第57話 スキンシップ
バルカとメトーリアは城主部屋の天幕に戻ってきた。
天幕の天井はオークの巨躯も考慮にされていて高く作られていたが、それでもバルカが中に入る時にわずかに身をかがめなければならなかった。
メトーリアは敷き毛布が敷かれている自分の寝床に座り、その傍らに蒸留酒で満たされたピッチャーを置いた。
バルカはメトーリアに向き合うように少し距離を置いて座ろうとした。
「……石床は冷たいだろう。毛布の上に座ったらどうだ?」
と、メトーリアが提案した。
「いいのか?」
「別にかまわない」
「それなら……」
バルカはメトーリアの隣、同じ毛布の上に腰を下ろした。
囲炉裏の炎や錬金炉の熱で、煌々とした明かりと暖気に包まれていた大部屋とは違い、天幕の中は冷たく、照明杖の微かな光が膜内をぼんやりと照らしていた。
もうすぐ、冬が訪れる季節だった。
胡座をかいて座ったバルカはピッチャーを間に挟んで、メトーリアと酒を酌み交わした。
ハントがふたりに渡した酒杯はアクアル隊の備品で人間用だ。
その杯をふたりが持つと、同じ杯なのに、サイズ感があまりに違って見える。
杯は取っ手がない素朴なタンブラーだ。
メトーリアがたおやかな手で持っているのは、しっくりくる見た感じだ。
しかし、バルカの巨大な手の中にあると、まるでタンブラーが味見皿か何かのように小さく見えた。
(……あの時もこうやって、一緒に酒を飲んで一夜を明かしたよな)
バルカはアクアルの砦で一晩過ごした時の事を思い出さずにはいられなかった。
自分の寝ている部屋に、メトーリアが夜這いに来たあの夜を。
「それで、話というのは?」
「……」
メトーリアはなかなか話を始めようとしない。
「あー……酔いも回ってるし、真面目な話ならまた今度にしないか?」
「いや、少し酔っている方がいい。舌も回るし、喉も開くというものだ」
「そのわりには、言いあぐねてるじゃないか」
「む……じゃあ、単刀直入に聞くが、お前はこれからどうするつもりだ?」
メトーリアの口から飛び出した問いに、バルカはなんて答えたら良いのかわからなかった。それを見て、彼女の片眉がピクリと動いた。
「アルパイス様と交わした約束を、覚えているだろうな?」
「も、もちろん……ええっと……俺がフィラルオークを率いて、レギウラの縄張りから出て行く代わりに、お前たちアクアルの助けを借りる……とかだったよな?」
メトーリアはため息をつく。
「お前はアルパイス様に、アクアルの民の自由と人質の解放を要求した。しかし、その要求は当然、拒否された。だが交渉の結果、アルパイス様は最終的にはこうおっしゃった。
“フィラルオークが再び故郷で安寧と暮らせるようになるまで、メトーリアは貴様に預けよう。それ以降のことは、また話し合いの場を持つ"と。これに、お前は同意した」
バルカはグイッと酒をあおってから、自分の膝をバシッと叩いた。
「ああ! そう、そうだったっ」
とても重要な事をバルカがうろ覚えだったことに、メトーリアは呆れ、苛立った。
「お前の『オークの住み処を取り戻す』という目的はひとまず達成された。だから、“これからどうするつもりだ?"と聞いたんだ」
そう問い詰めてから、メトーリアはピッチャーを掴むと手酌で酒を注ぎ、ゴクゴクと飲み干していく。
「たしかに、アルパイスとはまた話し合わなければいけないが……い、今すぐに答えなきゃだめか? オークの里を奪還したかどうかも、まだアルパイスやレギウラの誰も、知らないわけだし」
レギウラから北上する道中、監視や追跡の気配は一切感じなかったのでバルカはそう言ってみるが、メトーリアは表情を曇らせた。
「それは少し考えが甘過ぎるんじゃないか……」
「どういうことだ」
「たとえば、私が密かに状況を報告してるとか。疑ったことはないのか?」
「報告してるのか?」
「ッ、いや、してないけど! いずれは、報告する義務がある」
「あるのか……」
「あるさ」
会話の最中にも、ふたりの酒はどんどん進んでいく。
「お前とレバームス卿はシェイファー館でアクアルとオークとの間に協力関係を築きあげたいとも言っていた。オークの里の復興支援を要請していたよな?」
「すでに、随分と助けてもらっている」
「代わりにお前達は私たちにとんでもないものを“武力を提供する"と言った。私たちを助けたいとも言ってくれた。かつて異種族のリザード族と友誼を結んでたのなら、オークとも有効を結べるはずだと」
「ああ、言った」
「そこまで言ってくれる相手に対して、付きっきりで霊体の治療さえしてくれたお前に対して、私はアルパイス様に報告する義務があると言ってるんだぞ? つまりレギウラとお前達オーク勢力を両天秤にかけているわけだ。嫌な女だと思わないのか?」
「……お前の立場じゃ、しょうがないと思ってる。妹のアゼルや領民の一部を人質に取られているわけだし」
バルカは、アルパイスに関しては、“なるようになるだろ”ぐらいにしか考えていなかった。
万が一、根の谷を越えてフィラルオーク達の住み処を侵略でもしようものなら、“レギウラからフィラルオークを撤退させるかわりに攻撃しない”という約束を違えたことになる。
そうなったら……その時にどうするか考えるまでのことだ。
そんなことよりも、メトーリアと、彼女が率いるアクアル隊がここまで一緒に来てくれたことへの感謝と……安堵の気持ちが強かった。
何があってもメトーリアや人質になっているアゼルやアクアルの人間に危害が及ぶようなことはしないつもりだった。
……たとえ、メトーリアと会えなくなっても。
「あー、もうッ」
メトーリアはうつむいた。うなじは赤く染まっていた。
片膝を立てながら体の向きを変えて、バルカに向き合う。
「ダンジョンで、初めて会った時のことを覚えてるか? お前は有無を言わさず攻撃した私を完全に返り討ちにした」
「きゅ、急に話が飛んだな――覚えてるぞ」
「あの時、何故お前は私に何もしなかった?」
「!?!? おま……メトーリア、お前やっぱり、酔っ払ってるだろ!?」
「私は、お前を本気で殺す気だった。たとえ、お前が私の実力を看破していて、何の
「な、なにが覚悟があっただよ! 記憶を捏造すんじゃねえッ。気絶から目覚めた直後、メチャクチャ焦ってお前、体のあちこちを調べてたじゃねーか!」
「な!? そ、そ、それは、当たり前だろ! 覚悟してても焦るものは焦るんだ!!!」
「なんだそりゃ……あの時、こっちは結構傷ついたんだからな」
バルカは串焼きを食した後、酒を一気に飲み干した。
より強い酩酊状態を味わうために、意識的に体の機能を制御する。
超越的なレベルに達しているバルカはそうでもしないと全く酔えないのだった。
しばらく、ふたりの間に沈黙が訪れた。
「……………………私に魅力を、感じなかったのか?」
「な ん で そ う な る」
もう、バルカは怒りさえ感じて、ぐらつく視界の中でメトーリアの姿を捉えて、睨んだ。
「だって、他のオークの男は隙あらば私をそういう目で見る。でもお前には全然そういうのがない。さっきだって、表向きは私と
「じゃあ、同胞達やアクアルの人間達の前で、番らしいことをしてもいいってことか?」
「え、あ……」
「そういうこと言ってんだぞお前は。分かってんのか」
「~~~っ」
「俺がずっと我慢をしているとは考えねえのか?」
そういってバルカは手を伸ばした。
「ひゃ!?」
子供のような声を上げてメトーリアはのけぞった。
だが、バルカは二人の間にあるピッチャーに手を伸ばしただけだった。
メトーリアの反応を見たバルカは可笑しいような、がっかりしたような、なんともいえない気持ちになって、酒を飲むことで気を逸らそうとした。
メトーリアの反応を全く気にしてない風を装って、ぽつりと聞いてみる。
「お前は、演技なら皆の前で、俺と番らしいことをしてもいいって思ってるってことか? そのほうが、いいと?」
「……わからない」
「なんだそれ」
「本当にわからないんだ。お前といると、自分が変になる」
「……」
「最初はアクアルの砦でお前と一夜明かしたあの時だ」
「えッ?」
驚くバルカ。メトーリアは、太腿の上で包み込むように両手で持っていた杯に視線を落とした。
「あの時私は、なぜかお前と亡きお父様を重ね合わせてしまった」
「…………へ? お、親父さんと??」
あまりにも意外なことを言われ、バルカは複雑な思いに駆られた。
やはりメトーリアは泥酔状態で頭が混乱してるのかと思った。
だが、アクアルの砦での一夜とは違って、今の彼女からは甘ったるい体香が漂っていた。
「……親父さんと俺は、似てるのか?」
「バカを言うな。似ても似つかない。お父様は人間の成人男性としてもどちらかというと小柄なひとだった。オークのお前とは何もかも全然違う」
メトーリアが言ってることは、支離滅裂なようにしかバルカには思えない。
「似てないんなら、重ね合わせたってどういうことだ……」
「ぅぅ……それは……」
メトーリアはもじもじしながら、両手の指で杯を弄くり回す。
「…………多分、抱き上げられたから。子供を抱き掲げるみたいに」
メトーリアがデイラの命令でバルカを誘惑しようと体を重ねようとしたあの時。
確かに、バルカはメトーリアを抱き上げてその行動を阻止した。
「ははは。たしかに小さな子供を抱き上げる感じだったな」
「わ、笑うな」
「すまんすまん。じゃあ、あれだ。番のフリをする練習がてら、また抱き上げてやろうか?」
そう言ってピッチャーを傾けて酒を注ごうとするバルカ。
「…………………………やってみろ」
冗談のつもりで言ったのに、まさかの応えが返ってきて、バルカの体は硬直した。
ピッチャーの注ぎ口から蒸留酒の雫が垂れる。もう中身は空になっていた。
「だってオークの番は大部屋で今やってる酒宴で、お互いの体をぴったりと寄り添わせていたじゃないか?」
絶句しているバルカにメトーリアは言う。
「私を抱き上げるくらいのスキンシップをしなければ、一部のフィラルオーク達は私たちを番とは思ってくれないんじゃないのか?」
「わかった」
そう言ってバルカは立ち上がった。
自分とメトーリアが番だと見せかける必要があるのはアクアルやレギウラといった人間
人間と言葉を交わせないオーク達にも、偽りの番を演じてみせる必要があるのかとか――そんな考えが一瞬よぎった。
今、メトーリアが泥酔状態であるのをいいことに、どさくさ紛れにこのようなことをするのはいかがなものかとか。
そのようなことも、考えないでもなかったが。
肩に羽織っていた外套がするりと落ちて、薄暗がりの中、全身の体のラインが露わになっている隠密服姿の、メトーリアの肢体が立ち上がるのを見て、バルカは何も考えられなくなった。
メトーリアの両腋の下に手を滑り込ませ力を込めた。
滑らかな肌に野太い指がめり込むと、メトーリアの手も動いて、バルカの腕を掴んだ。
小さな子供を抱き掲げるように、バルカは軽々とメトーリアを持ち上げた。
「どうだ? 親父さんを思い出すか?」
「……っ」
メトーリアは口を開けて、何か言おうとした――が。
「メトーリア様!!!」
いきなり外から聞こえてきた声にメトーリアもバルカも、固まる。
「下にいるメリルさんとハントさんから聞きましたよッ! 『お酒は絶対ダメ』って私言いましたよねッ!!」
治療士のニーナだった。
彼女はいつもの柔和な物腰がどこぞに吹っ飛んだ様子で、かんかんに怒りながら天幕の中に入ってきた。そして――。
「…………え?」
幼い子供が「高い高い」をされているように、バルカに持ち上げられているメトーリアの姿を見て目を丸くする。
「え? え? あの、えっと……お取り込み中でしたか? っていうか何のプレイですかそれ」
「~~~~~~~~~っ」
「イヤ、これはその、なんだ。オークの番がよくやる、スキンシップだッ」
適当なことを言いつつ、メトーリアを降ろすバルカ。
「そ、そうですか。そうですよね! おふたりは、お付き合いしてるんですもんね! いや、あの、その、なんか邪魔してすみません」
わなわなと手をこまねきながらニーナはメトーリアの顔を覗う。
若きアクアル領主の顔色は、今までニーナが見たことのないものだった。
「えとー、私、今日は――いえ、今日からは下の階で寝ますね。メトーリア様、明日の朝、二日酔いの薬をお持ちしますねっ。それでは、おやすみなさい。しつれいしますぅ~……」
そう言って、ニーナはそそくさと天幕から出て行ってしまった
しばらくの間、バルカとメトーリアは無言のまま呆然としていた。
「もう、寝るか」
「……うん」
こうして、ふたりは久しぶりに、アーガ砦を拠点にかまえてから初めて、寝床を共にした。
× × ×
天幕の中。
ニーナが寝ていた場所で眠っていたバルカは、けっこうな頭痛の中、目を覚ました。
飲酒による、浅い眠りから来る中途覚醒などではない。
二日酔いながらも、バルカの感覚は鋭敏だった。
天幕の外に誰かの気配を感じたのだ。
ここは砦の城主部屋。
深夜に、来訪する者などいないはずだ。
「うう~……」
睡眠中のメトーリアの呻きが聞こえる中、バルカは体を起こして身構える。
「バルカ」
聞き覚えのある声だった。
バルカは立ち上がって照明杖を手に天幕の外に出た。
「こんな夜更けにどうした?」
天幕の外に佇んでいたのはネイルだった。
メリルの話では、酒はそれほど飲んでいないらしいが、頭痛に苦しんでいるのか、頭を片手で押さえている。
「バルカ、オレ、おもい、だした」
バルカは目を見開いて、驚愕した。
たどたどしい口調だが、ネイルが今話しているのはオーク古語ではなく、人間やエルフ、バルカのような呪いにかかる前のオークなど、多数の種族が使用する言語……
「バルカ……オレ、沼地に来る前は、“霧を立つ崖"の向こう……地の、底にいた。そこからやってきた」
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