第15話 えーと、アレ、なんて言ったっけ…


「……これだけでは証明にはならんな……」


 御用商人の御曹司役――アノニムと、お付きのばあや役――エリスは、取りあえず審問を受けることになり、係官に書類の審査を受けていた。見ると上座には、辺りの役人とは雰囲気の違う中年男が、疲れ切った表情で座っている。フラスコから直接飲んでいるのは魔法薬ポーションの類いと思われた。

 アノニムは声にいらだちを乗せて話す。


「どこがです? ちゃんと当家の印も相手の印も揃っているでしょう? 目的は、書かれている通り軍馬用途の飼料買い付けです。つまりお国の事業ですよ?」

「貴族家以外の印など偽造が効くし、第一、ザルック商会など聞いた事もない……」


 鉄面皮な係官に対し、軽薄なほど嘲笑の表情を返す。……不思議だった。自分の表情が、声の調子が、思い通りにコントロールできる。それどころか、そういう自分自身を「そこは抑えた方が」「今はあえて誇張しても」と一段高い視点から見下ろして指示を下すもう一人の自分がいる。こんな感覚は、地球にいた頃を含めて、今まで感じた事がなかった。


「ええ、それは、こんな辺境、いや失礼、情報の届くのに月単位で掛かってしまう勤め先におられては、ね」

「坊ちゃま! 口が過ぎますぞ!」

「おっと、失礼。お国のために任務に精励されてる皆さんを、別に侮っているわけではないんです」

「…………」


 演じるのは、甘やかされて育った金持ちの息子。貴族ではないから国家の役人に対しては慇懃な態度を取るが、腹の底では見下している。それは砦の役人たちが日頃感じている商人像にぴったりはまっていた。……それに、国境沿いの僻地ゆえに、サンド砦あたりに王都の動静が伝わるのが遅いのは事実である。新興の商会が軍御用達の取引を得て、有頂天になっていても不思議はないのだが……

 目の前の若造に不快の念を感じながらも、係官は一種、納得に達しつつあった。で、ありながらも、最後の用心から裏付けを求める――


「どなたか、ザルック商会の保証をして下さる貴族の方がおられると……」

「ええ、それはもちろん、マクベイン伯爵家からの紹介状が……え? 先ほど提出した書類の中にあったのでは?」

「ないぞ? あったら、とうに保証が済んどる」


 当惑の表情で『ばあや』を見て


「ガーグリア?」

「……申し訳ありません、坊ちゃま……お屋敷に、置いたままに……私の手落ちにございます」


身も世もない風情でばあやは返す。


「な……なんてマネをぉっ!!」


 激発的に身を翻し、短杖ほどの皮鞭をばあやの頭に叩きつけた。バチーンと、部屋中の皆が身をすくませるような音が響く。


「ひいぃっ! お許しを!」

「ふざけるんじゃないよ! お前のせいで!!」

「申しわけございません! 申しわけ……ああっ!!」


 打擲は続く。見ている者が居たたまれなくなるような音が鳴る。


「大体おまえは、やることなすこと……!」

「お許しを……坊ちゃま、なにとぞ……」

「わざとだろ! 今度の仕事が後継ぎ試験だと承知で!」

「そんな……決して……ガーグリアは衷心から坊ちゃまの事を思って……」

「いい加減にしねえか!」


 たまりかねたといった表情で、ひげ面の警備兵が一人、割って入った。


「ぬ? 何のマネです? お役人とは言え、他家の事情に口出ししないでいただきたい!」

「他家の事情だあ? ガキが知った風な口利いてんじゃねーよ! 大体テメエ、気にくわねえんだよ……!」

「ガストン曹長」


 その時上座から、場に水を掛けるような声が響いた。相変わらず疲れた顔の審問官が、不機嫌そうに立てた親指を振って見せる。「流せ」のサインだ。


「さっさと次の審査に移りますよ。私たちの仕事は、しつけの成っていない子供の矯正ではありません」

「は……しかし……」


 係官の一人が顔を寄せてささやく。


「よろしいので? 一応、一人は初老の女が含まれていますが……」


 審問官は、不機嫌をいらだちにまで濃くして声を低めた。


「明らかに違う件にまで〝判定〟スキルを使ってられないんですよ! 手配相手はミュシャ神殿の神官長ですよ? それを、あんな扱い有り得ますか! 私が背負う余計な疲労を、あなたが肩代わりしてくれるとでも?!」

「それは、はい、わかりました。この連中は、お構いなしということで……」

「全くもう……杓子定規もいい加減にしてもらいたい!」


 貴重なスキル持ちの審問官は、砦には常駐しておらず、何か事件があった時だけ中央から派遣されてくる出向官吏である。地元官吏よりエリート意識が強い。さらにこの場で「負担をかけ続けている」という周りの空気もあり、この決定に誰も表だって異を唱えなかった。


 ◇


「それでは、お手数をおかけしました……」

「道中気をつけてな」


 サンド砦のフレイビル側門にて。深々と頭を下げる「ばあや」を、先ほどのひげ面曹長がやや気遣わしげに見送る。強面とは裏腹に情のある人物らしい。「坊ちゃん」は、あくまでいらだたしげに、不遜な態度でその場に背を向ける。曹長、これにはツバを吐きかねない視線で見送り、砦内へ戻って行った。

 しばらく無言で街道を進み、人の気配がない事を確かめて……


「……そろそろよいか。猫さま、ご不自由おかけいたしました……」


 言いつつエリスは自分の異空庫から専用背負子ごと猫さまを取り出し、肩に掛けた。猫さまはファーーッと毛を逆立てて伸びをしている。

 そう、異空庫は『設定』をいじれば生きものも一応は収まる。しかし収める生物のサイズが大きくなるにつれて、なぜかノイズのような魔力が漏れるという現象が起きるのだった。よって第三者から見て「ばれない」ようにする事は、実際的には非常に困難だ。今回は猫さまが気配を断つのに協力してくれたから何とかなったので、並の猫ではこうはいかないだろう。ありがとうございます。ご苦労おかけしました。


「……済みませんでした。痛くなかったですか?」


 さすがにひと言いっておかなければと、アノニムのばつの悪そうな謝罪を、エリスは笑って返す。


「何を、事前の取り決め通りではないか。それに私を侮りすぎじゃて。あの程度、撫でられたようなものよ。むしろ音がえらく派手なのに感心したわい。あれ、いくつか予備があってもいいのう……」


 使ったのは魔物の皮を折りたたんで作った、即席の「ハリセン」だった。類似の道具は「こちら側」にはなかったらしく、存分に観客の度肝を抜いてくれた。

 その時、何かのつっかかりが取れたかのように、アノニムの脳裏に思い出せなかった言葉がひらめいた。


「あー、『勧進帳』だ!」

「な、何じゃ?」

「いや、こっちの話です……」


 思い出すと顔がにやけてしまうのが止められなかった。砦を越える前に思い出さなくて良かった、などと思うアノニムだった。


 ◇

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