心強い証人

@kawagiri_san

 20XX年になるまで、その池に生け贄は投げ込まれ続けた。生け贄を出すことができない年は、例外なく災いが村を襲った。生け贄は人間の子ども──性別は問わない──に限られている。大人が池に身を投げようと、動物の子どもであろうと、池は満足しない。子どもに模した人形も、不幸な事故で亡くなった子どもの遺体も、池は知らぬふりを決め込んだ。生きた人間の子どもだけが、池を満足させるのだ。

 20XX年、ある科学者が池のある町へ住み着いた。科学者は人工知能の研究をしていたが、スキャンダルがあり学会を追放されていた。免許や資格といった彼の技術をほめたたえるものは全て奪われ、妻もスキャンダルをきっかけに彼のもとを離れた。

 科学者は幼い子どもと共に村へ来た。科学者の腰より背の低い、髪を二つ結びにした女の子だった。住人は色めき立つ。町にはもう、池へ捧げるための子どもがいなかった。

 町長は科学者の家へ赴き、事情を話した。町長は科学者の怒号と糾弾が頭から浴びせられるのを覚悟した。しかし、科学者は「いいとも」と頷いた。町長は帰り道、安堵を覚えながらも、何度も科学者の家を振り返った。本当にそこに家があるか、科学者はそこにいるのか、確認するかのように。

 その日が来た。科学者は池のふちに立つ娘に何かささやき、そっと背中を押した。とぷん、と小さな水音が立つ。すぐに池は静けさを取り戻した。池を去るとき、町長は科学者を家まで送っていった。

「うまくいくといいが」

 別れ際、科学者は独り言のように言った。町長はその言葉に違和感を覚えたが、ひとり娘を失った悲しみで気が動転しているのだと思い、触れずにおいた。

 無事、災いは退けられた。台風の進路は町を除け、地震計はぴくりとも動かない。

 ふたたび、町長は科学者の家へ赴いた。礼を言うためだ。

「あれから一ヶ月経った。災いは去ったのだ。貴方のおかげだ」

「待つのは一ヶ月でいいのかね」

「ええ。生け贄がない年は、われわれは無事に五月を越せませんでした」

 今は、六月の半ばだった。だから安心していい、と町長は念を押した。

 すると、科学者はぐっと前屈みになって、長い前髪をだらりと下げた。やがて、こらえるような笑い声が聞こえてきた。前髪の間から、科学者が歯を剥き出しにして笑っているのが見えた。

 くっと顎を逸らし、科学者は狂気じみた声で笑った。

「ざまあみやがれ! ざまあみやがれだ!」

 天に向かって叫ぶ。科学者は狂ったようにその言葉を繰り返した。町長は腰を抜かしながらも、逃げるように科学者の家を出た。

 科学者は大声で笑うのをやめ、ふらふらとよろめきながら自室へ向かう。

「カミサマだって、アレが人間だって認めたじゃねえか、なあ」

 電気のついていない自室には、雑然とものが詰め込まれている。パソコンに小型のモニタ。欠けた基盤。配線クリップ。モーター。断面から配線がはみ出た腕。子供用の下着。それらは全て、娘のメンテナンスに用いられていたものだ。

「アイリは、人間だったんだ」

 科学者は肩を震わせて笑いながら、ざまあみろ、ざまあみろと繰り返す。

 科学者は思い出したように携帯電話を取り出す。自分を学会から閉め出した研究者の連中に、この偉大なる発明を知らせるためだ。

 人間に限りなく近い思考能力を持つ人工知能を搭載したヒューマノイドロボット。科学者の発明は、学会を震撼させた。科学者は事実、天才であった。

 しかし、学会は科学者に厳しい非難の言葉を浴びせた。そんなものが人間であるわけがない。気味の悪いロボットだ。侮蔑と恐怖の視線が、科学者に注がれた。学会は科学者からあらゆるものを奪った。ただ一つ、科学者の発明品──幼い女の子の形をしたヒューマノイドロボットを除いて。

 科学者の口のはしから、だらしなく涎が漏れる。

「へ、へへっ、神様が証明してくだすったんだ。誰ひとり、文句は言えねえだろうよ……」

 震える手で、電話番号を打ち込む。

 世紀の発明に浮き立っている科学者は、新たに禁忌を犯したことに気が付いていない。殺人という重罪を。

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