いつか、大きなレモンパイをあなたと。
夕藤さわな
第1話
「竜は?」
「さすがのうちでも竜は取り扱ってませんよ、先生。ただ……」
店主が声をひそめるのを聞いて檻の中の少女は顔をあげた。
「竜人族なら
檻にかけられていた布が無遠慮に取られ、不意に女と目があった。不健康そうな顔色に陰鬱な表情。カラスのように黒く長い髪も相まって絵本に出てくる魔女のようだと少女は思った。
〝先生〟は檻の中の少女をじっと見つめたあと短く言った。
「引き取りたい」
「毎度!」
でっぷりと太った店主が気持ち悪いほどのニコニコ顔で言うのを聞きながら少女は尻尾を抱えて丸くなった。売り物として檻の中に閉じ込められて数か月。次は一体、何として檻の中に閉じ込められるのだろう。
薄汚れた、服とも呼べない布切れの下からのぞく丸太ほどの太さがある尻尾はトカゲのソレに似ている。血のように濃く赤い髪からは水牛に似た黒く立派な角が生えている。肌にはうっすらと鱗模様が浮かび、手足の爪は黒く鋭く尖っている。
竜人族は半人半竜の一族。
少女の姿には色濃く竜の特徴が現れ、爬虫類に似た金色の目には何の感情も浮かんではいなかった。
***
店を出た先生は〝帰ろう〟と言って少女の前を大股で歩き始めた。鎖でつながれているわけではないけれど行く当てもない。魔女のような女のあとをついていく以外の選択肢は少女にはなかった。
少女の異様な姿にすれ違う人すれ違う人が振り返る。少女は人々の視線から逃れるように俯き、怯えたようにあたりのようすをうかがった。
「これは黒竜の血の杖。軍に調査を依頼された」
その間も先生は竜の装飾が施され、血のように赤い石が散りばめられた杖を手に話し続ける。
「いにしえの魔道保管庫で見つかったそうだ。保管庫を調査する考古学者が言うには媒体は竜の血らしい」
「……」
「竜は手に入らなかったがキミを見つけた。杖の調査のためにキミの血を使わせてもらいたい」
その言葉に少女は顔をあげた。どうやら売り物の次は実験材料になったらしい。
目の前の女も今まで出会った人間たちと同じように自分を物扱いするのだと知って逆に安堵し、安堵していることに自嘲気味な微笑みを浮かべた。
と――。
「ところで、さっきから何をきょろきょろしている」
振り返って先生が尋ねた。
黒髪黒目のありふれた外見をしている目の前の女には自分の気持ちはわからないだろうと少女は身にまとっているボロ布のすそをぎゅっと握りしめて俯いた。
そんな少女をじっと見つめていた先生は何かに気が付いたように〝あぁ〟と声をあげた。
そして――。
「あの甘い匂いか」
そう言うなり大股で目の前のカフェに入っていってしまった。一人、道に残された少女がおろおろしている間に茶色い紙袋を持って戻ってくる。
「この店で買うならレモンパイ、だそうだ」
店の常連客にでも言われたのだろう。先生は道の脇に置かれたベンチへと、これまた大股で向かった。今度は少女も小走りに追いかける。
うながされて先生の隣に座ると紙袋の一つを差し出された。紙袋の中からは甘い匂いがしている。でっぷりと太った店主のもとでほんのわずかな食事しか与えられていなかった少女には
でも、すぐに手を伸ばしたりはしない。
これまで出会ってきた、少女を売り物として扱う人たちはことあるごとに少女を鞭で叩いた。紙袋に手を伸ばした瞬間、目の前の女も叩くかもしれない。怖くて手を伸ばせないまま、少女はごくりと唾を飲み込む。
そんな少女を見つめていた先生は何かに気が付いたように再び〝あぁ〟と声をあげた。
「そうか、そうだな」
そう言うなり少女の小さくて傷だらけの手を取る。
そして――。
「ヒール」
治癒魔法を唱えた。途端に鞭で叩かれた腕や手のひらの傷がふさがっていく。痣ができていた唇の端もキレイに治った。スーッと消えていく傷と痛みに少女は目をしばたたかせた。
「すでに治って痕になってしまった傷は治らないが、これで食べられる。痛くない」
大真面目な顔で言って改めて紙袋を差し出す先生を見つめ、それでも少女は手を伸ばすのをためらっている。
「遠慮しなくていい」
「でも……私は、ただの実験材料なんでしょ? それなら、こんなこと……」
か細い声で言って少女は俯いた。
生まれたときから檻に入れられていたわけではない。幼い頃には同じ竜人族の家族や友人とともに隠れ里で幸せに暮らしていた。でも、里が襲われ、そうして始まったのが檻の中での暮らし。しばらくは泣いたり逃げようとしたりしたけど何度も鞭で叩かれてあきらめた。
だから――。
「キミを買ったのはキミの血を使わせてほしいからではあるが〝ただの実験材料〟として扱うつもりはない」
そんな風に言われてもどう答えたらいいかわからない。
「親代わりなどとおこがましいことを言うつもりはないがキミのことは責任を持って養育するつもりだ。キミも私のことは家族か友人だと思って接してくれればいい」
そんな風に言われてもどんな表情をしたらいいかわからない。
「これからよろしく」
握手を求めているのだろう。差し出された白く細い手を見つめ、しかし、少女はその手を取ることなく俯いた。
そんな風に言われても人間の言うことをどうやって信じればいいのかわからなかった。
握手を求める手を取らない代わりにレモンパイの入った紙袋に手を伸ばす少女を先生は困り顔で見つめた。でも、少女がまとっているものが薄汚れた布一枚なことに気が付くと〝あぁ〟と声をあげて勢いよく立ち上がった。
そして――。
「服……子供服!」
そう言うなりすぐ近くの電話ボックスに入っていってしまった。
ベンチに座ったまま、きょとんと目を丸くして先生の背中を見送った少女はレモンパイをちょびりとかじり――。
「……!」
目を輝かせたのだった。
***
切ってもいないパンとハム、チーズの塊をドドンとお皿に乗っけただけの先生が用意した夕飯に少女が困惑している頃、その黒い軍服姿の男性はやってきた。
「いきなり電話をかけてきて子供用の服なんて言い出すから何事かと思ったじゃないか」
先生が〝少将〟と呼ぶ白髪混じりの男性は困り顔で微笑んだ。目尻にしわを作って微笑む様子は温和な紳士に見える。一見すると、だが。
「なるほど、竜の代わりに半人半竜である竜人族の血を使うのか。考えたな」
ニコニコと微笑んではいるが少将の目は値踏みするように少女のことを見つめている。
少将の視線から逃げるように先生の後ろに隠れるとそっと髪をなでられた。少女が上目遣いに見ると先生もちらりと視線を返す。にこりともせず、しかし、少女を安心させるように小さく頷いて先生は再び少将に向き直った。
「そういうわけで子供用の服をお願いします」
「そういう事情なら研究費として請求してくれて構わない。しかし、子供……それも女の子の服となると私も部下も専門外だ。明日、家内を寄こすから今夜のところは君の服で
わかったというように先生が頷く。寡黙な部下に苦笑いして少将はテーブルに目を向けた。パンとハム、チーズの塊が白い皿の上にドドンと乗っている。
「このパンとハムとチーズは?」
「こんなに痩せていては血を抜いたら倒れてしまいます。食べて血を作らないといけません。私も食べないと死にます」
「つまり君たちの夕飯ということか」
食物を摂取さえすればいいだろうと言わんばかりの
処置なしとゆるゆると首を横に振って少将は少女の前にひざをついた。
「こちらも家内の専門分野だ。明日、服だけじゃなく生活全般のアドバイスを受けるといい」
「なぜ彼女に言うんですか、少将」
「研究に没頭すると視野が狭くなるところはあるが根は悪い人間じゃない。私にとっては大切な部下でもある。よろしく頼んだよ」
「なぜ私ではなく彼女に言うんですか、少将」
真剣な表情で言う少将と首を傾げる先生の顔を交互に見上げ、少女はあいまいに頷いた。
少将の言葉の意味を少女が理解するのは半日ほどあとのこと。一年が経つ頃には深く深く頷いた上にため息が勝手にもれるくらい理解できるようになっていた。
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