第24話

「おーい入るぞ」


その日、家に帰ってきた俺はすぐに隣の凌の部屋を訪ねた。


「勝手に開けるなバカ」


「だから って言ったじゃねえか」


「 ヨシ とは言ってない」


凌はすでに制服から家着のジャージに着替えて、入口の俺に背を向けるように机で勉強していた。


「学校から帰ってきてすぐに勉強か? 感心だな、俺が教えてやろうか? 」


中学一年生の勉強くらいならと覗き込んだ机の上の参考書には高二の俺の脳の活動を停止させてしまいそうな細かな英文が並んでいた。


「な、なんだそりゃ? 今の中学英語ってそんなレベル上がってんのか? 」


「バカが…… 英語かドイツ語かくらい見て分からないのかよ」


「ドイツ語? お前ドイツ語なんか出来んのか?」


「出来ないから勉強してるんだ、ったく」


言われてみるとそのドイツ語の本の他にも辞書や、日本語で書かれた本が並んである。


「マルティン・ハイデッガー…… 存在と時間…… お前さぁ、そんな訳の分かんねえ勉強ばっかしてっから暗いんじゃね? もっとさ、中学生の女子なんだから 「キャッキャ」とか「うふふ」とかって友達同士でスマホでやり取りしたりとかしないワケ? 」


凌は俺の質問には答えず本を読んだまま振り向こうともしない。このままではそれこそ俺がここに存在する意味と時間が無駄になるので部屋を訪れた本題を切り出した。


「俺さぁ、やっぱりお前の父ちゃん、光彦先生、好きだわ」


一瞬、ページを捲ろうとした凌の左手が、ほんの一瞬だけど止まった。

そんなことをいきなりカミングアウトする俺にも少し恥ずかしさはあったが、これからもずっと家族としてやっていく訳だし、義妹である凌にはきっちりと伝えておこうと思い話を続けた。


「あっ! 好きってホモとかそんなんじゃねえからな! 」


「…… 」


「その、父親としてはまだ正直、全然そんな感覚も無いし見れねえけど、大人として尊敬出来るって言うか、信頼出来るって言うか、光彦先生にはもっと色んな事を教えて貰いたいんだよ」


「…… 」


「だからお前がどうして光彦先生に対して距離を置いているのかが俺には分からないし、俺で良ければ相談に乗ってやろうかなぁって」


「父さんの生徒はみんな父さんが良い先生だって言うよ、休みの日だってウチにまで来たりして」


辞書で調べた和訳を書き写す凌の右手は止まらない。 どこまでも光彦先生には無関心で居たいようだ。


「そうなのか、まあ学校でも人気あるしな」


「あの人は24時間 常に教師なんだ、母さんがもう危険な状態だって医師せんせいに言われたあの時だって病院には来なかったくらいだし」


凌の声が少し固くなったのが分かった。その固い声には光彦先生に対するいまだ許せない気持ちが入っているのだろうということは俺にも容易に理解出来た。

凌の母さん、光彦先生の前の奥さんが病気で亡くなっていたことは以前婆ちゃんから教えてもらっていた。凌が7歳の時のことで、元々身体の弱い人だったそうなのだが最後はずっと病院で過ごしていたらしい。

奥さんの両親と一緒に毎日付きっきりで看病していた凌にしてみれば、大好きな母親が死んでしまうそんな時にもなかなか姿を見せない光彦先生のことが余計に腹立たしかったのだろう。

そしてたぶんその時のことでこうして心を閉ざしてしまったのだろう。

結局俺はそれ以上凌に声を掛けることも出来ずに自分の部屋に帰ってきた。


ベッドに寝転がりこれから凌に対してどう向き合っていこうかと考えていた時、SNSの着信音がなってスマホの画面を見てみると芽衣からだった。


『川澄さんと駅前に新しく出来たケーキ屋さんに来ました ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ どう? 羨ましいでしょう? (*´ ˘ `*)ウフフ♡』


お前は中学生女子かっ!

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