小片小説
渡貫とゐち
「交渉用デザイン」
「……こういった湯飲みしかなくて……すみません」
「いえ、お構いなく。珍しいデザインというわけでもありませんしね。嫌いではないです、魚遍の漢字が並んでいると、じっくりと見てしまうのですよ」
「お気に召したのであれば良かったです」
交渉の席である。
相手から出された湯飲みの中身の警戒をすることはあれど、湯飲み自体に警戒をすることはない。寿司屋に置いてあるような湯飲みである。探せばお土産屋にも置いてあるだろう……。
これを出されたからと言って、強く文句を言う男ではなかった。ここで文句を言えば、どれだけ心が狭いのか。器の小ささを決めつけられてしまうだろう……この湯飲みくらいだと。
中身を飲む気はないが、心の中では見えている漢字の読みを予想している。……湯飲みに集中し過ぎて交渉に集中できていない……もしかしてそれが狙いだったりするのか?
湯飲みに集中させ、交渉の内容をじっくりと考えさせず、契約を取るような――だとすれば術中にはまりかけていた。
危なかった……、とほっとした後で気を引き締める男が見たのは、対面に座る男の湯飲みだ。
あっちも同じく漢字だらけで……、と思えば、よく見れば違う。
漢字だけでなく、ひらがなもある……文字の連なりは文章になっていた。
「それでは、本題の方に入りたいのですが――」
対面の彼が湯飲みを回した。三百六十度、びっしりと書いてある文章は……カンペだ。
台本とまではいかなくとも、言うべきことをメモしてある。
これを誤魔化すため、魚遍ばかりを集めた湯飲みを出したのであれば……意図的である。
「こういった湯飲みしかなくて」ではなく、そういう湯飲みしか置いていないのだろう……カンペのために。
回転して読み進めていく形式だから、先の内容が丸見えだった。
「それではまず資料を、」
「いらん、理解した――本題に入った上での前置きはいらない。なにが欲しいのか、もっと深い話をしようじゃないか」
―― 完 ――
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