第40話

母ちゃんの居ない、 光彦先生の居ない、 俺と婆ちゃんと凌の三人だけの食卓。


…… …… 気まずい。


「今日も光彦先生帰ってくるの遅いね」


「あら達哉さん聞いてなかったの? そう言えばナオミさん慌てて出て行ったものね。 あの子病院に寄ってるのよ、それでナオミさんが病院まで迎えに行ったの」


「へーそうなの? え? それって事故とか病気とかで? 」


「大したことないわよ、どうせあの子のことだものどこかでつまずいてヒョロヒョロっとよろけた先に虫でも居てそれを踏まないように足元に集中していたら何かで頭でもぶつけたりとか、そんなところでしょう」


「婆ちゃん…… ハハハハ…… 」


光彦先生のやりそうな事って誰にでも簡単に想像付くんだな。 昼間見た学校でのちょっと頼りない光彦先生の姿をすぐに思い出した。 けど、あの程度で病院に行く必要あったんだろうか? その後も何事もなく歩いて行ったし。


「お前は心配じゃないの? 」


「別に」


表情一つ変えない、 コイツのこの鋼はがねの心は余程の事が無い限り動かないようだ。


結局その日二人が帰って来たのは日付けが変わる少し前だった。 自室に居た俺にも一階の物音は聞こえてきたけど眠さを優先してそのまま顔を合わせることは無かった。

次の朝、今度はきちんと五人揃った食卓で思い出したように聞いてみた。


「そういや病院何だったの? もしかして転んだり頭ぶつけたりしてた? 」


「やだ達哉、 見てたみたいに」


「たまたまね、 光彦先生が踞ってる所を」


「そうなのよ、光彦さんったらほんとおっちょこちょいなんだから」


「ははははは」


照れ臭そうに笑う光彦先生はいつも通りの優しいけど どこか頼りない安定の光彦先生だった。 時計をチラッと確認すると7時10分。 川澄が家を出る頃だ。


「ごちそうさま! 行ってきます」


「ちょっと達哉食器!」


使った食器を重ねてシンクに置くとすぐに玄関を飛び出した。 リョウが遊んで貰えると勘違いして俺にまとわり付いてくる。


「ワンワンワンワン」


「分かった分かった、 今度散歩付き合ってやっから」


俺は自分の自転車付近でわざとモタモタしながらチラチラと川澄の家の玄関を確認していた。 ガチャ、 静かな住宅地の静かな朝。 リョウはさっきからワンワン吠えて居るけど精神を一点に集中させている俺にはドアが開く音ははっきり聞こえた。


「シー! よーしよしよしいい子だいい子だ」


吠えるリョウをなだめていると川澄が無言のままドアに鍵を掛けて門を出てきた。 川澄が最後に家を出るってことは両親はずいぶん早い出勤なんだな。 俺は急いで自転車に乗って表に出た。


「オッス! 偶然」


「おはよう、 珍しいね。 瀬野君がこんな時間に登校なんて」


朝陽に輝く川澄の笑顔はやっぱりとびっきり可愛い。


「そっか? 別に普通だけど」


「フフフ」


「一緒に行こう」とは言わない。たまたま会った同級生との何気ない朝の挨拶。それを心掛けながら、けれど歩く川澄のペースに合わせる様にブレーキを調整しながら車の少ない坂道を並んで下って行く。


「あのさ」


「なあに? 」


川澄は今迄と同じような自然さで返事をする。 その自然さが失恋した俺の心を救ってくれるんだが、それと同時に俺には全く脈が無いんだということを思い知らされる。


「今日の昼休み屋上でみんなで飯にしない? 久しぶりにヒロトや芽衣も一緒に5人で」


ということを強調して聞いてみた。


「いいわよ、 じゃあ昼休みね」


駅から電車を使う川澄とは坂の下で別れて俺は自転車を漕いで学校に向かった。 とりあえずは断られることも無く良い方向に展開していると思うと急に朝陽が気持ち良くなってきた。 風も心地好い、 ペダルを踏む足も軽い、 鞄を背負う肩も軽い。 まるで何も背負って無いような。 まるで?


「って!マジ背負ってねーし!!! 鞄忘れてきたー! また登んのかよあの坂道、チックショー! 」

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