第2章 追放種族と隷属国アクアルの民
第18話 アルパイスの憂鬱
アクアルの砦内で夜を明かしたバルカは結局一睡も出来ないでいた。
同じ部屋にいるメトーリアはというと、実に健やかな寝息をくうくうとたてている。
悶々としている内に、起きて朝食を取るべき時間が過ぎていく。
このままでは、昼前の刻限が近づいてくる。
誰かが起こしに来る様子もなく、メトーリアはまだ起きない。
(どう解釈すればいいんだこれは……)
三日三晩、戦場で戦いに明け暮れても平気でいられる自信がバルカにはある。
なのに、たった一晩。
たった一晩で、戦いとは全く別種の事柄で、バルカはげっそりとしていた。
(同じ部屋の中に、すぐ側に男がいて、こうも無防備を晒せるものか? 安心しきってるじゃないか……眠りだしてからは起きてる時とうって変わって、なんか“いい匂い"がしだすし……人間の女とはこういうものなのか? これは俺を信頼してくれているということなのか? それとも男としては見てくれてすらいないということなのか? 誰か説明してく――)
唐突に、寝返りを打ったメトーリアがパチリと目を開けた。
「あっ」
「――ッッッ!?」
「……お、おはよう」
跳ねるように起き上がったメトーリアに、バルカはなんとか平静を装って朝の挨拶をする。
はだけた毛布を掻き抱きながら、メトーリアは昨日のことを思い出す。
「私は――」
「よ、よく眠っていたぞ」
「ッ!? ~~~~ッ」
メトーリアははっとなった後に、顔を真っ赤にした。
熟睡してしまったことに、言葉を失うほどに恥じらい、動揺しているようだった。
バルカはできるだけ、その様子に気づかないふりをした。
「そ、外のフィラルオーク達の様子を見てくる。メトーリア、昨日のこと、覚えているよな?」
「…………ちゃ、ちゃんと覚えている。私たちは、“男女の関係になった”ということでいいんだな?」
「そうだ。そして俺はお前の願いを聞き入れ、レギウラにいるフィラルオークを取りまとめることにした。これからは上手く話を合わせてくれよ。それじゃ行ってくる」
そういって、軽装鎧と戦斧を装備したバルカはそそくさと部屋を出て行った。
× × ×
バルカとメトーリアが同じ部屋で夜を明かした同日。
メトーリアの主君であり、デイラの母でもあるレギウラ公国公王アルパイスは、熟睡していたメトーリアと違って、浅い眠りを部下に起こされることになる。
レギウラ公国。
ギルド同盟の宗主国ヴァルダールからは遠く離れ、十数年前に建国されたばかりの国ではあるが、広大な領土を持つ国だ。
同盟領域の外縁部では異例なことだ。
その理由はというと、敵性種族リザードの戦いで戦功を挙げた二人の冒険者、アルパイスとレイエス、二人分の所領が併合されているからだ。
アルパイスとレイエスはリザード討伐戦の折、別々のパーティーを指揮していたが、領地を拝領した後、恋仲だった二人は結婚した。
そのため、二人の領主は互いの領地を実質的に一つと見なし、共同統治していた。
だが、それから間もなくしてレイエスが死亡すると、夫の遺産として受け継いだ領地を合法的に併合し、現在のレギウラ公国ができあがったというわけである。
レギウラの土地は肥沃な土壌で、穀物を多量に収穫できる豊かな国だ。
北部は冷涼な気候で穀物栽培には適さないが、牧草地に改良されて、家畜の放牧が盛んとなりつつある。
ギルドに属さない国や、敵性種族の領域と隣接しているため、危険ではあるが同時に冒険者達にとっては多種多様なクエスト(仕事)にありつけるチャンスにも恵まれている。
おのずと、数多の冒険者達がレギウラの都メルバに集まる。
国境付近での小競り合いで常に兵力を必要としているので、登用や傭兵クエストに事欠かないし、周辺国や敵性種族を相手取った次なる戦を見据えれば、メルバは重要な軍事拠点でもあるからだ。
クエストで経験を積み、レベルを上げ、ゆくゆくは敵性種族との戦争で手柄を立て、爵位を授かる。
そして『公王』を名乗ることを許されたあのアルパイス公のように、自分の国を持つ――。
そういう夢を抱く冒険者も少なくはない。
城壁に囲まれた都市だが、壁の外にも街並みが広がっている。
同盟領域外縁部において、有数の大都市となったメルバの城壁の内側には、さらなる城壁と堀によって守られた王城が存在する。
その王城内の、居住区にある公王の寝室。
かつては贅をこらした内装だったが、今は武器庫のような様相を呈している。
簡素で、あまり統一感のない調度品を覆い尽くすかのように、あちこちに武器が立てかけられ、魔物を絡め取る鎖網や、煙幕を発生させる火薬玉。魔法の光を放つ照明杖やその他様々なアイテムが、備蓄されている。
それらは全て、アルパイス・テスタード・レギウラの冒険者時代の、思い出の品々だった。
無論、今でも実用性のある武具や道具だ。
これらに囲まれて睡眠を取るのが、アルパイスの習慣だ。
天蓋付きの大きなベットがあるが、夫レイエスに先立たれてからは一度も使っていない。
ソファーの上に横たわって寝るのが常だった。
「アルパイス様……」
室外から声が聞こえた。常にアルパイスの側に控えている、側近の女官の声だった。
アルパイスの眠りは浅い。すぐさま目を開けて頭をもたげた。
「あの、起きておいででしょうか。アルパイス様……」
「しばし待て」
寝衣の乱れを適当に整えながら、アルパイスは着替えもせずに控えの間へ出て行く。
側近の女官ミリアが、戸口に立っていた。
「何事だ」
「デイラ様からご連絡です」
「こんな朝早くにか……わかった。すぐに行こう」
「はっ。では……」
アルパイスはミリアに手伝わせて、身支度にかかった。
城内の居住区にはアルパイスと限られた側近だけが使うギルドクリスタルが設置されている。
クリスタルはデイラの姿を空間に投影していた。
ほどなくしてアルパイスがクリスタルの間へと入室した。
装いは軽装鎧に豪奢なマントを羽織っているという姿だ。
十数年前、敵性種族リザードとの戦いで上げた戦果により、レギウラの地を拝領して公王の座に就いた彼女にとって、この程度の武装は普段着のようなものだった。
クリスタルの発する光を浴びて輝く金髪は娘のデイラと同じだが、他はかなり違う。
メトーリアも長身だが、彼女より更に上背があり、鍛錬で鍛え上げられたアルパイスの肉体は、筋肉質でありながら、それでいてうっすらと脂肪を残している。
堂々とした威風を発していながらも、見る物を圧倒するような艶やかさがあった。
というのも、鎧の下の衣服がやや露出度の高い代物であるためなのだが、無遠慮な視線を這わせるのは憚られるような威圧感がある。
その風貌と佇まいは見る者が見れば一目で分かる、相当なレベルの冒険者のそれだった。
娘のデイラの年齢を考えれば若くても四十を超えていてもおかしくはないが、二十代と言っても充分通じるだろう。
修練を積み、高レベルになった者の肉体老化は極力抑えられるからだ。
アルパイスはデイラからの報告を一通り聞き終えた。
「では、その言葉を喋るオークが……他のオークを支配できると?」
「はいっ」
「デイラ。お前は状況を理解しているか? そのバルカーマナフというオークは、二十ほどの数のオーク達で、四百を越えるヨロイ狼をほぼ全滅させた。しかも出会って間もないオーク達全員に
「は、はぁ……」
アルパイスは険しい表情でデイラから視線をそらした。冷徹な眼差しがクリスタルの光に揺らめく。
彼女は即座に、バルカーマナフなるオークがとんでもない脅威となり得る可能性を危惧し、目まぐるしく頭脳を働かせ始めていた。
デイラはというと……母への返答に困って、くぐもった声を漏らした後はどことなく元気がない。
表情や態度に出さないようには努めているようだが、どこかガッカリしているのが見て取れた。
どうやら母に褒められると期待していたようだ。
(デイラよ……)
デイラは冒険者としてはまだまだ未熟だ。
レベルも低く、戦闘経験も浅い。
だが他の面で優れた資質を発揮できれば、それでよいとアルパイスは思っている。
デイラは自分のたった一人の子。ゆくゆくは公王の座を受け継ぐ後継者だ。
それゆえ、箱入りの令嬢としては育成せず、親である自分が健在である内に、様々な経験を積ませようと、多種多様な任務クエストにつかせている。
レギウラ内で最高クラスの冒険者であり、なおかつ決して反抗することができないメトーリアは非常に優秀かつ、使い勝手のいい駒である。
そのメトーリアを娘の護衛兼補佐役として付かせているのは、デイラの身に万が一のことが無いようにすると同時に、デイラが彼女を見て学び、優秀な部下を使いこなせるようになるため……。
という親心なのだが……まるで生け贄に差し出すかのように、バルカなるオークにメトーリアをあてがった采配は軽率に過ぎるとアルパイスは内心では思っていた。
「と、とにかく。バルカは明らかにメトーリアに懸想しています。昨夜は一晩中バルカの部屋から出てきませんでした。母上。バルカというオークはたしかに危険な存在ですが、まず間違いなく籠絡できたと思います。メトーリアの言うことなら何でも聞くはずですっ」
「……よくやった」
勇んでそう言うデイラに、アルパイスはねぎらいの言葉をかけるが、その声音は物憂げだ。
「ならば、デイラよ。バルカや他のオーク、メトーリアを伴ってメルバに帰ってきなさい」
「メルバに?」
「そうだ。そしてシェイファー館に向かえ。そこで私が出迎える」
「は、はい」
シェイファー館とはレギウラの国都メルバの中にある薬草の栽培地に建てられた城館だ。
そして、シェイファーとはメトーリアの家名だ。
その館は彼女の一族が人質として囚われている場所なのだ……。
クリスタルの通信を終え、デイラの幻像が消えると、アルパイスは影のように控えていたミリアに呼びかける。
「ミリア」
「はっ」
「斥候隊を出せ。バルカなるオークを監視するのだ」
「かしこまりました。偵察と
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