うさぎの夜
きつね月
第1話 学生の放課後
ここに、一人の女子がいます。
名前を
「……はあ」
京子さんはため息をついています。
中学生というものが基本的に悩みごとの多き生き物である――というご
「……」
放課後、中学校の教室。
帰りの掃除もすでに終わり、部活に所属していない京子さんは別に帰ってしまっても構わないのですが、教室の自分の席に残っていました。
三階の窓際の席。
外からは、カラスやムクドリ等の野鳥の鳴き声や、車の通る音、ブラスバンドの練習している音や運動部の威勢のいい掛け声などががやがやと混じって聞こえていて、年齢の割に落ち着いて(冷めて?)見える、と言われることの多い京子さんは、
(みんな元気だなあ)
と、頬杖をつきながらその賑やかな音を聞いていました。
春の放課後。
しかしだんだんと日も長くなってきて、夜になる前にできることも増えてきたのは、彼女にとっても喜ばしいことでした。
「……ん」
京子さんの耳がぴくり、と動きます(本当に動いたわけではありません。そういう表現なのです)。
廊下から、とたとたとた、という足音が聞こえてきて、その音に反応したのでした。
「――先輩っ、おはようございます」
威勢のいい声が教室に入ってきます。
京子さんの一学年下の後輩である、
そんな声を聞いて、思わず頬が緩んでしまいそうになるのを悟られないように抑えながら、京子さんは振り向きます。
「陽花、来たんだ……今日も」
「来ましたよ、先輩。相変わらず眠たそうにしてますねー」
「あんたは相変わらず、小うるさい」
「えへへ」
「褒めてない」
京子さんは、ぷい、と顔を背けます。
本当は褒めていたのですが、陽花に対してはそういう態度を取るのが京子さんの癖でしたし、陽花もそれを分かっていたので、特に気にする様子もなく、
「それでですねー」
と、京子さんの前の座席に座って向き合います。
ここは一学年上の先輩たちの教室である、ということ――
そこが名前も知らない他の先輩の椅子である、ということ――
そんなことは彼女にとって問題にならないようです。
「今日はここなんかがいいんじゃないかと思って」
そう話す陽花の手にはスマートフォンが握られていて、画面には地図が広がっています。
よく見ると、その地図の大きな緑色の部分に赤い印が付けられています。
「また、適当に決めたの?」
「適当とはなんです」
「じゃあどうやって決めたのよ」
「目を閉じて、人差し指を画面に置いて、目を開きました。そしたらここだったんです」
「……そういうのを、適当、って言うの」
「そんなことないですよ。どっかの知らない神様が真剣に決めたんです」
「はあ?」
なに言ってんだ――という目で京子さんが陽花の方を見ると、きらきらと楽しそうな笑顔がすぐ正面に見えたので、京子さんは慌てて目をそらしました。
「それで、どうします?あたしは別に他の場所でもいいですけど」
「……まあ、そこでいい。他にあてもないし」
「やった。んじゃほら、早く行きましょう」
「はいはい」
やれやれ、よっこいしょ、はあもう、しょうがないなあ――
と、いかにも重い腰を上げるような仕草を見せながらも、実のところ、京子さんにその提案を断るつもりなんてさらさらなく、今日もこうして陽花が自分のいる教室まで来てくれたことは素直に嬉しく、さっきまで聞こえていた賑やかな外の音も、京子さんの耳にはもう届いていないのでした。
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