諦めない心
十真に背中を押してもらい震えが止まった遥は狐山高校1年の天空寺紅と向き合っていた。
二人の指スマ対決が始まろうとしていたのだ。
ジャンケンに勝った遥が先行で指スマがスタートされた。
「いっせーので!! 『いちぃ』」
弱々しい声だったがハッキリと数字の1を宣言。遥は胸の前で構えた拳から親指を1本立たせている。
対する狐山高校の紅は堂々と親指を2本立たせた。強気の証拠だ。
宣言通りにはならず紅のターンへと移行した。
遥は慌てることなく紅の宣言を待つ。
体育館の2階の窓から照らされる太陽の日差しが紅の赤髪を明るく映す。時より風が吹きカーテンが開くので日差しが入ってくるのだ。
風を感じながら紅は宣言する。
静かに冷静にそして冷ややかな声で、
「いっせーので『0』」
それは恐怖すら感じさせるような宣言だった。
ただ宣言しただけなのにこれほどまでの恐怖を感じさせる紅は異質だ。
ゾゾゾッと再び恐怖に包まれ背中いっぱいに寒気を感じた遥は、かろうじて親指を1本立たせていた。
(怖い怖い怖い怖い……レベルが違う……生きている場所が違う……怖い怖い怖い怖い)
遥は止まっていた震えが再び始まり怖気付いてしまった。
黒い邪悪なオーラは出ていない。もちろんスタイルも使っていない普通の構えだ。紅にとってこれが普通の指スマ、遊び感覚でやる指スマと何等変わりがないのだ。
「どうしたの? 君のターンだよ?」
「う、うん……」
震える拳を改めて胸の前でしっかりと固定。そのまま宣言するために息を整える。
「ふー……はー……ふー……はー」
呼吸するがうまく肺に酸素を送れていなく二酸化炭素だけが大量に吐かれているような感覚に陥る。どんどん目の前が霞んでいき、酸素の供給不足で酸欠や過呼吸になる寸前だった。
しかし遥は酸欠になりかけながらも、自分をここまで鍛え上げた勇との過酷な筋トレの日々を思い出していた。
「自分よりも強い相手と対戦することになったらまずこうだ!そして相手の威圧に押しつぶされそうになったらこうだ!」
勇は遥に上腕二頭筋を強調するポーズ、ダブルバイセップスを見せた。そのあとは、三角筋、僧帽筋、腕のデカさを強調するポーズ、モストマスキュラーをしている。
遥は教えられたのだ。自分より強い敵にはこのポーズをして自分を高めるのだと。
「ふんっ……」
遥は過酷な筋トレの日々を思い出しダブルバイセップス、モストマスキュラーをスリムな体、細い腕を使いポージングした。
その姿は女子高校生がプリクラなどで撮る可愛い姿にしか見えないが、遥の押しつぶされそうな恐怖心は和らいでいった。
勇は恐怖で体が固まってしまった筋肉や心の恐怖心を解すために手っ取り早いのがポージングだと思っている。全て筋肉が解決してくれる。そう信じているのだ。
その勇の狙い通り遥は再び、紅の前で構えることができた。
その姿を遠くで見ていた勇は遥の勇姿にサイドチェストを送っていた。もちろん遥は見えていない。見えていないがそれでいいのだ。遥自身は見ていなくても筋肉が見ている。筋肉が感じ取っているのだ。
勇の筋肉の想いが伝わったのか遥はしっかりと足腰に力を入れて宣言を始める。
「いっせーので!! 『にぃ』」
遥は小さな声だが力強く親指を1本立たせ数字の2を宣言する。
対する紅は表情を一つも変えずにそのままの構えだ。つまり親指を1本も立たせていない。
遥の宣言は外れ、紅のターンに移行する。
「いっせーので『2』」
再び冷たい声から出された宣言は数字の2だ。
遥はターン移行のテンポの良さについて行けず親指を立たせる暇がなかった。しかし、立たせなかったおかげで紅の宣言を外すことができたのだ。
(あ、危なかった……1本……立たせようと思ってた……怖い……怖いけど……がんばる)
再び紅の威圧に押しつぶされそうになりながらも遥は気持ちを落ち着かせ親指に力を注ぐ。
そしてそのまま宣言する。
「いっせーので!! 『よぉんっ』」
遥の宣言の後にニヤリと笑う紅。これまで一切、表情を崩さなかった男が凶悪な笑みを作ったのだ。
なぜなら4を宣言した遥の親指は立っていなかった。宣言ミスや親指の立て忘れだと思われたがそうではない。
遥はすでに恐怖に耐えられる限界を超えてしまっていたのだった。
未だ成長途中の遥にとってここが限界点。圧倒的強者と戦うのはたったの2巡で限界だったのだ。
これは遥が悪いのではない。遥は、よくここまで耐えた方だ。
異常なのは天空寺紅の方だ。漆黒の謎のオーラも、スタイルもなしでここまで恐怖心を与えたのだから。
(立たなかった……ボクの宣言なのに立たせることができなかった……)
顔を曇らせながら信じられない表情で自分の拳を見る。
「君はよく頑張った方だよ」
冷たい声で慰めの言葉をかけた紅。声は冷たいものだったが心から慰めている。
そのままトドメを刺すかのような勢いで宣言を始める。
「いっせーので『0』」
遥の親指が立たせられないことを知っている紅は数字の0、親指を立てないと宣言した。
しかしすぐに紅は驚いた表情をして口を開いた。
「やるね。驚いたよ。君、もう無理かと思った」
立たせることができないと思われていた遥の親指は1本しっかりと立っていた。
これにより紅の宣言が外れ遥のターンへと移行する。
「ボクは……うぅ、まだ……はぅ、戦う……」
息を荒らしながらスムーズに言葉を話せなかったがハッキリと戦う意志を見せた。
(十真くんみたいに諦めず……勇先輩みたいに強く……ボクは戦い抜くんだ……)
満身創痍の遥だが心は死んでいない。むしろ今までで一番、心の芯を強く持っていたのだった。己を信じ憧れの人たちを思い出しながら立ち向かう。
(紅君はボクが親指を立たせられないと思ってる。だからそこを利用する。宣言は1だ。紅くんが1本親指を立たせたら宣言通り……紅くんが裏を読んで親指を立たせなくても……ボクが親指を1本立たせられればそれでいい。だからボクの親指が立つかどうかで変わってくる……)
遥は作戦を練り自分の親指が立つかどうかで命運を決めようと考えた。
「いっせーので!! 『いちぃ』」
対面の紅の親指は立っていない。0の宣言よりも1か2の宣言が来ると思ったのだろう。なので紅は親指を立たせなかったのだ。
ここで遥が親指を立たせることができていれば片手を引っ込めることができるのだが……
「うぅ……」
力を込めている親指を薄目で見る遥。力を込めて立たせているように感じるが立っているのかどうか目視しないとわからない状態だ。
「すごいね。君……」
そんな紅の言葉とともに遥は自分の親指を確認した。
遥の親指は真っ直ぐに勝利を欲するかのように立っていたのだった。
「遥くん!! 先に片手を引っ込めたぞ!!」
「すごい、今のは本当に凄かった!!」
後ろで試合を観戦している十真と玲奈が、勢いに身を任せて遥の元へと飛び出した。
戦いはまだ終わっていないが先に片手を引っ込められたことに感動し賛嘆したのだ。
そんな飛び出した二人は仲良く手を繋ぎスキップしながら遥の周りを回っていた。
真剣バトル中に賑やかな二人だ。
そのままスキップし元の位置へと戻っていった。
クスッと笑う遥だったがもうこのターンで体も心も限界を超えていた。
すでに倒れそうなくらいフラフラの状態だ。
「でも、もう限界だろうね……いいかい? いくよ、いっせーので『ゼロ』」
冷たい声がより一層、冷たくなり冷酷に数字の0を宣言する。
限界と見極めていた紅の思い通りで遥は親指を立たせていない。
立たなかったのか立たせない選択をしたのかは不明だがどっちにしても片手を引っ込められたのにすぐに相手も追いついてきたのだ。
これで片手1本ずつの勝負。親指はこの場に2本。
両方の親指が立つ2の宣言か、片方の親指が立つ1の宣言か、両方の親指が立たない0の宣言の3パターンのみ。
紅のターンが終わり遥のターンへと移行するが遥はもう宣言する気力すら残っていなかった。
「ふー、はー、は、ふー」
呼吸が乱れている。足腰にも力が入ってない。
引っ込めた片手を太ももに乗せどうにか体制を整える。
「「「頑張れ!! 遥くん!! 頑張れ!!」」」
十真と玲奈の声援が遥の背中を押してくれている。
ここで宣言を当てれば遥の勝利だ。
乱れた呼吸のまま宣言を始めようと口を開ける。
「い、せー、ので……ぜろぉ、ふ、ぅぅ」
遥はボヤけた視界から紅の手を確認する。ボヤけた視界に加え体が、頭が、揺れて視界が定まらない。
それでも瞳孔がピントを合わし残酷な現実を映し出した。
紅の親指は立っている。
遥の確認が済んだのを見て紅は容赦無く宣言を開始しようとした。
「いっせー……の……」
すると紅の宣言は途中で止まったのだった。
不思議に思い観戦していた十真と玲奈は紅の顔を見た。
その紅の表情は恐怖に怯えるような表情をしていたのだった。
そして紅は1歩後ろへと引いた。
今まで見せたことがない表情とうろたえる自分の姿を紅自身が信じられないといった面持ちだ。
そして何より紅の視線の先の満身創痍の美少年に怯えているのだから誰も理解できないだろう。
(これ以上は……ダメだ……興味がそそるようなオーラで君には使いこなせないと思っていたが……使いこなせないんじゃなく……条件や制限があり使えないということだったのか……僕はオーラを見ただけで強いスタイルの持ち主かどうか一目でわかる。これは僕の仮説だが、君のスタイルの発動条件は恐怖や疲労の限界を超えたら?もしくは気絶したら発動するスタイルなんじゃないか?これ以上は君も、僕も危険だ……まだ使いこなせていなく自覚もないなら尚更危険すぎる、それにこのオーラ……僕以上じゃないか……)
恐怖に怯えながらも頭で状況を分析し、遥の全身から溢れ出る寸前の謎のオーラを考察する。そして判断した。
これ以上は戦うのは危険すぎると、
「これ以上はやめよう。これ以上やると君は気を失ってしまう……」
「え……」
構えていた片手を下ろし戦いを途中で終わらせた紅に対して弱々しい声を遥はこぼした。そして遥も構えていた片手の力を一気に抜いた。
力を抜きすぎて前に倒れそうになるがすぐさま観戦していた十真が倒れる寸前に支えた。
肩を組み遥の体制を戻した。反対側の肩には玲奈も同じように肩を組んだ。
「十真くん……ボク、頑張ったよ……でもボクが弱いから途中で」
「君は弱くない」
「え……」
弱音を吐いた遥に向かって今までで1番の声量で答えた紅。
「君は弱くない」
再び同じ言葉をいつもの冷たいトーンで言い直した紅。その紅の黒瞳はしっかりと真っ直ぐに遥を見ていた。
本気で弱くないと、強いのだと言い聞かせるかのような瞳だ。
「ありがと……」
美少年は仲間に肩を組んでもらいながら真剣な表情の紅に精一杯の笑顔で返したのだった。
その姿を鼻で笑い、肩を貸す十真を見て再び満身創痍の美少年を見て口を開いた。
「君、名前は?」
それは十真を初めて交わした時と同じ質問だった。
「ボ、ボクは……夢野遥……」
「そうか……遥、覚えておくよ。十真に遥、兎島は本当に面白い選手がいるんだね」
満足したかのように笑顔で答える紅。そして十真の方へ向き再びあの約束を交わす。
「十真、午後を楽しみにしてるよ。僕は、午後のために少し休むとするよ。それまで誰にも負けないでね」
「午後は僕も中断するかもしれないけど、全力を尽くすよ。それまでは負けない……」
十真の言葉を聞き、紅はポケットに手を入れながらこの場を去っていった。
紅が去ったのと同時に遥の体が重くなった。完全に力が抜けて十真と玲奈に体を預けたのだった。
低身長で細身の体格なので全然重さを感じさせないが疲労という重りが遥にはついているように十真は感じた。
「お疲れ、遥くん、本当にカッコ良かった、凄かったよ」
憧れの人物に自分が憧れた言葉をかけてもらい嬉しさのあまり涙が溢れそうになった。
「私もちょっと見直したっ。かわいいだけじゃないのね遥くんって、お疲れ様。ゆっくり休んで」
強く元気なチームメイトにも労いの言葉をかけてもらい溢れそうだった涙が制御できずに大量にこぼれ落ちた。
涙を遮るものは無く落ち着くまで止まることはなかった。
兎島高校 夢野遥 VS 狐山高校 天空寺紅
対戦結果は中断
この戦いは中断し決着はつかなかったが遥には得たものが多かった。
そして遥はこれ以上動けず練習試合は見学することとなったのだった。
それでも紅との一戦は遥を成長させる重要な一戦だった。
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