第8話

 首都高湾岸線を白い軽四が猛然と唸りを上げて走る。街灯の残像が車窓を通り過ぎて行く。

「もっとスピード出ないんですか」

 助手席の高谷が運転手を煽る。普段は車酔いをする高谷だが、気が昂ぶっているのかそんな気配はない。

「言っとくが、これ軽四だからな」

 ハンドルを握る孫景はアクセルを踏み込んでギリギリの車間距離をすり抜け、トラックを追い抜いた。背後でクラクションが鳴り続けている。後部座席の伊織は戦々恐々と肩を竦める。


 六本木のバー「結」を出て、曹瑛が直ぐさま情報屋に連絡を取り、船の場所を突き止めた。横浜港沖に停泊している大型船の一艘が牛頭会の所有だという。

 榊はそこに囚われているに違いない。明日の正午がデッドラインだ。船は出航し、上海へ向かう。榊原が取引に応じなければ、榊は東シナ海で魚の餌となり証拠も残らないというわけだ。


 曹瑛は先陣を切って偵察に行くとNinjaで出発した。モンスターマシンでぶっ飛ばせば二〇分で横浜港に到着できるだろう。高谷と伊織は孫景の車で港へ向かうことになった。

 孫景は闇ブローカーを生業としている。武器の調達から要人の浮気相手の調査まで、幅広く手がけている。軍人上がりのいかつい図体に似合わず、気さくで面倒見の良い男だ。曹瑛よりもよほど空気が読める常識人だと定評がある。


「まったく、人使いの荒い奴だ」

 孫景はぼやきながらラッキーストライクに火を点ける。曹瑛に深夜に電話で叩き起こされ、高谷と伊織の横浜港までの足になれと呼びつけられたのだ。

「榊が誘拐されたってな。しかし、あいつよく捕まるな」

 孫景が窓の外に煙を吹く。羽田空港を飛び立つ飛行機の轟音に、車体が振動する。

「そうなんだ、俺たちの助けを待ってる」

 高谷は唇から血を滴らせ、屈辱に端正な顔を歪めながらも矜持を手放すことなく敵を見据える兄の姿を妄想して瞼を伏せる。


「曹瑛が先に片付けちまうかもな」

 榊の救出は半ば合法的に暴れられる機会だ。そのせいか出発前、曹瑛は妙に張り切っていた。

「抜け駆けは禁止だって、曹瑛さんには言ったからそれはないよ」

 高谷は凜とした表情で孫景を振り返る。どちらが助けようが、早く解放された方が榊にとっては良いはずだが、高谷は妙な対抗心を燃やしている。


 首都高を降りて本牧のコンテナヤードに到着した。深夜でも明かりが煌々と灯り、大型トラックが出入りしている。先に到着した曹瑛がマルボロを吹かしながら待っていた。

「あの船だ」

 沖合に停泊しているタンカーを指差す。

「あそこに榊さんが囚われているのか」

 伊織は目を見開く。まさか泳いでいくわけにはいかない、この気温では凍えてしまう。


「こいつでナイトクルーズだ」

 孫景が軽四のトランクを開け、ゴムボートを出してきた。空気を入れて防潮堤から海に浮かべる。曹瑛飛び乗り、継いで高谷、伊織が乗り込む。

「俺は留守番かよ」

 ボートは四人乗りだ。

「ありがとう、孫景さん」

 高谷が手を振る。ここまでスムーズにことが運んだのは曹瑛と孫景が連携してくれたおかげだ。


 伊織がエンジンをかけ、ボートを操縦する。子供の頃、海の男だった祖父に船の操縦は仕込まれた。しばらく離れていたものの、勘を取り戻すには時間はかからない。

 タンカーは闇夜に巨大な山のように立ちはだかる。

「エンジンを止めろ、ここからは手漕ぎだ」

 曹瑛が伊織に櫂を投げて寄越す。曹瑛と伊織でバランスを取りながら櫂を漕ぐ。黒いボートは闇に紛れてタンカーに近付いていく。



「いったいどうやって船に乗り込むんだ」

 伊織は呆然とまるで高層ビルのような巨大な船体を見上げる。

「碇を下ろしているはずだ、船尾に回り込むぞ」

 曹瑛の指示でタンカーの船尾についた。そこには船体から伸びた太い鎖が海に沈んでいる。

「瑛さん、ずいぶん手際がいいね」

 伊織は感心する。

「ああ、かつて任務で航行するタンカーに飛び乗ったことがある。止まっているなら造作もない」

 曹瑛は元プロの暗殺者だ。こんなことは朝飯前のようだ。


 曹瑛は黒い革の手袋を嵌めた。ポケットから出した鉤縄を振り回し、鎖の上部に引っかける。

「お前たちはここで待て」

「俺も行く」

 高谷が曹瑛を引き留める。

「足手纏いだ」

 とりつく島のない曹瑛の言葉に、高谷は唇を噛んで項垂れる。


「榊さんを助けたいんだ、俺のたったひとりの兄さんなんだ」

 高谷は顔を上げ、まっすぐに曹瑛を見つめた。高谷の瞳に、榊と同じ鋭い眼光を見た。曹瑛は小さく舌打ちをして、腕の力だけで縄を登り始める。

「登り切ったら引き上げてやる、そこで待て」

 曹瑛が振り返る。高谷は曹瑛を見上げ、頷いた。


 ***


 榊はソファに横になり、背中を向けて眠っている。見張りを言いつけられている長友と玉木は居眠りをする訳にもいかず、スチール机に頬杖をついて眠い目を擦っている。

「見張りも今日の昼までだな」

 玉木は冷え切った缶コーヒーを飲み干す。

「ああ、それでお役御免だ」

 長友は大あくびをする。船は今日の午後出航する。榊原の返事次第で榊はこのままタンカーで上海への船旅に出ることになる。

「ションベン行ってくるわ」

 玉木が室内に備え付けのトイレに向かう。長友は漫画雑誌を手にして読み始める。


 ふとソファを見ると、榊の姿が無い。突然、背後から首を絞められた。叫ぼうにも気道を塞がれ、声が出せない。長友はしばらく足をじたばたさせていたが、白目を剥いて気絶した。

 水が流れる音がして、玉木がチャックを上げながらトイレから出てきた。瞬間、榊がトイレのドアを蹴り飛ばす。

「畜生、何しやがる」

 したたかに扉に頭をぶつけ、玉木は呻いて蹲る。顔を上げると、そこに立ちはだかる榊の姿があった。


「てめぇ、ぎゃっ」

 玉木は顎を蹴り上げられ、トイレの扉に頭をぶつけてのたうちまわる。

 榊は部屋の扉を開け、左右に伸びる通路の様子を伺う。潮の匂いと湿った風が吹き込んできた。通路を進み、白い手すりのついた階段を上ると、目の前にコンテナが堆く積まれている。

「ここは海上か」

 榊は小さく舌打ちをする。タンカー船の甲板に立っている。陸の光は見えるが、ここから飛び込んで泳ぎ着けるだろうか。


「榊、貴様っ」

 甲板の見張りが榊を見つけ、タバコを海に投げ捨てる。スーツの胸ポケットから小銃を取り出し、榊を狙う。榊はコンテナの背後に走り込む。銃声がして、腕に痛みを感じた。銃弾が上腕を掠ったようだ。

「どこへ行きやがった小田原のボンボンが、逃げ場はねえぞ」

 見張りの黒いスーツ男が大股の足音を響かせて近付いてくる。

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