第12話 襖の中の会話
パリイィィィィィン
朝の206号室から鳴り響くこの不可解な音は、俺、アリサ・シンデレラ―ナによるものだった。
一昨日はさっとシャワーで流したのみ、昨日は風呂に入る前に寝落ち、しかも日中には汗をかき、煤にまみれたりもした。そんな俺の身体はバチクソに汚く、ドチャクソにくさい体臭を放っていた。
しかし俺が風呂に入るためには、乗り越えなければならない障壁があった。鏡に映る俺の裸体だ。いくら俺でもそこに映るのは女子高生。正気ではいられない。
どうすれば正気を保ったまま風呂に入れるだろうかと考えながら、自分の個室をとりあえず出ると、廊下にヒメカの「愛羅武勇」と書かれたバットが転がっているのを見つけた。
そこからはもう頭で考える前に、体が勝手に動いていた。バットを拾い上げた俺は廊下を進み、洗面所のドアを開け、風呂の扉を開き、そこにある鏡と対峙した。そしてバットを思いっきり振った。
パリイィィィィィン
卒業する頃に必ず弁償します。ルームメイトの皆さん、俺と過ごす3年間は鏡なしで入浴してください。本当にすみませんでした。
そうして俺はさっぱり入浴を終えることができるようになった。手の平で知覚される女子高生の体つきに、若干白目を剥いたりもしたが。着替えも終えて洗面所を出ると、鏡の破片を持ってドン引きした、ヒメカとリトスが立っていた。
朝食を3人で食べ、1―Cの教室へ向かう。早くルルップに昨日のことを聞きたかったのだが、ルルップが来たのは俺よりもずっと後だった。実はそれは当然のことで、俺は女子高生が集まり出す前に到着しないと、行きの道中で倒れてしまうので、かなり早い時間に一番乗りしていたのだった。
しかし早く教室に着いたのが仇となり、ルルップが来た頃には既に、俺は女子高生が集まる教室に耐え切れなくなっていた。俺は机ごと自分を囲むよう、四方に2枚ずつの襖を立て、その内側に身を隠した。襖絵には、山紫水明の風景が広がり、墨の龍が猛威を振るい、ピンクの鮮やかな御所の中で、女の生活が描かれていた。
そんな美術に見惚れていると、襖を隔てた向こうから、誰かが断りの挨拶を入れた。
「失礼致します。」
「どうぞ。」
俺はそう返事した。すると、襖が少し開き、右手が端に掛けられて半分ほどまた開く。次に左手が端に掛けられて、ほとんど最後まで開かれる。敷居の外側で正座をしていた彼女は、小さくお辞儀をしてから、静かに立って中へ入る。それから俺に尻が向かない側に180度回転し、正座をし直す。左手で襖の端をつまみ、半分ほど閉め、右手に持ち替えて、ギリギリまで閉め、右手を手掛かりに移したら、音が立たないよう最後まで閉める。再度こちらへお辞儀をした所作の美しい彼女は、サイカ・ホワイトスノーだった。
「おはようアリサ、ホームルームが始まるまでここに隠れてていい?ファンの子たちがすごくて……」
「おはようサイカ、朝から大変だね……」
「アリサもまだ教室に慣れないの?」
「慣れないよ~。ちょっと慣れたと思っても、一晩経ったらまた緊張しちゃうんだ」
「昨日の選択科目は大丈夫だったの?爆発したって噂聞いたんだけど」
「爆発はしたけど大丈夫だよ。それよりルルップの様子はどう?元気ないとかない?」
「あら、いつも通りだと思うわ。元気で可愛いわよ」
「そう。ならよかった」
「何かあったの?」
襖に囲まれた密室の中、昨日のルルップについて、俺はサイカに説明した。すると予想外なことに、サイカは心当たりがあるような表情をした。しかし、それは沈んだ表情であったので、俺の不安は勢力を増した。
「一昨年のあれでしょうね」
「あれ?何かあったの?」
私たちが中等部2年の時にね。ちょっとトラブルがあったの。
この学園では放課後に、幼稚園児から大学生まで好きな人で集まって、サークル活動ができるようになってるの。ルルップは剣術サークルに入っていて、放課後同じ戦士だったり騎士だったり、剣を扱う属性の仲間たちと、一緒に腕を磨いていたみたい。ちなみにルルップってかなりの実力者らしくて、中等部の頃から有名だったのよ。
それが一昨年の秋、2学期が始まってから1か月くらいだったかしら。生徒会の活動をしていた私のもとに、剣術サークルの中等部2年生が後輩の1年生を大怪我させたという報告が入ってきてね。その2年生がルルップだったの。
「ルルップが………」
ビックリでしょ?私も当時はルルップのことをそんなに知らなかったけど、戦闘能力が高いだけじゃなくて、性格も明るくて優しい子だって聞いていたから、驚いたわ。それでその後、当事者の話を聞きに行ったの。同じサークルの先輩の、クールでカッコいい騎士の人。
「もしかしてそれ……ミツキさん?」
あら、知ってるの?ああ、剣術が一緒だったのね。そのミツキ先輩の話では、ルルップが後輩の子と打ち合いをしていた時、急に自我を失って、むやみやたらに後輩を痛めつけ始めたらしいの。それで何とか、ミツキさんともう1人、ムキムキマッチョな人
「これはアイリンさんに違いない」
そう、アイリン先輩。あの人筋肉すごいわよね。中等部の頃からずっとマッチョよ。その2人で何とかルルップを止めて、竹刀を奪った。そしたらルルップは意識を失ったまま大人しくなって、目覚めたら自我を取り戻していたらしいの。
「俺と似てる………!」
「ほ…本当ね……暴走して意識を失うところが似てるってどういうこと!?どんな友達!?」
「親近感湧くなー」
「でももしかしたら暴走はあの日限りの偶然の出来事かもしれないし、真相は分からないわ」
「もう1回竹刀持てば分かるんじゃない?持ってないの?」
「そんな簡単なことじゃないわよ。知らない間に大切な後輩を傷つけてしまったという罪悪感は計り知れないわ。特にルルップのような愛情深い人はね。それにアリサには日常茶飯事かもしれないけど、暴走して意識を失うって相当怖いことよ」
「確かに……!」
キーン、コーン、カーン、コーン
「ホームルームが始まるわ」
そう言ってサイカは入ってきたとき同様に、洗練された立ち居振る舞いで襖の空間から脱出し、自分の席に着いた。
朝のホームルームが始まり、その後授業も始まったが、襖に視界を遮られた俺は何も見ることができないまま、昼休みを迎えてしまった。
「アリサ!サイカを助けに行くよ!これ開けて!なぜかこの襖、正しい所作じゃないと開かないようになってるから!」
「ごめんルルップ!今日の昼休みは用事があるんだ!」
「用事!?」
「5限の剣術は行くから!」
そう、俺にはもう1つ無視できない問題がある。ヒメカの怪我の真相を確かめなければならないのだ。とりあえず中等部の保健室へ行きたい。
しかし今は朝の早い時間と違い、高等部の校舎が、昼休みでテンションが最高潮に達した女子高生の巣窟と化している。その中を通り抜けるなど、命がいくつあっても足りない。
そこで俺は、襖を保健室の扉とリンクさせることにした。これが成功すれば、襖を開けたら保健室があるという、空間概念を超越した状況が作り出せるはずだ。そうなれば女子高生で氾濫した廊下を、虫の息になりながらくぐり抜けなくて済む。
指を広げて両手を襖にかざし、思いを込める。女子高生が恐ろしいという強い思いを。願いを託す。なるべく女子高生を避けて保健室に行きたいという切実な願いを。全神経、細胞、血液を襖に集中させ、俺の内側を巡る、ありとあらゆるエネルギーを襖に流し込む。
「はあぁーーーーーっ!!!!!」
ドゥピピーーーーン!!!
すると襖の隙間から勢いよく光が溢れ出し、カタカタと襖が揺れ始める。どうやら空間リンクが完了したようだ。強烈に吹き込んでくる光の洪水に流されないよう思い切り踏ん張り、その眩しさに目を細めながら、先ほどサイカが見せた所作を真似して、正座をし、丁寧に襖を開く。
「何で正座してるんですか!?」
俺は中等部の保健室へ繋がったことを期待していたが、先の空間には、正座をしながら保健室のドアを開けるという、意味不明な行いにドン引きするジジがいた。どうやら間違って高等部の保健室へ来てしまったみたいだ。
「どうしました?また変な発作ですか?」
「今日は違うんだ。昨日ルームメイトの後輩がかなりの怪我をしていたんだけれど、事情を教えてくれなくて……心配で……だからまずは保健室の先生に何か聞けないかと思って。中等部の保健室に行きたいんだ」
「怪我人等の情報は各保健室で共有されているから、ここでも調べることができますよ。ちなみにアリサは既に保健室界隈で噂の人になってます」
「本当!?じゃあ調べてくれない!?中等部1年のヒメカ・ユウサイで、昨日の放課後に来てるはずなんだ」
「ちょっと待ってくださいね………」
そう言うとジジは、机の上に置いてある、バスケットボールくらいの大きな真珠に手をかざし、「OK パールル、ヒメカ・ユウサイのカルテを見せて」と唱えた。すると白かった真珠が透明になり、中に1枚の紙が浮かび上がった。どうやらそれが、ヒメカのカルテらしかった。
「ヒメカ・ユウサイさんは………」
ジジの眉間にしわが寄った。
「昨日中等部の3年生にシメられたみたいです」
正座を続けていた俺は、驚きと怒りが混ざって湧き出たような、不快な感情に襲われた。
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