこれまでと同じではなくなったということを知っていました。笑う者泣く者もいましたが、ほとんどは沈黙していました。私はヒンズー教の聖典バガヴァッドの1節を思い出しました。(ヒンドゥー教の神)ヴィシュヌの語った言葉。『我々は死に神なり、世界の破壊者なり』我々はそう感じました」
ファレルは、「戦争の早期終結のための原爆が投下は必要だった」と詭弁を主張した。「世界平和のため」「核兵器の威力で脅威で抑止力」というペテンだ。
当時の日本のエリート層の中には、アメリカが原爆開発をしていたことを知っていた。だが、「使わないだろう」と。
迫水「使うわけがない」元外交官「原爆投下は仕方ない」
「戦争を早期に終結させるためだった」のか?
木戸幸一(元・天皇側近)「軍部は一億総玉砕。将軍も戦争を止められなかった」
ポツダムでは、イギリス、アメリカ、ソ連の三巨頭会談をやっていた。(投下20日前)
トルーマン大統領は、原爆完成を聞いて、インパクトを大きく受ける。
「もうソ連は必要ない。日本に原爆投下して、ソ連にインパクトを与えて、戦争終結とする」、と。原爆投下の命令書はわずか一ページ。
日本でも京大が原爆開発『F研究』(NHKドラマ『太陽の子』参照)*仁科芳雄博士+荒勝文策博士*を進めていたが、開発には間に合わなかった
日本はポツダム宣言を「国体護持」を条件に、拒絶。日本は、ソビエト連邦に期待をかけていた。敵ではない大国。しかし、ソ連参戦でおじゃんになった。しかし、日本は知らず(ソ連参戦も原爆も)。
ヴァニーヴァ―・ブッシュ「大金を使って作った原爆は、使ってこそ世界に脅威を与える」
オッペンハイマー「原爆の視覚的威力は巨大」
レオ・シラード「原爆のデモンストレーションをし、日本に軍事使用はせず、脅すだけにすべき(却下された)」
広島・長崎への原爆投下は許されざるべき戦争犯罪である。昔、「原爆投下はしょうがない」といった日本の政治家がいたが、少しも「しょうがない」ことはない。戦争犯罪だ。
だが、だからとて、アメリカ人を憎みまくれ、というのではない。
過去と他人はかえられない。自分と未来しかかえられない。
すべては〝和解〟と〝対話〟しかない。
世界に、〝原爆の悲惨さ〟を知らしめ、世界の核兵器を減らしていく。すべての、核兵器をなくすのはほぼ無理だ。
希望はもっていよう。断固、〝戦争〟を憎み、平和を祈る………戦略を練って、果敢に行動すれば〝無力で何もできない〟ということはない。
その覚悟で、原爆の日で恒久平和を祈ろう。
すべて無駄なわけがない。為せば成る。世界に平和が訪れる日を、祈ろうではないか。
2 パールハーバー
ロスアラモスが原子力実験所として選ばれたのは要因があった。
ひとつは広大な僻地で砂漠の渓谷に挟まれた盆地であること、平坦な大地に「立入禁止区域」「絶対立入禁止区域」として人目に触れないような隠れ家的な平地であったこと。
科学者が「世界で誰よりも早く原子力兵器をつくること」に燃えていた。
リーダー的な科学者がオッペンハイマー博士で、あった。
彼らの耳にもソ連(現在・ロシア)やナチスドイツや日本などが原子力兵器開発に血眼になっているという情報は入っており、科学者の間では常識であった。
彼らはパンドラの匣を開けることをためらわなかった。科学と戦争史は比例する。ダイナマイトを発明したノーベルは億万長者になったが、そのダイナマイトが戦争兵器に利用されて〝虐殺の道具〝にされたのもまた事実であった。
(参考文献引用『エノラ・ゲイ ドキュメント原爆投下』著作ゴードン・トマス+マックス・モーガン=ウィッツ、松田銑日本語訳、TBSブリタニカ出版1980年)
「この局面を打開するにはこの作戦しかない」
日本軍軍幹部は、暗い部屋で薄明りの中いった。皆、軍儀で黒い軍服姿である。
いったのはそのうちの幹部の老人だった。
「ハワイの真珠湾攻撃! これしかない」
「しかし…」
軍儀に同席していた軍服の、山本五十六総裁は何かいいかけた。
五十六は米国に留学した経験があり、米国の軍事力、兵力、技術力を熟知していた。その結論が、日本の力では米国軍には勝てない……
というものだった。
しかし、軍儀ではみな集団ヒステリーのようになっている。天皇(昭和天皇・裕仁)でさえ戦争反対ともいえない状態にあった。
五十六はためらった。
自分の力では戦争を止める力はない。天皇陛下が「戦争回避」といってくれればいいが、天皇は何ひとつ発しない。現人神だから、自分の、人間としての言葉を発しないのは当たり前なのだ。五十六は……〝短期決戦なら勝てるかも知れない〝と甘くよんだ。
長期戦となれば、圧倒的に軍事力が違うから勝つ見込みはほとんどない。
山本五十六は意を決した。
「わしも真珠湾攻撃は賛成いたす。ただし、奇襲ではいかん」
「……もちろんだとも」
「まず、米国外務省に電報で〝攻撃〝を知らせてそれから開戦だ!」
五十六はいった。
……日本軍は確実に米国に〝攻撃通知〝を打電した。しかし、米国の外交官がそれを見るのを忘れ、結果として「日本軍はパールハーバー(真珠湾)を奇襲攻撃した」などと事実を歪曲されてしまう。これはあきらかに米国役人のミスなのだ。
「総統、わが日本は勝てるでしょうか?」
あるとき、部下がきいてきた。
「日本と米国の差は歴然……短期決戦なら勝てるかも知れない」
「しかし」
部下は訝しがった。「わが日本帝国は支那(しな)(中国)にも、露国(ロシア)にも勝ちまし
た。わが国は尚武の国です。まける訳がないじゃないですか?」
五十六は何もいわなかった。
……負けなきゃわからぬのだ。この国の人間は…
日本が太平洋戦争に踏み切ったこと自体、考えれば、国家戦略などなかったことを物語っている。ちゃんとした戦略があったなら、あの時点で、アメリカと戦うなど考えられなかったからだ。
当時の日本はアメリカと比較すると生産力は十分の一でしかなく、領土は二十四分の一、人口は半分、島国のうえ原料はほとんど輸入に頼っており、補給路を絶たれたらそれでおわりである。
これではちゃんとした戦略などたてられる訳がない。
少なくても生産力がアメリカの二分の一、原料、とくに石油の自給率が七十パーセントくらいならまだ勝てるチャンスがあったかも知れない。
「この絶対的不利である日本国をすくうために開戦するのだ!」
軍部の老人はいきまいた。
「ABCDラインからの自衛の戦争である!」
老人たちはいう。
確かに、彼等のごく狭い視野からみればそうであったかも知れない。
ちなみに『ABCDライン』とは、米国・英国・中国・オランダによる対日包囲網のことである。
ABCDラインで外交的にシャットアウトをくらい、日本はいきづまっていた。
原料確保のためにはなんとか行動をおこさなければならない。
そこで南方進出を決定する。
ブルネイやインドネシアには石油がある。フィリピンには天然ガスが……
(当時、日本は満州国を保有していたが、石炭しかでなかった。また侵略していた中国では長期戦に引き摺りこまれていた)。
「この戦争はなんとしても勝たなければならない!」
日本軍部はいきまいた。
日本の科学者は「アメリカは何らかの原子力兵器を生み出す可能性大」と帝国陸軍に忠告していた。
だが、帝国陸軍人は「「アメリカと日本は」であろう?」と不遜であった。
浅田博士は「日本が原子力兵器を完成させるにはすくなくとも後10年は必要である」との結論に至った。
それはナチスドイツでさえ同じであった。
戦争と経済制裁で原材料が不足していたためだ。
アメリカの科学者は原爆を完成させることに成功する訳だが、投下飛行爆撃機の乗員たちは〝原爆投下〝の訓練を続けていた。
「投下後、七マイルか20マイルか70マイルかやはり実際に原爆投下をしてみなければ我らが、爆撃機が無事に帰還できるかは神のお助けのみだ」
ティベッツは「神がオレンジに味方したら?」という。
クロード・エザリーやポール・ティベッツが酒酔い運転で事故ったのもこの頃である。
大事な「秘密計画」の〝担当者〝であるとしてすぐに警察から出されたが「秘密計画」については警察官たちにはいわなかった。
ただし、エザリーは右手の中指をつきたてて、「地獄に落ちろ、糞ども!」と泥酔して仲間に引きずられながら警官らを挑発したそうである。
(参考文献引用『エノラ・ゲイ ドキュメント原爆投下』著作ゴードン・トマス+マックス・モーガン=ウィッツ、松田銑日本語訳、TBSブリタニカ出版1980年)
当時のアメリカ大統領はフランクリン・ローズベルトだった。
この老獪な政治家は、一方で策士でもあった。
(副大統領はのちの大統領、ハリー・S・トルーマン)
当時のアメリカは日本に対しては表向き中立を保っていたという。日本は、イタリアやドイツと反共同盟を結んでいた。
そのナチス・ドイツがヨーロッパ中を火の海にし、イギリス、フランス、ソ連は出血多量で虫の息だった。
ローズベルトは「なんとかアメリカ軍をヨーロッパ戦線に投入し、ナチス・ドイツをストップせねばならない」と信じていた。
しかし、第一次世界大戦の後遺症で、アメリカ国民は極端に厭戦ムードであったという。
「この厭戦ムードをなんとかせねば…」
ローズベルトはホワイトハウスで、書類に目を通しながらいった。
「…このままではナチスにしてやられる」
部下は「一発はらせるのはどうでしょうか?」ときく。
「……一発?」
「そうです。OSS(当時の情報機関、CIAの前身)からの情報があります」
「情報? どんな?」
「日本に関することです」
「この厭戦ムードを断ち切って、国民世論を参戦にもっていくにはよほど衝撃的なことがおこらなければならないのだぞ」
ローズベルトは目を上げ、強くいった。
……強くインパクトのあるものが必要だ。
「ナチス・ドイツ第三帝国がヨーロッパを牛耳れば必ずアメリカ本土もターゲットになる。そうなればアメリカは勝っても相当の苦戦を強いられるぞ」
ローズベルトは情勢にも明るかった。
当時ドイツの科学者は世界一優秀といわれていた。だから、ローズベルトの心配もまんざら根拠のないものでもなかった。
潜水艦ひとつとってもドイツのUボートに匹敵するようなものはなかった。
「ドイツの科学者は世界一優秀といわれている。十分な時間を与えてしまえばドイツはその頭脳を駆使してとんでもない兵器を作りあげてしまう可能性は高い」
ローズベルトは危機感をもっていた。
「そうなるまえに手をうたねばならぬのだ」
「まったくです」
ローズベルトはいった。「まず黄色いジャップ(日本人の蔑称)をなんとか刺激して、アメリカ国民を激怒させるような行動をおこさせるのがてっとり早い。
ABCDラインで日本を資源市場からシャットアウトすれば、ジャップは必ずその挑発にのってくるだろう」
「……それなのですが…」
「まず相手に一発張らせて戦闘が当然だと米国人たちにわからせるのだ」
「それにはジャップは乗りました」
部下はにやりとした。
「とうとう」ローズベルトは勝利の笑みを浮かべた。
「とうとうジャップは動いたか?」
「はい」
部下は礼をして「ハワイ沿岸に日本の空母が接近中です。このままジャップはハワイの真珠湾を奇襲するというOSSからの情報です」
「そうか…」
ローズベルトはにやりとした。
「いいか?! 箝口令を敷け! ハワイの太平洋艦隊指令部にはいっさい知らせるな! ジャップの攻撃を成功させるのだ」
「…しかし…」
「もし知らせれば、わが軍が応戦して、ジャップの卑劣な行為を国民に知らせられない」
「大勢が犠牲になります!」
部下は反発した。
それにたいしてローズベルトは、
「国益を考えたまえ」といった。
「戦争をはじめるのにはインパクトだよ、インパクト!」
かくして、日本の戦略のなさを露呈する奇襲(相手のトップは知っていた)が開始される。一九四一年十二月八日、日本の機動部隊はハワイのパールハーバー(真珠湾)を攻撃した。百対一以下のギャンブルに手をつっこんだ。
「よし!」
真珠湾に日本の戦闘機・ゼロ戦が多数飛来して、次々と爆弾を落とす。
米国太平洋艦隊は次々と撃沈、また民間人への射撃により負傷者が続出した。
その中には、パイロットとしてハワイにいたマイケルの姿もあった。
「くそっ! ジャップめ!」
マイケルは右脚を負傷して倒れ、道路に倒れ込んだ。
スイス人医師、マルセル・ジュノーは、その頃、赤十字の派遣医師としてエチオピアに、さらにスペインへと転々としていた。
内戦の中、野戦病院で必死に介護治療にあたっていた。
「なに?! ハワイに日本軍が奇襲?! 馬鹿なことを…」
ジュノーは激しく感情を剥きだしにして怒った。
いつも冷静な彼には似合わない顔だった。
彼は長身で、堀の深い顔立ちである。ハンサムといえばそうだ。しかも痩せていて、腕も脚もすらりとしている。髪の毛もふさふさで、禿げではない。そんなハンサムな彼が苛立ったのだ。感情を出した。
「とにかく、大変なことだよ」
マルセル・ジュノー博士は若さからか、感情を剥きだしにした。
……日本がアメリカ合衆国と戦って勝てる訳がない。
ジュノーは医師ではあったが、立場上、国際情勢にも詳しかった。
「また無用な血が流れる」
ジュノーは涙声でいった。「日本がアメリカ合衆国と戦って勝てる訳がない」
「きっと日本は悲惨なことになる…ナチス・ドイツよりも…」
原爆投下はある日本の政治家は「しょうがない」等と言っていたが、少しもしょうがなくなんかなかった。
当然ながらあの「原子力爆弾投下」は実験の為でもあった。だから、投下計画があった新潟市や広島市や長崎市や福岡市などは原爆投下の数か月前からB-29爆撃機の大空襲を受けずに済んだ。
いや、爆撃しなかったのは原爆投下でどれくらい殺せて、どれくらい建物が爆裂・崩壊させられるか?どれだけの威力か?すべては実験、人体実験、であった。
何故ナチスドイツには原爆を落とさず、日本に二度も原爆を落としたのか?所詮は日本人がオレンジだったから、黄色人種だったからである。
なんだかんだといったところで「黄色人種などどうなろうが構わない。アメリカさえ良ければそれでいい」のだ。それがWASPの考えている本音であった。
また「原爆投下」「人体実験」「核兵器の破壊力実証」の為にポツダム宣言で〝日本側がアメリカ軍の原爆投下の実験の前に降伏して「実験・破壊力検証」等原爆が無駄にならないように〝アメリカ側は天皇制維持や國体維持を不明瞭にした。皇室維持・保護・解体しない、として日本側がポツダム宣言を(無条件ではなく条件付き)受諾するのは原爆実験の後になるようにアメリカ側は周到に計画したのだ。だから、〝昭和天皇陛下がもう少し早く『ご聖断』をされて降伏してれば広島・長崎の原爆の洗礼は避けられたのでは?〝という見方や思想は甘すぎる。アメリカ側がせっかく作った原爆を試さないまま終戦にする訳がない。日本の左翼も右翼も認識が甘すぎる。無辜の民を何十万人も虐殺した原爆は当然、国際法上違反で「戦争犯罪」なのは当たり前だ。戦争終結を早める為…等詭弁でしかない。
(参考文献引用『エノラ・ゲイ ドキュメント原爆投下』著作ゴードン・トマス+マックス・モーガン=ウィッツ、松田銑日本語訳、TBSブリタニカ出版1980年 92~101ページ)
「よし! でかした!」
パールハーバー(真珠湾)攻撃を喜んだのは日本人ではなく、ローズベルトだった。これは説得力がある。当時のアメリカは日本との外向的話し合いを極力さけていた。
せっぱつまった近衛内閣がトップ会談をほのめかしてもローズベルトは冷ややかだったという。
ヒステリーが爆発した日本は軍部のさそいにのって真珠湾攻撃となってしまった。
当時の日本人の考えは極めて単純だった。
まず、諸戦でパールハーバーにある米国艦隊に壊滅的大打撃を与える。
これによって軟弱なアメリカ人たちはパニックになる。
日本では国民に総動員をかけられるが、自由の国アメリカではそれができず個人が言いたい放題のままバラバラになる。
士気は日本のほうが優れている。
アメリカ本土からの機動部隊を太平洋で迎撃するが、それも長くはつづかない。
そのうち、アメリカ人たちは戦争に嫌気がさして、講和に持ち込んでくる。
日本人が有利な形で講和を結べる………
このごく幼稚な希望的観測で戦争をはじめてしまったのだから恐ろしい限りだ。
まさに〝井の中の蛙、大海を知らず〝。
もちろん山本五十六のように米国に滞在し、アメリカの力を知っていた軍人もいた。しかしその声は、前述したように狭い世界しか知らぬ蛙たちにかき消されてしまう。
当時の商工大臣だった岸信介はこういったという。
「普通一プラス一は二だが、それを精神力によって三にも四にもできる」
大和魂のことをいっているのだろうが、アメリカ人にだって魂がある。
「ジャップめ!」
「ナチスとふっついた黄色いのを撲滅しろ!」
日本人の希望的観測はものの見事にくつがえされた。
軟弱だったヤンキーたちは真珠湾奇襲に激怒し、次々と軍隊に入隊、女性たちも銃後の仕事についていった。軍事工場はフル稼働、兵士という雇用で失業もなくなった。
アメリカは敵・日本だけでなく、ナチスとも戦うことを決意した。
結局、日本はヒステリーを爆発させて真珠湾奇襲をし、アメリカ人の厭戦ムードを一掃させ、巨大な〝軍産複合体〝を始動させてしまった。
しかも、ローズベルトが大統領就任以来かかえていた失業をはじめとする問題も解決してくれた。
ローズベルトは笑いがとまらなかった。
何億ドルという広告費をだしてもできないことを日本が勝手にやってくれたからだ。
「よし! まず日本よりもドイツだ!」
ローズベルトは初めから日本ではなくドイツを一番の敵と考えていた。その証拠に戦争時投入された八百万人の陸軍機動部隊の七十五パーセント以上はヨーロッパの対ドイツ戦にそそがれたという。
真珠湾攻撃からさかのぼること三十五年前、アメリカは『ウォー・プラン・オレンジ』という戦略を練っていたという。オレンジとは日本、ちなみに米国はブルー…
いつの日か日本との戦争が避けられないとして三十五年も前から戦略を練っていた米国、それに比べて日本は希望的観測で戦争に突入した。太平洋戦争ははじめる前から日本の負けだったのだ。
真珠湾攻撃からさかのぼること三十五年前、といえばセオドア・ローズベルト(のちのフランクリン・ローズベルトのいとこ)が米国大統領だった頃だ。
その当時、大統領は親日家で、ロシアとの交渉であたふたしていた日本に優位な姿勢をみせたという。ポーツマス講和では、日本は金も領土も得られないような情勢だった。が、アメリカの働きかけで、ロシアは樺太の南半分を日本に譲渡する……という交渉をまとめてノーヴェル平和賞にかがやいている。
その頃から、対日戦略を考えていたというのだ。
こんな状況下のもと、例のパールハーバー攻撃は起こった。
こうして日本帝国は破滅へ向かって突き進んで、いく。
真珠湾で負傷したマイケルは病院で治療を受けた。怪我はたいしたことない。そこで、看護婦のジェニファーと恋に落ちた。マイケルは美貌の女性にメロメロになり、
「ぼくと付き合ってくれませんか?」といった。
同じく若いジェニファーもまんざらでもない。
ふたりは激しい恋に落ち、愛しあった。
ふたりきりになって愛をかわしているときは、ジェニファーはしばしば、そうだと断言することができた。マイケルは激しく、しかもやさしかった。彼女を強くだきしめ、熱っぽく思いをこめて唇を交わしてくる。ジェニファーは自分を彼が美しいと感じているのを知っていた。激しく唇と腰を交わし、それが愛なのだと思った。
ふたりは、ひとつになった。
3 エリザベスとローズベルトの死
「大変です! 副大統領閣下!」
合衆国ニューハンプシャー州に遊説のために訪れていたトルーマン副大統領に、訃報がまいこんだ。それはあまり歓迎できるものではなかった。
「なに?!」
トルーマンは驚きのあまり、口をあんぐりと開けてしまった。
……フランクリン・ローズベルト大統領が病いに倒れたというのだ。
ホワイトハウスで病の床にあるという。
「なんということだ!」
ハリー・S・トルーマンは愕然とし、しきりに何かいおうとした。
しかし、緊張のあまり手足がこわばり、思う通りにならない。
「とにかく閣下……ホワイトハウスへ戻ってください!」
「……うむ」
トルーマンは唸った。
トルーマンの出身地はミズリー州インデペンデント。人口は一万人に過ぎない。1945年わずか三ケ月前に副大統領になったばかりである。
ホワイトハウスでは、ローズベルトが虫の息だった。
「大統領閣下! トルーマンです!」
声をかけると、ベッドに横たわるローズベルトははあはあ息を吐きながら、
「ハリー…か…」と囁くようにいった。
「閣下!」
トルーマンは涙声である。
「…ハリー……戦争はわれわれが…必ず…勝つ。センターボード(原爆の暗号)もある」「センターボード?」
ローズベルトはにやりとしてから息を引き取った。
1945年4月のことである。
すぐに国葬がおこなわれた。
トルーマンは『原爆』について何も知らされてなかった。
「天地がひっくりかえったようだ」
トルーマンは妻ベスにいった。「わたしがアメリカ合衆国大統領となるとは…」
「…あなた……ついにあなたの出番なのですね?」
「そうとも」
トルーマンは頷いた。「しかし、センターボードとは知らなかった」
「センターボード?」
「いや」トルーマンは首をふった。「これは政府の機密だ」
……センターボードこと原爆。その破壊力は通常兵器の何百倍もの破壊力だという。
「ドイツに使うのか? 原爆を」
トルーマンは執務室で部下にきいた。
「いいえ」部下は首を横にふった。「ドイツはゲルマン民族で敵とはいえ白人……原爆は黄色いジャップに使います」
「どれくらい完成しているのだ? その原爆は…」
「もう少しで完成だそうです。原爆の開発費用は二十万ドルかかりました」
「二十万ドル?!」
「そうです。しかし……戦争に勝つためです。日本上陸作戦もあります。まず、フィリピンを占領し、次に沖縄、本土です。1945年秋頃になると思います」
トルーマンは愕然とした。
自分の知らないところで勝手に決められていく。
部下は続けた。
「七〇万人もの中国にいる日本軍を釘付けにする必要があります。原爆は米軍兵士の命を救う切り札です」
トルーマンは押し黙った。
この後、トルーマンとスターリン・ソ連首相とで〝ヤルタの密約〝が交わされる。ドイツ降伏後、ソ連が日本に攻め込む……という密約である。
…………これでいいのだろうか?
トルーマン大統領は困惑しながらあやつられていく。
そんな中、またジョンたちに訃報がまいこむ。ヨーロッパ戦線でドイツと戦っていたマイケルの機体が、ナチス・ドイツの空砲で迎撃されたというのだ。
マイケルの機体は煙りをあげて海へと落ちたという。マイケルまで、死んだのだ!
4 原爆完成
六月十八日、アメリカ合衆国ホワイトハウス……
ハリー・S・トルーマン大統領は閣議を開いていた。
「ナチスにもジャップにも勝てるかも知れない」
トルーマンは苦笑した。
「まあ、ソ連の参戦のおかげなのだが……」
この頃から、アメリカはソ連(現・ロシア)の共産主義を怪訝に思っていた。
しかし、今はそんなことはいってられない。
アメリカは、ナチス・ドイツにも日本帝国にも勝たねばならない。そのためならソ連をも利用しなければ……
トルーマンは「どうしたら勝てる?」と単純に尋ねた。
「平和利に…」ヘンリー・スティムソン陸軍長官がいった。
「大統領閣下、日本やドイツとは平和利に解決する手があります。日本には平和派が内閣をとりました。話し合いがきくかも知れません」
その話通り、日本では穏健派の鈴木貫太郎内閣が成立していた。
「天皇制さえみとめれば日本は降伏するでしょう」
しかし、それに反発したのがジェームズ・バーンズ(のちの国務長官)だった。
バーンズは「日本の裕仁はヒトラーやスターリンと同じです! 軍事行動が必要です!」 と強行意見を述べた。
トルーマンとはもともと凡人である。部下の意見を付和雷同できき、ついには原爆まで使ってしまう。凡人というより、ただの馬鹿なのではないか?
日本もナチスも敗戦濃厚であった。
ドイツでは、マルセル・ジュノーの親友・ジュペルが野戦病院で医療活動を懸命に行っていた。彼の脚の怪我は治っていた。看護婦はあのオードリーの妹である。
しかし、悲劇がおこる。
ロケット弾の流れ弾が病院に近くに被弾し、爆発……
看護婦リズは爆死してしまう。
「リズ! リズ!」
彼女は血だらけでジュペルの腕の中で死んだ。ジュノーも電報を受けて号泣した。
1945年7月16日、アリゾナ州ロスアラモスで原爆実験が成功した。
米国が一番先に『核』をもったのだ。
原爆の破壊力はすざましいものだった。
半径何十キロが火の海になる。
オッペンハウアー博士はその光景をみて、驚愕し、戦慄を覚え、
「とんでもないものをつくってしまった。われわれは神の領域に触れたのだ。この兵器が実際に使われないことを祈る」
と心の中で呟いた。
……人類は核という前代未聞の兵器を手にした。
集会にナチスの宣伝省・ゲッベルスが到着して、全国放送のマイクを前にして、こう演説した。
「学友諸君!ドイツの男女諸君!
今や、極端なユダヤ的知性主義の時代は終わった。汚らわしいユダヤ人は、消え去ろうとしている。そしてドイツ革命の突発がドイツ的な道にも、通り道を開いた。国民社会主義運動が権力を掌握した時、かくも早く、かくもラジカルにドイツを片付けることができるとは、まだ知ることができなかった。革命は上から来たのではなく、下から突発したのだ。国民が再び国民への道を見出だしたのだ!そして、老年がそれを理解しないうちに、 ーわれわれ若い者がすでにそれを成し遂げたのだ!
古いものは炎に光に包まれて、一つの近いをしよう。国家と国民とわれらの総統、アドルフ・ヒトラー、ハイル!ハイル!ハイル!」
狂気の歓声と拍手がわきあがった。そして、ハイル!ハイル!の声が響きあった。ーハイル・ヒトラー!総統万歳!!ー
オランダでは隠れ家に潜むユダヤ人少女、アンネ・フランクが日記を書いていた。
〝ドイツの大物のひとり、ラウターが演説をしました。「すべてのユダヤ人は、七月一日までに、ドイツの全占領地域から追放されなければならない。まず、四月一日から五月一日までのあいだに、ユトレヒト州より彼らを駆逐し(ユダヤ人はまるでゴキブリ扱いです)、さらに五月一日から六月一日までのあいだに、北ホラントならびに南ホラントの両州を掃湯する」こうして追い出された気の毒な人たちは、哀れな病気の家畜さながらに追いたてられ、どこかへ送られていくのです。でも、そのことは、いまは話さずにおきましょう。考えても、悪夢にうなされるだけですから。〝
「駆逐」は実行された。
月の高い夜だった。ナチスの兵隊たちは、一列になって、ユダヤ人隔離地帯(ゲットー)の街路地をツカツカと行進した。そして、銃をかまえて、次々とユダヤ人たちのアパートや家へ突入した。
爆音が響く。その次の瞬間、鋭い銃声が鳴り響いていく。
ナチスどもは、気に障ったユダヤ人たちを、次々と射殺していった。ー男だろうと、女だろうと、老人だろうと、子供だろうと、赤ん坊だろうと……そんなことは関係がなかった。
つぎつぎと、血だらけの死体の山が出来ていった。ー死体の山、山、山…。
「はやく、並べ!」
「こっちへこい!」
ユダヤ人たちが家畜のようにひかれていき、どんどんと荷物のようにトラックへとつめこまれていった。彼ら、彼女らはどこへ連れていかれるのか…?ー決まっている。アウシュビィッツだ。強制収容所に運ばれ、処分されるのだ。ーガス室で、虐殺されるのだ!
ただ、ユダヤ人、というだけで…。
〝親愛なるキティーへ、
いま主事務室にゆったりとすわって、カーテンの隙間から外を眺めているところです。 もう薄暗くなっていますが、あなたに手紙を書けるくらいの明るさはあります。
こうして外を通る人々をながめていると、とても奇妙な光景に見えます。だれもがひどくせかせか歩いていて、いまにもつまずきそうなんです。それから、自転車はどうかというと、それがあまりの猛スピードなので、こちらの目が追いつけないほど。どんなひとがのっているのか、それすら見定められないくらいです。この界隈に住む人達は、あまり上品には見えません。とりわけ子供たち。しゃべってる言葉も、わたしにはほとんどちんぷんかんぷんです。
きのうの午後、この部屋でマルゴーと行水を使っているときでした。わたしはふと、こんなことを呟きました。「ねえ、かりによ、かりにあのスラムの子供たちを、通る端から釣り竿で釣りあげて、お風呂に入れてやり、服も決まって、つくろってやってから、帰してやるとしたら……」
するとマルゴーがそれをさえぎって「どうせあしたになったら、元のもくあみよ」そう言いましたっけ。
どうやらまたくだらないおしゃべりになったようです。それに、見るものならほかにないわけじゃありません。車、船、雨。とりわけわたしの好きなのは、市電がごとごとと通ってゆく音です。〝
〝追伸ー
だいじなニュースをお伝えするのを忘れてました。もうじき初潮があるかもしれないってことです。ここしばらく、パンツにねばねばしたものがついているので気がついたんですけど、そしたらママが話してくれました。とても重要なことらしいので、始まるが待ち遠しくてたまりません。ただひとつ困るのは、生理帯が使えないということ。いまではもう手にはいりませんし、かといって、ママの使っているような小さな栓みたいなのは、赤ちゃんを産んだことのある女のひとにしか使えませんから。〝
*
午後。アンネがひとりで、自分の部屋の机に向かって日記を書いていると、
とんとん、とノックの音がした。そして、
「ミープよ」とマルゴーが顔をだした。
「ミープ?!」
アンネはそうきくと、すぐに日記帳をとじて、部屋を出ていった。ーミープだわ。
皆のいる部屋にいくと、もうもりあがっていた。ミープが美味しそうなケーキを持ってきてくれたからだ。
「わあっ、ケーキ…」
アンネの喜びの声につづくように、ファン・ダーンさんは舌をならして、
「わたしにも早くそれをわけて下さい」
と言った。息子のペーターも同じように、
「僕にも。早く、お願いね」と言った。
「はいはい。」
ミープはくすっと微笑んで、ケーキにナイフをそっといれていた。……
しばらく、ケーキと紅茶でのヴレイク・タイムが続き、その後、ミープは語り始めた。ーアンネたちの食料を融通してくれていた地下組織のひとたちがつかまってしまったことを、である。ー
その語りを聞いていたファン・ダーンさんは、ふうっと溜め息をついてから、
「ミープ、わたしの背広を売ってきてくれないか」
と切り出した。「こんな生活に、背広はいらない。闇で高く売ってきておくれ」
「ファン・ダーンさん…」
「頼むよ」
「……わかりました。出来るだけ高く売ってきます」
「ありがとうミープ」ファン・ダーンさんはその後、つづけて「ただし、タバコ、煙草を買ってくるのを忘れんでくださいよ」
と、無邪気に微笑んだ。
〝ーこの年、協会の鐘が鳴らなくなりました。鉄が不足して、ドイツ軍が教会の鐘をとりのぞいて、それで爆弾を作ったのだといいます。まったく、パチ当たりです。〝
〝親愛なるキティーヘ、
だれかと話をしたいという欲求があまりにも強くなり、どういうわけかふと思いついたのが、ペーターを相手に選ぶことでした。これまでにも、日中ときどきペーターの部屋にあがっていったことはありますけど、いつ行ってもそこは、とても居心地よく感じられました。ただ、ペーターは人一倍内気で、たとえ迷惑だと思っても、けっしてひとを追い出すようなことはしませんから、わたしもうるさく思われないように、長居はしない配慮はしていました。なんとかして、それとなく部屋に腰を落ち着かせて、彼が話し出すように持っていけないものか、あれこれ口実を探していたところ、きのうそのチャンスがめぐってきたんです。ペーターはこのところクロスワードに凝っていて、ほかのことはなにひとつやらないくらいに熱中しています。そこで、そのパズルを解くのを手伝ってあげているうちに、いつのまにか、小さなテーブルをはさんで、彼は自分の椅子に、わたしはソファベッドにすわり、たがいに向かい合うかたちになっていました。
ふと顔をあげて、彼の深いブルーの目をのぞきこみ、彼がこのわたしの思いがけない来訪にとまどっているのを見てとると、わたしのなかに奇妙な感覚が走りました。なぜか彼のこころのうちが読みとれたんです。彼の表情には、困惑と、どうふるまったらいいのかわからないという自信のなさと同時に、わずかにちらつく男性意識らしきものを感じとれました。彼の物慣れない、内気そうな態度を見ると、わたしはなんだかとてもやさしい気持ちになって、こう言ってみたい衝動にかられました。
ねえ、なんでもいいからあなたのことを話してくれない?こんな愚にもつかないおしゃべりでなく、もっとましな話題はない?でも、こういう質問って、思いつくのはたやすくても、口にだすのはずっとむずかしいんですよね。
それにしても、どうかわたしがペーターに恋してるなんて思わないでください。ぜんぜんちがいますから!もしファン・ダーンさんのところの子供が男の子でなく、女の子だったとしても、わたしはやっぱりその子と親しくなろうとしたでしょう。〝
〝おかあさんは、ペーターがわたしに恋してると思ってます。正直なところ、それが事実ならうれしいと思います。そうすれば、おたがい五分五分の立場になり、そこではじめて、本当に相手を知ることができようになるでしょうから。また、おかあさんにいわせると、ペーターはたえずわたしのほうを見ているとか。たしかにそうかもしれませんけど、彼がわたしのえくぼを見たがったり、ときどき両方でウインクしあったりしたとしても、それはやむえないこと、わたしにはどうすることもできません。
わたしはとてもむずかしい立場にいます。おかあさんはわたしのすべてが気に入らず、わたしはまたおかあさんに反発し、おとうさんはおとうさんでそれに目をつむって、親子のあいだの無言の闘いを見まいとしています。おかあさんは本心でわたしを愛しているだけに、こういう状況を悲しんでますが、わたしはとうにおかあさんに愛想をつかしているので、ちっとも悲しいとは思いません。
そして、ペーターは………ペーターとはわたしも仲たがいしたくありません。すごく愛すべき人柄ですし、おおいに敬愛しているからです。いつかわたしたちのあいだには、なにか美しいものが生まれるかもしれません。なのにどうして〝ご老人〝たちは、いちいちわたしたちに口出ししなくてはならないんでしょう。〝
〝わたしたちふたり(わたしとペーター)は、ふたりして屋根裏部屋から青空と、葉の落ちた裏庭のマロニエの木とを見あげました。枝という枝には、細かな雨のしずくがきらめき、空を飛ぶカモメやその他の鳥たちの群れは、陽射しを受けて銀色に輝いています。すべてがいきいきと躍動して、あまりの感動に、ふたりともしばらく口をきけませんでした。彼は太い梁に頭をもたせかけて立ち、わたしは床にすわりこんで、そろって新鮮な空気を吸いながら、外にひろがる光景をながめ、そしてどちらもうっかり口をきいて、このひとときの魔法を破ってはならないと感じていました。そのまま長い時間が流れましたが、やがて彼が薪を切りにゆくときがくると、わたしにもしみじみと彼が、ほんとうにいいひとだという実感が湧いてきました。彼がロフトへの梯子をのぼっていったので、わたしもあとを追って、そのあと彼が薪を切ってくる十五分ばかりのあいだも、ふたりは依然として無言のままでした。わたしはすこし離れて、彼の仕事を見守り、彼は力のあるところを見せようと懸命に奮闘しています。そのあいだもわたしは、ときどき開いた窓から外の景色を眺めてましたが、そこからはアムステルダム市街の大半が一目で見渡せます。遥かに連なる屋根の波、その向うにのぞく水平線。それはあまりにも深いブルーなので、ほとんど空と見分けがつかないほどです。
それを見ながら、わたしは考えました。
「これが存在しているうちは、そしてわたしたちが生きてこれを見られるうちはーこの日光、この晴れた空、これらがあるうちは、けっして不幸にはならないわ」って。〝
〝春は希望の季節…。そして、わたしにも春がやって来ました。メンス…それはとても嬉しいような、嫌なようなフクザクな気持ちです。〝
「アンネもとうとう…」
屋根裏部屋で二人っきりのときに、マルゴーがうれしそうに尋ねた。
「でも…うれしいような…悲しいような…」
アンネは大きく溜め息をついて…
「複雑だわ…」
「そう…?」
マルゴーは無邪気に微笑んでいた。
ふたりはなんとなくほわっとした感じで、青空に浮かぶ白い雲をジッと見た。うららかな春風が頬にあたり、心地よかった。もう少し身を乗り出すと、水平線が見える。そう、隠れ家生活の少し前、マルゴーとふたりで見た海……。
秋の荒れた海。
つめたい潮風がひゅうひゅうと頬にあたって、とても痛くて冷たい。ふたりはテトラポットに腰掛けていた。さすがにこんな海をみようなんて物好きはいないらしく、人影は見当たらなかった。だけど、不思議なもので、海をみていると、寒かろうが暑かろうが、ひとりだろうと大勢だろうと、そんなことは忘れてしまう。何か別の世界に引き込まれそうな、それでいてなにかいいたそうな神秘的な海。ーずうっとずうっと見ていてもあきることはないだろう。ーだけど今では、あまりにも近くにあるにもかかわらず、波音も潮の香りもあらためて感じることができない。そんな現実を受け止めるには、あまりにもアンネは若すぎて、心細いものだった。
「ねぇ、マルゴー」
「なあに?」
「マルゴーは、将来なんになりたいの?」
「ええ……まだ考えてないわ…アンネは?」
「わたし?」アンネは元気にいった。「わたしは…作家。いろんな小説だとかを書くの!思いついたことを全部」
アンネの長い黒髪が冷たい潮風にゆれていた。あまりに寒いので白い肌は少し赤くほてり小刻みに震えていて、それでも瞳だけがきらきら輝いていた。ーそれから、しばらくの静寂をやぶるようにアンネは寂し気な横顔になって呟いた。
「でも……私の書いた童話、出版社に送ったんだけど、ボツだって」
「まぁ………それは残念だったわね」
「残念なんてもんじゃないわよ」
「でも、また別の出版社に送ったらいいんじゃない?きっとチャンスがめぐって来るわ」 と、マルゴーは明るくいった。「うん…」アンネはうつむいて、少し涙ぐんだ。でも、悲しい気分も一瞬で、次には彼女は、
「ねえ、ほんとうのことおっしゃい!マルゴーは将来なにになりたいの?!」
と尋ねて微笑んでいた。
「そうねぇ、看護婦さんかなぁ…。もしなれたら、大勢の苦しんでいるひとたちを助けられるじゃない?」
「へぇーっ」アンネは嫌味ではなく言った。
「さすがは優秀なお姉さまだわ。言うことが違う!」
「なにいってんだか…」
ふたりは、顔を見合わせ、もう一度、微笑んでいた。
〝ゆうべ、ヒューズが飛んで、電気がきれました。おまけに、一晩じゅう高射砲が鳴りづめ。いまだにわたしは、高射砲や爆撃機に関連するあらゆるものへの恐怖を克服できません。それで、ほとんど毎晩、慰めてほしくてパパのベッドにもぐりこみます。子供っぽいとはわかっていますが、この不安がどんなものか、あなたには想像もつかないでしょう。ー高射砲の音って、ものすごく大きくて、自分の声さえきこえないほどなんです。宿命論者のはずのペトロネラ夫人など、ほとんど半べそをかきながら子供っぽいキイキイ声で、「あぁ、いやだいやだ!じっさいなんてすごい砲撃なの?」と叫びたててましたけど、それって本当は「こわくてたまらない」って意味なんです。
たとえ蝋燭でもついててれば、真っ暗闇よりはまだしも安心です。わたしなんか、おこりでもついたみたいに震えが止まらず、とうとう蝋燭をつけて、とパパに頼みました。でもパパはききいれてくれず、明りは消されたまま。そのうちふいに、ばりばりと機関銃の射撃がはじまりました。機関銃の音は、大砲の音より十倍も不気味です。
ママまでもがベッドからとびおりるなり、ピムの制止をきかず、蝋燭をともしました。 ピム(ペーターのこと)がたしなめると、
「なんてったって、アンネは歴戦の勇士なんかじゃないんですからね!」ときっぱり言いかえし、それで議論に決着がつきました。〝
〝親愛なるキティーへ
ヒューラー・アラー・ゲルマーネン
「全ゲルマン民族の指導者」が負傷者を見舞っているようすをラジオで聞きました。聞いているだけでうんざりしました。問答はこんなふうですー
「姓名はハインリッヒ・シュペルであります」
「どこで負傷した?」
「スターリングラード近辺であります」
「傷の具合は?」
「凍傷のため両足を切断、さらに左腕の間接を砕かれました」
まさにこういったぞっとするような茶番劇がラジオで流されているのです。兵士たちは負傷したことを誇りにでもしているかのようでした。傷が重ければ重いほど、名誉、というわけです。なかのひとりは総統と握手できた光栄(といっても、握手する手があればですが)に感激して、ろくに口もきけないようすでした。〝
1945年6月6日、連合軍による「ノルマンジー上陸作戦」が開始された。
地図をみれば明らかなように、イギリス東南部から海を渡ってフランス海岸に上陸するには、ノルマンジーよりもパ・ド・カレー県のほうが距離も近く、物資運搬にも、空軍からの支援のうえからも有利なはずである。
ナチス・ドイツもてっきりパ・ド・カレー県から連合軍が上陸してくるものとして、そこに強大な防衛姿勢で望んでいた。一方、連合軍はしきりにニセ情報を流して、パ・ド・カレー県から連合軍が上陸してくるというように見せ掛けた。わざとパ・ド・カレー県に爆撃までした。その結果、ドイツ軍は益々、パ・ド・カレー県に兵力を集める。
こうして、連合軍はナチスがパ・ド・カレー県に兵力を集めているすきにノルマンジーから上陸した。上陸作戦が成功したのも、こうした周到な準備があったからである。
5 日本軍の虐殺
ユダヤ人たちを乗せた貨物列車が、アウシュビィッツ強制収容所に到着した。もはや、名簿係も名札もなにも必要ではない。ユダヤ人女性は髪をきられ、女や男にわけられて、ガス室へ入れられるのである。
シュウウウゥ…っ、とガス室に猛毒ガスが広がるのと同時に、きゃあぁ…つ!という悲鳴が響き渡る。そして、それから間もなく、バタバタと毒ガスによってユダヤ人たちは床にドサリと倒れていった。
そして、数分後には、死体の山があるだけとなる……。
ー虐殺者の数、実に六百万人、……おそるべき数字で、ある。……
アンネ・フランクの日記……
〝だれよりも親愛なるキティーへ、
「本日はDデーなり」きょう十二時、このような声明がイギリスのラジオを通じて出されました。まちがいありません、まさしく、きょうこそはその日、です。いよいよ上陸作戦が始まったのです!
イギリスはけさ八時に以下のようなニュースを流しました。カレー、ブローニュ、ルアーヴル、シェルプール、そして(例によって)パドカレー一帯に、空からの猛烈な攻撃がくわえられた。さらに爆撃地帯に住むひとびとの安全のため、爆撃避難を…と英軍はビラをまくであろう。
十二時、アメリカのアイゼンハウワー将軍が、「本日はDデーなり」の声明を読み上げました。「フランスの国民には犠牲がともなうかも知れないが、われわれは必ずや上陸してナチスを追い出す。そのために後ほんのしばらく我慢していてほしい」そのあと、ベルギーの首相、オランダの国王、イギリスの国王、フランスのドゴール将軍のあと、ついにイギリスのチャーチル首相の演説……。
隠れ家は興奮のるつぼです。まちにまった解放があるのでしょうか?とにかく、希望です。希望がもてます!
ちなみに、チャーチルはDデーには、自分も軍隊の先頭にたって出陣したい、といい、フランスの将軍やアメリカの大統領にとめられたそうです。なんと豪気な老人でしょう。もう、七十歳以上いっているというのに。でも、希望がみえてきました!〝
「わたしは今、希望をもって十五才の誕生日をむかえることができました。今年こそは皆さんをわたしの家へ招待したいと思います」
アンネ・フランクは、隠れ家の誕生日会において、そんな風に明るくスピーチをした。 一同から拍手がおこる。デュッセルさんは、立派な作品が書けるようにと万年筆をプレゼントした。ファン・ダーン一家はブローチを、パパとママは下着だった。マルゴーは、大事にしていたペンダントをアンネにプレゼントした。大事な大事な宝物を…。
〝キティー、
15才の誕生日に、みんなから素敵なプレゼントを頂きました。でも、一番の宝物は、人間って素晴らしい、生きてるってことは素晴らしい、って知ったことです。〝
〝「心の奥底では、若者はつねに老人よりも孤独である」なにかの本でこの格言を知ってから、わたしはずっとこれを忘れられずにきましたし、これが真理だということを確信しました。この生活の中で、わたしとたちより大人たちのほうが苦しんでいるのでしょうか?いいえ。そんなことはありません。大人たちはすでに確固とした自分というものをつくりあげていて、それに従って生活できるからです。それにくらべて私たち若者は、現在のように、あらゆる理想が打ち砕かれ、踏み躙られ、人間が最悪の面をさらけだし、真実や正義や神などを信じているかどうか迷っている時代において、自己の立場を固守し、見解をつらぬきとおすということは二倍も困難なことなのです。
わたしたちは、この世界が破壊され序序に崩壊していくのを目の当たりにみています。しかし、希望がないわけではありません。もうすぐ、こんな戦争も終り、平和がやってくる……といいと思います。〝
〝親愛なるキティーへ、
やっとほんとうの希望が湧いてきました。ついにすべてが好調に転じたという感じ。えぇそう、本当に好調なんです!すばらしいニュース!ヒトラー暗殺が計画されました。しかも今度は、ユダヤ人共産主義者がたくらんだものでも、イギリスの資本主義者がたくらんだものでもありません。純血のドイツ人の将軍、おまけに伯爵で、まだかなり若いひとだそうです。〝神の摂理〝か、総統の命に別状はなく、あいにく被害は軽いかすり傷と火傷だけですみました。同席していた数人の将軍、将校らのなかに死傷者が出、計画の首謀者は射殺されたとのことです。
いずれにせよ、この事件は、ドイツ側にもいまや戦争に飽き飽きして、ヒトラーを権力の座からひきずり降ろそうと思っている将軍や軍人が大勢いることを、物語っています。このようにして、ドイツ人同志が殺しあってくれれば、連合軍にとって都合がいいのです。 あぁ、はやく、ヒトラーがこの世からいなくなればいいのに…。〝
〝前にもいったように、わたしは何事につけ、けっして本当の気持ちを口には出しません。そのおかげで、男の子ばかり追いかけてるお転婆娘とか、浮気っぽいとか、知ったかぶり、とか、安っぽい恋愛小説の愛読者だとか、いろいろ汚名をこうむってきました。活発なほうのアンネはそんなことは笑いとばし、ヘッチャラッて顔をします。が、おとなしいほうのアンネは、まったく正反対の反応を示します。正直な話、ショックで泣きたくもなります。努力しても、汚名は消えません。
胸のうちですすり泣く声がきこえます。
いい面を外側に、悪い面を内側にもっていきたい。それができるはずなんです。きっとなれるはずなんです。もしも…この世に生きているのがわたしひとりであったならば。〝 (アンネの日記はここで終わっている。)
『隠れ家』の一向は、食事中に、解放後の夢について語っていた。まず、ファン・ダーンが口火を切った。
「私は、解放されたら、タバコをプーカプカとやりたいものですな。ペーター、お前は?」 ペーターは少し考えてから、「僕?」といい、続けて「僕は…いろんな場所にいってみたい」と答えた。
ファン・ダーンのおばさんは、「いいわね。わたしはオペラをみにいきたいわ。マルゴーあなたは?」といい、マルゴーにせかすように尋ねた。
「私?……私もいろんなところへ行ってみたいわ。そして公園の芝生で寝転がるの」
「私はひとりっきりになりたいわ」
「おいおい、エーディット。私のことを忘れんでくれよ」
オットーは冗談めかしに言った。そして、
「アンネ、お前は?」
と、愛娘にきいた。
「私は学校にいきたい。そして、皆と一緒に勉強がしたい!」
アンネは純粋な瞳のままでいった。
「ほおーっ、そりゃあすごい答えだ。マルゴー的答えだね」
冗談が飛び、一同は大笑いしていた。
一九四十四年八月四日。
マルゴーとデュッセルは本を読んでいた。もうすぐ昼なので、ファン・ダーンのおばさんは食事を作っているところだった。ファン・ダーンはテーブルのイスに座って、新聞を読んでいるオットーに、
「なにかかわった記事はありますか?」
と、きいた。が、別になにもないので「いえ、別に」とだけオットーは答えていた。
ペーターの部屋では、ペーターとアンネが楽しそうにおしゃべりしていた。しかし、そんな平凡な時間もやぶられようとしていた。
「ミープたち、遅いわね」
シチューをつくりながら、ファン・ダーンのおばさんが呟いたとき、ウーウ、というサイレンの音が響いて、すぐ前で止まった。
午前十時半のあたりに、プリンセンフラハト二六三番地に建つ家の前に、一台の車が停った。ツカツカと制服姿のナチス親衛隊幹部カール・ヨーゼフ・ジルバーベルクと、私服で武器を携行した、ドイツ秘密警察(グリユーネ・ポリツアイ)所属の、数名のオランダ人が車から下り立った。『隠れ家』にひそむユダヤ人について、誰かが密告したのは明らかだった。
秘密の扉をぶちあけて、ナチスの手先達が銃をかまえて『隠れ家』に入ってきた。そして、その後、私服の男がツカツカ歩いてきて、
「五分でしたくしろ」
と、低い声で命令した。
「あぁ……神さま」
一同は愕然とするしかなかった。ーもう、すべての終りだ…。ー
グリューネ・ポリツアイは、八人のユダヤ人の他、潜伏生活を助けたクレーフルとクレイマンを連行しーミープは逮捕をまぬがれたーさらに『隠れ家』に置かれていた現金などをすべて押収(着服)した。
「なにっ?!原爆は完成しない……研究が大幅におくれているだと?!」
SSの高官は電話を切って、テーブルを強くたたいた。なんてこった、ドイツの存亡がかかっているというのに!
ペーミンデの事務所で、高官の男はふりかえってから、つったっているウォルナー・フォン・ブラウン博士に、「すまない博士、原爆は間に合いそうにない」
と、残念そうに告げた。
「そうですか」
フォン・ブラウンは冷静に答えた。しかし、心の中では安堵の溜め息をついていた。ーよかった。…原爆などをV2号につんで飛ばしたら、それこそ世界中が火の海だ…。
そう考えていた次の瞬間、
V2号ロケットが爆発した。ー事故?いや、違った。連合軍が基地をかぎつけて、大編隊を送りこみ、大空襲を開始したのだ!
次々と〝ドイツ存亡の星〝〝期待のロケット〝が爆発していき、そして炎に包まれていった。…結局、ドイツ最後の秘密兵器V2もまた戦局を大きくかえることはできなかったのである。もはや、ドイツは敗色一色に染まっていた。
「ヒムラー長官、収容所のユダヤ人たちはいかがしましょう?」
廃墟の中を歩いていた軍服のヒムラーに、SS上官が尋ねた。ヒムラーは冷静な顔をくずすことなく、
「全員、殺してしまえ」
と平然と命令していた。
ソヴィエト赤軍のベルリン総攻撃が始まった。
五十六歳の誕生日を、アドルフ・ヒトラーは地下壕の中で迎えた。形式的な祝賀に連なった要人、軍首脳は、ヒトラーにベルリン脱出を勧めたが、ヒトラーは同意しなかった。ヒトラーはベルリンにとどまり、帝国を死守するといったという。そして、二十九日、ヒトラーは愛人のエバァ・ブラウンと地下壕の中で結婚式を挙げ、それからピストルによってふたりは自殺した。ガソリンをかけて焼き尽くす間、ゲッベルスらは右手をあげて敬礼していた。夜、ゲッベルスは妻と子供とともに自殺。遺体は、ヒトラー夫妻ほど念入りに焼却されることなく、その黒こげのまま放置された。誰も、マイケルでさえも、それ以上かかわっている余裕はなかった。
ナチス・ドイツは降伏した。
こうして、アンネたちが連れていかれてから、約九ケ月で戦争が終わった。オットーだけは生き残ったが、他のひとたちは生き残ることができなかった。
ファン・ダーン 1944年秋 アウシュビィッツ収容所のガス室にて死亡
夫人 ペトロネラ 1945年春 テレージュンシュタット収容所にて死亡
長男 ペーター 1945年5月 マウトハウゼン収容所にて死亡
デュッセル 1944年12月 ノイエンガメ収容所にて死亡
オットー・フランク 1945年 アウシュビィッツ収容所から解放 1980年 没
夫人 エーディット 1945年1月6日 アウシュビィッツ収容所にて死亡
長女 マルゴー 1945年2月ころ ベルゼン(ベルゲン)収容所にて死亡
アンネ・フランク 1945年3月 ベルゼン(ベルゲン)収容所にて死亡
ジュノーの努力もむなしく、日本軍によるアジアでの侵略、野蛮行為はやまなかった。日本人はいつも第二次世界戦争というとナチスやヒトラーの虐殺のことばかり考える。
まるで映画『シンドラーのリスト』のような光景だ。
しかし、過去の日本人だって、ナチスの虐殺と同じようなことをしていたのだ。
中国人被害者はいう。
「殺された何百人の人のうち若い女性はひとりだけでした。妊婦でしたが、強姦され、腹を切られて胎児が飛び出したまま死んでいました。すざまじい状態でした。
その占領の当時、強姦され殺された女性もいましたが、強姦されても言わない人もいます。わたしが知るかぎり、親切な日本人はひとりもいませんでした。
過酷な労働を強いて、賃金ひとつ払わない。母は精神に異常をきたして廃人のようになって死にましたが、それは日本軍によって父を殺されたからでした。
私たちは只の田舎の農民でした。しかし、日本軍人がわれわれの家庭をめちゃくちゃにしたのです。
日本人を恨んでないといったら嘘になります。もちろん十一歳のときに感じた恨みと今の恨みは違います。日本人全部が悪かったとは今思ってません。悪かったのはひとにぎりの軍国主義者です」
「日本軍たちは村の家を焼き払った。
父や母もころされた。母は輪姦され、殺されたのです。
私が思うに、ここにきて日本人が事実を無視するとか、認める認めないの問題じゃないんです。日本軍国主義者たちが勝手に他国を侵略して、多くの罪なき民を殺し、家々を焼き、女性をもてあそんだのは厳然たる事実だ。
だから日本人の一部が何を言おうがそんなことは問題じゃない。これは賠償金しかない。謝罪もほしい。毛先生は戦争で国と国とが争って被害を受けるのは国民だ、といってます。 日本政府は賠償金をわれわれに払うべきなんです」
「八・一三(上海陥落)から八・一五にわたって南京は爆撃されたんです」
「南京で殺されたのは圧倒的に市民が多かったです。銃ももたない農民や一般市民が虫ケラのように殺された。われわれのおじいさんもおばあさんも子供も殺された。
被害者がやられたと訴えているのに、やった張本人の日本人がやらなかったと否定するのはどういうことですか! まるで子供じゃないですか!」
参考文献『目覚めぬ羊たち』落合信彦著作(小学館出版)より引用*
南京大虐殺を日本人は認めていない。
まさに子供だ。確かに三十万人という犠牲者の数は多すぎるかも知れない。原爆でも落とさない限りそんなに殺せないだろう。
その盲点をついて、一部の日本人は「南京大虐殺なんてなかった」などと主張する。こうした連中は「侵略」じたいも認めない。
侵略を少しでも認めたら、虐殺も認めざる得ないからだ。
確かに三十万人という犠牲者の数は多すぎるだろう。しかし、考えてほしい。たとえ千人でも百人でも、殺されれば虐殺なのだ。
日本軍人全員が虐殺をしていたかは知らない。
しかし、日本軍人は過ちを犯した………
これだけは忘れないでいてほしい。
確かに、われわれのおじいさんたちが虐殺や強姦や暴力行為、野蛮行為を犯したというのを認めるのは酷なことだ。しかし、だからといって歴史から目をそらしていたのでは日本はいつまでたっても大人の国にならない。
まず謝罪し、賠償し、誠意をみせることだ。
6 ポツダム宣言
核兵器によってアメリカは短期間、軍事的に有利な立場に立つかもしれないが、それはアメリカの威信に対する心理的損失によって相殺されてしまうだろう。
アメリカは、それによって、全世界に及ぶ兵器競争の幕を切って落とすことになるかもしれない。
――アルバート・アインシュタインのローズベルト大統領への勧告(一九四五年四月)
(参考文献引用『エノラ・ゲイ ドキュメント原爆投下』著作ゴードン・トマス+マックス・モーガン=ウィッツ、松田銑日本語訳、TBSブリタニカ出版1980年)
甲板で、榎本中将は激をとばした。
「日本の勝利は君たちがやる! 鬼畜米英なにするものぞ! 神風だ! 神風特攻隊で米英軍の艦隊を駆逐するのだ!」
若い日本兵一同は沈黙する。
……神風! 神風! 神風! ……
榎本陸軍千余名、沖縄でのことである。地上戦戦没者二十万人……
七月七日、トルーマン米国大統領はドイツのポツダムに着いた。
そこで、「ポツダム宣言」を受諾させ、日本などの占領統治を決めるためである。
会議のメンバーは左のとおりである。
アメリカ合衆国 ハリー・S・トルーマン大統領
ソビエト連邦 ヨゼフ・スターリン首相
イギリス ウィンストン・チャーチル首相
中華民国(中国) 蒋介石国民党総裁(対日戦争のため欠席)
なおトルーマンは会議議長を兼ねることになったという。
一同はひとりずつ写真をとった。そして、一同並んで写真をとった。
有名なあの写真である。しかし、トルーマンは弱気だった。
彼は国務省にあのジェームズ・バーンズを指名したばかりだった。
トルーマンは愛妻ベスに手紙を送る。
……親愛なるベスへ。私は死刑台の前まで歩いているような気分だ。
……失敗したりしないか。ヘマをやらかさないか、頭の中は不安でいっぱいだ。
議題は、
一、ソ連対日参戦
二、天皇制維持
三、原爆投下(米国しか知らない秘密事項)
七月十六日、トルーマンの元に電報が届く。
……手術は成功しました。ただ術後経過はわかりません。
ヘンリー・スティムソン
つまり、手術とは原爆の実験のこと。それに成功した。ということはつまり米国最新の兵器開発に成功したことを意味する訳だ。
トルーマンは「ヤルタの密約」を実行するという。
つまり、八月十五日に日本攻撃に参戦するというのだ。
それまでのソ連はドイツ戦で大勢の兵士を失ったとはいえ、軍事力には自信をもち、いずれは米国政府も交渉のテーブルにつくだろうと甘くみていた。よって、ソ連での事業はもっぱら殖産に力をいれていた。
とくにヨーロッパ式農法は有名であるという。林檎、桜桃、葡萄などの果樹津栽培は成功し、鉱山などの開発も成功した。
しかし、「ソヴィエト連邦」は兵力を失ったかわりに米国軍は核を手にいれたのである。力関係は逆転していた。
一九四五年八月昼頃、日本陸軍総裁山本五十六はプロペラ機に乗って飛んでいた。
東南アジアのある場所である。
「この戦争はもうおわりだ」
五十六はいった。「われわれは賊軍ではない。しかし、米国を敵にしたのは間違いだ」 だが、部下の深沢右衛門は「総統、米軍が賊軍、われらは正義の戦しとるでしょう」というばかりだ。
五十六は「今何時かわかりますか?」と、にやりといった。
深沢は懐中時計を取り出して「何時何分である」と得意になった。
すると、五十六は最新式の懐中時計を取りだして、
「……この時計はスイス製品で最新型だ。妻にもらった」といった。
そんな中、米軍は山本五十六の乗る大型のプロペラ機をレーダーと暗号解析でキャッチした。米軍はただちに出撃し、やがて五十六たちは撃墜され、玉砕してしまう。
Bー29爆撃機が東京大空襲を開始したのはこの頃である。黒い編隊がみえると東京中パニックになったという。「急げ! 防空壕に入るんだ!」爆弾のあれ霰…一面火の海になる。その威力はすごく阪神淡路大地震どころの被害ではない。そこら中が廃墟と化して孤児があふれた。火の海は遠くの山からも見えたほどだという。10万人が死んだ。
しかしリアクションの東京大空襲だった。被害者意識ばかりもってもらっても困るのだ。……恐ろしい戦争の影が忍び寄ってきて……勝手になにもしないで忍び寄ってきた訳じゃない。侵略戦争の果ての結果だった。しかし、これで幼い子供たちが親兄弟を失い、女の子は体を売り、男の子は闇市で働くことになる。がめつい農家は傲慢さを発揮し、高価な着物などと米や野菜を交換した。日本人はその日の食事にもことかく有様だった。
(日本軍=悪、侵略・虐殺は自虐史観。確かに悪いこともしただろうが、戦争下のことであり、すべて悪の東京裁判史観だけでは甘い。むろん戦争を美化する気はさらさらない。が、自分で資料に当たって「日本軍=侵略戦争を犯した」というみかたが正しいのか自分の頭で考えて貰いたい。例えば「南京大虐殺で30万人」も、「数が例え百人でも人を殺せば虐殺」とか。死者数が30万人でなければ間違っているということ。当時、南京には20万人以下しか中国人はいないのに、どうやって30万人殺したのか?従軍慰安婦の強制連行は正しいのか?「連行がなくても強制性はある。」とかふざけるな!数十年前の、「日本軍が何もかも悪かった」という嘘はもう通用しない。なら原爆や大空襲の米軍の虐殺行為は悪ではないのか?頭を使って考えて!自虐史観などに騙されないで!)
「……お元気でしたか?」
スティムソンはトルーマンを気遣った。
するとトルーマンは「私はとくになんともない。それより……」
と何かいいかけた。
「…なんでしょうか?」
「あれが完成まで到達したそうじゃ。ジャップたちを倒すために『聖なる兵器』などと称しておるそうで……馬鹿らしいだけだ」
「馬鹿らしい?」H・スティムソンは驚いた。
「日本軍は満州を貸してほしい国連に嘆願しておるという」
「日本軍はドイツのように虐殺を繰り返しているそうです。罰が必要でしょう」
トルーマンは、
「そうだな。どうせ原爆の洗礼を受けるのは黄色いジャップだ」と皮肉をいった。
スティムソンは「確かに……しかし日本の技術力もあなどれません。戦争がおわって経済だけが問われれば、日本は欧米に迫ることは確実です」
「あの黄色が?」
トルーマンは唖然ときいた。
日本軍の満州処理を国連は拒否し、日本軍は正式に〝賊軍〝となった。
同年、米国海軍は、甲鉄艦を先頭に八隻の艦隊で硫黄島に接近していた。
同年、米国軍は軍儀をこらし、日本の主要都市に原爆を落とす計画を練った。アイデアはバーンズが出したともトルーマンがだしたともいわれ、よくわからない。
ターゲットは、新潟、東京、名古屋、大阪、広島、長崎……
京都や奈良は外された。
「さぁ、君達はもう自由だ。日本にいる家族までもどしてあげよう」
連合国総指揮者・マッカーサーたちは捕らえた日本軍人たちを逃がしてやった。
もう八月だが、マッカーサーは原爆投下のことを知らされてない。
捕虜の中に田島圭蔵の姿もその中にあった。
……なんといいひとじゃ。どげんこつしてもこのお方は無事でいてほしいものでごわす。 田島は涙を流した。
米軍たちにとって日本軍人らは憎むべき敵のはずである。しかし、寛大に逃がしてくれるという。なんとも太っ腹なマッカーサーであった。
「硫黄島戦争」の命運をわけたのが、甲鉄艦であった。最強の軍艦で、艦隊が鉄でおおわれており、砲弾を弾きかえしてしまう。
米軍最強の艦船であった。
それらが日本本土にせまっていた。
日本軍部たちは焦りを隠せない。
……いまさらながら惜しい。原爆があれば……
野戦病院ではジュノー博士は忙しく治療を続けていた。
もうすぐ戦は終わる。看護婦は李春蘭という可愛い顔の少女である。
中国人は龍雲という病人をつれてきた。
「ジュノー先生、頼みます!」
中国人はジュノー医師に頭をさげた。
「俺は農民だ! ごほごほ…病院など…」
龍雲はベッドで暴れた。
李春蘭は「病人に将軍も農民もないわ! じっとしてて!」
とかれをとめた。龍雲は喀血した。
ジュノー病室を出てから、
「長くて二~三ケ月だ」と中国人にいった。
中国人は絶句してから、「お願いします」と医者に頭をさげた。
「もちろんだ。病人を看護するのが医者の仕事だ」
「……そうですか…」
中国人は涙を浮かべた。
すぐに大本営の日本軍人たちは軍儀を開いた。
軍部は「なんとしても勝つ! 竹やりででも戦う!」と息巻いた。
すると、三鳥が「しかし、米軍のほうが軍事的に優位であります」と嘆いた。
回天丸艦長の甲賀が「米軍の艦隊の中で注意がいるのが甲鉄艦です! 艦体が鉄でできているそうで大砲も貫通できません」
海軍奉行荒井は「あと一隻あれば……」と嘆いた。
軍人はきっと怖い顔をして、
「そんなことをいってもはじまらん!」と怒鳴った。
昭和天皇は閃いたように「ならもうやることはひとつ」といった。
「……どうなさるのですか?」
一同の目が天皇に集まった。
「あと一年以内に朕は降伏すべきであると思う。沖縄では戦争で民間人が犠牲になった」 天皇は決起した。「あと一年以内に降伏である」
ツィツィンエルホーン宮殿で『ポツダム会議』が開かれていた。
ソ連対米英……
スターリンは強気だった。
どこまでもソ連の利益にこだわる。
トルーマンはスターリンに失望した。
「…神様は七日間で世界をつくったのに……われわれは何週間もここで議論している」
会議は回る。
余興で、ヴァイオリンとピアノの演奏があった。
………スターリンはすべて自分勝手になんでも決めようとする。私はソ連に、いやスターリンに幻滅した。………
トルーマン回顧録より
そんな中、米国アリゾナ州ロスアラモスで原爆実験成功という報が入ってきた。
……壮大で戦慄。まさに空前に結果。爆発から30秒後に辺りが火の海になった。全能の神の手に触れたかのように震えを感じた。………
オッペンハウアー博士回顧録より
トルーマンは自信を取り戻した。
この最新兵器があれば、ジャップたちを終戦に導かせられる。
原爆の人体実験までできるではないか……
……ソ連抜きで日本に勝てる!
〝手術は八月十五日以降なら、八月十日なら確実でしょう〝
トルーマンはスターリンに、
「われわれはとてつもない兵器を手にいれました」といった。
その当時、情報をつかんでなかったスターリンはきょとんとする。
しかし、チャーチルは情報を握っていた。
チャーチルは「なにが卑怯なもんか! 兵器使用は国際法で認められた立派な戦法だ。卑怯といえばジャップじゃないか。天皇を担いで、正義の戦争などと抜かして…」
「それはそうですが……」
チャーチルは無用な議論はしない主義である。
「原爆使用はいかがでしょう」
チャーチルは提案した。「原爆を脅しとして使って、実際には使わずジャップの降伏を待つのです」
トルーマンは躊躇して、
「確かに……犠牲は少ないほうがいい」
といった。声がうわずった。
「どちらにしても戦には犠牲はつきものです」
「原爆を落とすのはジャップだよ。黄色いのだ」
「そういう人種偏見はいけませんな」
「しかし……原爆を使わなければ米兵の血が無用に流れる」
チャーチルは沈黙した。
「とにかく……実際には使わずジャップの降伏を待つのです」
やっと、チャーチルは声を出した。
「……首相………」
トルーマンは感激している様子だった。
さっそくゼロ戦に戦闘員たちが乗り込んでいった。
みな、かなり若い。
鈴木歳三も乗り込んだ。
しかし、鈴木とてまだ三十五歳でしかない。
海軍士官・大塚浪次郎も乗り込む。「神風だ! 鬼畜を倒せ!」
「おう! 浪次郎、しっかりいこうや!」
大塚雀之丞は白い歯を見せた。
英語方訳の山内六三郎も乗り込む。
「神風だ!」
若さゆえか、決起だけは盛んだ。
しかし、同じ英語方訳の林董三郎だけは乗せてもらえなかった。
「私も戦に参加させてください!」
董三郎は、隊長の甲賀源吾に嘆願する。
が、甲賀は「総裁がおぬしは乗せるなというていた」と断った。
「なぜですか?! これは義の戦でしょう? 私も義を果たしとうござりまする!」
林董三郎はやりきれない思いだった。
高松がそんなかれをとめた。
「総裁は君を大事に思っているのだ。英語方訳が日本からいなくなっては困るのだ」
「…しかし……」
「君も男ならききわけなさい!」
董三郎を高松は説得した。
こうして、神風特攻隊は出陣した。
「日本軍がせめて……きたのでしょう?!」
病院のベッドで、龍雲は暴れだした。看護婦の李春蘭は、
「……龍雲さん、おとなしくしてて!」ととめた。
龍雲は日本軍と戦う、といってきかない。そして、また喀血した。
「龍雲のことを頼みます、ジュノーさん」
病院に蒋介石総裁がきた。
「あなたがジュノー博士か?」
蒋は不躾な言葉で、ジュノーに声をかけた。
「ジュノーさん」
「はい」
「……元気で。お体を大切になさってください。戦は必ずこちらが勝ちます」
「しかし……」
「心配はいりません。わが軍の姿勢はあくまで共順……中華民国は共和国です。連合軍とも仲良くやっていけます」
蒋介石自身にも、自分の言葉は薄っぺらにきこえた。
「誰か! 誰かきて!」
李春蘭が声をあげた。「龍雲さんが……!」
「……す、すいません!」
ジュノーは病室にむけ駆け出した。
7 生還
スイス人医師、マルセル・ジュノー博士は海路中国に入った。
国際赤十字委員会(ICRC)の要請によるものだった。
当時の中国は日本の侵略地であり、七〇万人もの日本軍人が大陸にいたという。中国国民党と共産党が合体して対日本軍戦争を繰り広げていた。
当時の日本の状況を見れば、原爆など落とさなくても日本は敗れていたことがわかる。日本の都市部はBー29爆撃機による空襲で焼け野原となり、国民も戦争に嫌気がさしていた。しかも、エネルギー不足、鉄不足で、食料難でもあり、みんな空腹だった。
米国軍の圧倒的物量におされて、軍艦も飛行機も撃沈され、やぶれかぶれで「神風特攻隊」などと称して、日本軍部は若者たちに米国艦隊へ自爆突撃させる有様であった。
大陸の七〇万人もの日本軍人も補給さえ受けられず、そのため食料などを現地で強奪し、虐殺、強姦、暴力、侵略……16歳くらいの少年まで神風特攻隊などと称して自爆テロさす。 ひどい状態だった。
武器、弾薬も底をついてきた。
もちろん一部の狂信的軍人は〝竹やり〝ででも戦っただろうが、それは象に戦いを挑む蟻に等しい。日本はもう負けていたのだ。
なのになぜ、米国が原爆を日本に二発も落としたのか?
……米国軍人の命を戦争から守るために。
……戦争を早くおわらせるために。
といった米国人の本心ではない。つまるところ原爆の「人体実験」がしたかったのだ。ならなぜドイツには原爆をおとさなかったのか? それはドイツ人が白人だからである。 なんだかんだといっても有色人種など、どうなろうともかまわない。アメリカさえよければそれでいいのだ。それがワシントンのポリシー・メーカーが本音の部分で考えていることなのだ。
だが、日本も日本だ。
敗戦濃厚なのに「白旗」も上げず、本土決戦、一億日本民族総玉砕、などと泥沼にひきずりこもうとする。当時の天皇も天皇だ。
もう負けは見えていたのだから、
……朕は日本国の敗戦を認め、白旗をあげ、連合国に降伏する。
とでもいえば、せめて原爆の洗礼は避けられた。
しかし、現人神に奉りあげられていた当時の天皇(昭和天皇)は人間的なことをいうことは禁じられていた。結局のところ天皇など「帽子飾り」に過ぎないのだが、また天皇はあらゆる時代に利用されるだけ利用された。
信長は天皇を安土城に連れてきて、天下を意のままに操ろうとした。戊辰戦争、つまり明治維新のときは薩摩長州藩が天皇を担ぎ、錦の御旗をかかげて官軍として幕府をやぶった。そして、太平洋戦争でも軍部は天皇をトップとして担ぎ(何の決定権もなかったが)、大東亜戦争などと称して中国や朝鮮、東南アジアを侵略し、暴挙を繰り広げた。
日本人にとっては驚きのことであろうが、かの昭和天皇(裕仁)は外国ではムッソリーニ(イタリア独裁者)、ヒトラー(ナチス・ドイツ独裁者)と並ぶ悪人なのだ。
只、天皇も不幸で、軍部によるパペット(操り人形)にしか過ぎなかった。
それなのに「極悪人」とされるのは、本人にとっては遺憾であろう。
その頃、日本人は馬鹿げた「大本営放送」をきいて、提灯行列をくりひろげていただけだ。まぁ、妻や女性子供たちは「はやく戦争が終わればいい」と思ったらしいが口に出せば暴行されるので黙っていたらしい。また、日本人の子供は学童疎開で、田舎に暮らしていたが、そこにも軍部のマインド・コントロールが続けられていた。食料難で食べるものもほとんどなかったため、当時の子供たちはみなガリガリに痩せていたという。
そこに軍部のマインド・コントロールである。
小学校(当時、国民学校といった)でも、退役軍人らが教弁をとり、長々と朝礼で訓辞したが、内容は、
……わが大和民族は世界一の尚武の民であり、わが軍人は忠勇無双である。
……よって、帝国陸海軍は無敵不敗であり、わが一個師団はよく米英の三個師団に対抗し得る。
といった調子のものであったという。
日本軍の一個師団はよく米英の三個師団に対抗できるという話は何を根拠にしているのかわからないが、当時の日本人は勝利を信じていた。
第一次大戦も、日清戦争も日露戦争も勝った。
日本は負け知らずの国、日本人は尚武の民である。
そういう幼稚な精神で戦争をしていた。
しかし、現実は違った。
日本人は尚武の民ではなかった。アメリカの物量に完敗し、米英より戦力が優っていた戦局でも、日本軍は何度もやぶれた。
そして、ヒステリーが重なって、虐殺、強姦行為である。
あげくの果てに、七十年後には「侵略なんてなかった」「慰安婦なんていなかった」「731部隊なんてなかった」「南京虐殺なんてなかった」
などと妄言を吐く。
信じられない幼稚なメンタリティーだ。
このような幼稚な精神性を抱いているから、日本人はいつまでたっても世界に通用しないのだ。それが今の日本の現実なのである。
一九四五年六月………
マルセル・ジュノーは野戦病院で大勢の怪我人の治療にあたっていた。
怪我人は中国人が多かったが、中には日本人もいた。
あたりは戦争で銃弾が飛び交っており、危険な場所だった。
やぶれかぶれの日本軍人は、野蛮な行為を繰り返す。
ある日、日本軍が民間の中国人を銃殺しようとした。
「やめるんだ!」
ジュノーは、彼らの銃口の前に立ち塞がり、止めたという。
日本軍人たちは呆気にとられ、「なんだこの外人は?」といった。
……とにかく、罪のないひとが何の意味もなく殺されるのだけは願い下げだ!
マルセル・ジュノー博士の戦いは続いた。
戦がひとやすみしたところで、激しい雨が降ってきた。
日本軍の不幸はつづく。
暴風雨で、艦隊が坐礁し、米英軍に奪われたのだ。
「どういうことだ?!」
山森は焦りを感じながら叱った。
回天丸艦長・森本は、
「……もうし訳ござりません!」と頭をさげた。
「おぬしのしたことは大罪だ!」
山森は激しい怒りを感じていた。大和を失っただけでなく、回天丸、武蔵まで失うとは………なんたることだ!
「どういうことなんだ?! 森本!」とせめた。
森本は下を向き、
「坐礁してもう駄目だと思って……全員避難を……」と呟くようにいった。
「馬鹿野郎!」山森の部下は森本を殴った。
「坐礁したって、波がたってくれば浮かんだかも知れないじゃないか! 現に米軍が艦隊を奪取しているではないか! 馬鹿たれ!」
森本は起き上がり、ヤケになった。
「……負けたんですよ」
「何っ?!」
森本は狂ったように「負けです。……神風です! 神風! 神風! 神風!」と踊った。 岸信介も山森も呆気にとられた。
山森は茫然ともなり、眉間に皺をよせて考えこんだ。
いろいろ考えたが、あまり明るい未来は見えてはこなかった。
大本営で、夜を迎えた。
米軍の攻撃は中断している。
日本軍人たちは辞世の句を書いていた。
……もう負けたのだ。日本軍部のあいだには敗北の雰囲気が満ちていた。
「鈴木くん出来たかね?」
「できました」
「どれ?」
中国の野戦病院の分院を日本軍が襲撃した。
「やめて~っ!」
看護婦や医者がとめたが、日本軍たちは怪我人らを虐殺した。この〝分院での虐殺〝は日本軍の汚点となる。
ジュノーの野戦病院にも日本軍は襲撃してきた。
マルセル・ジュノーは汚れた白衣のまま、日本軍に嘆願した。
「武士の情けです! みんな病人です! 助けてください!」
日本の山下は「まさか……おんしはあの有名なジュノー先生でこごわすか?」と問うた。「そうだ! 医者に敵も味方もない。ここには日本人の病人もいる」
関東軍隊長・山下喜次郎は、
「……その通りです」と感心した。
そして、紙と筆をもて! と部下に命じた。
………日本人病院
紙に黒々と書く。
「これを玄関に張れば……日本軍も襲撃してこん」
山下喜次郎は笑顔をみせた。
「………かたじけない」
マルセル・ジュノーは頭をさげた。
昭和二十年(一九四五)六月十九日、関東軍陣に着弾……
山下喜次郎らが爆撃の被害を受けた。
ジュノーは白衣のまま、駆けつけてきた。
「………俺はもうだめだ」
山下は血だらけ床に横たわっている。
「それは医者が決めるんだ!」
「……医療の夢捨…てんな…よ」
山下は死んだ。
野戦病院で、マルセル・ジュノー博士と日本軍の黒田は会談していた。
「もはや勝負はつき申した。蒋介石総統は共順とばいうとるがでごわそ?」
「……そうです」
「ならば」
黒田は続けた。「是非、蒋介石総統におとりつぎを…」
「わかりました」
「あれだけの人物を殺したらいかんど!」
ジュノーは頷いた。
六月十五日、北京で蒋介石総統と日本軍の黒田は会談をもった。
「共順など……いまさら」
蒋介石は愚痴った。
「涙をのんで共順を」黒田はせまる。「……大陸を枕に討ち死にしたいと俺はおもっている。総統、脅威は日本軍ではなく共産党の毛沢東でしょう?」
蒋介石はにえきらない。危機感をもった黒田は土下座して嘆願した。
「どうぞ! 涙をのんで共順を!」
蒋介石は動揺した。
それから蒋介石は黒田に「少年兵たちを逃がしてほしい」と頼んだ。
「わかりもうした」
黒田は起き上がり、頭を下げた。
そして彼は、分厚い本を渡した。
「……これはなんです?」
「海陸全書の写しです。俺のところに置いていたら灰になる」
黒田は笑顔を無理につくった。
蒋介石は黒田参謀から手渡された本を読み、
「みごとじゃ! 殺すには惜しい!」と感嘆の声をあげた。
少年兵や怪我人を逃がし見送る黒田……
黒田はそれまで攻撃を中止してくれた総統に頭を下げ、礼した。
そして、戦争がまた開始される。
旅順も陥落。
残るはハルビンと上海だけになった。
上海に籠城する日本軍たちに中国軍からさしいれがあった。
明日の早朝まで攻撃を中止するという。
もう夜だった。
「さしいれ?」星はきいた。
まぐろ
「鮪と酒だそうです」人足はいった。
荷車で上海の拠点内に運ばれる。
「……酒に毒でもはいってるんじゃねぇか?」星はいう。
「なら俺が毒味してやろう」
沢は酒樽の蓋を割って、ひしゃくで酒を呑んだ。
一同は見守る。
沢は「これは毒じゃ。誰も呑むな。毒じゃ毒!」と笑顔でまた酒を呑んだ。
一同から笑いがこぼれた。
大陸関東日本陸軍たちの最後の宴がはじまった。
黒田参謀は少年兵を脱出させるとき、こういった。
「皆はまだ若い。本当の戦いはこれからはじまるのだ。大陸の戦いが何であったのか……それを後世に伝えてくれ」
少年兵たちは涙で目を真っ赤にして崩れ落ちたという。
日本軍たちは中国で、朝鮮で、東南アジアで暴挙を繰り返した。
蘇州陥落のときも、日本軍兵士たちは妊婦と若い娘を輪姦した。そのときその女性たちは死ななかったという。それがまた不幸をよぶ。その女性たちはトラウマをせおって精神疾患におちいった。このようなケースは数えきれないという。
しかし、全部が公表されている訳ではない。なぜかというと言いたくないからだという。中国人の道徳からいって、輪姦されるというのは恥ずかしいことである。だから、輪姦さ はずか
れて辱しめを受けても絶対に言わない。
かりに声をあげても、日本政府は賠償もしない。現在でも「慰安婦などいなかったのだ」などという馬鹿が、マンガで無知な日本の若者を洗脳している。
ジュノー博士は衝撃的な場面にもでくわした。
光景は悲惨のひとことに尽きた。
死体だらけだったからだ。
しかも、それらは中国軍人ではなく民間人であった。
血だらけで脳みそがでてたり、腸がはみ出したりというのが大部分だった。
「……なんとひどいことを…」
ジュノーは衝撃で、全身の血管の中を感情が、怒りの感情が走りぬけた。敵であれば民間人でも殺すのか……? 日本軍もナチスもとんでもない連中だ!
日本軍人は中国人らを射殺していく。
虐殺、殺戮、強姦、暴力…………
日本軍人は狂ったように殺戮をやめない。
そして、それらの行為を反省もしない。
只、老人となった彼等は、自分たちの暴行も認めず秘密にしている。そして、ある馬鹿のマンガ家が、
…日本軍人は侵略も虐殺も強姦もしなかった……
などと勘だけで主張すると「生きててよかった」などと言い張る。
確かに、悪いことをしたとしても「おじいさんらは間違ってなかった」といわれればそれは喜ぶだろう。たとえそれが『マンガ』だったとしても……
だが、そんなメンタリティーでは駄目なのだ。
鎖国してもいいならそれでもいいだろうが、日本のような貿易立国は常に世界とフルコミットメントしなければならない。
日中国交樹立の際、確かに中国の周恩来首相(当時)は「過去のことは水に流しましょう」といった。しかし、それは国家間でのことであり、個人のことではない。
間違った閉鎖的な思考では、世界とフルコミットメントできない。
それを現在の日本人は知るべきなのだ。
民間の中国人たちの死体が山のように積まれ、ガソリンがかけられ燃やされた。紅蓮の炎と異臭が辺りをつつむ。ジュノー博士はそれを見て涙を流した。
日本兵のひとりがハンカチで鼻を覆いながら、拳銃を死体に何発か発砲した。
「支那人め! 死ね!」
ジュノーは日本語があまりわからず、何をいっているのかわからなかった。
しかし、相手は老若男女の惨殺死体である。
「……なんということを…」
ジュノーは号泣し、崩れるのだった。
自然のなりゆきだろうか、ジョンとジェニファーは恋におちた。ハワイでのことである。マイケルを失ったジェニファー、オードリーを失ったジョン……
愛の行為は、ジョンにもジェニファーにもいまだかってないほどすばらしかった。ジョンの疲れがひどく丁寧に優しく、おだやかにするしかなかったからか、それはわからない。 裸のままシーツにぐったりと横たわり、唇をまた重ねた。
「ふたりとも恋人をなくした」
ジョンがいうと、ジェニファーは「そうね。でも、もうひとりじゃないわ」といった。 しかし、奇跡がおこる。マイケルが生還したのだ。死んではいなかったのだ!
「ぼくの恋人をとりやがった!」マイケルとジョンは喧嘩になった。ジョンは謝った。
しかし、ジェニファーはマイケルとよりをもどすことはなかった。
「なぜ? ……もう一度やりなおそう!」
「駄目。わたし妊娠してるの……ジョンの子よ」彼女の言葉に、マイケルは衝撃を受けた。
8 原爆投下
もし彼らが我々の条件をいま受け入れなければ、かつて地球上で目撃されたことのない、空からの破壊の雨を覚悟するがよかろう。
――トルーマン大統領の広島原爆攻撃の公式発表(一九四五年八月六日)
大変なことをなしとげたのだ。わたしはこれには関係したくない。わたしはこの世を去ろうとしている。原爆は人類を滅ぼすであろう。
そうしたら、人類はまた初めからやりなおさなくてはなるまい。
――ニュルンベルグ裁判中のゲーリング元帥の陳実(一九四五年八月七日)
うちの畑に切株が何本もあるので爆破したいんですが、適当な大きさの原爆がありましたら、折り返しお知らせ下さい。
――アリゾナ州ニューボードの農民からワシントンの原爆部隊(こういう名の部隊は存在しなかった)への手紙(一九四五年八月二一日)
(参考文献引用『エノラ・ゲイ ドキュメント原爆投下』著作ゴードン・トマス+マックス・モーガン=ウィッツ、松田銑日本語訳、TBSブリタニカ出版1980年)
東京湾にも米国艦隊が迫っていた。
沖縄の米軍も本土上陸の機会を狙っている。
ハワイ沖の空軍らは軍儀を開いていた。
「あの男はどこにいった?!」
マイケルはいった。あの男とは、同じく米国太平洋艦隊空軍のクロード・エザリーである。
……あの男が! 会議にも出ないで昼寝でもしてるのか?!
ハワイ沖はほとんど米軍の支配化である。
「原爆か……」
広島に原爆を落とすことになる爆撃機・エノラ・ゲイの機長、ポール・ティベッツは興奮した。これからこの原爆を……ジャップめ!
ジョンは「まだわかりません」という。
「大統領が原爆投下の動きをみせているのは本当なんですか?」
「まずは…」爆撃機・エノラ・ゲイの機長、ポール・ティベッツは続けた。「まずは出撃の準備をしろということだ」
昼寝から起きたのか、クロード・エザリー軍曹がやってきて、
「ジャップに原爆をとられたらどうする?」といった。
ポール・ティベッツは激昴して、
「このガキが! なにぬかしとる!」と喝破した。
しかしエザリーも負けてはいない。
「この原爆(ドラム管ほどけっこう大きい)はリトルボーイといい、ウラニウム弾である」「それぐらい俺も知っとる!」
エノラ・ゲイの機長、ポール・ティベッツは声を荒げた。
……〝トゥ・ヒロヒト(裕仁に贈る)……
エザリーやマイケルたちは原爆ミサイルにチョークで落書きした。
「これでジャップたちは降伏する。原爆落とされ、あたりはまっ黄色だ!」
そういったのはエザリーだった。
「「護身用」に拳銃を携帯しておけ。撃墜されて日本軍に囲まれたときの「自殺用」の青酸カリカプセルだ。このミッション(任務)はそれだけ機密性の高いものだ。とにかく原爆投下だぞ!」
七月二十四日、広島などへの原爆投下にむけて、リトル・ホワイトハウスでバーンズは『宣言』をつくる。
トルーマンは思う。
……米英だけで決めてよいものか。中国にも打電しよう。
トルーマンは重慶の蒋介石に「二十四時間以内に返事するように」と打電した。
その間も、スティムソンは「天皇制の維持を…」とバーンズ国務長官にうったえていた。 七月二十四日、記念写真。チャーチル、トルーマン、スターリン……
トルーマンは原爆投下の命令書を出す。
ターゲットは、広島、小倉、新潟、長崎に変更された。
……原爆は日本に対してつかわれるだろう。爆弾は子や女子ではなく軍事拠点に。ジャップは降伏しないだろうが、シグナルにはなる……
トルーマン回顧録より
蒋介石は日本への原爆投下を受諾した。
こうして、『ポツダム宣言』は発表された。しかし、サインはすべてトルーマンの代筆であったという。降伏せねば全滅する。
しかし、日本はそれを黙殺していまう。
「よし! 黄色いジャップに原爆の洗礼だ!」
マイケルは無邪気だった。
それは当然で、誰も原爆の破壊力など知らないからだった。
「これで戦争も終わる!」ジョンもいった。
雲がたちこめている。
結局、エノラ・ゲイは日本上陸を飛んだが新潟は見えず…しかし、広島だけは雲の隙間があった。
マイケルたちはまだ若く、軍略も謀略もできない青二才だった。
ジョンは双眼鏡で広島をみながらにやにやと、
「広島上空異常なし!」と仲間にいった。
「……原爆ってどれくらい死ぬんだ?」とマイケル。
「知らない。しかし、相手は黄色だぜ。知ったことか」
「国際法でも認められている立派な策さ」
広島放送局では、アナウンサーが空襲警報のサイレンを鳴らすボタンを押し、息を切らしながらマイクに向かって放送し始めた。
「午前八時一三分、中国軍管区発令……」
ジェプソンの秒読みはつづく。四〇、四一、四二………。
アナウンサーは読み進んだ。「敵大型機三機……」
その瞬間に――ジェプソンの秒読みは四三に達した。
爆弾の点火装置が地上一八九〇フィートの高度で作動した。
(参考文献引用『エノラ・ゲイ ドキュメント原爆投下』著作ゴードン・トマス+マックス・モーガン=ウィッツ、松田銑日本語訳、TBSブリタニカ出版1980年)
1945年に広島に原爆を投下した米軍29爆撃機「エノラ・ゲイ」の搭乗員に対するインタビューを収めた録音テープが見つかり、広島市の原爆資料館に寄贈された。いずれも故人で機長のポール・ティベッツ氏、投下ボタンを押した爆撃手のトーマス・フィアビー氏らの5人の音声が収められ、長崎に原爆を投下した爆撃機「ボックスカー」にも搭乗したヤコブ・ビーザー氏が記した回顧録もあった。
投下に至る経緯などを詳細に尋ねている。聞き手が「搭乗員がなぜ拳銃を携帯しているのか」と問うと、ティベッツ氏は「護身用」と説明したうえで、「青酸カプセルも持っていた」と証言。墜落して日本軍に捕らわれた際の自殺用で、原爆投下が極めて機密性の高い任務だったということを示した。爆発のことをティベッツ氏は「光に包まれた時、鉛のような味がした。きっと放射線(の影響)だろう。とてもほっとした。(原爆が)さく裂したと分かったから」と振り返っている。
エノラ・ゲイは投下直後に右に急旋回して退避したが、機体まで衝撃波が届いた。「ブリキの中にいて、外から誰かにたたかれているような音が響いた」と表現。窓越しに、きのこ雲が飛行機の高さまで立ち上るのを目撃したという。
(「毎日新聞記事2018年8月4日朝刊引用*寺岡俊、大久保昴」)
B29『エノラ・ゲイ』テニアン島(サイパン島の南)から出撃。第20師団ルメイ司令長官。
ポール・ティベッツ(元・大佐)「広島・長崎・小倉・新潟には爆撃せず。原爆での爆弾の破壊を確認するため」
レイン・ギャラガー(元・軍曹)「ターゲットの広島市の相生橋に投下と命令された」
8月6日、午前二時四十分、テニアン島からエノラ・ゲイ出撃。そして八時十五分広島。きのこ雲の下には35万人の市民。
8月6日、エノラ・ゲイ、テニアン島へ戻る。ティベッツは殊勲十字章を授与された。
「あらゆる意味で成功」
トルーマンが、テレビではなくラジオで、原爆投下を発表した。
広島での原爆でも日本は降伏しない。「なら二発目だ」、と。グローブス将軍。
8月9日、B29『ボックスカー』。午前十一時二分、長崎へ原爆投下。
マスコミの記者も同乗していた。「パールハーバーやバターン死の行進を思えば、原爆投下は悪魔の所業じゃない」。と、原爆を正当化した。
8月9日、ソビエト参戦。8月10日、御前会議。昭和天皇の御聖断。8月15日敗戦。
だが、三発目の原爆の予定があった。ターゲットは東京の皇居だったという。
ファレル准将「なんという悲惨さだろう。あらゆる者が死の一撃を受けたのだ」
チャールズ軍曹「被爆者の撮影をするうちに、日本への憎しみが消え、憎しみから同情へ変わった」
そして、一九四五年八月六日午前八時十五分、広島に原爆が投下された。
「目がつぶれるから直視するな!」ティベッツ機長は叫んだ。
双眼鏡で覗いて見ると、きのこ雲があがっている。
「………やった!…」
「うひょ~っ!」
エノラ・ゲイ機内に歓声があがった。
仲間は「これてジャップも降伏だ……」という。
しかし、予想は外れる。
日本は、黙ったままだ。
……〝原爆の洗礼〝だ!
「原爆! 原爆! 投下せよ!」
トルーマンたちは動揺を隠せない。
一九四五年八月九日長崎上空に、爆撃機ボックス・カーが接近した。そこにはマイケルたちは乗ってなかった。同時に爆撃機はプルトニウム爆弾を投下する。午前十一時二分。「くたばれ!」
トルーマンの号令で、爆撃機にのっていた米軍兵士たちが原爆を二発もおとした。
この原爆で二十万人もの民間人が犠牲になったという。
「斬り込め! 斬り込め!」
日本軍は中国で次々と中国兵士を斬り殺していく。
が、もはや時代は剣ではなく銃である。
すぐに中国軍は回転式機関銃を撃ってくると、日本兵たちはやられていった。
いわゆる初期のガドリング砲は、大砲ほどの大きさがあった。
ガドリング砲の銃口が火を吹くたびに、日本軍兵士たちは撃たれて倒れていく。
「くそったれめ!」
谷中はガドリング砲を撃つ中国軍たちの背後から斬り込んだ。そして、ガドリング砲を使って中国軍たちを撃っていく。が、戦にはならない。次々と米国艦隊がやってきて砲撃してくる。谷中少将はひととおりガドリング砲を撃ったところで、日本軍車に飛び乗った。 ……中国への進出(侵略)は失敗したのだ。
日本軍は全速力で遁走した。
日本は原爆を二発もうけて、大ダメージを受けた。アジア侵略が失敗したのはいたかった。が、それよりも貴重な兵士たちを失ったのもまたいたかった。
東条は、
「こんなことなら戦争などしなければよかった」
と悔がった。
鈴木貫太郎は「なにをいまさらいっていやがるんだこの男は!」と怒りを覚えた。
とにかく原爆で損失を受け、大打撃であった。
雀之丞の弟・大塚浪次郎が戦死した。
「浪次郎!」
兄の大塚雀之丞は号泣し、遺体にすがった。
榎本中将がきた。
「君の弟は優秀な人材であった。惜しいことだ」
とってつけたように、榎本はいって労った。
涙で顔を濡らしながら、雀之丞は、
「弟の死は犬死にですか?! 中将!」と声を荒げた。
榎本は戸惑ってから、
「戦は殺しあいだ。連合軍があくまでもわれら日本帝国を認めないなら、戦うしかない。これは〝義〝の戦ぞ!」
「……しかし…日本が血に染まりまする!」
「〝義〝の戦では勝つのはわれらだ。米英には〝義〝がない。勝つのはわれらだ!」
榎本はどこまでも強気だった。
「……そうですか……」
雀之丞は涙を両手でふいて、いった。
「義の戦ですね? 弟の死は犬死にではなかったのですね」
「そうだ! 大塚雀之丞……励め!」
「はっ!」
大塚雀之丞は平伏した。
若く可愛い看護婦と、日本脱走軍の兵士の若者・英次郎は李春蘭とデートした。
「君、今好きなひととかいるの?」
英次郎は勇気をふりしぼってきいた。
是非とも答えがききたかった。
李春蘭は頬を赤らめ、
「えぇ」
といった。
純朴な少年の感傷と笑うかも知れないが、英次郎は李春蘭が自分のことを好きになっていると思った。
「それは誰?」
「…ある人です」李春蘭は顔を真っ赤にした。
そして「あのひとはもう治らないとやけになってるんです」と吐露した。
「………治らない? なんだ……俺のことじゃないのか」
「すいません」
「いや!」英次郎は逆に恐縮した。「いいんだよ! そのひと病気治るといいね」
「……はい」
李春蘭は可憐に去った。
「ふられたか? 英次郎」
兄・恒次郎はからかった。弟は「そんなんじゃねぇや!」といった。
ふたりは相撲を取り始めた。
兄が勝った。
「元気だせ。もっと可愛い娘がいっぱいいるって」
「だから! ……そんなんじゃねぇって」
ふたりは笑った。
まだ恋に恋する年頃である。
ガダルカナルの戦地では、若者たちが英雄をかこんでいた。
英雄とは、米国兵士を何百人と殺した男・今井信助である。
「今井さんは鬼畜米英を斬ったそうですね?!」
「…まぁな」
「斬ったときどんな気持ちでしたか?!」
若者たちは興奮して笑みを浮かべながらきいた。
「うれしかったよ。なんせ鬼畜だからな」
「鬼畜はどういってましたか? 死ぬとき…」
若者は興奮で顔をむけてくる。
「なんもいわなかったよ。でも連中は頭を斬られて死んだんだな」
「へぇ~っ」
若者たちが笑顔で頷いた。
かれらにとっては米兵は明らかな〝敵〝である。
木之内と伊庭八郎は、敗退を続ける隊員を尻目に、銃弾が飛び交う中を進軍した。森の中で、ふたりは「これは義の戦だ!」といいあった。
伊庭八郎は、「木之内! 日本にすごい武器がおとされたって知ってるか?」ときいた。 しかし、木之内は「知ってる。しかし、おれは最後まで戦う! お国のためだ」
「そうか」伊庭八郎はにやりとして、「まだサムライがいるんだな」
といった。
「その拳銃の弾はあと何発残ってる?」
「いっぱつ…」
「そうか」
そんな中砲撃があり、爆発が近くで起こった。木之内は額から出血した。
しかし、伊庭八郎は直撃を受けて血だらけで倒れていた。
「伊庭さん?! だいじょうぶですか?」
「………木之内…」
伊庭八郎は脇差しをもって切腹した。「かいしゃくを!」
木之内は動揺したが、「分かりました」といい銃口を伊庭八郎のこめかみに当てて引き金をひいた。
砲弾が飛び交う。
「やあああ~っ!」
木之内は進軍する米国軍に剣を抜いて叫んだ。
しかし、米軍はかれを射殺して進軍していった。
米軍絶対的優位で、ある。
長崎にも原爆投下され、日本大本栄は動揺した。すぐに閣僚会議が開かれた。軍部はポツダム宣言など受け入れれば国体が壊れる…と反発した。大和魂が死ぬ…とまでいう。 鈴木貫太郎首相は穏健派で知られた。御前会議にもっていく。そこで裕仁の聖断を受ける。昭和天皇は「本土決戦では日本国そのものが滅亡する。忍び堅きを忍び…世界のひとたちを不幸にするのは避け、この地の日本人たちがひとりでも多く生き残って繁栄の道を進んでほしい。武装解除で、朕は別によいが指導者たちが戦犯として裁かれるのは辛いが日本国が滅ぶよりいい」という。8月10日、日本は条件付き降伏をする。しかし陸軍がいきりたっていた。しきりにクーデターで軍による政権をつくり世界と戦うなどと馬鹿げたことをくりかえす。そんなだから空襲はますます激しくなる。日本中火の海だ。
8月12日、外務省は降伏状を訳していた。…〝サブジェクト トウ〝…『従属する』…陸軍や海軍ら軍部は「これでは天皇制が維持されず奴隷と同じである! 陛下のためにならない!」という。そこで鈴木首相は最後の懸けにでる。もう一度の天皇の聖断である。 御前会議が開かれる。天皇の前ではクーデターも文句もない。昭和天皇はいう。
「戦争はこれ以上は無理だと思う。ポツダム宣言を朕は受諾する。もう終戦である」という。こうしてすべて決まった。愚鈍だった天皇が、最後は役にたった訳である。
そして、一九四五年八月十五日敗戦……
〝耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び…〝
昭和天皇(裕仁)の声がラジオから流れてくる。日本軍敗戦、ポツダム宣言を受諾したのだ。やっと、泥沼のような戦争は終わった。
日本国中、焼け野原だった。
しかも、戦後は食料難がおそい餓死者まででた。
日本を占領するためにきたのがマッカーサー元帥だった。パイプをくわえながらプロペラ機のタラップをおりてくる。「アイル・ビー・バック」……の宣言通り彼は日本に戻ってきた。連合国総指令部(GHQ)は、さっそく日本を統治しはじめた。
憲法(いわゆる平和憲法)をわずか二週間でつくりあげる。
マルセル・ジュノー博士は荒廃した中国の町で、「広島と長崎に原爆が落とされ、一瞬にして何万人ものひとが犠牲になった」というニュースをラジオできいた。
ジュノーは思う。「広島へいかなければ…」
『戦争は悪で人殺しだ』……多くのひとたちはそう思っている。確かに、戦争は悪でありひと殺しである。ただし、その悪によってもっと強大な悪を叩き潰すこともできるのだ。 例えば、太平洋戦争で連合軍が帝国日本やナチス・ドイツを叩き潰さなければ今頃、ヨーロッパやアジア諸国はどうなっていただろう? 確かに広島長崎の原爆、東京大空襲、沖縄戦、シベリア抑留、学徒出陣、神風…それらは悲惨なことだ。しかし、じゃあナチスや帝国日本はあの戦争で何をやったのか? ヒトラーや帝国日本はなにをしたのか?
だからこの『エノラ・ゲイ 原爆投下』を読ませて、改革を念じるしかない。
信じるしかない。…。過ちをわすれたとき、同じ過ちを繰り返す。
9 エノラ・ゲイの意味
話を少し戻す。
日本が太平洋戦争に踏み切ったこと自体、考えれば、国家戦略などなかったことを物語っている。ちゃんとした戦略があったなら、あの時点で、アメリカと戦うなど考えられなかったからだ。
当時の日本はアメリカと比較すると生産力は十分の一でしかなく、領土は二十四分の一、人口は半分、島国のうえ原料はほとんど輸入に頼っており、補給路を絶たれたらそれでおわりである。
これではちゃんとした戦略などたてられる訳がない。
少なくても生産力がアメリカの二分の一、原料、とくに石油の自給率が七十パーセントくらいならまだ勝てるチャンスがあったかも知れない。
「この絶対的不利である日本国をすくうために開戦するのだ!」
軍部の老人はいきまいた。
「ABCDラインからの自衛の戦争である!」
老人たちはいう。
確かに、彼等のごく狭い視野からみればそうであったかも知れない。
ちなみに『ABCDライン』とは、米国・英国・中国・オランダによる対日包囲網のことである。
ABCDラインで外交的にシャットアウトをくらい、日本はいきづまっていた。
原料確保のためにはなんとか行動をおこさなければならない。
そこで南方進出を決定する。
ブルネイやインドネシアには石油がある。フィリピンには天然ガスが……
(当時、日本は満州国を保有していたが、石炭しかでなかった。また侵略していた中国では長期戦に引き摺りこまれていた)。
「この戦争はなんとしても勝たなければならない!」
日本軍部はいきまいた。
「この国は、皇国帝国日本は必ず米英に勝てる!上官の命令は即ち天皇陛下のご命令である!少し負けても最期には皇国日本国に神風がふく!日清日露戦争にも勝った!日本軍の一個師団は米英の三個師団に匹敵する!神の国帝国日本は最後には神風が吹いて確実に勝てる!」
何を根拠に言っているのかよくわからないが、当時の日本軍人たちは必ずそう狂信的に発言していたという。文句があれば鉄拳制裁、つまり、殴られ蹴られ、暴力を受ける。
雄弁でも強くもない庶民や一兵卒は黙るしかない。
確かに戦争終結を希望した軍人や庶民もいたに違いない。(小説『少年H』妹尾河童著作みたいな大嘘じゃなく(笑))
だが、主張すれば『鉄拳制裁(暴力)』だ。確かに「天皇陛下万歳!」と言って死んでいった軍人や特攻隊員も大勢いたのだろう。
だが、昭和天皇も政治家も一部の軍事官僚も馬鹿じゃない。硫黄島やサイパン島、ダガルガナル島、ルソン島まで陥落して、東京や名古屋、大阪、福岡、仙台、兵庫など大空襲を受けて、沖縄もやられていよいよ本土決戦!となれば「もう(おわりで)いいのではないか?」という声だっておおきくなる。日本国内中焼野原である。
しかし、ポツダム宣言受諾にしても、『国体護持確約(つまり、天皇制度維持の確約)』がなければ日本国として丸呑みする訳にもいかない。
この物語の元ネタは作家半藤一利氏原作の映画『日本のいちばん長い日』、小林よしのり氏著作漫画『昭和天皇』、NHKプレミアムドラマ『玉音放送を作った男たち』で、ある。
が、この物語では映画『日本のいちばん長い日』ではあまり活躍のなかった鈴木内閣の情報局総裁下村海南(かいなん・号、本名・下村宏)も主演級で物語の中にいれてみたい。
1945年(昭和20年)は屈辱的な敗北が続いている最中で、ある。
昭和天皇はさすがに眉間に深い皺をよせていた。
痩身なお体に軍服、近眼の為に丸い縁なし眼鏡をかけていて、猫背で背が低い。口髭。
軍部のプロパガンダ(大衆操作)の道具になっていたラジオや新聞は『大本営放送』を続けていた。まさに〝勝った、勝った〝の嘘八百の大号令である。
だが、庶民も天皇も馬鹿じゃない。そんな大嘘でごまかしきれる訳はない。
昭和天皇は「もうじゅうぶん国民は苦しんだのではないか?」とおっしゃった。
しかし、誤解があると困るから書くが当時の昭和天皇は、陸海空軍を統べる国家元帥、ではあったが、所詮は立憲君主制度である。
いわば〝帽子飾り〝であり、〝自らの決定権〝もなかった。
いわゆる〝統制権〝は陸海軍にあって、天皇がどうこう言える立場ではなかった。
当時の憲法では、現在のように〝元帥(象徴)〝ではあるが、何でも〝軍部(特に陸軍・関東陸軍)が統制権を握って〝いた。
天皇陛下は思っただろう。クソッタレ、と。
このままでは軍部の狂人たちの言うように『本土決戦』『一億総玉砕』、である。
だが、昭和天皇の偉大なところはあくまで国民側のお立場にお立ちになったことだろう。
政治経験がまったくない鈴木貫太郎を懇願して内閣総理大臣として、しかも軍部トップの陸軍大臣にはなじみの阿南惟幾をもってくる。随分な策士ではないか。
私の記憶にある昭和天皇は「あ、そう。」を繰り返す眼鏡の白髪のご老人であるが、それは晩年であり、私が19歳の誕生日の次の日(つまり1989年1月7日)崩御(ほうぎょ・天皇が死ぬこと)なされたので正直、あまり馴染みがない人物ではあった。
だが、現在、歴史を勉強してみれば以外にも『偉大な人物』であったことがわかる。
昭和天皇なし、で、昭和も終戦も語れない、のだ。
昭和天皇は当時、まだ丸焼けになる前の皇居執務室で、ひとり、椅子に座り、考え込んだ。
深いため息が出た。
「………朕は無力ぞ」
言葉にするといっそう〝自分の無力さ〝がわかった。
陸海空軍を統べる元帥、総司令官、現人神(あらひとがみ)としての自分…。
拳をぎゅっと握って、震えた。
「…朕は……無力ぞ。」
そういってひとり泣きした。ハンカチで涙をぬぐった。
そして、かっと目を見開いた。「国民はもうじゅうぶん苦しんだ。泣いている場合じゃない!朕にも何か出来るかも…知れぬ」
そうか!朕が…!そして昭和天皇は自分の〝歴史的存在価値〝を確信した。
……朕が………この国の戸締りをする…!
昭和天皇は椅子から立ち上がった。やっとわかった!そういうことか!
「宮内省大臣を呼べ!」
昭和天皇は声を発した。粋な発音の言葉であった。
昭和天皇は考えたのである。自分と腹を割って話せる側近たちで「終戦工作をする」…要するに昭和天皇はそう考えたのである。
「なんでござりましょうか?陛下」
「鈴木貫太郎を呼べ!今の小磯国昭首相の後任の首相としてお願いしたい」
「…な?……天皇陛下?鈴木さんはもうよぼよぼの老人で政治家でもないですし…」
「とにかく鈴木貫太郎じゃ!急げ!」
昭和天皇は激しく言った。
「ははっ!」部下は平伏した。
やがて、鈴木貫太郎が皇居に呼ばれた。第二十四代内閣総理大臣、鈴木貫太郎内閣が発足するのは1945年(昭和20年)4月7日である。
鈴木は昭和天皇(裕仁)に、首相就任を懇願されるとは夢にも思っていない。
もうよぼよぼの老人である。禿ではないが白髪に白い口髭、天子さまへの拝謁とあって燕尾服を着てきた。
「鬼貫(おにかん)」の愛称で知られた海軍大将。日清・日露戦争で武勲をあげ、海軍トップの軍令部長まで登りつめた。退役後は侍従長を8年間務め、天皇の信任は厚い。また、侍従長時代、2・26事件で青年将校に襲撃され、四発もの銃弾を受けるが奇跡的に九死に一生を得た。信条は「軍人は政治に干与せざるべき」(阿南、鈴木人物説明小林氏本参考)
「天皇陛下におかれましてはご機嫌うるわしゅうことと…」
「挨拶はよい」昭和天皇は遮った。「それよりものう鈴木、頼みがあるのだ」
「なんでございましょうか?」
実は鈴木貫太郎の嫁は元・裕仁の乳母である。父親のような感覚がある。
ゆえに終戦工作を隠密にすすめる大役は彼しかいなかった。
「鈴木よ、今度現内閣の小磯国昭内閣が総辞職する。代りの総理大臣(第二十四代内閣総理大臣)に、次の首相に就任してはくれまいか?」
「えっ?」
鈴木貫太郎は驚いた。そして「いやいや、陛下。わたくしはもうヨボヨボの老人で、耳も遠くなり、政治などやったこともありません。無理です!」
「鈴木よ!まあ、聴け!」
「はっ!」
「じつはそのほうには、この国の〝戸締り〝をお願いしたいのだ」
「えっ?戸締り?」
「そうだ。隠密に終戦工作をしてほしいのだ。お前なら出来る。頼む!」
「しかし…」鈴木はためらった。「統制権は完全に帝国日本陸軍が握っております。軍部がどんな横槍をいれてくるか…確実につぶされます!断言してもいいです!」
昭和天皇は鈴木貫太郎の言葉を受けて、遠い目をした。考えた。
「鈴木よ、ならば本土決戦、一億総玉砕、でよいとおもうのか?」
「いいえ、それは。そのような惨事では日本は復興さえできません」
「…だから!だから、貴様に頼むのだ!もう国民はじゅうぶんに苦しんだ」
「しかし…軍部が…」
天皇は頷いた。「わかっておる。だから、軍部を統べる陸軍大臣には阿南(アナン、本当はあなみだが昭和天皇はよくあなみをアナンと呼び間違えたという)をあてることにする」
「阿南閣下をですか?しかし、阿南惟幾閣下といえばごりごりの交戦派で口を開けば〝本土決戦!〝〝一億総玉砕〝と叫ぶほどでして…」
「阿南なら、わかってくれる。あの朕が知るあの阿南なら…」
昭和天皇はゆっくり言った。「もはや、戦争継続は無理である。朕には最後に神風が吹き勝つとはとても思えん。降伏か?本土決戦か?一億総玉砕か?阿南ならわかるであろう」
「なにとぞ、この一事だけは拝辞(はいじ)のお許しを願い奉ります」
「そう申すと思っていた。その心境は、よくわかる。しかし、この重大な時に当たってもうほかにひとはいない。ほかにひとはいない」
「………」
「頼むから、どうかまげて承知してもらいたい」
「わ…わかりました!」鈴木貫太郎は深々と平伏した。
何故だか涙がでてきた。
当然ながら阿南惟幾は陸軍大臣になるのを固辞し続けた。
阿南は、しばらく考えさせてほしい、と桜の木々の間の山道をたったひとりで散策しながら考え込んだ。
山から帝都の町並みをみて、俯瞰して、感慨ふかげにため息をもらした。
この帝都もいずれは火の海になり、国民は焼け出される。
自分が隠密に終戦工作を…????
頭をふった。
馬鹿な!しかし、陛下のおっしゃられることもごもっともである。
阿南は東京大空襲後に同じく山道から焦土と化した帝都を見て唖然となった、という。
阿南惟幾は小磯国昭内閣総辞職後の鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣に就任した。
600万人の陸軍軍人を統べる陸軍大臣である。
その当時は戦争末期の状態で、大本営放送のウソの〝大勝利情報〝とはうらはらに日本軍は負け続けた。日本軍は『神風特攻隊』『回天特攻隊』などと称して、戦闘機や潜水艦に爆弾を積んで米軍艦隊に体当たりで攻撃する〝自爆テロ〝のようなことをしていた。
大勢が「天皇陛下ばんざーい!万歳!」といって体当たりして死んでいった。
国会内で、鈴木おじいさん内閣が発足すると前首相・小磯国昭(こいそくにあき・のちにA級戦犯)が嫌味をいった。鈴木貫太郎は飄々としている、そして「は?」と耳を傾けた。
「なに?わしは爺じゃで、耳が遠くて聞こえんかった。何て?」
無論、わざとである。小磯は顔を真っ赤にして怒り、「なんでもない!」と怒号を発して、去った。まさに鈴木おじいさんの策士ぶり老獪ぶり、がわかる。まさに家康(笑)
阿南惟幾のほうには『戦争継続・本土決戦』を叫ぶ畑中健二少佐たち青年将校が集合して阿南にお伺いをたてる。頭を下げて平伏して、「阿南閣下!戦争継続ですよね?閣下!?」等と問う。まさに狂信的な青年帝国軍人たちである。負ける、敗北する、??まだ数百万の兵士が残っておる!沖縄の次は本土決戦である!天皇陛下万歳!陛下の為にも戦争継続!
鈴木内閣の情報局総裁は下村宏(号・海南)で、ある。
首相が懇願して就任してもらったのだ。下村宏は当時、有名人、であった。
鈴木貫太郎の孫で、現在(2015年)映画評論家として活躍する鈴木道子さんは、鈴木貫太郎の嘆願で、秋田県に疎開したという。「祖父の〝決死の覚悟〝が語らずともわかった」という。また、阿南惟幾が覚悟を決めた日の朝、出勤する阿南惟幾のただならぬ〝決死の覚悟〝を感じた妻が小さな子供達を必死に連れ出し、〝無言の今生の別れ〝、をさせた。
その阿南邸の玄関先での場面は、映画『日本のいちばん長い日』でも描かれたが、号泣確実の名シーンである。まさに満身創痍の阿南惟幾と日本国………
下村宏は明治8年から昭和32年までの人生である。逓信省から朝日新聞に入社、妻は文という。文の親戚は佐々木信綱という有名な詩人であるから、下村海南(雅号・本名 下村宏)はよく漢詩や詩をつくったという。仲のいい夫婦、である。
「この詩をどう思う?」
「そんな、親戚のおじさんに訊いてください。わたしが詩人ではありませんから」
妻は思わず笑った。
「それもそうか?」宏は笑った。
「その沢山のファンレター、旦那様はもう有名人ですねえ(笑)」
下村宏はラジオで番組を受けもって有名人になる。テレビもないパソコンもない携帯やスマートフォンもない時代だから、ラジオは最先端のマスメディアであった。
下村は政府に不利な情報が〝検閲〝されている、と耳の痛いことも言ったがラジオの放送はそれをいわせなかった。途中でラジオの音源を遮断して、言論統制をする有様であった。
「〝正確な正しい情報〝こそ〝武器〝なのに〝英語を話す事を禁止〝したり、大本営は間違っている!」下村はそういう男である。
妻の文は「それでも相手の気持ちも考えて発言することも大事なのですよ」と、当たり前のように言う。これは釈迦に説法か?と思うが違った。
「それもそうじゃのう」
確かにその通りである。そういう下村だからこそ、情報の重要さがわかっているからこそ、鈴木貫太郎は下村海南(宏)を情報局総裁に任命したのである。就任時は朝日新聞の専務役員であった。誰よりも情報戦略、外交戦略、等戦略に長けていた。
下村海南は早くから『天皇陛下の肉声』つまり、『玉音放送』に着眼する稀有な人物でもあった。だが、下村は早すぎたジャーナリストでもあった。
『玉音放送構想』は木戸幸一やらに「無理だ」「現実的じゃない」と拒絶されたし、空襲の情報を正しく伝える事も拒絶される有様であったという。
下村は〝天皇陛下のお写真〝を〝庶民が陛下に親近感を抱く為に朝日グラフ等に掲載〝していた。が、庶民からは「不敬だ!不敬罪だ!」と反発されていた。
まだ、天皇陛下が象徴でも人間でもなく、現人神の陸海空軍を統べる大元帥、の時代、である。天皇陛下の写真は『ご神体』と呼ばれていた。
下村宏(雅号・海南)おじさんは〝早すぎる改革者〝であった。
「下村さん、どうか鈴木内閣で終戦工作に与力してはくれまいか?」
鈴木首相は渋る下村海南に嘆願し、頭をさげた。
「わかりました!」下村は涙声で、言った。
参謀の内閣情報次長の久富辰夫氏(毎日新聞記者の若者)、内閣情報局秘書官の川本信正(朝日新聞記者の若者、オリンピックを「五輪」と最初に訳したひと)らである。
「玉音放送ですか?」
久富さんは下村に聞きかえした。「天皇陛下の御肉声を?」
川本は「無理じゃないですか?この前だって軍衆によびかける陛下の声を遠くのマイクが拾ってしまい大問題になりましたばかりでしょう。陛下のお言葉は確かに強大だとは思いますが軍部がだまってないでしょう」
「だからこそ、だ。」下村は強く言った。「今こそ陛下のお言葉でこの地獄のような国民の凄惨なありようを伝えて、終戦に導かねばならん。それが国の為道の為だ」
「しかし…」
「しかしも屁ったくれもない。今こそ玉音放送なんだ!」
下村たちが出会ったのがのちの『玉音放送担当アナウンサー』の和田信賢(わだ・しんけん)さんである。和田氏は安芸ノ海VS双葉山のラジオ中継をやって「双葉山敗れる」と
実況して有名になった。戦後は日本初のクイズ番組の司会で有名になった。
「私は只のトーキングマシーン(話す機械)ではなく、声優とまで呼ばれるくらいのアナウンサーになりたい」下村の前で和田さんはそう夢を語ったという。
当時のアナウンサーの悩みは空襲警報の情報検閲であったという。〝軍事情報は漏らさず〝等の綺麗ごとで空襲警報の正確な情報がラジオで流れない。よってその被害者は莫大なものとなり、いつしか少国民らはアナウンサーや大本営を憎むような心情になっていたという。下村宏(雅号・海南)はその情報検閲を規制して、徐々に正確な情報がラジオや新聞で伝えられるようになっていく。まさに情報改革、であった。
空襲が激しくなり陛下の身を案じた君臣たちが、東京の宮城(皇居)の壕から、長野松代に建設していた地下壕に大本営の移転を強く願いあげたが、陛下は、
「わたくしは、国民とともに、この東京で苦悩を分かちたい。わたくしは行かない!」
と強く申されたという。皇太后さまも同じ意見であった。
(小林よしのり氏著作より引用)
1945年(昭和20年)4月12日、米国のローズベルト大統領死去
1945年(昭和20年)4月30日、ヒトラー自殺
1945年(昭和20年)5月8日、ナチスドイツ、連合軍に無条件降伏
1945年(昭和20年)5月25日、東京大空襲(宮城(皇居)も焼失・天皇ら皇居近くの防空壕基地に移動)
「空襲警報をすぐに出させてください!」
軍人は「いや、まて!検閲が先だ!」等という。
和田信賢さんは怒鳴るように「何を考えているんですか?!国民の命がかかっているのですよ?!検閲は国民の命より大事なんですか??」と我鳴った。
鈴木貫太郎はもう悟っていた。
「もうこの戦争に勝ち目はない。軍部がいじになっている」
下村は「国内が焦土と化し、本土決戦、一億総玉砕………となったら新しく根ぶくこともない」とため息を漏らした。ひどく疲れていた。
「下村さん、なんかアイディアがないかい?」
「総理、それはわたしより総理の方がアイディアがあるんじゃありませんか?」
うながした。
「……天皇陛下の御聖断か?」
「御明察。今こそ玉音放送、陛下のお言葉です。軍部でも政治家でもなく天皇陛下のお言葉だからこそ国民は敗戦でも受け止められるでしょうな」
「それしか…ない……な。」鈴木首相は深く頷いた。
御聖断をあおぐ。それが〝最後の道〝である、な。
1945年(昭和20年)7月27日に米英中3国が、ポツダム宣言で日本国に無条件降伏をせまってきた。しかし、『国体護持』つまり天皇制の維持の約束がまるでない『ポツダム宣言受諾』に反対する者も多かった。阿南も軍部も文句たらたらである。
だが、8月6日午前8時15分に広島市に原爆が投下されると日本国は「もう駄目だ」という意見が大半になった。アメリカ人が学校で教わる詭弁『広島・長崎の原爆投下で戦争が早期終結した。原爆は必要だった』等とは私(著者)はけっして思わない。詭弁であり、大嘘である。原爆の人体実験がしたかっただけだ。庶民が住む非軍事施設への原爆投下や空襲は明らかな『戦争犯罪』である。
広島・長崎で何十万人も犠牲になったのだ。しかも、軍人でもない庶民が、である。
あの当時、日本国中が焼野原であり、確かに一部の狂信的な軍人は竹やりででも戦ったであろうが、象に立ち向かう蟻、である。『戦争終結を早める為に原爆投下は必要だった』等とふざけるな!とアメリカ人には言いたい。そして、アメリカ人は広島や長崎にきてちゃんと歴史を学んでほしい。話はそれからだ。
当時は核爆弾を投下された、という認識はまだなく、「何やら新しい新型爆弾を米軍がつかったようだ」という認識だった。が、専門家らは「あれは原水爆だよ」という意見もあった。要は『人体実験』の『原爆投下』であり、黄色い日本人等どうなろうが知ったことではない、という〝アメリカ人(WASP)の主張の塊〝のような〝新型爆弾〝であった。
広島や長崎の被爆者は爆弾を『ピカドン』と呼んだが、正式名称を知らなかったからで、『原爆投下』は後付けの歴史観である。
日本放送協会会長の下村海南は、君民一体となる為に、天皇陛下のお声を一億国民に向けて放送すべきと考えていたが聞き入れられなかった。その下村は、終戦時の鈴木貫太郎内閣に情報局総裁として入閣していた。昭和20年(1945年)8月8日、下村は天皇に拝謁する。君民の間はあまりにも隔離されていた。この重大時局にあたり、玉音放送などとんでもないことと堅く阻止されている。しかしいまや日本帝国存亡の秋(とき)に直面した。さような窮屈なことなどいっていられる時ではない。下村はそのような内容の奏上(そうじょう)を熱心に行い、拝謁は二時間にも及んだ。そしてその帰りの車中、下村は涙を目にため、震えた声で言った。
「陛下は承知してくださった。わたしが陛下に「マイクの前にお立ちください」と申し上げると、陛下は「必要とあらば、いつでもマイクの前に立つ」とおっしゃったんだよ。」
(小林よしのり氏著作より引用)
1945年(昭和20年)8月8日にソ連軍が、日本国に宣戦布告して満州や樺太・クリル列島や北方領土を蹂躙、『シベリア抑留』という悲劇がうまれた事は歴史に刻まれている。
もはや、ここまでか!御前会議で鈴木首相は、突如、天皇陛下の御聖断をあおいだ。
「陛下!天皇陛下、どうかご聖断を!天皇陛下の御心をおききしたい!」
鈴木首相は伝家の宝刀を抜いた。
『最高戦争指導者会議』1945年(昭和20年)8月9日午前11時30分。宮中で開かれたその会議のメンバーは、総理大臣・鈴木貫太郎(すずき・かんたろう)、外務大臣・東郷茂徳(とうごう・しげのり)、陸軍大臣・阿南惟幾(あなみ・これちか)、海軍大臣・米内光政(よない・みつまさ)、参謀総長(陸軍最高指揮官)梅津美治郎(うめづ・よしじろう)、軍司令総長(海軍最高指揮官)豊田副武(とよた・そえむ)
鈴木貫太郎首相の書記官長の迫水久常氏は「1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、今度は長崎に新型爆弾がおとされて大勢が死んだそうです(広島原爆投下1945年(昭和20年8月6日午前8時15分(ウラニウム型水爆 長崎の原爆はプルトニウム型水爆)。…最後の一兵まで戦うしか…ないのでしょうか?」という。
最高戦争指導会議では決戦派と和平派とが紛糾して議論がまとまらない。
だからこその、鈴木首相の、突如の、ご聖断の懇願である。
「広島長崎の原爆といいソ連の参戦といいこれ以上の戦争継続は不可能であります。ポツダム宣言を受諾し、戦争を終結させるほかない。ついては天皇陛下のお言葉をたまわりたく願います」
昭和天皇は「国民はもうじゅうぶんに苦しんだ。もう戦争はよろしかろうと思う」と述べた。御聖断である。つまり、戦争終結、ポツダム宣言受諾、である。一同は号泣した。まさに満身創痍の御聖断で、あった。嗚咽だけが静かに聞こえる。おわった……。
しかし、軍部や国民が納得するのか?それが最大の問題であった。
(小林よしのり氏著作より引用)
陸軍大臣の阿南惟幾に「戦争終結という噂はデマですよね?日本はまさに神の国で天皇陛下がおられる限り負けはしません!一億総玉砕、本土決戦で戦争継続を!どうか軍部の総意をお守りください!」等と若手将校らがせまる。
阿南は戦争継続など、無謀で、もうおわり、とわかっていたが「貴様たちの総意はわかっておる!まだ、本土決戦、一億総玉砕、の道は残っておる!まだ望みを捨てるな!」
と一喝した。嘘だった。御聖断を有効にするための大嘘であり、詭弁だった。
「日本に天皇陛下がおられる限り皇国日本は亡びない!」
「はっ!天皇陛下万歳!」
畑中少佐らはにやりとなった。
だが、御聖断はくだったのである。
下村海南は天皇陛下と拝謁した。そこで『玉音放送』の話をした。
天皇は「大変に参考になった」という。
下村は部下たちに涙を流して「玉音放送が出来るかも知れない」と言った。
「それは〝朕、大いに嘉尚(かしょう)す(私は大いに褒め称える)〝ですね?」
鈴木首相はにやりとなった。
吉積参謀が軍服のまま「鈴木首相、話が違うではありませんか!」と詰め寄るが、
阿南が割って入り「吉積、もういいではないか!」と止めた。
「首相、総辞職しますか?」
「玉音放送の後にね。我々の内閣はそのためのだけの内閣だ」
「算盤づくでは米英には勝てない!国体護持ならば…しょうがないですね」
やがて、昭和天皇により玉音放送用の録音、が行われた。
録音の音声はレコード盤(玉音版という)に収められた。だが、その情報が近衛兵や抗戦派の若手将校に流れると、畑中健二少佐たちは顔面蒼白になった。そして怒りに震えた。
「馬鹿な!まだ内地に三百七十万の兵がいる!神国日本が負ける訳はない!ふざけるな!」
こうして、クーデター計画は始まる。
軍は本土になお370万の兵士を有し、本土決戦、徹底抗戦を叫ぶ声が圧倒的だった。
若手近衛兵たちは畑中少佐をリーダー格にして、クーデターを企んだ。
まず、畑中少佐ら叛乱将校らは上官の近衛師団長に「師団長!玉音放送を阻止してください!陛下は君側の奸(くんそくのかん、君主の側で君主を思うままに動かして操り、悪政を行わせるような奸臣(悪い家臣・部下)、の意味の表現。「君側」は主君の側、という意味。)に騙されたのです!この皇国日本軍が負けるわけありません!必ず本土決戦でけりがつきます!どうか、師団長(森赳)、ご決断を!」
だが、近衛師団長は「馬鹿を言うな!畑中!これは御聖断だ!ならん!」と首をふる。
「……なら死ね!」
畑中少佐は森赳師団長を拳銃で撃ち殺した。刀を鞘に納める叛乱(はんらん)将校ら。
「とにかく、玉音放送をとめるぞ!戦争継続だ!君側の奸を倒すぞ!」
「おおっ!」
叛乱将校らは怒号の元、狂気の行動を続ける。森近衛師団長の偽命令書で近衛兵を動かす。
畑中健二少佐は、総務省で玉音版を必死に探すがなく、自転車(自動車を動かす石油がないから)ですすみ、放送協会まで占拠し、和田さんらアナウンサーらを銃や銃剣で脅す。
「玉音版は何処だ?玉音放送をやめよ!われら青年将校の主張をラジオで流せ」と銃で脅す。だが、「ここでは放送をすることが出来ません」と和田さんが言うと畑中は「なにい?」と怒鳴ったという。和田さんらは恐怖でぶるぶる震えていた。相手は狂人集団だ。
「今は空襲警報が出ていて東部軍からしか放送できません!」
「嘘を言うな!軍人の命令は天皇陛下からのご命令だぞ!」
「いえ。事実です。どうしてもというならその直通電話で東部軍の軍人さんとお話し下さい!」アナウンサーたちは冷や汗を流しながら言う。
叛乱将校らは銃や刀で武装して、脅迫する。脅す。畑中少佐は電話を掛けるが…
「そんな…閣下!君側の奸に陛下は……天皇陛下は…騙されているのです!我が日本軍はいまだに内地に三百七十万もの兵がいるのです!戦争継続を決断すれば必ずや勝てます!」
「馬鹿もん!出来ない!諦めろ畑中!」
だが、もうおわり、であった。
万事休した畑中少佐は椎崎(しいざき)中佐と二人、宮城周辺でビラを撒いて、決起を叫んだ後、午前十一時過ぎ、「我らは草莽の志士!皇国帝国日本軍は不滅也!いざ立てよ!天皇陛下の為に草莽の民よ、たちあがれ!」宮城前二重橋と坂下門との間の芝生で自決した。
「て…天皇陛下、万歳!………日本国…ばん…万歳!」
血だらけで畑中らは自決して命を絶った。
同じころ、陸軍でも陸軍大臣阿南惟幾に青年将校らが詰問しているところであった。
だが、阿南は一歩も引かない。
「御聖断は下ったのである!もはや、天皇陛下は御聖断を下されたのである!もう終戦は決まりだ!もし、陛下の御聖断に不服があるならこの阿南を斬ってからにせよ!
この阿南の屍を越えていけ!」
阿南は怒号を発した。
すると、会場内のひとりの少佐が火をつけたように泣き出した。号泣とはこういうことか、というぐらいの凄い泣きっぷりに会場はどよめきと騒乱が襲った。
「阿南さん、死にますね」
迫水書記官が鈴木首相にささやくように言った。
「阿南さんはいとまごいに来たんだよ」
「鈴木首相、首相も死にまするか?」
「いや。」鈴木はおおきく息を吸い「こんなヨボヨボ老人の命など何の役にも立たん。阿南さんはひとりで自刃して軍部の全責任を負う覚悟だ。花道を汚す訳にはいかんよ。」
阿南惟幾は8月15日午前4時40分、宮城庭園で割腹(かっぷく)。介錯(かいしゃく)を断り、絶命したのは午前7時10分であったという。着ていたワイシャツは天皇陛下に拝領したものだった。「お上がお肌につけられた品だ。これを着て逝く」と言い残して………
血染めの遺書には『 一死 以テ大罪ヲ謝シ奉ル
昭和二十年八月十四日夜
陸軍大臣阿南惟幾[花押]
神洲不滅ヲ確信シツツ』
(小林よしのり氏著作より引用)
かくして、日本は敗戦を迎えた。榎本らは米軍に投降した。
「耐え堅きを耐え、忍び堅きを忍び…」
昭和天皇・裕仁のやや吃りぎみのラジオ放送(玉音放送)が廃墟と化した日本中に響く…日本人たちは肩を落とした。「ああ…父さんは犬死にか…」
少女はそういって廃墟の中をさまよったという。
そこら中焼け野原だ。皆空腹であった。雨がふってきた。
少女は家があったほうにむかった。雨に濡れて寒かった。ふと誰かが「おや? 大丈夫かい? お嬢ちゃん……寒いだろう。これをお食べ」と暖かい焼き芋を差し出した。
いやらしい意味はなかった。おじさんだった。兵隊さんだったひとだろう。新聞紙にくるまれた芋は温かかった。「…ありがとう」少女は芋を食べた。
……こんな世の中だけど生きていこう。戦争もおわったんだ…そう思った。
第二次世界大戦の勝利したことで、米国の繁華街ではパレードがもよおされていた。トルーマンももちろん英雄となる。しかし、マイケルたちは複雑な気持ちだった。
「ひとを殺して何が英雄だ?」マイケルはいった。
「広島と長崎で死んだジャップたちのほとんどは民間人で……女や子供だったという…」 ティベッツ機長は「あの原爆はアメリカ人の命を守るため、戦争をはやくおわらせるために落とされたのだ。気にすることはない」
といった。アメリカの詭弁でペテンだった。
トルーマンもスピーチで同じようにいったという。
エノラ・ゲイで原爆投下した隊員のうち、クロード・エザリーは民間人を二〇万人も殺してしまったことで悩み、とうとう狂ってしまったという。
マイケルやジョンも苦悩した。エザリーが鉄砲で自殺しようとした。
「やめろ!」鉄砲は暴発して、マイケルの胸に弾丸が当たった。
「マイケル! マイケル!」ジョンがかけよったが、マイケルは「ぼくは…悪いことを……したのか…? 民間人を二〇万人も殺してしまっ…て…」と血を吐きながらいって、ジョンの腕の中で死んだ。エザリーは自殺未遂を二度起こし、最後は〝水鉄砲〝をもって銀行強盗をやらかして病院にいれられて、孤独に死んだ。
ジョンとジェニファーの間には女の子が産まれたが、苦悩は隠せない。無邪気に、「戦争を早くおわらせるための原爆投下だった…」としかは思えない。だが、日本はナチスと同じで虐殺した。が、庶民を原爆で…事実を知って、ふたりは苦悩の日々をおくった。
ジュノー博士は引退してミズリー州に引き籠もっていたトルーマンと接見した。
彼は、無惨な子供の死体や焼け野原となった写真をたたきつけていう。
「これが広島です。いまも多くの人々が何の治療もうけられず外部から見捨てられたまま苦しんでいるのです。軍の機密は、人の命より大事なのですか?!」
トルーマンは「この戦争の全責任は私にある。しかし、米国人の犠牲を最小限におさえるために、戦争を早くおわらせるために仕方のなかったのだ」と頭を下げた。
「それは詭弁でしょう?!」ジュノーはトルーマンに迫った。
しかし、トルーマンは正論をいった。「日本もナチスも同じく虐殺したことにはかわりはない。では誰が悪をとめなければならなかった?! 悪を叩いたまでだ!」
「……日本人たちをどうする気かね?」ジュノーは迫った。
「裁判にかける」トルーマンはいった。
「殺す気かね?」
「……裁判次第だ」
ジュノーは声を荒げた。「人材の浪費は駄目だ! 今日本国を思えば……たとえ敵軍だったとしても貴重な人材は残すべきです! 違いますか? 閣下」
トルーマンは感銘をうけた。……まさしくその通りだ!
「わかりました。ジュノー先生」
昭和二十五年九月、東篠らA級戦犯は巣鴨の牢獄の中にいた。
一番牢 東篠英機、木戸孝一、大島浩、武藤章、土肥原賢二、松岡洋石、永野修身
二番牢 岸信介、重光葵、広田弘毅、賀屋興宜、東郷茂徳、小磯国昭、白鳥敏夫、
岡敬純、南次郎、大川周明、佐藤賢了、星野直樹、橋本欣五郎、荒木貞夫、嶋田繁太郎、 畑俊六、鈴木貞一
三番牢 笹川良一、板垣征四郎、木村兵太郎、平沼騏一郎、梅津美治郎、松井石根
四番牢 児玉誉士夫………
「馬鹿野郎!」
東篠英機の前の首相、近衛文麿は電話を受けてそういい、そして自殺した。
東篠英機は東京法廷で「自分には統帥権(軍の指揮権利)がなかった」という。つまり、天皇でも自分でもなく、陸軍がすべてを取り仕切っていたというのだ。
彼等らは『A級戦犯』と呼ばれて東京裁判で裁かれた。
しかし、A級戦犯とは『もっとも悪い戦争犯罪者』ではなく、『戦争を指揮した人間』で、BC級は戦争による虐待殺戮などをした戦犯だ。東篠英機らは死刑になった。
重光葵は戦後、副首相兼外務大臣になり、賀屋興宜は戦後、法務大臣になった。
岸信介は戦後、首相になったのは有名だ。あの安倍晋三の祖父だ。
マルセル・ジュノー博士は、荒廃した中国の町で「広島に原爆が落とされ、一瞬にして数千万人が死亡した。これによって日本は降伏…」というラジオ・ニュースを聞くことになる。
つねに平和を願っていた彼は愕然となり、それからこう思う。「広島にいかねば…」と。 ジュノーは日本軍に頼み込んで飛行機に乗り、日本に向かう。千島列島に侵攻してきたソ連軍のミサイルをかいくぐって。しかし彼は東京でとめられ、頼んでも「広島」には連れていってもらえなかった。「軍の機密だから」というマッカーサー総司令官につめよった彼は、無惨な子供の死体や焼け野原となった写真をたたきつけていう。
「これが広島です。いまも多くの人々が何の治療もうけられず外部から見捨てられたまま苦しんでいるのです。軍の機密は、人の命より大事なのですか?!」
死体の山、砂漠のような瓦礫の町「広島」、薬は底をつき、人々はバタバタと死んでいく。そこに彼がやってくる。「薬がきましたよ」彼のはにかんだ表情がまたすごくいい。こうして何万トンもの薬が届けられ、多くの人々が救われていく。
去っていくジュノーと日本人医師の別れは、夕暮れの空がとても美しく印象的だ。
「センキュー・ベリーマッチ、ドクタージュノー」
「オーケー」
ジュノーは八時十五分でとまった駅の時計をみていう。「あれは新しい時代の始まりです。けして戦争をしてはならないという証しです」それはとても感動的な言葉だった。
しかし彼の意思に反して、世界は、朝鮮や、ベトナム、中東でも、同じ様な過ちを繰り返してしまう。それがとても哀れで仕方がない気持ちを覚えたりもする。……「もし不幸にも戦争がさけられないのなら、せめて治療方のない兵器は使わないで下さい」「戦争がもし不幸に起こっても戦う両者とは別に第三の戦士がいなければならない」
マルセル・ジュノー。……
元米軍パイロット、ジョン老人は車を降りた。
島の崖で、激しい風を受けた。荒波の太平洋にはかつての仲間たち…原爆投下のキノコ雲、エノラ・ゲイの姿が重なり、ジョンは涙を流した。
それは空しさだった。確かに原爆で何十万人の一般日本人が死んだのだろう。しかし、それ以上の数のアジア人たちが日本人たちによって殺されたのだ。しかし今だに日本人たちは被害者意識しかもたない。……しかし確かに被害者が大勢でた。 では、日本の虐殺を止める手は他にあっただろうか……?
GHQ(連合軍)は日本を占領したが、女性の解放と天皇人間化で日本を解放し、マッカーサーは軍服で昭和天皇はモーニング姿で写真を撮った。その瞬間、日本の天皇は〝神〝ではなくなった。今のイラクでは神〝アッラー〝がいるが、日本ではその瞬間、神がいなくなった訳だ。イラクのようなレジスタンス(反体制運動)が戦後日本でなかったのもそのためだ。しかし靖国という問題とアキレス健〝天皇制〝だけは残った。
なぜA級戦犯を分祀できないのだろう。アメリカのアーリントン墓地のような代替施設をつくってそこに手をあわせないのだろう?
世界と核兵器禁止条約への長尾景虎ドクトリン
アメリカには差別があり、南アフリカにはアパルトヘイトがかつてあり、ペルーの山奥には未だ農奴制が存在する。インドの街頭では人々がかつて飢えで死に、ロシアでは反体制派の人々が刑務所にぶち込まれる。ミャンマーやウクライナでは何千人という人々が虐殺されている。そして世界の富は惜しげもなく軍備拡張にそそがれている。
これらは一様に悪ではあるが、所詮人間が作り出した悪であり、人間の正義感の不完全さ、人間の慈悲心の欠落、他の人の不幸にたいするわれわれの感覚の欠如を反映しているに他ならない。故にわれわれは怒りと良心をもってこれらの悪を取り除くという決意を分かち合わねばならない。
東西冷戦下の世界では、アメリカとかつてのソ連(現在のロシア)とのせめぎあいの結果、米露だけで一万発近くの核弾頭があるという。そこに、イギリス・フランス・中国に、インド・パキスタン・国としては認めてはいないがイスラエル……最近ではイランに北朝鮮……。これらの核保有国はいわゆるMAD戦略(相互確証破壊)により増長してきた。
冷戦終結から三十年。すべてが急変している今日、時代遅れの教議や使い古されたスローガンはもはや通用しない。すでに消えかけてる現在にしがみつき、どんな平和的な進歩にも必ずついてまわる危険性とエキサイトメントよりも安全という幻想を選ぶ人間は世界を動かし、変えることができない。
かつてイタリアのある哲学者が語った。〝新しいことを手掛け、新しいアイデアをこの世に紹介するほど難しく、その成功が不確かなものはない〝と。しかし、これこそこの世代がやらなければならないことなのだ。そして前途には様々な危険と障害が横たわっている。
まず第一の危険は何をしようとも無駄であるという考え。無知、不正、暴力、苦悩などこの世界が抱える問題に対して、ひとりの人間ができることはなにもないという無力感に溺れることは、戦う前に白旗をあげるに等しい。
「核兵器を減らそう」「核兵器をなくそう」と主張するとき、必ず出てくるのが「それは理想論にすぎる」という諦め、である。核拡散防止条約(NPT)でも、核兵器禁止条約(TPNW)でも、その諦めは亡霊のようにつきまとう。
「世界が核兵器をなくして丸腰になったときに、北朝鮮がズルをして核兵器を数発隠し持った時、北朝鮮の〝一人勝ち〟になる」または、「我が国はアメリカの核兵器の〝核の傘の下での平和〟(特に日本とドイツ)であるから、核拡散防止条約(NPT)にも核兵器禁止条約(TPNW)にも加盟できない」国際外交ではその姿勢は正しいのかも知れない。
だが、例えばドイツは核拡散防止条約(NPT)のオブザーバーを一度務めている。
日本がオブザーバー参加が出来ない訳はない。いやむしろ、積極的に参加すべきである。
何といっても日本は『世界で唯一の被爆国』『世界で唯一核兵器の洗礼を浴びた国』だ。
日本国がオブザーバー参加とはいえ、リーダーシップを発揮しなくてどうするのか?
核兵器の恐ろしさ、悲惨な被害を知る日本人だからこそ出来ることがある。
歴史を思い出してほしい。思想においても行動においても、世界をかえた偉大な動きの多くはたったひとりの人間によって成功されてきたではないか。ひとりの若い僧侶が宗教改革を成し、ひとりの若い将軍は国境をマケドニアから地の果てまでのばし、ひとりの女性がフランスの領土を奪還した。ひとりの若いイタリアの探検家は新大陸を発見し、三十二歳のトーマス・ジェファーソンは人間はすべて平等と宣言した。古代ギリシアの数学者アルキメデスは言った。〝私の立てる場所をくれ、そうしたら世界を動かしてみせる〝と。 これらの人々は皆世界を動かした。われわれにもできないはずがないのだ。歴史そのものを曲げる偉大性を持つ者は少ないかも知れない。しかし、われわれひとりひとりが、社会のほんの小さな一部分を変えていくことはできる。それらの行為がひとつにまとまった時、初めてこの世代の歴史が書き綴られることになるのである。
勇気と信念に基づいた限りない行動によって人類の歴史は形成されていく。
ひとりの人間が理想のために立ち上がり、不正を攻撃し、苦しんでいる人々のために行動を起こす度に、彼は希望のさざ波を送り出している。一〇〇万人が行動を起こせば、それらのさざ波は、いかなる迫害、いかなる抵抗をも突き破る津波となり、歴史をも変えてしまうエネルギーとなり得るのだ。
古代ギリシャの政治家ペリクレスは言った。〝もしアテネが偉大だと思うなら、その栄光は勇敢なる人々、義務を果たすことを知った人々によって勝ち得たのである〝と。これこそあらゆる偉大性の源であり、われわれの時代の進歩の鍵となるのだ。
我々がわかっていることは核兵器を一度でも使ったら、核戦争になったら世界の〝おわり〟だ、ということだ。
われわれの未来はわれわれのヴィジョンを超越する。しかし、それは決してわれわれがコントロールできないものではない。なぜなら未来は、運命や自然の力やさからうことのできない歴史の波によって作られていくものではなく、われわれ自身の手によって作られるものだからだ。運命がわれわれを支配するのではなく、われわれが運命を作り出していくのだ。
今こそ、我ら日本人が世界の核廃絶へと舵を切るときである。
核兵器のない未来へ。そのヴィジョンをも超越して、核兵器のない理想の世界へ!
外務省はアメリカに忖度している場合ではない。岸田首相にも助言をする。
まずはオブザーバー参加でもいいから、一歩、未来へ歩もう!
その時代の進歩の〝一歩〟は、けして小さな一歩ではない。それこそ、未来を変える〝大きな一歩〟に繋がる。まずは、その一歩を踏み出そうではないか!
日本人だけが知らない「洗脳の戦後史」
【戦後75年】原爆投下はどう報じられたか 1945年8月7日はこんな日だった
| 執筆者: 吉野太一郎
投稿日: 2015年08月07日 07時13分 JST
更新: 2015年08月09日 00時11分 JST SP0807
「核の時代」の幕開けから一夜明けた。
日本時間の8月7日未明、アメリカのトルーマン大統領は声明を発表し、「原子爆弾」であることを初めて明らかにした。
十六時間前、米国航空機一機が日本陸軍の重要基地である広島に爆弾一発を投下した。その爆弾は、TNT火薬二万トン以上の威力をもつものであった。それは戦争史上これまでに使用された爆弾のなかでも最も大型である、英国のグランド・スラムの爆発力の二千倍を超えるものであった。
日本は、パールハーバーで空から戦争を開始した。そして彼らは何倍もの報復をこうむった。にもかかわらず、決着はついていない。この爆弾によって、今やわれわれは新たな革命的破壊力を加え、わが軍隊の戦力をさらにいっそう増強した。同じタイプの爆弾が今生産されており、もっとはるかに強力なものも開発されつつある。
それは原子爆弾である。宇宙に存在する基本的な力を利用したものである。太陽のエネルギー源になっている力が、極東に戦争をもたらした者たちに対して放たれたのである。
(中略)七月二十六日付最後通告がポツダムで出されたのは、全面的破滅から日本国民を救うためであった。彼らの指導者は、たちどころにその通告を拒否した。もし彼らが今われわれの条件を受け入れなければ、空から破滅の弾雨が降り注ぐものと覚悟すべきであり、それは、この地上でかつて経験したことのないものとなろう。この空からの攻撃に続いて海軍および地上軍が、日本の指導者がまだ見たこともないほどの大兵力と、彼らには既に十分知られている戦闘技術とをもって侵攻するであろう。
(ヒロシマ新聞より)
8月7日付のアメリカの新聞各紙は、1面に横幅いっぱいの大きな見出しを掲げて歓喜した。
「最初の原子爆弾、日本に投下される。爆弾は2万tのTNTに匹敵 トルーマン大統領、敵に『破滅の雨』を警告」
「原子爆弾の物語! この死の爆弾はどうやって開発されたか明らかに」「爆破された街では日本人が鉄道を止める トルーマン大統領、破壊の雨を宣言」)
「東京は次の原爆リストに載った模様」「日本のラジオ、爆弾の被害は比較的少ないと報じる」
お祭り一色だったわけではない。この日のニューヨーク・タイムズ紙には、「トルーマン大統領の発表通りなら、約32万人の広島市民が犠牲になったことになる」と指摘した上で、「核の時代」の扉を開けたことへの恐れについても書かれていた。
「我々は壊滅の種をまいた。この戦争を通じての我々の爆撃はほとんど都市、そして民間人を標的にしていた。我々の爆撃は敵より効果的で、より壊滅的な打撃を与えたため、アメリカ人は「破壊」の同義語となった。そして我々は初めて、計り知れない効果を持つ新たな兵器を導入した。これは速やかに勝利をもたらすかもしれないが、より広い憎悪ももたらすだろう。我々自身に壊滅をもたらすかもしれない。
確実に我々は、神のような力を、不完全な人類の手で管理するという、重大な責任を背負うことになる。核エネルギー人類が、ともに仲良く暮らせる、明るい新世界をもたらすかもしれない。しかし爆弾とロケットの下で、地下に潜って暮らす世界をもたらすかもしれない。」
■日本ではベタ記事、その裏では
日本では、情報は制限されていた。
asahi0807
たとえば朝日新聞の東京本社版の1面トップは、1945年の海軍の特攻作戦を指揮した伊藤整一中将(沈没した戦艦大和とともに戦死)の大将昇進のニュース。他の都市への空襲の記事と並び、広島についてはごく短い記事が載っただけだった。
「6日7時50分頃B29 2機は広島市に侵入、焼夷弾爆弾をもって同市付近を攻撃、このため同市付近に若干の損害を被った模様である(大阪)」
大阪本社版は、さらに続けて、こんな記述がある。
「敵米はわが中小都市、軍需工場などの攻撃は時間を選び、専ら自軍の損害をさける隠密行動をとっていたが昼間、偵察をこととしていた敵がわが方が油断したかと思ったか、白昼僅か2機をもって爆弾、焼夷弾を混投したことは今後十分警戒を要する」
新聞社と軍当局、内務省は情報統制を巡って水面下のせめぎ合いを繰り広げていた。
被害の異常さから各新聞ともただごとではないと察知し、各社編輯局長が内閣情報室に集まったが、情報局も現地の正確な情報が得られないこともあって、第一報は前述のようにきわめて簡単なものとなった。
しかし各社はすぐ米大統領、英首相が「原子爆弾投下」を声明した、という放送をキャッチした。久富情報局次長の戦後の談話によると、これによって情報局も原爆であることを信じ、その旨を発表することとし、外務省もこの方針に賛成したが、軍部は頭から反対し、「敵側は原爆使用の声明を発表したが、虚構の謀略宣伝かもしれない。従って、原爆とは即断できぬ」と主張したのであった。
情報局は、「敵側は原子爆弾なりと称して発表した」ではどうかと妥協案を出したが、軍部は応ぜず、内務省も軍部に同調して、けっきょく政府としては原子爆弾の文字を報道には使わせず「新型爆弾」とよんだのである。
8月7日午後3時半の大本営発表は「広島市は敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じた」「新型爆弾を使用せるものの如きも目下調査中」だった。
19450808asahi
朝日新聞(東京本社版)1945年8月8日付
日本各地への空襲はこの日も続いた。愛知県豊川市では7日午前10時ごろ、兵器工場の「豊川海軍工廠」を中心にB-29の編隊が約3500発の爆弾を浴びせた。小学生や女学校からの動員を含む、約2500人が犠牲になった。空襲と、主産業だった兵器産業の壊滅で、9万人以上いた人口は、終戦直後には約4万人に半減したという。
■ソ連の対日参戦が繰り上げに
stalin 1945
ソ連の大元帥スターリンは8月5日深夜(日本時間6日早朝)、ポツダムでの会談から帰国し、深い眠りについていた。一夜明けてアメリカの原爆投下を知らされ、指導的な原子物理学者5人をクレムリンに集めた。
「費用はいくらかかってもかまわない。こうなれば、できるだけ早くアメリカに追いつかなくてはならない。諸君、全力をあげてやり給え」
そして8月7日午後4時30分(日本時間7日午後10時30分)、スターリンはワシレフスキー元帥に、以下の命令を下した。
「1.すべての前線の航空機による先頭は、第1にハルピンならびに長春への爆撃を目標に、8月9日朝に開始すべし。
2.ザバイカル方面軍および第1極東方面軍の地上部隊は、8月9日の朝に満州との国境を越え攻撃を開始すべし。」
ソ連はすでに1945年2月のヤルタ会談前後に、対日参戦の方針を固めていた。しかしアメリカの原爆開発成功の見通しを聞いたスターリンは、6月29日の段階で、当初、8月下旬の予定だった「Xデー」を繰り上げて「8月11日」に変更していた。それがさらに、原爆投下のニュースを聞いて、2日前倒しされたことになる。
すでに太平洋戦争の勝利が絶望的だった日本は、この時点でまだ、ソ連の仲介による和平に望みをつないでいた。
<ウィキペディアより>
戦争責任論
「昭和天皇の戦争責任論」、「大日本帝国」、および「大日本帝国憲法」も参照
概要
大日本帝国憲法(明治憲法)において、第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」を根拠として、軍の最高指揮権である統帥権は天皇大権とされ、また第12条「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」を根拠に軍の編成権も天皇大権のひとつとされた。政府および帝国議会から独立した、編成権を含むこの統帥権の独立という考え方は、1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮条約の批准の際に、統帥権干犯問題を起こす原因となった。
統帥権が、天皇の大権の一つ(明治憲法第11条)であったことを理由に、1931年(昭和6年)の満州事変から日中戦争(支那事変)、さらに太平洋戦争(大東亜戦争)へと続く、「十五年戦争」(アジア太平洋戦争)の戦争責任をめぐって、最高指揮権を持ち、宣戦講和権を持っていた天皇に戦争責任があったとする主張
大日本帝国憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と、規定された天皇の無答責を根拠に(あるいは軍事などについての情報が天皇に届いていなかったことを根拠に)、天皇に戦争責任を問う事は出来ないとする主張
との間で、論争がある。
美濃部達吉らが唱えた天皇機関説によって、明治憲法下で天皇は「君臨すれども統治せず」という立憲主義的君主であったという説が当時の憲法学界の支配的意見であったが、政府は当時、「国体明徴声明」を発して統治権の主体が天皇に存することを明示し、この説の教示普及を禁じた。
終戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)において、ソビエト連邦、オーストラリアなどは天皇を「戦争犯罪人」として裁くべきだと主張したが、連合国最高司令官であったマッカーサーらの政治判断(昭和天皇の訴追による日本国民の反発への懸念と、円滑な占領政策遂行のため天皇を利用すべきとの考え)によって訴追は起きなかった。
昭和天皇崩御直後の、1989年(平成元年)2月14日、参議院内閣委員会にて、当時の内閣法制局長官・味村治は、大日本帝国憲法第3条により無答責・極東軍事裁判で訴追を受けていないの二点から、国内法上も国際法上でも戦争責任はないという解釈を述べている。
マッカーサーに対する発言に関して
『マッカーサー回想記』によれば、昭和天皇と初めて面会した時、マッカーサーは天皇が保身を求めるとの予想をしていたが、天皇は、
「私は国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるため、あなたをお訪ねした」
と発言したとされる。この会談内容については全ての関係者が口を噤み、否定も肯定もしない為、真偽の程は明らかではない。昭和天皇自身は、1975年(昭和50年)に行われた記者会見でこの問題に関する質問に対し、「(その際交わした外部には公開しないという)男同士の約束ですから」と述べている。翌1976年(昭和51年)の記者会見でも、「秘密で話したことだから、私の口からは言えない」とした。
その後、現代史家・秦郁彦が、会見時の天皇発言を伝える連合国軍最高司令官政治顧問ジョージ・アチソンの国務省宛電文を発見したことから、現在では発言があったとする説が有力である。また、会見録に天皇発言が記録されていなかったのは、重大性故に記録から削除されたことが通訳を務めた松井明の手記で判明し、藤田尚徳侍従長の著書もこの事実の傍証とされている。
また、当時の宮内省総務課長で、随行者の一人であった筧素彦は、最初に天皇と会った時のマッカーサーの傲岸とも思える態度が、会見終了後に丁重なものへと一変していたことに驚いたが、後に『マッカーサー回想記』等で発言の内容を知り、長年の疑問が氷解したと回想している。
天皇自身の発言
1975年(昭和50年)9月8日・アメリカ・NBC放送のテレビインタビュー
[記者] 1945年の戦争終結に関する日本の決断に、陛下はどこまで関与されたのでしょうか。また陛下が乗り出された動機となった要因は何だったのですか
[天皇] もともと、こういうことは内閣がすべきです。結果は聞いたが、最後の御前会議でまとまらない結果、私に決定を依頼してきたのです。私は終戦を自分の意志で決定しました。(中略)戦争の継続は国民に一層の悲惨さをもたらすだけだと考えたためでした。
1975年(昭和50年)9月20日・アメリカ・ニューズウィークのインタビュー
[記者] (前略)日本を開戦に踏み切らせた政策決定過程にも陛下が加わっていたと主張する人々に対して、どうお答えになりますか?
[天皇] (前略)開戦時には閣議決定があり、私はその決定を覆せなかった。これは帝国憲法の条項に合致すると信じています。
1975年(昭和50年)9月22日・外国人特派団への記者会見
[記者] 真珠湾攻撃のどのくらい前に、陛下は攻撃計画をお知りになりましたか。そしてその計画を承認なさいましたか。
[天皇] 私は軍事作戦に関する情報を事前に受けていたことは事実です。しかし、私はそれらの報告を、軍司令部首脳たちが細部まで決定したあとに受けていただけなのです。政治的性格の問題や軍司令部に関する問題については、私は憲法の規定に従って行動したと信じています。
1975年(昭和50年)10月31日、訪米から帰国直後の記者会見
[問い] 陛下は、ホワイトハウスの晩餐会の席上、「私が深く悲しみとするあの戦争」というご発言をなさいましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味ですか?また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか?(ザ・タイムズ記者)
[天皇] そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究していないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます。
[問い] 戦争終結にあたって、広島に原爆が投下されたことを、どのように受けとめられましたか? (中国放送記者)
[天皇] 原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っておりますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っております。
1981年(昭和56年)4月17日・報道各社社長との記者会見
[記者] 八十年間の思い出で一番楽しかったことは?
[天皇] 皇太子時代、英国の立憲政治を見て、以来、立憲政治を強く守らねばと感じました。しかしそれにこだわりすぎたために戦争を防止することができませんでした。私が自分で決断したのは二回(二・二六事件と第二次世界大戦の終結)でした。
著書
自身の著書
裕仁『日本産1新属1新種の記載をともなうカゴメウミヒドラ科Clathrozonidaeのヒドロ虫類の検討』(1967年、生物学御研究所)
裕仁『相模湾産ヒドロ虫類』(1988年、生物学御研究所)
宮内庁侍従職編『おほうなばら―昭和天皇御製集』(1990年、読売新聞社、ISBN 4643900954)
昭和天皇(山田真弓補足修正)『相模湾産ヒドロ虫類2』(1995年、生物学御研究所)
その他の著書
国立科学博物館『天皇陛下の生物学ご研究』(1988年、国立科学博物館)
田所泉『昭和天皇の短歌』(1997年、創樹社、ISBN 4794305222)
侵略戦争の罪と罰
なおここから数行はウィキペディア、『国防論』小林よしのり(小学館)と『いわゆるA級戦犯』小林よしのり(幻冬舎)から引用いたします。盗作ではなく引用です。あらかじめご容赦下さい。裁判とか勘弁してください。
東条英機が戦犯容疑で逮捕されたのは昭和20(1945)年9月11日、元首相・東条英機大将宅は、進駐軍の車が囲み、外国人記者で騒然としていた。GHQたちが「玄関を開けなさい!」と命令する。
「逮捕状を持っているか?」禿げ頭の東条が窓を開けて訊いた。「拘引命令書を持ってきた。マッカーサー司令部に行く用意をしろ!急げ!」「すぐ行く。」といって東条英機は窓を閉めた。しばらくして銃声が鳴った。
進駐軍の兵隊たちがドアを蹴り壊して屋内に入ると東条英機は心臓を狙ったのか銃を持ち胸からは血がしたたっていた。進駐軍は焦った。だが、東条英機はまだ息がある。この時、小林よしのり氏の漫画では米軍兵士が東条の服や私物を奪い合った、略奪があった、と描いているが事実ではない。そんな警察機関や軍組織はない。
「一発で死にたかった。……切腹も考えたがともすれば間違いがある。大東亜戦争は正しい戦いだった」東条は荒い息で言った。「天皇陛下万歳」
開戦当初、勝っていた頃は〝我らが東条さん〝と、庶民の人気が高かった東条だが、この当時は日本一悪評の人だった。「自殺未遂」の報が流れた時も…「ホントは死ぬ気じゃなかったんじゃないか?」「陸軍大将なのに拳銃の撃ち方も知らないのか?」負けたとたんに国民は手のひらを返した。
70年経ってもタカ派といわれる政治家までがテレビ番組でこう批判していた。「アメリカ兵は彼が手にしていた拳銃が決して致命傷に至らぬ最小の22口径なのを見て失笑したそうな(笑)。」(石原慎太郎談)。実際に東条英機が使ったのはコルト32口径。女婿の古賀少佐が玉音放送の後、自決に使った銃であった。古賀少佐は銃口をくわえて撃ったため、死体の顔は大きく損壊していた。東条は、米軍が自分の死体を見世物にすると予想し、心臓を撃ったのだ。
しかし、使い慣れない銃だったため、手元がくるったのだった。
アメリカへの盲従、中国や韓国への強硬外交、人気取りの為のパフォーマンスの訪朝とロシア利用……安倍外交には国家としての構想や長期的ビジョンが何もなかった。「独裁」への危険なステップを着々と踏みつつある安倍政権の動きを、国民は政治ショーに惑わされず、しかと注視すべきであった。殺されるのは違うが、もう独裁は去った。
あとは、日本人の覚悟次第である。被爆国としての核廃絶、それを目指せ!
おわり
<参考文献>
この作品の参考文献一覧をご紹介します。『東京裁判』(上)(下)児島襄(中公新書)、『東京裁判』(上)(下)朝日新聞東京裁判記者団(朝日文庫)、『私が見た東京裁判』(上)(下)冨士信夫(講談社学術文庫)、『秘録東京裁判』清瀬一郎(中公文庫)、『世界がさばく東京裁判』佐藤和男監修/終戦五十周年国民委員会編(ジュピター出版)、『日本の歴史30十五年戦争』伊藤隆(小学館)
『昭和史をさぐる』伊藤隆(朝日文庫)、『東京裁判 勝者の敗者への報復』新人物往来社戦史室(新人物往来社)、『別冊歴史読本 A級戦犯 戦勝国は日本をいかに裁いたか』(新人物往来社)、『東京裁判の全貌』平塚柾緒/太平洋戦争研究会編(河出文庫)、『看守が隠し撮っていた 巣鴨プリズン未公開フィルム』織田文二/茶園義男監修(小学館文庫)、『東条英機 大日本帝国に殉じた男』松田十刻(PHP文庫)
『祖父東条英機「一切語るなかれ」』東条由布子(文春文庫)、『大東亜戦争の真実 東条英機宣誓供述書』東条由布子編(WAC)、『週刊日本の100人東条英機』(ディアゴスティー二・ジャパン)、『昭和の発見』花山信勝(朝日新聞社)、『秋霜の人 広田弘毅』渡邊行男(葦出版)、『黙してゆかむ 広田弘毅の生涯』北川晃二(講談社文庫)、『落日燃ゆ』城山三郎(新潮文庫)、『昭和天皇独白録』寺崎英成/マリコ・テラサキ・ミラー(文春文庫)
『秘録 板垣征四郎』板垣征四郎刊行会(芙蓉書房)、『秘録 石原莞爾』横山臣平(芙蓉書房)、『コンビの研究 昭和史のなかの指揮者と参謀』半藤一利(文藝春秋)、『秘録 土肥原賢二 日中友好の捨石』土肥原賢二刊行会編(文藝春秋)、『軍務局長 武藤章回顧録』武藤章/上法快男(芙蓉書房)、『南京事件の総括』田中正明(展転社)、『「南京大虐殺」はこうして作られた』冨士信夫(展転社)、『日本陸軍 指揮官総覧』新人物往来社戦史室(新人物往来社)
『松岡洋右 その人間と外交』三輪公忠(中公新書)、『その時歴史が動いた13』NHK取材班(KTC中央出版)、『東郷茂徳 伝記と解説』萩原延濤(原書房)、『時代の一面』東郷茂徳(原書房)、『危機の外相 東郷茂徳』阿部牧郎(新潮社)、『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録』永野美紗子(南の風社)、『最後の参謀総長 梅津美治郎』上法快男(芙蓉書房)、『葛山鴻爪』小磯国昭(小磯国昭自叙伝刊行会)、『怒り宰相 小磯国昭』中村晃(叢文社)
『平沼騏一郎回顧録』平沼騏一郎(平沼騏一郎回顧録編纂委員会)、『大川周明 ある復古革新主義者の思想』大塚健洋(中公新書)、『決断した男 木戸幸一の昭和』多田井喜生(文藝春秋)、『木戸幸一関係文書』木戸日記研究会編(東京大学出版会)、『南次郎』御手洗辰雄編(南次郎伝記刊行会)、『忠鑑畑元帥』梅谷芳光(国風会本部)、『畑俊六 巣鴨日記』小見山登(日本文化連合会)、『橋本欣五郎一代』田々宮英太郎(芙蓉書房)、『荒木貞夫風雲三十年』有竹修二(芙蓉書房)
『駐独大使 大島浩』鈴木健二(芙蓉書房)、『佐藤健了の証言 対米戦争の原点』佐藤健了(芙蓉書房)、『鈴木禎一氏談話速記録』(上)(下)木戸日記研究所(日本近代史料研究会)、『完本・太平洋戦争』(上)文藝春秋編(文藝春秋社)、『嶋田繁太郎海軍大将裁判中参考資料』、『見果てぬ夢 満州国外史』星野直樹(ダイヤモンド社)、『評伝賀屋興宣』宮村三郎(おりじん書房)、『重光葵 上海事変から国連加盟まで』渡邊行男(中公新書)、『孤高の外相 重光葵』豊田穣(講談社)
『「勝者の裁き」に向き合って』牛村圭(ちくま新書)、『昭和の動乱』(上)(下)重光葵(中公文庫)、『共同研究パル判決書』(上)(下)東京裁判研究会(講談社学術文庫)、『パール判事の日本無罪論』田中正明(小学館文庫)、『國、亡ぼす勿れ 私の遺書』田中正明(展転社)、『平成22年版日本の防衛 防衛白書』(防衛省)、『海をひらく 知られざる掃海部隊』桜林美佐(並木書房)、『そのとき自衛隊は戦えるか』井上和彦(扶桑社)、『ホントに強いぞ自衛隊!』加藤健二郎・古是三春(徳間書店)
『別冊歴史読本 江田島海軍兵学校 写真で綴る江田島教育史』(新人物往来社)、『今こそ知りたい江田島海軍兵学校 世界に通用する日本人を育てたエリート教育の原点』平間洋一・市来俊男・雨倉孝之・影山好一郎・北澤法隆・齋藤義朗・中村梯次・左近允尚敏・長田博・手塚正水(新人物往来社)、『中国大虐殺史なぜ中国人は人殺しが好きなのか』石平(ビジネス社)、『TPPが日本を壊す』廣宮孝信・青木文鷹・監修(扶桑社新書)、『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』エマニュエル・トッド(藤原書店)
『原発と日本の未来 原子力は温暖化対策の切り札か』吉岡斉(岩波ブックレット)、『原発のウソ』小出裕章(扶桑社新書)、『福島第一原発「放射能の恐怖」全記録』(FRIDAY6・29増刊号)、『偽善エネルギー』武田邦彦(PHP新書)、『日本は原子爆弾をつくれるか』山田克哉(PHP新書)、『国土学再考「公」と新・日本人論』大石久和(毎日新聞社)、
『天皇論』の参考文献はウィキペディア、SAPIO誌(小学館)、小林よしのり『天皇論』(小学館文庫)、高谷朝子『宮中賢所物語』(ビジネス社)、高橋紘『平成天皇と皇室』(文藝春秋)、高橋紘『天皇家の仕事 読む「皇室事典」』(文藝春秋)、高橋紘+所功『皇位継承』(文藝春秋)、高橋明勅『日本の可能性』(モラロジー研究所)、原武史『昭和天皇』(岩波新書)、ラビダノート・パール+田中正明編『パール博士「平和の宣言」』(小学館)、半藤一利編『日本のいちばん長い日』(文春新書)など、である。後は皇室関連著書の名もない方のあまたの参考文献である。盗用ではなく、あくまで引用です。裁判とか勘弁してください。
ちなみにこの物語の参考文献は『ドキュメント―原爆投下 エノラ・ゲイ』ゴードン・トマス+マックス・モーガン=ウイッツ、松田銑(まつだ・せん)日本語翻訳(TBSブリタニカ出版、1980年本書からの引用と孫引き)、落合信彦著作物、堺屋太一著作物、司馬遼太郎著作物、藤沢周平著作物、映像資料NHK『その時歴史が動いた』『ザ・プロファイラー』『歴史秘話ヒストリア』『英雄たちの選択』『大河ドラマ』『NHKスペシャル』映画『パール・ハーバー』等他著作物です。ちなみに文章が似ている=盗作ではなくあくまで引用です。裁判とか損害賠償とかご勘弁下さい。また、詳しい歴史資料は『エノラ・ゲイ』(1980年TBSブリタニカ出版)で引用しています。孫引き引用である場合は「仕方なし」とお考えください。
新しい情報も加えましたが、2014年でエノラ・ゲイの乗員が全員死亡しましたので「戦後77年記念企画」として改めて加筆執筆いたしました。どうぞよろしくお願いします。違法な事は何もしていないとの認識で執筆(というかワードへの打ち込み)しました。至らぬ点は著者の〝若気の至り〝と思い勘弁してください。どうぞ温かい目でお読みください。
エノラ・ゲイ 原爆投下!広島長崎の原爆投下の真実 長尾景虎 @garyou999
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます