第31話 【傲慢不遜が赦されるのは】
飛び跳ねる様は子犬よりも無邪気だ。動物より恐ろしい邪悪を孕むのが人間である。
瞳の輝きは石よりは見応えがある。宝石には到底敵わないが。
「いいかよく聞けー! ルゥくんは最強なんだぞー! 誰にも負けないんだぞー! 城のみんなはルゥくんが攻撃すると、みーんなそろってばたんきゅーなんだぞー!」
大きさとは時に重要な要素となる。憐憫を決定付けるのに。
「だからお前も倒れるんだー! ルゥくんが攻撃したから倒れるんだー! それこそがルゥくんがヒーローと呼ばれるゆえ、んっ」
少女は竜から降り、その
身長差は当然ながらあり、少女の方が小さい。しかしながら少女は、見下ろされる恐怖に屈さず――
青年の胸倉を掴んだ。顔面が迫ってきた彼は、機嫌がよかったその表情を、一瞬にして曇らせる。
「なっ……無礼だぞ!!! お前おれ様のことを誰だと思っている!!! ルゥくんだぞ!!! 世界で最も偉大なるルゥくんだぞ!!!」
空いていた手で頭を叩く。青年にとって少女は悪なので、手加減する理由がなかった。
「お前の行為はぶじょく罪だぞー!!! 放せ!!! 放したら
言葉の勢いも乗せて叩いても、少女が屈する気配がなかった。青年は足も動かし、蹴り飛ばしも交えて少女を退けようとする。
「いだいー!!! うえーんいだいよーーー!!! 何すんだよー!!! 大体お前なんで倒れないんだよー!!! ルゥくんが攻撃したのになんでだよー!!!」
少女は胸倉を掴む手を強くする。竜の従者としての感覚が馴染んできているが故に、どれぐらいの力を加えると、
故に表情や態度を見て加減を行う。青年が叩いたり蹴ったりしてくる行為は、彼女に命中こそしていたが、従者の証明たる鱗には微塵も効果がない。
「お前なー!!!
次第に青年は喚き始める。その中で叫ぶ言葉は、自分が世界の中心だと信じて疑わないまま。顔は分泌されるあやゆる体液で汚れ、目は炎よりも醜い赤に染まる。喉が疲れても叫ぶことは止めない、それを止めたら自己主張ができなくなるから。
「あ゛っ……!!!」
その光景に少女は興覚めし――
青年を持ち上げ、地面に叩き付ける。
石の地面と顔が激突し、血が飛び散った。
「あ゛っ!!!」
「う゛っ!!!」
「う゛おおおおお、ッおおおオオっ、」
「オオオオオオオオっあああっあああああああっあっあっああーーーーー!!!!!!!」
地に伏した青年を、少女は何も考えずに踏みつける。顔は石に潰され歪むように。服は土埃で汚れるように。肉がちぎれ骨が折れるように。どこを踏み抜くのが的確か、なんて考えている暇があるなら手当たり次第に足を振り上げた。
衝撃が走る度、青年は相応に声を上げる。顔が歪んだ時は、骨格がへし折れる痛みに悶絶し、皮膚がすり減った時は折れた歯で食いしばり、スカスカの歯軋りで奮闘する。肉がちぎれ骨が折れた時は、潰れかかった喉で甲高い悲鳴を上げる。
道具が雑な扱い方をされると、構成するパーツが飛び出していき、破損していくように。少女の行いで青年の肉体からも、肉片や歯が飛び散っていく。
そのような光景を前にしても、少女は容赦をしなかった。
「あああああああーーー!!! おぎゃああああああっ、おぎゃあーーーーーーー!!!!!」
突然、生命力を振り絞った青年が、ぬるりと立ち上がり、少女から逃げるように走り出した。予想外の行動だったので、少女は対応できずに逃がしてしまう。
充血した目は白く剥き、どこに逃げたいかなんて欲望もなく。微塵にされた自尊心では行動の意味を考えることすらできない。極限まですり減った精神を保つべく、脳は言葉というものを捨て去ろうとしている。
恥も見聞も忘れたその身は、もはや人の形を保っているだけの何かだった。衣服は下着すらも破れてしまい、露わになった股間からは
そしてそのまま、走っていった先で。彼は一部始終を静かに眺めていた、黒い鱗の竜に接敵し――
「うわあ゛っ!! あ゛っ?」
「ジェイド、私はもういいや。これ以上何かしてやっても、
「味がしなくなった、ということだな。ならば
青年は視界に捉えた。彼の機能不全に陥った瞳でも、はっきりと見ることができた。目に焼きつけてくれるのだから、邪竜帝の
自分が向かおうとしている先。何もかも全てが、紅い炎に包まれていく。
青年の脳裏に光景が過る――そこはかつて自分が
崩れ落ちていく城の光景に、青年はある物を想起する。それは幼い頃、砂場で作った城を、
「……!!!!!!!!!!」
「ル……ルルルルルルル……ルルルルルルル!!!」
「ルゥくん、ばんざーーーーーあああああああい!!! ルゥくんばんざい、ルゥくんばんざい、ルゥくんルゥくんルゥくんルゥくんーーーーーーー!!!!!!! ばんざーーーーーい!!!!!」
傲慢不遜が赦されるのは竜だけである。それを知らずに付け上がった青年。
彼は世界に存在することを赦されず、炎によって浄化を受ける――
「あ……ああ……」
「おまえたち……るーふぁうすへいかに……なんてことを……」
覇気のない声で、そのように憤慨する男がいた。少女も竜もその方向を振り向く。
「ぶ、ぶ、ぶ、ぶれいだぞ……ふけいざいだぞ……しけいだぞ……」
その男は痩せこけており、ほんの少ししか肉が残っていなかった。それでも目は悲しそうで、表情は慄いているのが見て取れる。
服はサイズが合っておらず、裾は腕や足に比べて遥かに大きく、引きずるようにして男は接近してきた。ナイフを突き立ててはいるが、その手は大きく震えており、落としそうなのをギリギリこらえている。
髪は色素を抜いたような白で、突然空気を抜かれたかのような皺の付き方。だがどのように表出しているかなんて関係なく、男は
「さ、さりあ……おまえ……じぶんが、なにをしたか、わかってるか……」
少女は名前を呼ばれたが、彼女の記憶の中にこの老人は存在しない。
――存在しない程に、男は狂気に身を焦がされ、
「お、おれはせおどあさまだぞ……じきこくおうのさんぼうにしてひつじなんだほ……!!!」
「どらごんなんてこわくないー!!! ふおおおおおおおーーー!!!」
男は一気に走り出し、ナイフを突き上げて少女に突き刺そうとしたが――
ズボンの裾に引っかかって顔面から転ぶ。空気の抜けた声で悲鳴を上げた。
「あうっ!!! ふ゛っ!!!」
「……」
その隙を突いて、少女は男を踏みつけた。もはやその目には何も籠っていない。
ただただ少女は、先程の青年と同じく、この男にもこうしておかなければ、
「さ、さりあ、ゆる、ゆるし、おれ、あたまい、やくだつ、だから、あああああああ」
叫び立てる、感情を爆発させるだけの力も残っていないのか、男は何も抵抗できずに踏まれるがままだった。
少女はそれが甚く
「ジェイド。あなたの立派な爪で、この男の内臓を引きずり出して。その上で全部燃やしてちょうだい」
「ふん……安いものだ。余も丁度、この男の魂からの悲鳴を聞きたかった所よ――」
竜が少女の命令に応えるまで、1分もかからない。
男が痛みを受け、眠っていた本性を露わにするまで数秒もかからない――
「ギャッ、ギャアアアアアアアアアアアーーーーーーーーー!!!!」
全てが炎に焼かれて、後に残るは燃え差しだけ。けれども誰もがそれを処理しようと思わない。
世界の全てが、竜の逆鱗に触れるとどのような結末を引き起こすか、それを刻み込まれて背筋を凍らせるだけである。
驕れる者は久しからずと言葉を添えよう。魔道具で栄えた王国マクシミリアンは、今日ここに滅亡した。
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