第30話 【竜と黒炎の聖女】

 マクシミリアン王国北部、何の変哲もない森林地帯。空は闇すらも飲み込む黒雲が広がり、雷は今か今かと落ちるのを待ちわびている。




 そして、遂に雷が落ちる時が来た――木々が生い茂っている下を突き破り、巨大な存在が姿を見せたのだ。








「……ぷはあ! わっ、どんどん昇っていくね……!」

「どんな態勢になっても構わんぞ。余の力で飛ばされないようになっているのだ」






 巨大な竜だった。彼が地上に飛び出してきた余波で、森林地帯は丸ごと吹き飛んだ。少なくともそれぐらいの大きさはある。




 四肢はしっかりと生え、翼は体重を支えられるだけの強靭さを持つ。飛び立つだけで起こる突風は、嵐と間違えてしまう程だ。




 久々に力を取り戻した実感を味わいながら、竜は空を飛ぶ。最初に竜は一思いに飛んでみることにした。待ち焦がれた雷が勝手に落ちていき、更に雨も霞も雲から降り注ぐ。悪天候すらも竜の行く道を止める手段にはならない。






「どんな態勢になってもいいんだ。竜帝の力って便利だねぇ。おすすめの態勢とかある?」

「それなら立ってみるといい。二本の足で一思いに。そこから見る景色は絶景なのだ」

「ジェイドがそう言うなら、間違いないね。よし……やってみる」





 全身は艶めく鱗に覆われ、その一枚一枚に魔力が込められている。生半可な実力では触れることすらままならないだろう。




 爪も雨粒を反射し鋭利に光る。頭頂部の角は存在の偉大さを誇示するように、雄々しく伸びて勇ましく佇む。




 そして見た者全てを圧倒する、美しい翡翠色の瞳――その瞳で竜は、頭上に乗ったを見つめている。






「わぁ……! すごい、すごい……! どんな山に登ったとしても、こんな景色は見れないよ!」

「そうだろう、サリアよ! 竜は自分の気に入った者だけを頭上に乗せるのだ。そこから見る景色の偉大さを、一番身に染みて理解しているからな」

「えへへ……私、ジェイドに気に入られちゃってる……わぁ……」






「人が……人がたくさんいるね……まだ人……」







 頭上に乗っていたのは、これまた美しい黒のミニドレスに身を包んだ少女だった。竜と同じような緑の瞳が輝いている。そこには憎悪と嫉妬を込めて。






「ふん、興が乗ってきた。先ずは下にいる者共から焼いてやろう」

「いいの? ジェイドにも順番とかあるんじゃない?」

「全て焼き尽くすのだからどこから焼いても同じことだ」





 言葉を切った後、竜は息を深く吸い込む。すぐに体内で熱され、業火が生み出されていき――





「グオオオオオオオオッ……!!!」





 竜は大きく口を開き、炎を吐き出した。






「えっ……ぎゃあああああああーーー!!!」


「ああああああああー!!! 熱い、熱い、熱いーーーーー!!!」


「うおおおおおおおおおーーーーああああああああーーーー!!!」






 石で造られた町並み、そこから不安そうに空を見上げる人々。全てを真紅が包み込む。



 目覚ましい紅に人間達の身体は耐え切れず、賞賛をすることもなく、ただ苦悶の非難を上げるのみ。



 されど元より、偉大なる竜の存在を、否定した者達だ。今更賞賛なんて送ろうものなら、それは媚び諂いと同義である。



 故に竜は必要ないと断じた。この国にある者は全てそうだと認識し、焼き払ってやろうと考えているのだ。






「……綺麗な炎」




 竜の頭上に乗っていた少女が、ぽつりと呟く。悲嘆も衝撃もなく、竜の放った炎に見惚れている。




「ふはは……! 余の放つ炎は、どのような存在よりも豪奢だ。何故なら誰もが抱いていない、大いなる信念を携えているのだからな!」

「ジェイドの信念? あなたって、ただ好き放題にわがままじゃないのね」

「余は力を持つ存在故、相応に我を通すことが赦されているのだ。そして信念という物は――摂理と置き換えても良い――」





 炎を放ちながら、竜は我が物顔で空を飛ぶ。途中で一回転しても、少女は頭上から落ちない。





「即ち、世界には邪悪も必要ということだ。光ある所に影は必ず現れる。影無くして光は成立しない」



「誰かに好かれるのならば、必ず誰かに嫌われる。どれだけ理想的な政治をしても、不満を持つ者は必ず現れる。真面目に仕事をしていても、手を抜きたくなるのは当然のことだ。影は光の勢いを弱め、適正な強さに戻す『戒め』の役割を持つ」




「故に必要なのは、影をことではない。影が存在することを認め、なのだ」



「余はその影を一身に担う者――そしてマクシミリアンは、学びもせずに影を影と断じ、正しいと舞い上がっているだけの愚者。結果として余の逆鱗に触れたわけだ」



「戒めを忘れ、自己を省みない者がどのような末路を辿るか――余の復活を祝し、世界に知らしめてやるのだ――」









 竜の炎は次々と広がっていく。それを止めて鎮静するだけの人間は、もう国には残っていなかった。



 水をかけようにも、それを運ぶ者がいない。そもそもバケツがない。というより水がない。



 魔術で収めようにも、魔術が得意であろう者はこの有様で――




「いやあああああーーー!!! にげ、にげげ、逃げるのよーーーー!!!」

「スカーレット様そちらは!!!」





 聖女の一人が自ら炎に突っ込む。その壮麗さに身をやつしたいと願ったというよりは、狂気に侵され周囲が見えなくなってしまったようだ。






「ああああああアアアアア゛ア゛ア゛ーーーーー!!! いやあ゛あ゛あ゛ーーーーー!!!!」



 程なくして彼女の顔が燃えた。皮膚が焼け落ちていき、黒く焦げた炭が醜悪な骨格を暴き出す。



「きゃああああああーーーー!!! 逃げる、逃げる、逃げるうううううう!!!」

「お、落ち着いてくださいーーーー!!! うああああああーーー!!!」




 聖女達を束ねていた騎士も、炎を恐れ寄り付かない。今なら紙に描いた炎を咄嗟に見せても、反射で驚き逃げていくだろう。






 竜と少女は、彼女達が炎と踊っている場所にもやってきた――





「……ジェイド。あれも最終的には焼け落ちるの?」

「何も施さねばな。だが、望むのなら永劫の苦しみを与えることもできる」

「それはいいね。死んだら何もかもが終わりだもの。生きることも、罰を受けることも」

「ははは……至言だな。いいだろう」





 何処かから燃え移ってきた火が、聖女達を混乱させていた。



 そこに本当の炎が放たれる。誰かの意志を内包した、揺るぎない執念に滾る炎。



 箔を付けるために仕事をしていたとか、相手をこき使おうとか、嫌いだから苛めるとか、そういった生半可な精神では耐えられるわけがないのだ。





「「「うぎゃあああああーーーっ!!! あ゛っあっあ゛っあ゛あ゛あ゛ーーーー!!!」」」




 かくしてあれ程身分に執着していた者は、その縋っていた藁ごと、燃え尽くされてしまった。



 そして残ったのは、全身を炎に包まれ、終わることのない、黒い存在だけである。






「あああああ、うがああああああああ……!!!!!」




 聖女の中でも一人、かつて最も聖女の中で名声を集め、親の七光りで自分は高みにいると錯覚した者。



 彼女は天を舞う竜を見て、歯軋りをしながら恩讐を叫ぶ。それを聞き届ける前に、二人は飛び去ってしまったのだが。




「ザリ゛アァァァァァ……!!!!! 覚えておきなさい、助けなさいよ……!!!!!」



「貴女如ぎが、私を踏み台に゛じやがっでぇぇぇぇぇ……!!! くるじい、だずげでええええええええええ!!!!!」



「うおおおおーーー!!! パパ、ババ、バババッバパパパバババババパパパバババアッババパパパパ!!!!! じに゛だぐな゛いいいいいーーーーー!!!!!」








「……ああ綺麗。綺麗に燃えて、綺麗に焼け落ちたけど、あれが出す声は汚いね」

「汚物の怨嗟に包まれ、この国は歴史から消え失せる。当然の末路だ」

「そりゃだって――世界の理にケンカ売ったんでしょう? いい気味だわ、ふふふ」





 少女が手を口に当てて笑ったその時。




 何かが勢いよく飛んできて、彼女の頬を掠める。





「……ん?」

「何奴だ――ああ」




「……そうね、またこいつを燃やしていなかったわ。でも少し様子を見ない?」

「確かに、先程とは様子が違っているな。哀れなことよ」





 飛んできたのは木を固めて作られた弾。それが飛んできた方向を見ると、子供が一人。




 ――体格も身長も顔立ちも、見た目だけは大人のそれだったのだが、




 立ち振る舞いが子供を悪化させたようなものなので、差し引きをして子供ということだ。





「やったーーー!!! 悪いやつに命中した!!! ルゥくんのパチンコ術は世界で一番だーーー!!!」



「おーい悪いやつ!! お前はこのルーファウス様がぐちゃぐちゃにしてやるからなー!! 正義の使者ルーファウス様だぞー!! 覚悟しやがれー!!」

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