第14話 リンゴで学ぶ世界の真理
「……お母さん」
……ん。
「お母さん!」
……あれ。
「ねえお母さん、ちょっと聞いてよ!」
これは……夢、いやいつの記憶だろう。
「まあサリアったら。あんなに優しいあなたがこんなにも怒るなんて……一体何があったのかしら?」
「それがね、エボニーとリッツがね、またケンカしてて……」
どちらも『流星の森』にいた頃、私の近所に住んでいた男の子だ。当然あの日の炎で焼け死んでいる。
「どっちが大きいリンゴを食べるか、ですって! ほっんとうにくだらなさすぎて……呆れて仲裁もできなかったわ……」
「ふふ、サリアは正義感に溢れているのね。あの二人の仲裁、いつもあなたが買ってくれている」
「見ていて収拾がつかなくなるんだもん! あーもう……」
日常の何気ない会話。それからも私は、お母さんにあれこれと愚痴をこぼすのだった。
でもこの日だけは、普段の会話と違った。多分あまりにも呆れていたから、口から出た疑問だったのだろう。
「……ねえお母さん。人ってどうしてケンカするのかな」
「ケンカなんて初歩的なことしなければ、国家間の戦争なんてなくなるのにな……」
ふと呟いたその言葉を受けて――
お母さんは私の下に近付き、ソファーに座るように促した。言われるがまま私とお母さんは隣に座る。
「サリア。何も喧嘩は絶対に悪いってことじゃないのよ。喧嘩をしないとわかり合えないことがあるもの」
「その『しないと』って何? ケンカじゃなくって言葉で主張すればいいじゃん!」
「それがね、人間ってのは結構言葉で解決できないものなのよ。拳と拳でって感じで、時には力づくで行かないといけないこともあるの」
「むぅー……」
納得が行っていない私は、唸りながら腕を組む。
「……そうね、あなたは喧嘩は絶対にしてはいけないことだと思っているようね。でもね、この世界に『絶対に悪いこと』なんて、存在しないのよ」
「……そうなの?」
「そうなのよ、実はね。例えばそうね――」
お母さんは立ち上がり、テーブルから切られたリンゴが盛られた皿を持って戻ってきた。そのうち1個を、私に食べるように勧めてくる。
これを食べない理由がなかった――何もつまみがないのにする話なんて、子どもには退屈すぎるもの。
「はぐ……今日もリンゴが美味しいなあ」
「美味しいでしょ。村で採れたばかりのリンゴだからね」
「採れ立て新鮮が一番! こんな美味しいリンゴが食べられるなんて、私、この村に生まれてよかったなあ……」
「ふふふ……そう」
「じゃあ、この村でリンゴが栽培されているのはどうしてだと思う?」
まだリンゴを食べている私を見つめながら、お母さんは話を続けた。
「……誰かがリンゴは美味しいってことに気付いて、その美味しさを手頃に得たいと思ったから?」
「正解。賢いわね、サリアは」
「でもここで考えてみて。『美味しいものをいつも食べたい』って気持ちは、『どんな食べ物を得ることができても我慢すべきだ』って気持ちとは、対立すると思わない?」
「あっ……ああー?」
確かに……そうかも。美味しいものを食べたいって気持ちは、つまり欲望……
「欲をかくことって……悪いことなんじゃ」
「でも悪いことをしているおかげで、あなたはリンゴの美味しさを知っている。リンゴを食べて毎日が幸せよね?」
「……」
そうか――そうなのか。美味しいリンゴの裏には、そういった物事が潜んでいる……
「だけどリンゴを食べること自体は悪いことじゃない。それは喧嘩にも同じことが言えるのよ」
「そっか……そうなんだ」
「大事なのはどういう心持ちで向き合うかよ。だけどそれも、必ず悪いと言えるわけではないわ。悪い気持ちも良い気持ちも、全て等しく持っていい心なの」
「……じゃあさ。朝起きたばかりでまだ布団に潜っていたいってのも、悪いことじゃない?」
「それは勿論! でもどうしても朝起きないといけない状況ってあるから、その場合は対策が必要だけどね。裏を返せば、対策さえしているのなら、布団から出たくないってうじうじしてもいいのよ」
「そうなのかぁ~……」
ためになるなあ……お母さんがしてくれた話の中で、一番勉強になったかもしれない。
「いいサリア、今後村を出ることになってもこれだけは覚えていて。世界は良い行いだけで回っているんじゃない。悪いと言われる行いだって、世界には必要なのよ。光のある所には影が落ちるようにね」
「うん、覚えておくね。あと私が村を出ることはないから大丈夫だよ。だってリンゴが食べられる場所なんて、そうあったもんじゃないし!」
――この頃はまさか、外部からの影響で村を出ることになるとは想像もしていなかったよ。
「そう、それならうちのリンゴ農園も継いでくれるってことね?」
「元からそのつもりだよ! お母さんが年を取っても、美味しいリンゴを皆が食べられるようにするんだから! 節約が必要だなんて文句も跳ね返してやるもん!」
――ああ、そんなこともあったなあ。思えば私の生活には常にリンゴが溢れていた。だから聖女になってからもその味が恋しくて、箱に入れる程買っていたんだ。
でも、どうしてこんなこと急に思い出したんだろう。お母さんが恋しくなったのかな? それとも死ぬ前になって、最も教訓になったことの走馬灯を見ているとか――
――死ぬ前?
「はっ……?」
迫りくる覚醒の波に飲まれて、私は一気に目を覚ます。そこは見覚えのある部屋。
そして背中にはすっかり慣れた、布団の感触。間違いない、ここは自分の部屋だ。私は生きている。
「ジェイド……ジェイド?」
「おお……やっと、目を覚ましたか……」
あの地獄のような戦場から、私をここまで連れ戻す――そんな行いができるのは、やはり彼だけだ。
ジェイドは私の隣にぴったりくっついて、すーすーと寝息を立てていた。そして、私が起き出すと彼も目を覚めた。まるで私が起きるのを待っていたみたいだ。
「おれ様は治療なぞあまりしないが、上手くいったようだな……普段やらないことでも成し遂げる、流石はおれ様だ……」
「治療……? 私、どこか怪我してたの?」
「何だ、まだ完全に目覚め切っていないのか? 腹から刺されて大量に血を流していたのに、その傷口を感じないのか?」
「腹……?」
そう言われて、初めて私はお腹の辺りがくすぐったくなった。
思わずその場所を擦ったが、特に何も起こらない。だがジェイドの方に向き直ろうと、上半身だけを左に回した瞬間。
何かがよじれて私の痛覚を刺激した。思いもしない痛みだったので、うっと声が漏れ出てしまう。
「ったぁー……」
「おお、やっと傷を自覚したか。うむ……これはおれ様の責任だな。お前が完治できるような、質の高い回復をできなかった。『家臣』を傷つけられながら何たる失態。主として失格だな」
そうやって自分を責めるジェイドは、どこか俯いているように見えた。
ここに来て初めて見せる顔。ドラゴンも力不足を嘆くことがあるんだ……
でも……回復なんてできなくても、ここに連れてきただけでも、それだけで十分だよ。
「ジェイド……ありがとう。普段やらないことを頑張ってくれて」
「なっ……」
後ろからそっと彼の身体を抱き上げ、膝の上に乗せる。そのまま優しく抱きしめた。
「回復なら私ができるから、今後は一任してしまえばいいよ。この間リンゴを焼いてくれるの、ジェイドに全部任せたじゃない。あの時と同じように、自分が無理なくできることをやればいいんだよ」
「……サリア」
「だから、今は私をここまで連れてきてくれただけで偉い偉い。ありがとう、本当にありがとう……」
「……ははは。まさかドラゴンたるおれ様が、『家臣』に慰められるとはな……」
その状態で数分経過した後、ジェイドがこう切り出した。
「今ここにいる通り、回復は一命を取り留める程度にできたが……服に着いた血を流したり、臭いを取り除くことはできなかった。おれ様に生活行動は限界があった」
「うんうん、自分から言ってくれて偉い偉い。だったら……お風呂に入ろうか」
お風呂という単語を聞いて、ぴくっとジェイドの眉が吊り上がる。
「おお、湯浴みか。確かに爽快感を得るには手っ取り早いな」
「せっかくだからジェイドも一緒に入ろう。なんだろう……今なら一緒に入っても、責められない気がするんだ」
部屋の中にいる間、人の話し声や歩く音が一切聞こえなかった。本当に誰もいないか部屋に閉じこもっているか――どちらかだとは思う。
果てには本当にあの戦争は終わったのかと、疑うような静寂だった。
「お……おれ様も一緒に入っていいのか!? この間は入れてくれなかったのに!?」
「うん……今日はいいよ。何だかジェイドと一緒にいたい気分なの」
「ふん、さてはおれ様がいないのが寂しいんだな? 最初からそう言えばいいものを!」
「ははは……あはは」
――寂しいというより怖いのかな。
あの襲撃がもう一度あるかもしれない。そうなったら。
守ってくれるのはジェイドしかないと、本能的に思っているのかな。
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