ソレイユの独り言 中編
夕暮れ迫るころ、ようやくルーク村に辿り着いた。
門番さんに聞いてハルド商会を訪ねてみれば、村の小さな雑貨屋で拍子抜けした。
本当にここにポーションがあるのだろうか?
半信半疑で店に入ってみれば、店主と従業員らしいふたりが、棚の整理をしていた。
私に気づいた店主に事情を説明してみれば、ぽっちゃり体型の店主が眉を下げた。
「生憎と今は在庫がありません。ですが、ご令嬢様をこのままお返しするわけにもまいりませんので、ご一緒にご領主様のもとへご同行いただけますか?」
「いえ! そこまでは迷惑をかけるわけにはまいりません!」
私は慌てて拒否したが、この丸顔の店主は、「まぁまぁ、そう言わずに」と、言葉巧みに私を領主邸へと誘っていく。
「きっとおいしい夕食が食べられますよ」
ニコニコ笑顔で言われた言葉に、私のお腹がクーと鳴った!
キャ――――ッ!
一生の恥?!
私が真っ赤になっている横で、店主はのん気にほほ笑んだ。
「私もお腹が空きました。今夜は冷えますから、温かい料理が食べたいですねぇ」
惚けてくれているのか、私は赤面しながらシュリーとともに、大人しく従うしかなかった。
ハルド商会の店主の名はベンジャミンさんというらしい。
ベンジャミンさんが領主邸の玄関のノッカーをたたけば、モノクルの紳士が顔をのぞかせた。
ベンジャミンさんとその紳士の話を聞いていると、ビクターさんというラドクリフ家の執事だとわかった。
ええぇ!
我が家のじいより全然若くてカッコいい!
ビクターさんは私を見て、目をしばたたかせていた。
私はその時になって、自分のひどい姿に気づいた。
男物のシャツとズボンに、草臥れた外套!
髪もグシャグシャで全身が汚れているじゃない!!
令嬢などとは微塵も思えないくらい、ひどい有様だった。
さっきとは一転青ざめていると、ビクターさんはベンジャミンさんと私をお屋敷の中に招き入れてくれた。
「騎馬は当家の使用人が責任を持ってお世話いたしますので、ご安心ください」
若い従士の子がやってきて、私に一礼するとシュリーの手綱を引いていった。
お屋敷の中は古いけれど、とてもきれいだった。
私がキョロキョロしていると、侍女がふたりやってきて、さっそく湯場へと連れていかれた。
お母様と同年代の侍女はリリーさんといった。
素早く着ていたものをはぎ取られ、ポイっと湯場の洗い場に座らされる。
すごく良い香りのする石けんで髪を洗われた。
二度も洗われた!
恥ずかしいッ?!
そのあとは「トリートメントでございます」と言って、別の液剤を髪に塗り込まれ、タオルパックしているあいだに、これまた違うモコモコ泡で体を洗われた。
全部を洗い流して湯場に放り込まれる。
リリーさんはニコニコ笑いながら、私を翻弄した!
湯場から上がると見たこともない化粧品で肌を整え、髪を乾かしセットまでしてくれる。
そのあいだに年配の侍女のマーサさんが、ボルドー色の艶のあるドレスを用意してくれていた。
リリーさんとマーサさんに着付けられて鏡の前に立てば、見違えるくらい自分が美人に見えた!
詐欺じゃない?
本気でそう思ったわ!
落ち着いたスクエアネックのハイウエストドレスは、滑らかな手触りで着心地が良い。
ドレスよりも濃い色の光沢のある靴も、丸みを帯びでかわいらしい。
髪をハーフアップに結い上げ、薄化粧を施された自分が自分ではないようだった。
夢見心地でマーサさんに手を引かれて向かった先は、お屋敷の食堂で、すでにラドクリフ男爵様ご一家がお待ちになられていた。
今度は一気に緊張して、何がなんだかわからないまま、席についてご挨拶をする。
私のマナーがどこまで通用していたかわからない。
こんなことなら、もっとまじめにお母様の授業を受けておけばよかったと、心から思った!
今更気づいても、あとの祭りだったわ!
ラドクリフ男爵様とご嫡男のレン様は、目が眩むほどの美しい殿方だった。
最初は緊張して上手に会話ができなかったけれど、巧みな話術で私の緊張を解してくれた。
私のお父様や弟とは全然違ったわ!
もうひとり小さなお子様がいて、超美少女かと思ったら、貴族子息の衣装を纏っていたので、思わず二度見してしまった。
私の子どものころより、美少女じゃない?!
ご三男のハク様とおっしゃるそうで、魔牛のステーキを小さくカットして口に入れると、幸せそうにチマチマハムハムと食べては、ほわ~と笑っていた。
なんだかハムスターみたいで、すごくかわいいんですけど!
何この家族!
ファンになってしまいそう!
もうお一方ご次男のリオル様がいらっしゃるそうだけれど、今はカミーユ村で流行病の対策をされているのだそうだ。
夕食の魔牛のステーキも柔らかくておいし過ぎて、飲み込むのがもったいないくらいだった。
嗚呼、ずっとかんでいたい……。
ハク様ではないけれど、私もほわ~となりそうだったわ。
そこはインチキ淑女の仮面を被って、なんとか誤魔化したんだけどね。
向かいの席に座ったレン様がほほ笑ましそうに見ていたのが、ちょっと気にかかる……。
デザートのアップルケーキも甘くおいしくて、涙が出そうになった。
もしかしたら私が生きている中で、これが最初で最後のご馳走になるかもしれないと、本気で思ってしまったわ。
晩餐のあとはお部屋を替えることになったんだけど、ハク様が食堂を出るとすぐに、黒と白の二匹のネコがハク様の足元にすり寄ってきて、白い子がハク様に飛びつき、黒い子がレン様の腕に飛び乗ってきて、「にゃーん」とかわいく鳴いて私を見つめた!
思わず緩みそうになる頬を押さえ、ワキワキと動いた指を誤魔化した。
危なかった……。
本性が出るところだった。
ハク様とはそこでお別れして、私たちは応接間に移動して、そこでポーションについてお願いをしてみた。
ダメで元々のつもりだったけれど、ラドクリフ男爵様は「薬草とポーションをお譲りしよう」とおっしゃってくださった!
私は飛び上がって喜びたい気持ちを抑え、とにかく一生懸命感謝を伝えた。
手持ちのお金は少ないけれど、必ずお返ししますと、必死で頭を下げた。
「あなたが頭を下げる必要はない」
レン様が優しくおっしゃってくださったのだ。
思わずホロリと涙がこぼれた。
無謀にも勝手に家を飛び出して、苦労してここまで来たことは、無意味ではなかった。
私の無鉄砲もたまには役に立った!
お陰で今夜はグッスリ眠れる気がした。
夜はご用意していただいた客間でゆっくり過ごさせてもらう。
真新しい夜着までご用意くださったお陰で、パンツ一枚で寝ないで済んだ。
ありがたや~。
夜着も柔らかな木綿でできた、かわいらしいデザインで、ちょっとテンションが上がった。だってレースがついてるんだもの!
一生無縁だと思っていた品物だ。
「乗馬服はお洗濯をしておりますので、明朝までにはご準備できます。御用がありましたら、こちらのベルにてお呼びください。それでは、お休みなさいませ、お嬢様」
笑顔のリリーさんはテーブルに飲み物と軽食を置くと、丁寧にお辞儀をして部屋から立ち去っていった。
少しだけ興味があったのでテーブルをのぞいてみれば、果実水と小さなお菓子が置かれていた。
食べたい、でも、厚かましいと思われるかもしれないし。
でも食べてもいいかなぁ……。
「食べればいいのでは?」
んん?
だれかの声が聞こえた気がして、振り返ってみてもだれもいない。
キョロキョロと部屋中を見回してみたけれど、私しかいないわよね?
「空耳かしら?」
それからもう一度テーブルに向き直って、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「食べよう! 遠慮しては、用意してくださったご好意を無駄にしてしまうわ!」
言い訳をしてから、おいしく食べさせていただいた。
メッチャ甘い一口大のケーキを食べて、私はジタバタと悶えていた。
この世にこんなにおいしいものがあるなんてッ!!
翌日。
目覚めるとすでに乗馬服という名の、ごく普通の男性用のシャツとズボンが用意されていた。
なぜかピカピカきれいになっている。
頭の中に「?」を浮かべつつ、手早く着替えて、身支度を整える。
お部屋には洗顔用のぬるま湯とタオルが用意されて、リリーさんが化粧水をたっぷりと塗ってくれた。
「こちらはぜひお持ち帰りください」
そう言って洗顔石けんの使い方から、化粧水・乳液・クリームの順番にしっかり肌に入れ込むようにと、熱く指導された。
私は言われるままにコクコクとうなずくだけだった。
今日は寝起きでも髪がキラキラ光り輝き、スッと滑らかな指通りで、あのゴワゴワ髪が一晩で生まれ変わっていたことに驚いた。
「洗髪剤とトリートメントに、お体用の洗剤液もおつけいたしますね」
ニッコニコの笑顔で使い方がレクチャーされた。
リリーさんの美容にかける熱量はすごいと思った。
違うか。
私の熱量がミジンコだっただけだ。
帰ったら、もっと気を使おうと心に誓った!
朝食は白パンとベーコンエッグに新鮮サラダと紅茶が供された。
至福のひと時だった。
ハク様はホットミルクを飲んで、白いおひげを作って笑顔になっていた。
かわいい。
連れて帰りたいかも。
「ダメですよ」
ラドクリフ男爵とレン様がにっこりとハモった。
もしや私の心の声がもれていた……?!
出発の時、マーサさんからマジックバッグを手渡された。
「こちらに薬草とポーションを入れてあります。ローテ領へお戻りになりましたら、中身をすべて取り出して、護衛の者にお返しくださいませ」
ニコニコと笑って、斜めがけバッグを首からかけられ、その上から外套を羽織らされた。
「ほころびた個所は繕っておきましたので、これで風雨が凌げますよ」
オンボロ外套のほつれを修繕してくれたの?!
「ありがとうございます! このご恩は一生忘れません!」
私は思わずマーサさんに頭を下げそうになったけれど、マーサさんはそっとそれを制し、笑顔で諭してくれた。
「ご貴族のご息女様が使用人に頭を下げてはなりません。常に堂々と胸を張り、美しくお立ちください」
その背筋の伸びた凛とした佇まいに、私はキュッと口元を引き結んだ。
そして、ラドクリフ男爵様ご一家に向けて、外套の裾を摘まんで、いんちきカーテシーを披露して謝辞を伝えた。
これが私の精一杯だから仕方がない。
領に戻ったら、もっとまじめにお勉強をしようと、心に誓った。
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