第134話

 風呂から上がり、洗濯していた綺麗で動きやすい服装に着替える。これから待ちに待った夕食だ。ドレスコードは必要でないが、これから美味しいものを食べようとしている時、安っぽく薄汚れた服装に着替えることは出来ようはずもなかった。


 それは、俺を含むほかの支援部隊のメンバーも同じ思いだったのだろう。異なった種族、異なった文化文明を歩んできた人間、エルフ、ドワーフであったが、皆俺と同じような小奇麗な服装に身を包んでいた。


 足並みを揃えているというわけではないが目的地が同じと言う事もあり、自然と皆で集まってワイワイと雑談を楽しみながら食堂に向かうことになる。そうして到着した食堂。すでに夕食の準備は終わっているようであり、食堂の職員さんがこちらの姿を確認すると笑顔で「少々お待ちください」と告げ奥に入っていった。表情を見るに、それだけ味に自信があるのだろうと思った。


「いよいよ…ですね」


「ええ、いよいよですね!」


 彼方此方からこれと似たような会話が聞こえてくる。ここにいるメンバー全員が食道楽というわけではないだろうが、あれだけ苦労して討伐した『ワイルド・ボア』を早く食べてみたくて仕方ないという気持ちは皆同じであるはずだ。


 ほどなくしてワゴンに乗せられた『ワイルド・ボア』のステーキが俺達の前に運び込まれてきた。木の皿の上に熱く熱せられた鉄板が乗せられており、その上に豚肉とも猪肉ともとれるような大きな肉塊がデンっと乗せられている。肉から香る匂いが、俺の空腹中枢をビシバシと刺激する。


 全員の分の肉の配膳が終わり、次にお肉のお供である炭水化物が運ばれてくる。我ら日本人は皆お米を所望していたが、エルフやドワーフはパンを望んでいる方が多かった。これも食文化の違いだろう。しかしエルフにはすでにお米派が根を張っているのだろう、全体の割合だと半々といった具合か。


 そんなどうでもいいことを考えていたのも、目の前にある『ワイルド・ボア』から自分の意識を逸らすためだ。そうでもしなければ、今のお預けを喰らっている状態を我慢できそうになかったのだ。


「皆に行き渡りましたね。…それでは、いただきましょう!」


 若干のデジャブを感じつつ、やはり今回も作田さんの音頭によって食べ始めることとなった。ナイフとフォークを手に取り、フォークをステーキに差し、ナイフを使って食べやすいサイズに切り分ける。


 初めに思ったことは、戦闘時はあれほど苦労して斬ったというのに、今は驚くほど簡単に切り分けることが出来ていたという事だ。『ワイルド・ボア』が死亡したので切りやすくなったのか、それとも調理をしたから切れやすくなったのか。


 そんな疑問も抱いていたが切り分けた肉の断面から溢れんばかりの肉汁を見た時、そんなことはどうでもいいか、と言う気持ちに即座に切り替わる。


 1枚目は『ワイルド・ボア』の肉、本来の味を楽しんでもらいたいとして塩胡椒だけのシンプルな味付けにしたらしい。切り分けた肉を口に近づけるにつれて胡椒のスパイシーな香りが鼻を抜けるが、それと同時に肉の匂いも感じるようになる。


 肉が本来持つ、所謂『獣臭い香り』に近いのだろうか。確かに『ワイルド・ボア』は野生の生き物であるのでそういった獣臭さを感じても不思議ではないのだが、この『ワイルド・ボア』からはそれほど強い獣臭さと言う奴は感じなかった。


 これなら、ジビエが苦手だという人でも問題なく食すことが出来るだろう。と、言う事はつまり、『ワイルド・ボア』の肉は市場でも高値で取引されるかもしれないという事だ。


 今回の『ワイルド・ボア』の肉は俺達が無償で『協会』に提供したので問題ないのだが、本来なら適正価格で買い取ってもらわなければならない。しかし、今回が初めての討伐であるため適正価格が不明であるのだ。


 そのためこの『ワイルド・ボア』の味によって、今後の『ワイルド・ボア』の肉の買取の適性価格が決まるといった形になる。


 ……っと、いかんいかん。ついつい、お金のことばかり考えてしまう。難しいことは置いておいて、まずは純粋に『ワイルド・ボア』の味を楽しむことにしよう。


 まずは一口……甘みのある肉質と、ジューシーな脂身の旨味が口いっぱいに広がる。適度の硬さである肉の断面から絶えることなく肉汁が染み出てくるが、かといって油っぽいとか胃もたれしそうな感じの悪い油ではなく、いくらでも食べられそうな品の良い肉汁だ。


 また、この『ワイルド・ボア』は余程良い食生活を送っているのだろう。嚙み締めた肉から僅かに柑橘系の、フルーティーな香りがする、気がした。もしかしたら『新天地』には、柑橘系の果物が自然に自生しているのかもしれないな。


 そんな事を考えながらも手と口はせわしなく動かしており、200グラムはあった『ワイルド・ボア』のステーキが、いつの間にか俺の皿から消滅してしまっていた。本来なら「もう少し味わっておけばよかった…」と後悔していただろうが、『ワイルド・ボア』はかなりの巨体であるので、お代わりはほぼ無限にある。俺は料理人に空の皿を見せた後、次の『ワイルド・ボア』のステーキを持ってくるよう所望した。

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