2 アウルムジャガー

 ダンジョン内は、調べた通りに、土壁の迷路という構造だった。


「じゃ、先導お願い」

「承知」


 ヒューゴは羽ばたき、ミナトの匂いを辿る。

 マナ達は先へと進み、途中途中でモンスターと遭遇するが、それらはどれも低レベル。マナ達はダンジョンでしか発動しない『魔法』でそれらを退け、奥へと進む。


「雰囲気が変わってきたねぇ?」


 マナが言う。土だけで構成されていた壁に蔦が這い始め、土だけではなく、植物や水の匂いが奥から漂ってきた。


「変異してきてるとは聞いてたけど、まだそれはもっと奥のはずなんだけどな」


 ダンジョンの変異。それは不定期に不規則に、突然起こる。

 砂漠だった地帯が湖に。燃え盛る大地が氷の連山に。

 そしてこの北区のダンジョンの変異は最近起き始めたものだけれど、その危険度は低いとされていた。


「用心、しなきゃだね」

「ああ。で、マナ。一つ報告がある」

「なに?」

「ミナトの匂い、この奥から流れてきている」


 ヒューゴの言葉に、マナは目を細めると、


「ならなおさら、気を引き締めて行きましょうか」

「ああ」


 マナ達は、茶から緑へと変わる景色の方へ、足を進めていく。


 ◆


「これはもう、ジャングルだね」


 マナが空の上からそれを眺め、言う。

 飛行魔法で飛んでいるマナと、その隣でホバリングするヒューゴの下には、ところどころ蔦が絡まり巨大なシダ植物が見え隠れする、鬱蒼と茂った森が広がっていた。

 あの土壁の迷路は唐突に終わり、上には青空、下にはジャングルという、全く別の空間が出現した。


「変異ってすごいよねぇ。で、ヒューゴ」

「ああ、匂いは辿れている。あの大きな木から、ミナトの匂いがする」


 ヒューゴが嘴で示すのは、見える中で一番太く大きな木。


「周りにモンスターは……いるね」

「いるな。……アウルムジャガーか」


 その大木の枝葉に隠れ、こちらを窺うモンスターを、ヒューゴは正確に言い当てた。

 アウルムジャガー。こういったジャングルでよく見られるモンスター。名前はジャガーだが、その体格は地球のジャガーの三倍はあり、そして、骨や牙や毛の一部が金で出来ている。その金を狙われてアウルムジャガーはよく狩られるが、統計がつけられ始めてから、アウルムジャガーと人との戦いは、アウルムジャガーのほうが優勢であることが段々と周知されてきていた。


「で、だ。マナ。あのジャガーの周辺が、ミナトの匂いが最も濃い」

「そっか。……血の匂いとか、腐敗臭は?」

「している。だが、妙だ」

「妙?」

「人の血肉の匂いと、この匂いは違う」

「……」


 マナは下を見下ろす。


「ま、なんにせよ」


 マナは頭をかいて。


「するべきことをするだけだね。ヒューゴ、あのジャガー、任せられる?」

「承った」


 言うなり、ヒューゴは落ちるように木々の中へと飛び込んでいく。


「ガァア!」


 アウルムジャガーの威嚇の声が聞こえ、枝が大きく揺れた。


「ガァ、ガァ! ガァァア!!」

「ギィアアァァアア!!」


 アウルムジャガーの声とヒューゴの威嚇の声を聞きながら、そして揺れるその場所の反対側に降りながら、マナは大木に近付く。


「……」


 大木から伸びる太い枝に降り、そろり、と大木へ近寄り回り込んで、音と声のする方へ目を向ければ。


「ギィ! ギャアァア!」


 枝葉や蔦を避けてアウルムジャガーの周りを飛ぶヒューゴと、


「ガァァア!」


 それを鬱陶しげにしながら警戒の体勢を取っているアウルムジャガーの姿が見えた。

 そして、マナにも分かるほどの腐敗臭が、辺りに漂っている。


「……」


 アウルムジャガーの爪や口には、血は付いていない。

 ヒューゴがアウルムジャガーの気を引いている間にマナは大木を回り込んでいく。

 と、木の側面に、大きなうろが空いていることにマナは気付いた。

 腐敗臭は、そこからしてくる。


「……」


 マナは、いつでも防御の魔法を展開できるよう準備して、素早く木の洞に入った。


「!」


 そして洞の中の光景に、目を見開く。


「……っ……っ!」


 ガタガタと震える、やつれた少年。その顔は、ダンジョンに入る前にも確認した、ミナトだった。そして、怯えきった目をしているミナトは、あるものを抱えている。

 それは、腐りかけたアウルムジャガーの子供だった。


「なるほど?」


 マナはしゃがみ込むと、


「君を助けに来たよ」

「!」


 ミナトは目を見開くと、そこからボロボロと涙をこぼす。


「た、すけ、にきた……?」

「そう。よく耐えたね。頑張ったね。もう大丈夫。さあ、帰ろう」


 マナはミナトに近付くと、


「これを飲んで。元気になる」


 腰のポーチから茶色の小瓶を取り出した。


「? 回復薬……?」

「みたいなものだよ。さ、飲んで」


 マナが蓋を開けてそれを差し出すと、ミナトはそろりと手を伸ばし、その瓶を掴んで、口に持っていく。


「……? ……」


 コクコクと中身を飲んだミナトの、まぶたが閉じていく。そしてミナトは、完全に寝てしまった。


「ごめんね、君を運びやすくするためなんだ。説明は後でするから」


 即効性の睡眠薬入りの回復薬を飲ませたマナは、アウルムジャガーとヒューゴの声と、ガサガサという葉音を聞きながら、リュックから奇妙な形状の布と縄を取り出す。

 そして手早くミナトの手足を布の穴に通し、ミナトを担ぐようにしてその布を自分に固定すると、更にその上から縄で、自分とミナトを固定した。


「よし」


 マナはリュックを前に背負い直すと、飛行魔法を展開しながら洞から飛び出し、


「ヒューゴ!」


 枝葉の間を強引に通り抜け、空へと向かう。


「ギャアァアアオォォオァァアア!!!」


 アウルムジャガーの咆哮が、ビリビリと空気を震わせる。

 ジャガーが手を出せない場所まで飛んだマナは、


「ヒューゴ!」


 まだ見えない相棒へ叫ぶように呼びかけた。


「ここだ」


 その頭上から、バサリ、と青緑の翼を煌めかせ、ヒューゴが降りてくる。


「勢いをつけすぎてマナより高く飛んでしまった。心配をかけたな」

「……この、おっちょこちょいさんめが」


 アウルムジャガーは自分が登れる空に一番近い枝に登って吠えているが、飛行能力のないあのモンスターは、自分達には手出しができない。


「生きていたんだな、ミナトは」

「うん。あのジャガーをどうにかして、早く連れ帰らなきゃ」

「倒すのか?」

「そりゃあね。あのレベルのモンスターが迷路の方まで来ちゃったら、被害が拡大する」


 唸るアウルムジャガーを見ながら言うマナに、「そうだな」とヒューゴが言葉を返した、その時。


「は?」「な」


 マナとヒューゴは、その光景に目を見張る。

 メキメキボコボコと、アウルムジャガーの背中が歪に膨らみ、


「なっ」


 ボコ、バサリ。そこから、黄金の翼が生えた。

 変異、もしくは本当は、そういう生態なのか。


「ヒューゴ」

「ああ」


 マナとヒューゴは、即座に意識を切り替える。

 アウルムジャガーは、バサリ、バサリと翼の動作確認をしながら、こちらに牙を剥いた。


「厄介になったが」

「倒す。あれが飛べるか分かんないけど、だからこそ倒す」


 アウルムジャガーを見つめ、言う、マナの真剣な表情に。


「……承知した」


 ヒューゴは静かに応じた。


「ヒューゴはあいつの気をちらして。私が威力最大で仕留める」

「了解」


 ヒューゴはアウルムジャガーへと飛んでゆき、先程のように周りを飛び回り威嚇の声を上げ、アウルムジャガーの気をヒューゴへと向けさせる。

 マナは両手をアウルムジャガーへ向け、


「今!」


 その声に、ヒューゴがアウルムジャガーから素早く距離を取ると、


「〈氷禍ひょうが〉!」


 一瞬で全てを凍らせる冷気が、アウルムジャガーへ嵐のように向かう。

 が、


「ガアアァァアア!!」

「チッ!」


 一瞬遅かった。

 右の前足と後ろ足は凍りつき、けれど飛ぶことに成功してしまったアウルムジャガーが、マナへと飛びかかる。


「〈防壁〉!」


 マナは即座に、魔力を最大限注ぎ込んだ分厚い防御の壁を展開する。けれど、アウルムジャガーの爪は、それを貫いた。


「っ! 〈炎──」


 アウルムジャガーの爪が、牙が、呪文を呟きかけているマナに届く──瞬間。


「ギィアアァァアアア!!」


 青緑の大きな鳥が、その鋭い鉤爪が、アウルムジャガーの顔をえぐった。



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