第16話

「小山内さん、ごめんなさい。 瀬野君たちを屋上に誘ったのは私の方なの」 川澄が申し訳なさそうに頭を下げた。


「お前こそ授業抜け出して何しに来たんだ? 芽衣」


「わ、私はちょっと気分が悪かったから保健室に行く途中だったのよ。 もう戻るわよ、知ってて見逃す訳にもいかないし注意しに来ただけなんだから! 」 俺の質問に芽衣は気まずそうに目を逸らして拗ねたように言って返した。


「小山内さん」 川澄はふて腐れている芽衣の手を構わずに取るとその場にしゃがんで芽衣にも同じように座らせた。


「目を瞑ってみて」


「ちょっと何よ、なんで私が」 座りはしたものの芽衣はそっぽを向いたままだ。


「よいしょっと」 俺も川澄とは反対側に、芽衣を二人で挟むように座った。 制服が汚れることも気にせずに川澄がそのまま後ろに寝転がったので俺も同じように真似をした。


するとそれを見た上田とヒロトも空いている所に寝転がり、時計の針の様に四人が頭を軸にして外側に足を伸ばした。


「ほら、芽衣」 寝転がりながら促す俺に芽衣も仕方なくそうした。


太陽が俺たちのほぼ真上にある。目を瞑ってもその明るさは瞼を透して俺の身体の中に入り込んでくる。 風が俺たちを包み込む。秋の昼間の暖かく柔らかなその感触は静かに、そしてそっと俺の表皮に残る古くなった細胞を剥ぎ落としてゆく。 前に川澄が言っていた様にまるで俺自身が植物になって太陽の光りを浴びて光合成しているような感じだった。 教室や体育館や校庭、同じ学校の中なのにそれら他の場所とは明らかに違うずっとゆっくりとした時間が屋上に流れる。 そこに居た誰もがしばらく何も言わずにそれぞれ自分の時間を過ごしていた。


「紙ヒコーキ…… 」 ふと発した芽衣の声に皆が綴じていた瞼を開いた。


「何処? 」 上半身を起こして辺りを見渡したけれどすぐには見つけられない。


「ほら、あそこ」 芽衣の指差す先には屋上の鉄柵を越えて校庭へと真っ直ぐに飛んでゆく一機の小さな紙ヒコーキが見えた。


「でもどこから? 誰が? ここには俺たちしか…… 」


「あそこ! 」 ヒロトが指差したのは屋上に設置された貯水タンクの上だった。


「上杉先生! 」 貯水タンクのてっぺんは屋上からさらに4、5メートルほど高い所にあり点検者の為の梯子がタンクの側面に取り付けられてあった。光彦先生はその梯子を使って貯水タンクのてっぺんに登ったのだろうか。


「やあ、君たち」 まさかあのヒョロガリで頼りなさそうな、いや、それよりもこの学校の教師である光彦先生が昼休憩でもないこの時間に屋上の、さらにその上の貯水タンクに登って、そこから紙ヒコーキを飛ばしているなんてとても想像出来なかった。


「「やあ、君たち」って先生、何してるんですか? そんな所で呑気に」 俺たちは駆け寄って行き貯水タンクの上に座る光彦先生を見上げた。


「何? ってサボりだけど…… やっぱりまずかったかなぁ? 」


「そりゃマズイでしょ上杉先生、先生がそんなんでどうするんですか? 先生まで達哉の馬鹿が伝染っちゃったんじゃないですよね? 」 芽衣は昔からこういう生真面目な所があって、弱いくせに周りの同級生や、時には上級生にもムキになって注意をして逆に泣かされることがしょっちゅうだった。


「そうかぁ、じゃあこのことは先生たちには内緒でお願いします」


「…… 」


「もちろん君たちのサボりのことも学校には内緒にしておくから」 光彦先生の顔はその言葉とは裏腹に悪いことをしているという様子は全く無く、のんびりと、風を受けてどこまでも気持ち良さげだった。


「危ないですよ、ね? 降りて来てきましょ? 」 芽衣が一人説得し続けている。光彦先生のことを籠城する犯人を扱うように優しく、丁寧になだめていた。


「それよりも君たちも登って来てごらんよ」 上田もヒロトも俺もそんな光彦先生の誘いに躊躇していたが、川澄が好奇心いっぱいの顔で梯子に両手を掛けて右足をその一段目に乗せたのだった。


「んしょっ」 川澄はその掛けた右足と両手に力を込めて勢いをつけ1つ登った。同じように左足、そしてまた右足と、「いける」と思ったのだろうテンポ良く次々と登っていった。ちょうど川澄の履いていたローファーの底が目の前の高さ辺りに来た時に、さっきまでよりも少し強い風が吹いて川澄の制服のスカートをふわりと捲り上げた。


「こらっ! アンタたちどこ見てんの! 川澄さんもダメよ、そんな危ないってば! 」 芽衣に注意され、一瞬しか見えなかったけど川澄のスカートの中の白いパンティはいつまでも俺の瞼の裏に焼き付いたままだった。


「ほんと気持ちいい、瀬野君たちも登ってみてよ、ほら小山内さんも」 川澄が貯水タンクの上にスカートを抑えて座った。 上田が登りヒロトが続いた。「ありがとう神龍シェンロン」と心の中で呟いていた俺も梯子に手を掛け、振り向いて芽衣を誘った。


「芽衣、ほら。 それとも俺が下から押してやろうか? 」


「わ、私は行かないわよ、勝手に行ってくればいいじゃない」


「そうか? じゃあ先に行くぞ」


貯水タンクのてっぺんは俺たちがいつもサボっている屋上よりもほんの少し高いだけなのに、そこに立つと邪魔をする校舎や鉄柵もうんと下の方にあり目の前にはいつも見ているものとは全く別の景色が広がっていた。


「広い…… 」


360°どこまでも続くパノラマは、俺の心に確かに何かをのこしていった。


「…… 」


「ちょっ…… ちょっと達哉、ほんとに置いていくことないでしょ」 結局は芽衣も文句を言いながらも梯子の掛かっている所からひょっこり顔を出して登って来たので手を差し伸べてやった。


「芽衣、見てみろよ、俺たちの町」


「ちょっと達哉、手を離さないでよ」


「この見える範囲の中で俺たちが足跡を付けた部分なんてほんのちょびっとなんだろうな」


「世界はこの景色と比べものにならないくらい広いんだもんね、人間なんてホントちっぽけね」 川澄がため息にも似た小さな声で呟いた。


「あの海岸線を伊能忠敬は歩いたのかなぁ」 ヒロトが遠くの海を眺めながら斜め上の発想を口にする。


「俺たちはどれだけの道を歩けるんだろうな」 上田の心にも響くものがあったのだろう。小学生の頃のまんまだと思っていた見慣れた横顔がいつの間にか成長していた事に初めて気付かされた。


「森に二つの分かれ道があった。人の通らぬ道を行こう、全てが変わる。君たちには自分らしい歩き方を見つけてほしい」


「え?」 光彦先生の言葉に全員が耳を傾けた。


「詩人ロバート・フロストの言葉。そしてそれを僕に教えてくれたキーティング先生の言葉」


「上杉先生って外国の学校に行ってたの!?」


「ハハハハ 映画の中の台詞ですよ、小山内君」


「映画? ですか? 」


「そう、こんな言葉もある。 『バラのつぼみはすぐに摘め。』 ラテン語で言うなら 意味は『今を生きろ』」


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出典 映画『いまを生きる』

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