異世界と繋がる不思議な絵
ヒトリゴト
第1話
最大の謎は、どうやって・どうして消えたのかわからなかったことだった。目撃情報はなく、自宅が荒れた形跡もない。まるで神隠しに遭ってしまったかのような失踪に、当時の地方紙でも大きく取り上げられたが、あまりの進展のなさに、その話題もすぐに消えていった。
警察の捜索もむなしく、陽雄は見つかることがないまま七年が経った。
日本では失踪から七年が経つと、失踪者が死亡したこととして処理される。実際の生死に関わらず、法的には死んだこととして扱われるのだ。
七月の終わり、陽貴の中学校が夏休みに入った翌日。
陽貴は同じ町内にある祖父の家を訪れていた。この七年間、定期的に掃除に訪れていて、家屋は大きく傷むこともなく、綺麗に維持されていた。陽雄の妻は陽貴が生まれる前に亡くなっており、現在この古式ゆかしい屋敷を管理しているのは朝峰家だった。
法的に死亡とされていても、掃除をしなくなるということはないだろう。陽貴の母はこの館を手放すつもりはなかったし、陽貴にとって屋敷の掃除は季節の行事みたいなものだった。
「疲れたぁ……」
夏に向けて生い茂ってい雑草を刈り終えた陽貴は、滝のように流れていた汗をシャワーで流して、風通しのいい縁側に寝転がった。温いはずの風も縁側だと心地よく感じられ、風鈴の音に耳を澄ませていると、眠気が襲ってきて目蓋を閉じてしまった。
陽貴はこの家に関する、ひいて陽雄に関する思い出はほとんどなく、憶えているものもおぼろげだ。しかし、その陽炎みたいな思い出が、今の陽貴を形作っていた。
季節は春か秋。何歳だったかはわからない。憶えていたのは、陽雄がキャンバスに向かって絵を描いていた背中だけ。しかしその背中が陽貴の心の深いところに刻まれ、眠っていた衝動を呼び起こした。
ぱっ、と目を明け、陽貴は体を起こし、縁側とは反対側の壁に掛けられている、この屋敷にはやや不似合いの絵を眺めた。
日本ではないどこか、異国の地の風景画。小金のなかに一戸の小屋が建ち、薄青の空の下を風が駆け抜ける。匂いを感じるほどの絵その絵は、陽雄が遺した最後の絵だった。
「まだ、じいちゃんみたいには描けないな」
少しノスタルジックになった陽貴は、ふと思い出した。
「アトリエの裏やり忘れてた」
シャワーを浴びたばかりでもう一度汗をかくのは嫌だな、と思いつつ陽貴は様子だけ確認することにした。大したことなければ、次回来た時でも大丈夫だと考えたからだ。そして幸いなことに、アトリエの裏の雑草はほとんど生えていなかった。
汗をかく前に戻ろうと踵を返したとき、陽貴の視界の端でなにかが光った。反射的に視線を向けると、アトリエのなかで何かが光っているのが、背の届かない小さな窓からうかがえた。
「なんだ?」
アトリエは陽雄が使っていたもので、絵の扱いに不安もあり、空気の入れ替えくらいしかしていない。電気ももう通っていないはずで、光源となるものはないはずだった。しかし、見上げる小窓からは光が飛び出ており、点滅を繰り返していた。
不審に思った陽貴は、母屋のなかにアトリエの鍵を取りに行き、好奇心のままにアトリエに戻って来た。ドアにあるすりガラスからも、まだ光は透けて出ていた。
やや滑りの悪い鍵を使って錠を解き、蒸し暑く埃臭いアトリエのなかに入っていく。画材道具と作られた作品に溢れた、絵描きの秘密基地みたいな場所だった。
陽貴は強まったり弱まったりする光の発生源をすぐに見つけた。
しかし、光るはずがないそれに足を止めた。
「ただの絵だったはずだけど」
光っていたのは白い布が欠けられたキャンバスだった。陽貴はその布の中身をみたことがあった。だからこそ、光るはずがないと知っていた。キャンバスが動かされた形跡もない。
だが、それは光っていた。しかも主張をするかのように光は強まる。
陽貴は恐る恐る布に手をかけ、そしてそれを退けた。
姿を見せたのは宗教画のように、なにかの場面を切り取った絵。
白銀の鎧をまとった男と、禍々しい黒い炎を両手に宿した男が、豪華絢爛な椅子の置かれた広間で対峙している。
今にも動き出しそうなその絵は、代わりに薄い光を灯していた。
陽貴は誘われるようにそれに手を伸ばし、触れてしまった。
「うわっ!」
陽貴の指が触れた場所から光が波紋を立て、そして目を開けていられないほど強くなる。
びっくりして尻餅をついた陽貴も、あまりの眩しさに顔を腕で覆った。
光りは十秒ほど続くと、次第に収まっていった。
強烈な光のせいで視界がぼんやりとしてしまった陽貴は、よろめいて後ろに突いた手の平の感触に違和感を覚える。
アトリエの床は木材で出来ている。軋みのある床だ。
しかし、陽貴の手の平に返ってきたのは固く、冷たい感触だった。ざらりとした表面が石だと教えた。
戻らない視力の最中困惑している陽貴が次に覚えた違和感は音だった。
喧しい蝉の音も、近くの小学校から聞こえて来る無邪気な声も聞こえず、しーんとしていた。
ようやく視力が戻ってくると、陽貴は違和感の理由に納得した。
そこはアトリエではなかったのだ。
じゃあここはどこなんだ、そう混乱した陽貴は勢いよく立ち上がってきょろきょろと周囲を見た。
石材の敷かれた床。体育館みたいな広さをした空間と、これを支える太い石柱。
「あ……」
陽貴の口から息が漏れた。心あたりがあったのだ。
来たことのない場所だった。しかし、見覚えはあった。
「そんな、まさか」
陽貴の予感は、二人の人物の登場によって的中する。
「魔王ディアボロス! お前を倒すッ!」
「フハハハハハ。できるかな勇者よ」
白銀の鎧をまとった男と、禍々しい黒い炎を両手に宿した男。
陽貴は信じられない現実を、口に出して認めた。
「ここ、さっきの絵のなかだ」
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