第25話 菊川と別れれば、良い(武部side)

 違和感を覚えた。文句の内容は、前回とそう変わらないのに。今回は、その本心が現れたように見えた。僕は黒板の文字をしばらく見ていたが、菊川さんが黒板消しで「それ」を消しはじめた事や、文美が周りの野次馬達を睨んだせいで、その意識をすっかり忘れてしまった。「ちょっ! 二人とも、落ちついて」

 

 二人は、その制止に従わなかった。僕の声が届かなかったわけではないが、それ以上に「ふざけるな!」と思っていたらしい。僕が二人の怒りを宥めた時も、それに落ちつくどころか、却って「たけちゃんは、黙って!」と怒ってしまった。


 二人は周りの声を封じると、悔しげな顔でみんなの顔を見わたした。みんなの顔は、二人の眼光に怯えている。「誰が書いたの? 正直に言いなさい!」

 

 そう怒鳴った文美だが、それに「はい」と答えるわけがない。相手の空気に圧されてただ、黙るだけである。文美は周りの沈黙に苛立って、教卓の上を思いきり叩いた。「

 

 今度は、菊川さんの表情が変わった。彼女は文美の意図を察したようで、その行動を「止めなさい!」と止めようとしたが……。暴走列車と化した文美にその制止は、無意味だった。僕と菊川さんの真実を話す、文美。それに「えっ!」と戸惑う、みんな。彼等は立場の違いこそあれ、菊川さんに対する態度、その感情に悪感情を抱きはじめた。


「勇気が無かった私も悪い。周りの目を怖がっていた、たけちゃんも悪い。そんな状況に割りこんできた、菊川さんも……。だけど今は、これを書いた人が許せない。彼女のように堂々とするわけでもなく、こんな事をする人が許せない。こんな風に割りこんでくるなんて。たけちゃんの事が好きなら、本人に堂々と言えば良いんだ!」


 みんなは、その怒声に黙った。最初はニヤニヤしていた女子達も、彼女の怒声に態度を変えてしまった。彼等は文美の正義が取りまく中で、互いの顔をチラチラと見はじめた。「ま、まあ、そうかも知れないけど。ここは、様子を見た方が良いんじゃない? これを書いた人も、ほら? 武部君に嫉妬を」


 抱いたかどうかは、どうでも良い。問題なのは、それが本当かどうかだ。自分の怒りにまかせて、これを書いたかどうかが重要である。文美はそんな事を考えたのか、彼等の反論にも「うるさい!」と怒鳴った。「そんなのは、どうでも良いの。この中に犯人が居るなら、さっさと名乗り出て?」


 みんなはまた、その怒声に黙った。怒声の威力が半端ない。普段は文美に優位性を見せている菊川さんも、この時ばかりは「うっ」と怯んでいた。文美はみんなの顔を見わたして、その一人一人に「貴方?」と聞きはじめた。「それとも、貴女?」


 さっさと答えて。! そう叫ぶ彼女に誰もが怯んだ。彼女の怒声を止めようとした僕ですら、その姿勢に「止めよう」と走った。彼女は僕の制止を受けてもなお、真剣な顔で教室のみんなに「あなた?」と聞きつづけたが……。


 ある一人の男子生徒が、その雰囲気を破った。彼は文美の態度が気に入らないのか、文美だけではなく、菊川さんにも「ああ、うぜえ」と怒った。「『お前等の修羅場』とか、どうでも良いわ。こんな風にガミガミ言われるのも。俺等は、さ?お前等がどうなろうと、どうでも良いんだ」

 

 文美は、その文句に苛立った。文句の内容は至極まともだったが、苛々マックスの彼女には、文字通りの逆効果になってしまった。「蛇」と「マングース」の如く、互いの顔を睨み合う二人。


 二人は互いの目をしばらく見ていたが、僕が文美に「落ちつこう」と言った事や、菊川さんも彼に「ウッチーも、せいせい」と言った事で、その緊張が少しだけ和らいだ。「わーた、よ。菊川に免じて許してやる。ただ」

 

 今回だけだ。彼はそう、呟いた。「次に喚いたら、殺す。武部も武部で、さっさと犯人捕まえろ。お前等のそれ、マジでキモいんだわ?」


 僕は、その言葉に黙った。滅茶苦茶怖い。彼とはあまり話さないが、それでも「怖い」と思った。あんな目で睨まれたら、否が応でも黙ってしまう。僕は彼に謝って、文美と菊川さんにまた視線を戻したが……。


 彼がまた、その沈黙を破ってしまった。内村君は僕達の前に来ると、教室の黒板を殴って、みんなの顔を見わたした。みんなの顔は、彼の登場に怯えている。「お前等もそう、マジでキモイ。こんな事しかやれないなんて。文句を言うなら、本人に堂々と言え」

 

 それが決定打になった。僕も僕で、その決定打に打たれたが。教室のみんなもまた、その主張に「分かった」とうなずいたらしい。数人の男女は不服そうな顔だったが、それも数える程しか居なかった。


 内村君はそんな反応をしばらく見ていたが、僕がそれに息を飲んでいると、僕の顔にサッと向きなおって、その胸倉をそっと掴みはじめた。「こうなったのは、お前のせいだ。お前がもっと、自分の意見を通さなかったから。こう言う事態になったんだよ。お前には、これを何とかする責任がある」

 

 僕は、その一言に崩れた。確かにそうだ。僕には、そう言う責任がある。今回の事が起こったのも、僕が然る勇気を見せなかったからだ。然る勇気を見せない者が、他人を裁く権利はない。僕はそう考えた上で、内村君にまた訊いた。「僕は、どうすれば良いのかな?」


 その答えは、簡単だった。「菊川と別れれば、良い。その上で、自分の気持ちと向かえば良いんだ。自分が本当は、どっちと付き合いたいのかを」

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