初めての異世界の食事は大変美味しかった

 ※※※


 冒険者登録の手続きが終わったので、ミークはネミルに連れられギルドを後にする。外に出ると空気が少し冷たくなっていて、夕焼けが町をオレンジ色に照らしていた。ミークが地球で太陽を見る時は、こんな美しい風景ではなく、紫がかった、だが赤黒くも見える歪な分厚い雲越しだったので、つい「綺麗だな」と呟く。


「この世界にも太陽があるんだ」


 続いてふと口に出たミークの言葉に、ネミルはキョトンとしながら首を傾げる。


「え? 太陽があるって普通の事でしょ?」


「え、いや、えーと……」


 そういやこの世界の人達は「星」と言う概念さえ知らない、とか神様が言ってたっけ、とミークは思い出し、恒星や惑星等、宇宙の仕組みについて説明しようか少し悩んだ末、説明するのに時間を要すると思いとりあえず無難に「そうですね」と答えておいた。


 ……AIによると、地表の大気の構造は地球と殆ど変わらないらしいし、太陽があっても不思議じゃない、か。じゃあ月もありそう。


 何やら考えているミークを若干気にしながら、ネミルは案内する。


 徐々に夕闇が近づいて来る。辺りが少しずつ暗くなるのを感じながらネミルについていくと、ギルドから10分程、町の入り口に向かって歩いたところで、とある大通りの並びにある、3階建ての大きな建屋の前でネミルが立ち止まった。


 その3階建ての1階の窓からは灯りが漏れ、外に居てもワイワイガヤガヤと中の喧騒が聞こえてくる。どうやら沢山の人がいる様だ。


 今日も忙しそうだなー、とネミルが呟きながらドアノブを握り、「ここは私の実家。だから遠慮しなくて良いのよ。宿屋と食堂をやってるの」


 と説明しながら、さ、どうぞ、とドアを開いてミークを中へ誘った。ミークは「ありがとうございます」とお礼を言いながらおずおずと中に入る。


 途端、騒々しい大勢の声や音が耳に入ってきた。


「ここが食堂ー! 2階が宿屋になってて、3階で私達が暮らしてるのよー!」


 騒音に負けじと大きめの声でネミルが説明すると、「そうなんですねー!」とミークが同じく大声で返事する。そしてネミルに引きつられながら、空いていた奥の席に2人座った。沢山の人が食事や呑みを楽しんでいる。特に酒を煽っている集団が騒々しい。そして従業員も慌ただしくあちこち動き回っている。


「丁度夕方で冒険者達も帰って来てるから来てて! だから人が多くて騒がしいの!」


 周りの喧騒に負けまいとネミルが大声でミークに説明すると「成る程ー!」とミークも負けじと声を張る。


 そして先程から美味しそうな匂いがミークの鼻孔をくすぐっている。つい、クゥ、と小さくお腹が鳴ってしまうのは仕方のない事だろう。


 騒がしいのに何故かその音を聞き逃さなかったネミルはニッコリとミークを見ながら、「お腹空いたわよねー! 私達も頼みましょうー! ちょっと待っててー!」」と、大声で伝えながら徐に席を立ち、調理場の方へ向かった。そして厨房の中へ向けて声をかける。


「お父さんお母さんただいまー!」


「おう! ネミル帰ったか!」


 忙しそうに鍋を振る筋肉質で頭に手拭いを巻いた男性と、厨房の中で慌ただしく料理を盛り付けている恰幅の良い女性、ネミルの両親がそれぞれ返事しつつ、母親が手を忙しなく動かしながらネミルにそのまま話しかける。


「ネミルあんた帰ってきてたなら手伝ってくれない? 今日も忙しいのよ!」


「え~、でも私さっきまで働いてたし、しかも今日は人を連れてきてるし」


 そう言ってネミルがミークのいるテーブルに目配せすると、ネミルの父母も作業しながらも揃ってそちらに目をやった。


「あら、可愛いお客さんね」


「へえ。この町の連中は大体皆顔知ってるつもりだが、見ない顔だな」


「別のとこから来たのよ」と言いながらネミルは厨房に入り、忙しそうに鍋を振る父親と、母親を呼び寄せ耳元で「訳ありで。今日泊めてあげてほしいの」と囁いた。


 両親はお互い顔を見合わせコクリと頷く。


「ネミルがそうしたいなら構わない。だが、申し訳ないが宿の部屋全室埋まってんだよな」


「あ、私の部屋と一緒でも良いよ。寝具さえあれば良いから」


「じゃあ私達はこの後宿の準備もあって手が空かないから、寝具とかはネミル用意してやってね。でもお友達と一緒なら手伝わせられないわねぇ。残念」


「しゃーないよ母さん。どのみちネミルはこの宿の娘と言っても、今はギルドの受付嬢なんだ。とにかく腹減ってんだろ? 注文しなよ」


 ネミルはありがとう、とニッコリ微笑みながら父親に注文をした。


 一方のミークは1人になったところで改めて食堂内を見渡す。やはりここにも獣人や耳の尖った人や首が埋まった不思議な体型の人がそこかしこで食事や酒を嗜んでいるのが見て取れた。なので、ネミルの居ない今のうちに、左目を紅色に一旦戻し各々スキャンしてみる。


「どう? 私達と何か違う?」


 ーー頭に大きな猫類の耳を持つあの女、顔の横にも人類同様耳が付いています。どうやら頭の耳は、血管の配列や筋組織が、地球に居た猫とほぼ同じ。同等の能力を持っている可能性大。尻尾は骨と筋組織で出来ており、飾りではなく、これも猫特有のバランス感覚を保つ役割をしている可能性大。全体的に筋組織が一般人間のそれより発達していますーー


「成る程。あっちは?」


 ーーあの耳の尖った人型の女は、一般人間と骨格は大して変わりませんが、筋組織が特殊で敏捷性が高い様です。脳組織内をサーチしますと、動体視力、反射神経が突出していますーー


「やっぱ見た目だけじゃなく特殊な能力持ってんだ。じゃあ……」


 と、もう1人、首が身体に埋まっている大酒飲みの男をサーチしようとしたところでネミルが戻ってきたのに気付き、ミークは慌てて左目を紅色から黒茶色に戻した。


「お待たせ。あちこち見てたみたいだいけど、やっぱりこの世界の人間も珍しい? はいこれ」


 ネミルは木製のコップに入った水2つを持ってテーブルに戻って来た。ミークは「ありがとうございます」とお礼を言いながら、そう言えば喉乾いていたんだ、とそこで初めて気付き、遠慮なく差し出された水を一気に飲み干した。


 そこでAIが体内に入ってきた水について勝手に分析をする。


 ーー水の中に地球上に居た微生物以外のプランクトンを確認。解析しておきます。この飲料水に毒性や危険物がある可能性0.01%ーー


(相変わらず抜け目ないねAI)


 ーーお褒めに預かり光栄ですが、私は地球一優秀なAIなので当然ですーー


 はいはい分かった分かった、と無言で相槌しつつ、相変わらず愛想ないAIの受け答えについフフ、と笑ってしまうミーク。そういやこの世界来て初めて何かを身体に入れたな、とも思ったり。その様子を見たネミルが不思議そうに質問する。


「ん? 何か水変な味した?」


「あ、いや。この世界の水を初めて飲んだので。普通に美味しいです」


「フフ。変な言い回し。じゃあ次は初めてこの世界の料理を味わうって事ね」


 ネミルがそう言い終わったタイミングで、「お待たせ! ミークさんだっけ? ゆっくりしてってねー!」と元気な声でネミルの母親がテーブルに食事を置いていった。


 テーブルの真ん中には何かしらの肉を焼いたものが湯気を立てて美味しそうな香りを放ち、サイドにはドレッシングがかかったサラダらしきもの、そしてその反対側にパンと思しきもの、更に木製のジョッキに波々と入った、ビールの様な飲み物が2つ並べられた。


「じゃ、私もお腹へってるし、食べましょ。お疲れ様ー」


 そう言ってネミルは徐にジョッキを持つ。一方のミークは用意されたビールらしきものをじっと見つめたまま困った表情。


「あの、これ、お酒ですか?」


「そうよビールって言うの、って、ミークさんお酒は飲めないの?」


「飲んだ事ない、です。未成年だし」


「18歳でしょ? この世界じゃ立派な成人だから大丈夫大丈夫!」


 本当は先にスキャンしてどういう成分で出来ていて自分に悪影響がないかどうか確認してから飲みたかったが、ネミルの眼の前で目を変える訳にもいかないので、仕方なく勇気を振り絞りビールらしき液体にそっと口をつける。


「うげ! 苦い!」


 ーー地球に過去存在したビールに酷似。大麦麦芽、ホップは地球にあった物と整合性99%。他、極微量の魔素と水分内に先程検知したプランクトンの死骸と思しき物質を発見ーー


 AIが自動的に解析を行う。その内容が頭の中に流れている間、ネミルはミークの様子を見て笑う。


「アハハ! そっか初めて飲んだらそういう感想になるのも当然よね。良い? ミーク。お酒は舌で味わうんじゃないの。喉よ、喉」


 そう言いながらお手本を見せるが如く、ネミルは同じく手に持った大ジョッキを傾け、ゴクゴクと一気に飲み干し「プハー! これよこれ!」と、口元に付いたビールの水滴をグイと襟で拭き取り気持ちよさそうな顔をする。


 見た目可愛らしい、ミークより背の低い大体身長150cm位? のネミルの豪快な飲みっぷりに呆気に取られてしまうミークだが、先程から強烈に食欲を唆る香りを漂わせている、特にテーブルの真ん中に鎮座した何かしらの焼いた肉が気になって仕方が無くそちらをチラ見してしまう。


「あ! そうね。お酒よりまずは腹ごしらえよね。どうぞ遠慮なく食べて」


「あ、はい。ありがとうございます。……いただきます」


 これも事前に成分がどうなっているのかサーチをしたかったが、この食堂にいる他の人達も、似た様な肉の塊を美味そうに頬張っていたので、多分大丈夫だろうと思いながら、おずおずと遠慮がちに、何かしらの大きな肉の塊を丁寧にナイフで切り分け、その肉片を自分の皿に移動させ、恐る恐るパクっと一口食べた


 途端、口に広がる肉の旨味とスパイスが効いた香りに目を丸くする。口にした事でAIが解析を行う。


 ーー地球に過去生存していた(鹿)と言う動物とDNAが酷似。ただ未知のDNA配列の成分を感知……、体内に影響無し。毒性0%。スパイスの成分に地球に過去存在した胡椒と酷似した成分を感知。塩の成分は岩塩に酷似。よって人体への影響は0%と推定ーー


 こうやってAIはミークの身の安全の為、初めて体内に入ってきた物に対しては、必ず自動的に成分を分析するのだが、ミークとしてはちょっと煩い。


(成分の分析報告、問題ある時だけにしてくれない?)


 そう指示すると、AIは了解、と答えた。


 ふう、と一息ついた後、ミークはその肉の塊を今度は遠慮なく切り分け、どんどん口に運ぶ。


「どう? この世界の料理」


 頬張るミークを微笑ましく見ながらネミルが尋ねると、


「美味しい。凄く美味しいです……、グスッ……、とても……」


「え? 泣いてるの?」


「グズ……。ごめん、なざい……。美味しくて……グスッ」


「そんなに美味しかった。それなら良かった」


 泣きながら咀嚼するミークの様子に若干びっくりはしたものの、自分の家の料理がお気に召した様で安堵したネミルは、同じく肉片を切り分け皿に盛り食べ始めた。


 ……こんな、、何年ぶりだろう。小さい時、まだ暮らしに余裕があった時以来かな?


 ミークは地球での食事に余り良い思い出が無い。地下施設が破壊される前は、まだ普通の食事をする事は出来ていたが、それが破壊された後、倉庫に大量に保管していた、無味無臭の固形携帯栄養剤をずっと食していた。更に望仁と2人だけで逃げる様になってからは、残っていた栄養剤は殆ど望仁に使って貰っていて、ミーク自身はAIの能力で、自身の栄養補給と新陳代謝を出来るだけ遅らせ、数日間食事を必要としない身体に変えていたので、もう何年もまともな、それこそ胃袋に食物を入れるという、当たり前の食事は殆どしていなかった。


 だからこそ、久々にと言う人間らしい感覚を味わえた事、そしてとても美味しかった事がとても嬉しくて、つい泣いてしまったのだ。


「誰も取らないからゆっくり食べてね」


 ミークが何故これ程までに感激しているのか気になるネミルだったが、今はそれを敢えて聞かず、ただ食事を楽しんで貰おうという思いで優しく伝えると、ミークも涙声で「ありがとう……ございます」と答え、それからはサラダも遠慮なく皿に取り分けどんどん消費した。


「美味しいでしょ? これ全部迷いの森にいる動物とか魔物の肉なの」


 と、ネミルがそう伝えると、ミークのフォークと咀嚼がピタリと止まり「えっ?」と目を丸くする。


「え? これ、魔物? ……まさかあの、緑の気持ち悪い、……ゴブリン、とか?」


 ミークが恐る恐る聞くとネミルは大声で「アハハ! ゴブリンは食べない! 食べられる魔物がいるって事よ」と笑いながら答えた。


 良かった~、こんな美味しいのがあの気味悪い緑の人型だと思うとゾッとする、とホッとしながら、綺麗さっぱり食事を平らげた。


 ……そしてやはり、ビールは飲めなかったので、自分の分はネミルに上げた。


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