第21話 アルパイスとの会談

 バルカ一行はデイラ達と合流した後に、レギウラの王都メルバに到着した。

 メルバは王城を中心とした城下街であり、アクアルと違って住人数が数千人規模の大きな都市だ。

 町外れにはハーブ園があり、シェイファー館はその中に位置していた。


 様々な治療薬や魔法の効果をもたらす霊薬や、毒薬の原材料になる何種もの薬草が栽培されていて、その管理や薬の精製などの役目をメトーリアの一族は課せられているのだ。


「こりゃいい。オークの治療薬の開発に使えるかもな」


 道すがら、ハーブ園を見渡してレバームスが軽口をたたく。

 総勢、百を超える数になったフィラルオーク達は、さまざまなハーブの匂いに鼻をひくつかせたり、遠方に見える公王の城を眺めたりしながら落ち着かない様子だ。


 そんな彼らの指揮をネイルに委ね、シェイファー館に滞在する間、バルカは群れと別行動を取ることに決めた。

 バルカが知らなかったことだが、食用可能な種の魔物の肉は非常に栄養価が高かった。

 元々、肉食動物のように食いだめができるオーク達は充分な食餌にありつけて、満足しているようでこれまで以上にバルカと、そしてネイルに対して従順になった。

 アクアルの狩り場で出会ったネイルはバルカに次ぐ高レベルの戦士なので、群れの副官のような立場に自然となっていたのだ。

  

「ネイル、近くの森で待機だ……デ・ヒューム・ウェイ。オル、それから――」


 バルカは古語で、「近くの山林で待機し、人間に出会ったら遠ざかれ」……などと指示を与える。

 ネイルはいちいち大きく頷きながら理解の意を示した後、同胞達を引き連れていった。


 シェイファー館は人質になっているメトーリアの妹アゼルや一部の家臣とその子弟が住まう居館だ。

 人質に取られているといっても、ハーブ園で働くアクアルの領民に常時監視の目があるわけでもなく、ごくゆるい軟禁状態におかれているようだった。

 しかし、メトーリアの妹アゼルだけは、館の外に出ることは禁じられていると、メトーリアから聞いていた。

 

 アクアルがレギウラ公国に人質を差し出すようになったのは十数年前。

 レギウラの建国時期と重なる。

 ギルドからの命令で、レギウラへの臣従を余儀なくされ、そのときにアクアル側が人質を差し出すことが決まった。


 そうなるまでの経緯は、いくつかの要因があるが、決定的な理由はギルド勢力との戦に敗れて敗走する敵性種族リザードを、先代アクアル領主スガルが追撃せずに同盟領域外へ逃がした事だ。

 メトーリアの父、スガルが亡くなるまではメトーリアが人質となっていたが、その期間は僅かだ。

 彼女が当主の座を引き継ぐと、彼女の妹アゼルが代わりに人質となり、以来、シェイファー館に閉じ込められて生活しているという。


 バルカはメトーリアやレバームスから全てを事細かに聞いているわけではないが、そういう事情を呑み込んではいる。

  レギウラ公アルパイスが、会見の場に、件のような事情背景があるシェイファー館を指定したのはいかなる理由があるのだろうか。


「メトーリアに改めて思い知らせるためじゃないかねぇ。“自分の立場”ってやつを」


 と、レバームスはのんびりした口調で推論を述べ始める。

 一行を先導しているデイラ達は離れているので、話を聞かれる心配は無い。


「メトーリアに誘惑されて、籠絡されたお前がフィラルオークを鎮圧している……と、見せかけているわけだが、逆にメトーリアがお前にメロメロになっていて……いや、あるいはメトーリアが、“かのオークの英雄バルカーマナフ”を尻に敷けることに増長してレギウラに反抗するんじゃないかと危惧してたりとか?」

「ば、馬鹿いえ」

「アルパイスならそういった事を想定していると思う。聞けばお前、最初からデイラのことはこき下ろして、メトーリアには礼をつくした態度を取ってたんだろ?」

「あ、そういえばそうだな……」

「とにかく、人質を取られて自由がない身の上だって事をメトーリアに改めて思い知らせるために、会見場所をここに選んだんだろうよ。それに、ギルド同盟に加入している国の王が敵性種族と対面するなど、異例中の異例だ。王城で謁見するわけにはいかないだろうからな」


 つまりは、シェイファー館での会見は、ギルド同盟所属のレギウラ公国としては非公式かつ秘密裏なものである……と、いうことだ。


 シェイファー館にたどり着くと、館門には警衛と監視の為の衛兵がいた。

 彼らはデイラに一礼すると門扉を開け、続いて館の扉を開ける。


 デイラが威張り散らすような足どりで前を進み、館内を先導していく。

 どうやら、屋敷の内部を我が家のように、知りつくしているらしい。


 シェイファー館は小さいながらも城郭に似た構造を持つ、城館だった。

 貴族の居館のような装いだが、玄関ホールはこぢんまりとしている。

 窓が少なく、大きい窓はどれも格子付きで、そこは人質用の館らしく厳めしい雰囲気があった。


 石畳の通路を通り、迎賓用の部屋にバルカ達は通された。

 大きなテーブルの向こう側に、アルパイス・テスタード・レギウラが立っていた。

 格子窓から外の景色を眺めていたアルパイスは振り返り、バルカと向き合った。


 一目アルパイスを見たバルカの第一印象は、


(メトーリアよりでかいな)


 で、あった。長身のメトーリアよりもさらに背が高く、領土を治める王になってから十年以上が経つ身でありながら、鍛錬を欠かしていないようで、メトーリアよりも筋肉質だった。

 腰に携えているのはメトーリアと同じような類の長剣だったが、それよりも大きくて幅広の大剣が似合いそうだ……などと、実にオーク戦士らしい感想を抱いていた。

 いつの間にかアルパイスの傍らへと移動しているデイラと見比べると、たしかに親子だけに似た相貌をしているが、神経質そうなデイラと違って堂々とした佇まいのアルパイスは力強さと威厳に満ちていた。


 アルパイスはわずかの間、レバームスに視線を向けた。

 レバームスは“どうも”とでもいうかのように片手を上げて、にこりと笑う。

 それに対するアルパイスの反応はない。

 彼女が無言でテーブルの席につくと、バルカは対面にあった無骨で大きな椅子に視線を落とした。

 巨大な何かの骨を加工して造った、見る者によってはおぞましさを感じる椅子だった。

 オークの巨体も安々と収まりそうなその椅子を見て、おそらく“トカゲびと”リザード族の物だったのだろうとバルカは直感した。

 レギウラの土地は元々リザードのものであり、彼らは金属や木工品よりも、動物の皮や羽根、骨など自然に則した物を服や道具に使うのを好む種族だったからだ。

 バルカはおもむろに骨の椅子に座った。

 他に椅子はないので、デイラ、メトーリア、レバームスは立ったままだ。


 バルカが座ってから、ややあってアルパイスは口を開いた。


「公王の権限によって、一般の閲覧を禁じられているアーカイブに目を通してきた。オークについての言い伝えだ。魔王討伐の時代から続いている国の支配者層や、ごく一部の冒険者の家系にしか伝わってない伝承だよ。

 アレはまことなのか? 村や旅人を襲う貴様らオークが元は友好種族だったと。だが変異により、知性が退化して凶悪な獣に成り下がったと」

「そうだ」

「ではお前はその変異が起きていない希少なオークというわけか。ノーブル・オーク高貴なるオーク、あるいは、ハイ・オーク上位のオークとでも呼べばいいのか?」


「……もはや彼らと俺は、ほぼ別の種といっていい」

 

 これはバルカの本意では無かった。

 しかし今は事前に言い渡されたレバームスの助言に従っていた。


「お前が我が領内に侵入し、狩り場を荒らし、輸送隊を襲撃した憎むべき奴原の長であるなら、それ相応の責任を取ってもらおうと思っていた。しかし違うと?」

「近しい種ではあるが、言葉もまともに話せない奴らを同胞とは認めない。だが俺なら奴らを支配できる。実際にその目で見ていただろう?」

「さて、なんのことやら」

「とにかく、レギウラ公王アルパイスよ。俺はあなたの領土に侵入した野生化したオーク……フィラルオーク達を、このままレギウラから撤退させることが可能だ」


 ……等々。

 腹の探り合い。一進一退の駆け引きが続く。 

 展開がほぼレバームスの予想通りであることに、バルカは内心舌を巻く。

 レバームスはさらにこう言っていた。


「アルパイスは今微妙な立場だ。本来なら敵性種族のオークは族滅すべき存在で、交渉の席などを設けること自体がギルド同盟への反逆行為になる。だがアルパイスにとってはギルドも無警戒に信用していい組織では無い。同盟宗主国ヴァルダールの権力を握る長老衆エルダーズは、冒険者達の単なる庇護者では無いと言ったよな?

 貴族という身分と領土を与えはするが、辺境の敵性種族や外縁部の新興国同士で、常に様々な思惑や利権が対立するように仕向けているんだ。

 アルパイスはレギウラの基盤を盤石にするためにあらゆる手を打った。

 だがギルド中央部の貴族の子弟であり、冒険者仲間でもあったレイエス・ユニべーリ・ナバリスと結婚して、お互いの領土を共同統治したのは、巧い手ではあったが、やり過ぎだった。目を付けられているんだ。十数年前レイエスは死んだと前に話したよな?

 実は、何者かに殺されたらしい。そして、その犯人は見つかっていない。

 アルパイスはギルド長老衆エルダーズかそれに近しい連中が首謀者ではないかと疑っている。少なくとも殺しに関わっていることを、ほぼ確信している。連中に弱みを握らせたくは無いはずだ。だから、うまく誘導すれば、協定を結べるはずだ」


 バルカは「お前、なんでそこまでアルパイスのことに詳しいんだ?」とツッコんだものだが、レバームスは、「“ガエルウラ”としてレギウラに立ち寄り、フィラルオークへの対応策を助言した時に、彼女はレイエス暗殺の調査を依頼してきたんだ。それで大体察しがついた」と答えた。


「殺しの犯人捜しも請け負ったのか」

「応じるか考えあぐねてる時に、素性がバレて囚われかけたんだよ」

「……」


 ……そんなことを聞きおよび、レバームスからの助言もあってバルカは強気で交渉に当たっていた。


「レギウラ領から野生化したオーク……フィラルオーク達を撤退させることを約束しよう。さらに、これからはフィラルオークがレギウラに侵入し、民を襲わないようにすることも約束する。その代わり条件がある」

「なんだ?」

「オークの存在を認めろとは言わない。だが領内から退くのだから、それを追撃するようなことは止めてもらいたい。ギルドの上層部へ報告するのもだ」

「……」


 即答はせず、アルパイスは沈思した。

 この間、彼女はレギウラ内外のあらゆる要素を考慮しながら頭脳を働かせていた。


 敵性種族の領域と隣接しているレギウラは南の敵性種族や東に追いやったリザード達への対策にも力を割かねばならない。故に、北に兵力を割く余裕は無い。

 さらには、ギルド同盟に加入しているとはいえ、長老衆や隣国の同盟加入国も決して気を許せる存在ではない。


「いいだろう」

 

 と、アルパイスは了承した。

 ここまでは、レバームスの見立て通りだった。


「それから……フィラルオークを元いた場所に戻すためにも、湿地にいるというオーク達の住み処を奪った存在を調査し、これを討伐したい。そのためにメトーリアたちアクアルの領民の協力を仰ぎたい」

「……なんだと?」


 ちらりと、アルパイスはバルカの後ろにいたメトーリアを見やった。

 それだけで、高レベルの戦士であり、若き領主としてデイラに叱責されたり殴打されても、顔色一つ変えなかったメトーリアが息を吞む気配が、振り返らずともバルカには背中越しで感じ取れた。


 呼吸は気配を漂わせる。

 というと……。

 肉体が息づくと同時に、霊体もまたそれに連動して霊力を巡らせる。

 その時に生じる、僅かばかりのエネルギーの発散こそが気配だ。

 目や耳に頼らずとも所在をさとられたり、動きを読まれたりする原因だ。

 それゆえ呼吸を整える“整息"は冒険者の全ての動き、全てのスキルに通じる重要な基本スキルだった。


 アルパイスは強い。だが、それにメトーリアが格段に見劣りするようには、バルカには思えない。

 それなのに、一瞥されただけで、息を乱すまでに動揺するというのはつまり……それほどまでに、メトーリアがアルパイスを、


“恐れている”


 と、いうことに他ならない。

 無理もない。自分やアクアルの民の命運はアルパイスに握られているのだから。

 バルカは意を決して、次の要求を突きつけた……。



    ×   ×   ×



「それと、フィラルオーク達はメトーリアを群れの副官とみなしている。だから、メトーリアを譲り受けたい」

「それは望みが高すぎる」


 アルパイスは素っ気ない口調で、要求をはねのけた。

 その様子は“ありえない”とでも言うような雰囲気を醸し出していた。

 しかし、バルカは身を乗り出すようにしてさらなる要求を突きつけていく。


「それから、アクアルの民を奴隷のような扱いから自由にしてもらいたい」

「フッ、さっきから何を言っている?」

「メトーリアの妹や家臣……人質になっている者達も解放して欲しい」

「論外だ。言葉を話すと言ってもやはりオークだな」


 アルパイスは、あらためて言い放つ。


「話にならん」


 アルパイスの表情に変化はなく、声も極めて素っ気ない。

 一方、バルカの後ろで話を聞いていたメトーリアは、


(言った……アルパイス様に対して、本当に言った……)


 事前に、メトーリアは自分の鼓動が高まるのを感じた。

 アルパイスが再度、メトーリアに視線を送るが、バルカを見つめていたメトーリアはこれに気づかない。


「名を、バルカーマナフと言ったな? レバームスから聞いていよう。前アクアル当主スガル・シェイファー・アクアルは敵性種族リザードを見逃すという大罪を犯した。その罪で現領主のメトーリアを含むアクアルの民は皆、ギルド同盟に隷属している。そして、我が国に隷従するよう命じられている。これはギルド同盟が決めたことだ。よってメトーリアとアクアルの民を自由にすることなどあり得ぬッ」


 表面上は平静を装ってはいるが、アルパイスは今すぐにでも立ち上がって、バルカに斬りかかるかのような怒気を放っていた。


「そうか」

「わかったか……」

「しかと、うけたまわった」

「ならば、もっと別の条件を――」

「しかし、これでは俺は――ゴホン! 嫁への義理が立たなくなるな」

「なに? 嫁……?」

「すでにメトーリアとは“つがい”として契りを交わした仲だ。そうなるように、こちらにメトーリアを捧げてきたのは、あなたの息女であるデイラじゃないか」


 アルパイスは、バルカを籠絡するために、デイラがメトーリアに、いわゆるハニートラップを仕掛けるよう命じたことは承知しているし、斥候からの報告で、毎夜バルカとメトーリアが二人きりで寝ていることも知っていた。

 しかし、その関係はバルカの情婦、あるいは慰み者のようなものだとばかり思っていた。

 また、メトーリアもそのように立ち回っていると、アルパイスは考えていた。


「メトーリアが、貴様の、妻……」


 アルパイスはもう一度メトーリアを見た。

 メトーリアは、ジッとバルカの後ろ姿を凝視していた。

 アルパイスの知る限り、メトーリアに男性経験は無いはず。

 つまりは、凶猛な面構えと巌のような巨躯を持つこのオークに、メトーリアは己の処女を捧げたことになる。

 それにしては……メトーリアの、バルカを見つめる瞳には嫌悪や憎しみといった感情は見られない。

 メトーリアに、そのような演技ができるように仕込んだのは他ならぬアルパイス自身なのだが……。

 バルカが堂々と「として契りを交わした」と言うからには、メトーリアもそれを承諾したことになる。

 

(そうでもしなければ、バルカが言うことを聞かなかったとでもいうのか……だが、しかし――) 

 

「それに、おかしな話じゃないか」


 バルカはアルパイスの動揺を見逃さなかった。


“まずはアルパイスを動揺させるんだ。そのためには、相手の痛いところを突く必要がある”

“そして、時には相手の足元を見て揺すり、いかにも正論のような屁理屈。屁理屈のような正論で相手を強引に論破することも必要だぞ”


 レバームスの助言を思い出しながら、バルカはアルパイスを見据えて、次の言葉を発した。


「あんたは、敵性種であるオークの俺と、こうやって交渉の席を設けている。デイラはどうだ。ギルド同盟に隷属している、つまり、同盟の“所有物”であるメトーリアを独断で俺に捧げた。こういうのは罪にはならないのか?」


 このバルカの発言に、アルパイスの隣にいたデイラは衝撃を受けたようで、顔面蒼白となり、「な、なな……」と、言葉にならない声を漏らす。


「片や先代の親父が敵性種族に情けをかけた罪で人質を取られ、奴隷のようにこき使われる。一方で、あんた達は敵性種族である俺を相手に、好き放題やってるじゃないか。どうせ、この会談もギルド同盟のお偉方には内緒なんだろ? そもそも、俺はギルド同盟なんぞに属していない。だから、同盟が課した罪なんぞ知ったことじゃないッ」


 バルカが今、口にしていることはレバームスによる指摘が加わっている。

 彼の助言を聞いているときも「なるほど、もっともだ」と思っていたバルカだったが、アルパイスの面前で口にのぼせていくうちに、どんどん言葉に熱がこもっていく。 


「とにかく、交渉が決裂したということなら仕方がない。メトーリアはもう、俺の嫁なんだ。文句があるなら奪いに来るがいい。人間と戦などしたくないがな。メトーリア、レバームス。行こう」


 そう言ってバルカは腰を上げかけた。


「待て」 


 アルパイスが、呻くように言った。


「この件は……フィラルオークの問題が決着するまで、保留にせぬか?」

「どういうことだ?」

「フィラルオークが再び故郷で安寧と暮らせるようになるまで、メトーリアは貴様に預けよう。それ以降のことは、また話し合いの場を持つ。どうだ?」

「……」

「アクアルの家臣や領民が望むのなら、彼らの協力を得てもよい……どうだ?」


 この会見が始まってから始めて、バルカは迷う様子を見せた。振り返ってレバームスと視線を交わす。

 アズルエルフの賢者と小さく頷き合ってから、


「わかった」


 と、バルカは言った。

 

 こうしてレギウラ公王アルパイスと敵性種族オークの長、バルカの会見は終了した。

 ……デイラは母に睨まれてと口を振るわせ、涙目になっていた。


 メトーリアはというと、呆然としていた。


(信じられない……)


 バルカの提案を、アルパイスは一蹴すると思っていたのだ。


(もしかしたら……もしかしたら、自分も妹も、アクアルの民も、自由になれるかもしれない……のか)


 心に今まで抱いたことのなかった希望の火が灯り、言いしれぬ期待感と高揚感に心身が震えていた。

 そういった己の体の起こりに、心の状態に、メトーリア自身がまだ気づいていない。

 アクアルがレギウラに隷属した時に人質となり、父が死んでからは、隷属臣とも奴隷領主とも呼ばれる立場になり、アルパイスに引き取られ、彼女の元で血反吐を吐くような修錬を課されていくうちに、希望を抱いたり、期待に胸を躍らせる……などということは、忘れ去っていたからだ。


 だから、おのれの感情を持てあましていたメトーリアは、全く気づかなかった。

 アルパイスが部屋を出る時に、僅かな間、自分を一瞥したことに。

 怒りと、怒りに似た何かが、ない交ぜになったような視線に。

 メトーリアは気づくことなく、ただ、バルカを見つめていた。

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