第26話 宴-オークが友好種族だった頃-

 シェイファー館に夜が訪れた。

 大広間にハーブ園で働く者達が集まりだしたころ、バルカとレバームスが姿を現した。

 ふたりが敷かれた絨毯に沿って進むと、人々はバルカと視線を合わせるのを避け、たじろいで距離を取る。

 人間達に好奇や蔑みの目で見られることには、昔は慣れていたバルカだったが、空間に充満している警戒心と怯えの匂いを嗅いで、この場に自分がいるのは場違いなんじゃないかと心細くなる。


「レバームス」

「なんだよ」

「お前、俺から離れないでくれよ……」

「気持ちの悪い事言うな。おいッ、デカい図体を寄せてくるんじゃない! シャキッとしろッ。アゼルの嬢ちゃんが色々と質問してくるだろうから、ゆっくりとした口調で淡々と話せ。ちょいと声に“力”をこめて話せ。大きな声を出さなくても、この場にいる全員がお前の話を聞こえるようにしろよ」

「わかった。ん? アゼルが、質問?」


 その時、朗らかな声が聞こえてきた。


「バルカ様、レバームス様。ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへっ」

  

 アゼルが迎えに現れ、メトーリアや自分に近い来賓席へ招く。

 今の彼女は、肩上で切りそろえた、夕陽のように赤い髪に合わせた、可愛らしいが控えめな色のドレスを着ていた。

 バルカは席に着きながら、メトーリアをちらりと見た。

 アクアル領主であり、シェイファー家当主であるメトーリアは緊張した面持ちで立っていた。

 宴用の服を着ているが、それは決して派手なものではなかった。

 バルカは知らなかったが、今の彼女の装いは、この時代の女性領主が好んで着用するものだった。

 淡い青色の生地に、白いレースがあしらわれた膝丈の衣は、ドレスというより、色合いを除けば女戦士・騎士の礼服といった風情だった。


 バルカの寝室にやってきた時に着ていたナイトドレスのような、色っぽさや際どさとはまた違った美しさがある。

 いざという時は動きやすそうな、機能性も感じられ、


(さすがだ……)


 と、バルカは見とれながらも場違いな感想を心の中で呟いていた。


「むう」


 最年長の家臣ウォルシュが、のどの奥から唸り声を絞り出しながら、メトーリアを凝視するバルカを睨めつける。

 バルカは慌てて、視線を外した。


 やがて、メトーリアがこういったことに慣れてない様子がありありの体で、二言三言、ぎこちない挨拶の言葉を述べて宴は始まった。

  

 アゼルはオークのバルカに、興味津々の体で色々話しかけてきた。


 

 その様子には多少演技めいたものが含まれているとメトーリアは気づいたが、バルカは分かっていないようだった。

 他の人間・・・・・・アクアルの家臣たちも、バルカの話に興味は持っているようだった。

 そこは、昨日の印象とはまるで違う。

 どうやら、レバームスの存在が大きく影響しているようだ。

 レバームスはアルパイスの城に拘束されかけた。

 そのことは伝わっているようで、つまりは魔王討伐戦に貢献した本物の賢者レバームスである信憑性を高めたようだ。

 そのレバームスが昨夜はオーク達と共に一夜を明かしたと知り、バルカに対するアクアル家臣団の態度は幾ばくかは軟化しているのだった。


 魔王討伐戦時代の話や、本当にオークが昔は友好種族だったのかとか。オークの国とはどのようなものなのか・・・・・・等々、バルカはアゼルに質問攻めにされていた。


「魔王が現れる前、オークの国の君主が病で亡くなり、後継者争いが起こった。俺の氏族、オリジニーは何度も君主を輩出した有力氏族の一つだった。俺の親父は当時の君主に仕える戦士長だったが、親父もその争いに参加した」


 バルカはレバームスの助言通り、ほんの僅かに発する声に魔力を込めていた。

 咆哮魔法の応用だ。大声を張り上げているわけでもないのに、朗々とした声は広間に響き渡り、皆の耳に届く。


「ってことは、オーク同士で戦争してたってことですか?」

「いやちょっと違う。ただ継承権を持つ氏族長が親父の他にも何人もいたから。決闘に次ぐ決闘が次々と行われ——」

「決闘!?」

「そうだ。決闘は全てを解決する。君主になりたい者同士の力比べだ。関係ない者を大勢巻き込む戦よりずっといいだろ? 親父は最後の決闘で、アモルシン氏族の男、エルグに負けて新君主はエルグとなった。

 ——ん? いや、親父はその時死ななかったぞ? 普通に生きていたさ。オークの決闘はどちらかが死ぬまでやるものではないからな。もちろん命をかけた危険なものだし死ぬ危険もあるが、打ち負かして誰もが勝敗が決まったと分かった時点で終了だ」


「なるほど、たしかに戦争するよりずっと平和的・・・・・・と、いえるかも」


 と、アゼルは頷きながら納得してみせる。

 場は静まりかえっていた。

 いつの間にか、バルカの話に監視役のレギウラ兵を含めた全員が聞き入っていた。


「だがいいことばかりじゃない。圧倒的な強さを見せつけて勝利しないと別の挑戦者が引っ切りなしに現れ続ける。親父はまだ子供だった俺を次期君主として相応しい戦士になるようにと、試練の旅に出した」

「試練の旅?」

「そうだ。世界を旅して大業を成し遂げ、比類無き強さを身につけた者が君主になれば、尊敬と畏怖の念を勝ち得て、おいそれと挑戦してくる氏族長はいなくなる。オーク全体に長い平和が訪れるんだ。他の氏族も見込みある者を旅に出させた。だがそれからしばらくして、魔王が世界に襲来した」

「ああ・・・・・・」

「魔王討伐戦が起こり、俺はそれに参加した。己を鍛え、力を示すまたとない機会と思ったからな。付け加えておくと、あの頃オークはゴブリンと戦争になった」

「ゴブリンと?」

「奴らは昔から地下世界に通じる洞窟から這い出て、山林や荒野に潜み、友好種族の里を略奪する悪質な奴らだったが、魔王の軍門に降ってからは本格的な戦争を仕掛けてきたんだ」


(そう、敵性種族というのは魔王の手下に成り下がった連中のことをいうのであってオークは敵性種族じゃなかったんだぞっ)

 と、内心で息巻くバルカ。


「話がそれたな。とにかく魔王討伐戦の間、君主に決闘を申し込むのは禁じられた。国の実権はエルグと彼の妻、ルサイド氏族出身のゼラが取り仕切っていた。俺は魔王討伐戦に参加し、ベルフ・・・・・・ベルフェンドラという人間の男をリーダーとしたパーティを結成した」


 室内がどよめいた。

 

「ベルフェンドラ!?」

「あの魔王を討った勇者ベルフェンドラ・ストレインですか!!?」


 老臣ウォルシュとアクアル一の治療士のニーナが驚嘆の声を上げる。


「そうだ。今ここにいるレバームスやパーティの仲間達と共に、各地の魔物退治や、呪いを解く旅をしていた。魔王に対抗するため当時の冒険者ギルドは組織を拡大化し、次々と新しい武具を造り出していたし、異種族の交流が盛んになった影響で、多種多様なスキルや魔法がどんどん編み出されていった。己を鍛えるにはまたとない好機だ。

 さらに、オークだけではなく幾多の種族を救えればこの上ない偉業といえるしな。戦の終盤は戦士長としてオークの軍を率いて魔物や敵性種族と戦った。

 魔王が討伐された後、すぐにでもエルグに挑戦するつもりだったが、ベルフェンドラやギルドの重鎮達に、敵性種の殲滅封印戦にも是非協力してくれと懇願されて・・・・・・」

「そして、アクアルのダンジョンに赴いた、と・・・・・・」

「ああ。そうだ・・・・・・殲滅が完了すれば故郷に帰るつもりだった・・・・・・」


「懐かしいな」

 と、レバームスがぼそりと呟いた。


「・・・・・・四百三十年眠っていた俺にとってはついこの間の出来事なんだがな」

「今となっては当時を知っている者は僅かだ。歴史は敗者の声を記さない。オークは言葉が話せなくなるほどの知性退化の呪いをかけられ追放された。ギルドによって真実は歪められたんだ」


 レバームスは、酒をあおりながら、バルカの話を補足する。

 ギルドに反抗してお尋ね者になっているとはいえ、伝説に名を残しているアズルエルフのレバームスがバルカの話はほら話ではないと保証しているのだ。


 アゼルやメトーリアを含め、宴席にいる者達は、バルカの話にそれぞれ思うところがあるようで、互いに囁きあい、なかにはバルカの話に深く感じ入っている様子の者もいた。 


 バルカはアクアル民から漂っていた匂いが若干変化したのを感じた。

 匂いでは繊細なニュアンスまでは判別できないのだが、それでも彼らの自分に対する非友好的な気配が若干和らいでいるのは分かった。


(アクアルの人間はかつては追放種族リザードと交流を持っていた。だが今はレギウラに人質を差し出す奴隷同然の扱い・・・・・・オークと同じ境遇というわけでは無いし、完全に今の話を信じたわけではないかもしれんが、共感や同情はしてくれたということか)


 唐突にアゼルが話し出す。


「バルカさん。当時、アクアルのダンジョンには一人で・・・・・・?」

「いや、ダンジョンの封印作業ゆえそれなりの人数を伴っていた。思えばあいつらはギルド直属の冒険者だったな・・・・・・」

「つまり、その同行者達がギルドの密命を受けて、マジックトラップを発動させ、あなたを生き埋めにした可能性が高いですよね?」

「というか、まず間違いなくそうだろうよ」

「バルカさん、もしかしたら、私たちアクアルの民・・・・・・特にシェイファー家の血を受け継ぐ私と姉様はあなたを騙し討ちした同行者の子孫だと言ったらどうしますか?」

「!? なぜそう言い切れる」

「アクアルは十数年前まで、同盟領域とはいえ、辺境の飛び地として存在した里です――」


 アクアルはギルドに加盟していたとはいえ、十数年前まではギルドから直接的な干渉を殆ど受けていない小国だった。

 そして領土を代々、治め続けてきたのはシェイファー家であったことを告げる。

 ダンジョン跡地を禁足地として定めていたのもシェイファー家だ。

 ということは・・・・・・。

 

「元々私たちの祖先はあなたが封印されているダンジョンを守り、監視していた。あなたを救出しようとする者が現れたり、あなたが自力で復活するかもしれないのを畏れて。そんな事態が起きた時には、同盟中枢部に即連絡できるようにギルドクリスタルも設置されていた。

 でも十年、五十年、百年と時が経つにつれて、あなたの復活はもはやあり得ないと、ギルドのお偉方や私たちのご先祖が考えたのか。それとも時が経ちすぎて忘れられたのか。封印されている事実そのものさえ隠匿したのか。それは分かりませんが、でも古い文献や記録を調べた結果、事実はそうなんです」


「・・・・・なぜ、今、そんな話をする?」

「あなたは、あなたを裏切った人間の子孫が憎くはないのですか?」

「まったく・・・・・・レバームスと同じ事を聞くんだな。親が罪を犯したとしても、その子や孫には何の罪も無い。メトーリアにもそう言った。逆に聞くがなぜ大昔の祖先の所行で責められ、憎まれると思うんだ?」


 バルカが放った言葉は、広間にいたアクアルの家臣団と領民達に衝撃を与えた。

 現在、まさに、同盟から連座の罪を課せられ、アクアルは隷属国としてレギウラに服従するのを強いられているからだ。


 その処遇は、誤りであると言うも同然のことを、心せずとも発言したバルカに、衝撃を受けつつも、家臣達はそれぞれ思案顔になる。

 かつて勇者パーティに所属していたというオークの戦士バルカと交誼を結べば、アクアルの未来に大きな影響を及ぼすことになると、誰もが予感していた。

 だがそれは良き未来なのか。悪しき未来か。その判断がつきかねているようだった。


「人間がそうだからだよ」

 

 バルカの疑問に、レバームスが答える。


「人間は昔から生き残るために、協力し、道具を生み出し、エルフから魔法を学び、考え続けて、あらゆる万難を排そうとしてきた。敵を怖れ、不安を解消するためだけに、“まだ脅威になるかも分からない存在さえ事前に排除する”そして、そんな人間は、過去の屈辱や敗北、恨みを語り継ぎ、決して忘れない。そんなんだから怖いのさ。他種族が。よそ者が。自分達の過去の所業を知っている者が。だから、聞くのさ。“憎くないのか?”とな」


「オークは・・・・・・少なくとも俺は違う。全然気にしていない」


 バルカはメトーリアを見つめた。


「本当だ」


 まっすぐ見つめてくるバルカの視線にメトーリアは目を瞬かせ、俯いてちびりと酒を飲んだ。


 バルカは視線を落とし、軽く咳払いして頭を掻いた。

 本当のことだ。

 あの時……魔王討伐戦で勝利するためには、種族間、国家間のわだかまりを一切捨てなければならなかったのだ。

 あの時代の苦闘を、結束を、わきまえ尽くしているバルカだからこそ、言えるのだった。

 ふとその時、レバームスとアゼルが互いに目配せしたのをバルカは見逃さなかった。


(このふたり、事前に何やら示し合わせていたんだな。)


 レバームスはおもむろに、立ち上がった。


「さて、アクアル領主、メトーリア・シェイファー・アクアルとその妹君アゼル・シェイファー・アクアル。並びに家臣団とアクアル領民の皆さん――」


 何やら演説めいた口調で、レバームスが話し始めたとき……。


「ガウ! ロアア!!! ロ・バルカ!!!」


 咆哮を放ちながら、広間に乱入した者がいた。

 シェイファー館の外にいたフィラルオークのネイルだ。

 場内の人間達が驚きの声を上げる中、血相を変えて、ネイルはバルカの元へ駆け寄っていく。

 

「おい、ネイル。館の中には入ってくるなと――なんだ? 一体どうした」


 叱責しかけたバルカが怪訝な表情をして尋ねる。

 ネイルは明らかに動揺していた。


「ロ・バルカッ!」

 

 バルカの名を叫んだ後は、しきりに古語で「敵」「気配」といった言葉をネイルは繰り返した。

 

「すまんが、席を外すぞ。同胞達の様子を見てくる。レバームスも来てくれ」

「なんだよもう……わかった」


 すると、アゼルが割り込むようにして声をあげた。


「お姉様も、ご一緒した方がいいのでは?」

「えっ、なんで――」


 と、言いかけてメトーリアは自分とバルカの関係の“設定"をすっかり忘れていたことに咳払いし、立ち上がった。


 バルカ達は武器を持って、館の外のオークの野営地へと急いだ。

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