第2話 バエテールの間

 ここはどこだ?




 紫、青、緑、ピンク、和紙でできた灯篭がカラフルに、薄暗い空間を埋め尽くしている。壁や天井は全く見えず、床についても何かに乗っているのは分かるが、それが何かは全く見えない。その下にも、色とりどりの灯篭が、やはり暗い空間にいっぱいで、そういう光景が四方八方、上下も併せて無限に広がる。今まで全く見たことがない、夢のような空間だ。



 しかし俺は確か、現実臭さがむんむんに漂うスーパーの帰り道にいた筈だ。そしてイカれた男に殺されたのだ。




キュッッ。




 あるか分からない心臓が、一瞬縮む感覚がした。そういえば刺された箇所はどうなったのだろう。恐る恐るゆっくりと、俺は右手を胸部にあてた。むにゅ。




むにゅ?




むにゅ。たゆたゆ。ぷるんぷるん。ふにふに。ゆさゆさ。ぽよよよよん。

Bounce、꾸욱、Zapam-zucún。




「なんだよこれ!」




 俺の胸部は、えぐられてグチョグチョというような恐れていた状態にはなかった。深い傷や湿った血といった、刺殺の痕跡は一切見当たらない。そんなグロテスクなものに代わってそこにあったのは、豊満な乳房だった。




「とても見ていられない状態だったので修復したんです」




 目の前の女神がそう答えた。死んだ筈なのに意思をもって動けていること、謎の感動的な空間、突如現れたおっぱい、そして今女神が俺に話しかけていて、彼女がなぜかセーラー服を着ていること。本来訳の分からない事象に俺は囲まれてしまっているわけだが、不思議と事実として受け入れることができた。



「あっ……ありがとうございます。本当にありがたいんですけど……なんで巨乳なんですか?」


「それは私が女子高生の神だからです。」





 女子高生の神?





「私は女子高生を司る女神、ジジ・キーカンジーユ。女子高生を司っているということは、女子高生にまつわる力しか使えません。ですからあなたの胸を男性の形に修復することはできないんです。修復するには女子高生の胸を再現するしかなかったんです。」


「はぁ…………」




 女子高生を司る神?初めて聞いたなあ。神様ってもっと太陽とか知恵とか愛とかを司ってるイメージあったのに。女子高生も司ることができるんだ。勉強になるなあ。てことは今の俺は、27歳の体に17歳前後のおっぱいが付いていると、そういう状態なんだ。すごいことになってるなあ。



 ふと疑問がよぎり、俺は股間を触る。これまでどおりにあるべきものが、ちゃんとぶらさがっていた。




「本当に、胸だけなんですね………」




 あるべきものが残っていた安心感と同時に、今の俺は本当にとんでもない状態にあるんだとドキドキした。




「有野サダメさん」


「はい」


「私は感動しました。あれだけ女子高生に虐げられたきたあなたが、命を懸けて女子高生を救おうとするなんて。女子高生の神としてお礼を言わせてください。ありがとうございます。」


「いえ……それで……俺は死んだんですよね?天国とかに行けるんですか?俺どうなっちゃうんですか?」


「本来死んだ生き物は天国か地獄に送られます。サダメさんも例外ではなく、天使たちによって運ばれている最中でした。ですがこのままではあまりにも可哀そうだと思った私は、天使たちからサダメさんを強奪して、ここバエテールの間に連れて来たんです」




 ん?強奪?温厚で優しそうな見た目の女神から発された物騒な単語に、俺は不穏な空気を感じ取った。




「で……俺はここで暮らすんですか?」


「いえ、サダメさんにはもう一度、新たな命を授けます。このままま終わりというのはあまりにも理不尽で、私絶対許せません。サダメさんには別の世界で、新しい人生を送ってもらいます」


「それはあの……大丈夫なんですか………その…ルール的に……」


「だいじょうブイでしょう!」




この女神、ノリで動いている!やはり彼女は女子高生を司っているのだと、俺は強く納得した。




「ほんとに大丈夫です!?」


「大丈夫、大丈夫。まあ怒られるとしても私だけだから、サダメさんは心配しなくていいです!それではレッツ・ゴーです!」





 幻想的な空間を作り出していた大量の灯篭が、突然一斉に動き出した。種類の違ういっぱいの蛍が周囲を高速で飛び交うように、様々に光が入り乱れる。そんな光景に俺は、目も心も奪われた。


 最初は無秩序に飛び回っていると思われた明かりの群れは、徐々にそれぞれの配置につく。しばらくすると俺の目の前には、滑走路のような長い道が出来上がっており、それは遠く遠く先の方へ、ひたすら真っ直ぐに延びていた。彼女は俺の後方に回り込んでおり、両手で腰を掴まれる。



「サダメさん、飛んだことはありますか?」


「いや、飛行機すら乗ったことないですけど………」


「最高に気持ちいいですよ!思いっきり風を感じてください!」





ばさっ、ばさっ。


女神の翼が大きく上下するとともに、ゆっくり俺の体が持ち上がる。




「重くないですか!?」


「大丈夫です!私力持ちなので!」




 空中で少し前のめりになった俺の頭上で、彼女は見えない床と並行になるよう体を横に倒し、翼をさらに強く羽ばたかせていた。手は俺の腰にあり、外れてしまう心配が微塵もないくらい、強く固定されていた。



 飛ぶことにはずっと憧れていた。地球に広がる青い空ではないものの、眼前の光景は銀河鉄道なんかを連想させるほど壮麗で、新たな世界へ向かう旅路に、俺はワクワクした。



「サダメさん、準備はいいですか?」


「はい、何かめちゃくちゃ楽しみになってきました」


「よかったです!それでは出発進行です!」





                                ぴゅん





 あばばばばばばばばばばばばば。


 俺は飛んでいる。確かに今、宙を飛んでいる。地面から足が離されたままに、前へ前へと進んでいる。風を感じる。頬や肩に当たっているのが分かる。肩に当たった風はそれから、腕の真ん中を冷たくなぞって、指の先から消えていく。そう感じる。


 灯篭で作られた道の両脇では、これまたたくさんの灯篭が連なり合って、線や文字を構成し、巨大なネオンサインを作っていた。アルファベットにハングル文字、果物、お菓子、ジャンクフード、猫や人魚、ハートや星、様々な形がカラフルでかわいい。


 ただし問題なのは、そのネオンサインがほとんど見えないということだ。視界に入ったと思った瞬間、遥か後方に消えている。というか風も「当たっている」のではなく、「ぶつかっている」と言っていい。俺のおかしな身体を容赦なく叩きのめす風圧は、連続で強面ボクサーに殴られているみたいで、痛い。まぶたもびろんびろん。目ん玉剥き出し。ほっぺたびろんびろん。歯茎剥き出し。



 彼女の飛行はレーザービームのように速かった。気持ちよく風を切るとか、そういう次元のものではない。



「はばっ、はばうぎえぐおっ、ういぃうぉおおえあいんえうあ!


(翻訳:速っ、速すぎですよ!スピード落とせないんですか!)」



「あらサダメさん、そんなに楽しいですか?喜んでいただけて私もハッピーです!」



「いあぶっ、ういぃぶどおぼびべっべいっべうえうおぉ!


(翻訳:違う!スピード落としてって言ってんですよ!)」



「えっ!サダメさんもですか!?私もさっきのユニコーンのネオン、超かわいいと思ってたんです!」



「ぼびぇやぅぶらぁぁ!!!!(翻訳不能)」




 何なんだこの女神は!!俺が何を言ってるのか分からないのなら理解できる!だがなぜ彼女は分かった風に、普通に会話を続けているのだ!全然内容も合ってないし!!



 俺が風の痛みに耐えながら、目や口の渇きを凌ぐためまばたきをしまくり、唾液を出しまくっているそんな中、女子高生を司るこの女神は、ご機嫌に鼻歌を歌いながら、気ままに爆走していた。





「あっ、もうすぐですね」




 もうすぐ?転生できる場所に着きそうということか?彼女には聞きたいことが山ほどあるが、スピードは全く落ちず、唇もほっぺもびろんびろんのままなので、とても聞けない。転生ってどういうふうに行われるのだろうか。飛び始める前に聞いておけばよかった。



「ああ、ここですね。ではサダメさん、お元気で。ぽいっ」





 ぽいっ?





 腰に固定されていた両手が離され、俺は落下を始めた。さっきみたいに見えない地面が灯篭の道にもあると思ったが、そこは呆気なくすり抜けてしまった。さよなら、頑張ってくださいと、笑顔で手を振る女神の姿が、上空でどんどん小さくなっていく。合ってる?俺ちゃんと転生できるよね?こんなの不安すぎない?



 次の瞬間、俺の身体が突然発光した。白い光が眩しくて、俺は目を閉じる。いきなり身体が光りだせば、普通パニックにでもなりそうなのだが、むしろ俺は安心していた。白い光は温かく、死という壮絶な体験を通して、すり減っていた俺の心を、優しく柔らかく包み込んでくれた。全身がぽかぽかと安らぎ、とても心地がよかった。無条件の大きな愛情で、全身が満たされているような気がした。




そして何よりこの発光には、転生してるっぽさがあった。







「アリサ・シンデレラーナさん」






「アリサ・シンデレラーナさん!」


「はいっ!」




 なぜか俺はこの「アリサ・シンデレラーナ」という名前に返事をし、起立していた。俺は転生できたのか?周囲を見渡す。ここはどこかの学園の、とても大きな講堂で、座席はすっかり埋め尽くされていた。着席している全員が、女子高生であったので、俺はそのまま卒倒した。






(翻訳 ブットンダ・ナツコ)

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