大人になったらわかること
エモリモエ
おじさん夫婦の奇妙な食卓
7歳の時に両親を亡くした僕は親せきを転々として少年時代を過ごした。
そんな身の上話をすると時に同情されたりするが、多少のイヤミを別にすれば、とくに虐待された覚えはない。
子供時代の記憶は曖昧で、そのほとんどは当時見ていたテレビ番組だったりマンガだったりする。
独りで過ごすことが多かった。
あの頃は大人になりさえすれば何もかもが変わる。なんでも分かるようになるし、自由に振る舞えるようになる。
だからどうにかして今をやり過ごしさえすればいい。
そう思って生きていたような気がする。
親戚をたらい回しにされて何件目のことだったか。
たぶん僕が10歳くらいの時だったと思う。
母のいとこという人の家にしばらく暮らしたことがある。
僕はその人のことを「おじさん」と呼んでいた。その人の奥さんのことは「おばさん」。今思えばそれほど年配ではなかったと思う。
子供はいなかった。
家は荒川近くの工場地帯の一画で、庭には大きな夏ミカンの木があった。季節になるとピカピカした濃い緑の葉の間にくすんだ色の実をつけた。
あんまり僕が見ていたからか、おじさんがひとつ捥いでくれたことがあったけど、おおぶりな実姿と香りの良さとは裏腹に酸っぱすぎて食べられなかった。
庭をはさんだ向こう側には母屋があって、そこにはたぶん家主が住んでいたように思う。立派な母屋は僕が行ってはいけない場所で、僕も興味を持たなかった。
おじさんたちは庭の隅にある小さな別棟を借りて住んでいた。
古い木造の平屋建てで、玄関は摺りガラスがはめこまれた引き戸式の木製サッシ。建付けが悪くてガタガタするうえ、閉めるときにはコツが要った。
玄関から内に入ると小さなタタキがあり、上がってすぐ右手のところに簡素な台所。左手には和式のトイレがあった。
そこを通った正面に畳敷きの居間がある。居間には大きな窓があり、モヤモヤした模様の草色のカーテンがかかっている。
窓の近くにテレビ台があって、日差しの強い日に窓を開けてテレビを見るとちょっと眩しい。
地味なレンガ色の砂壁。その壁に寄せて重い木目調のタンス。タンスの上にはこけしが数体ちょんちょんと並んでいた。
部屋の真ん中にはコタツがあって、冬はもちろん、コードとコタツ掛けを外して夏でもちゃぶ台代わりに使った。
僕は家にいるときは、たいていこの居間にいた。
この家にはもうひとつ襖で仕切られた畳の部屋があって、昼間おじさんはここに籠って仕事をしていた。
おじさんがどんな仕事をしているのか、子供の僕は気に留めなかった。大人の仕事は自分と関係ないと思っていたし、邪魔をしてはいけないとわきまえていたので、自分から襖を開けることもしなかった。
この奥の部屋は夜になると布団を敷いて寝るところになる。おじさんとおばさんと僕。布団をみっつ並べると、いっぱいになるくらいの大きさの部屋だった。
僕はここから学校に通い、帰ると居間でテレビを見て、夜は奥の部屋で寝た。
転校した時期をあれこれ考え合わせると、1年ちょっと。
それほどの時間を一緒に暮らしたのに、おじさんやおばさんと話をした記憶がほとんどない。
さきに述べたように、僕自身の記憶のありようが曖昧で、その内容も人に関係しないものに偏っているせいかとも思われる。
それにしても口数が少ない夫婦であったことは確かだ。
満ち足りて話す必要もないおしどり夫婦という感じでもなければ、険悪に沈黙を守っているという感じでもない。そういう感情的な、あるいは有機的な静けさではなく、どこか無機質なたたずまいとでも言おうか。
ただ、ひっそりと静かだった。
それは食事の時でも同じで、揃ってコタツを囲み、黙って食べる。
食べるときの席は決まっていて、奥の部屋を背におじさんが座って、おばさんはその向かい。僕は二人の間、玄関を背中にしたところにいつも座った。
ちなみにおかずは和食が多くて、イワシの煮たのや筑前煮、肉じゃが、ブリ大根、煮っ転がし、とにかく煮物ばかりがあがった。味噌汁とおこうこは必ずあり、加えて冷奴かお浸しのどちらかが順番でついた。
小学生だからといって特別な物を用意されたことはなく、自分たちが食べる物をついでに出してくれたという印象で。子供用に味つけを変えたり、お菓子を買ってくれたりといったことはなかったと思う。
配膳の仕方は決まっていた。めいめいにあるのはご飯と味噌汁だけで、あとは大皿に盛ってある。それぞれが好きな物に箸をのばす、という大皿料理のスタイル。
最初の数週間は特に、幼いながらも居候の自覚があった僕には食事のたびに気後れしたものだ。
一度だけ。この家に行って間もない頃。僕が遠慮して蒟蒻ばかりつまんでいたら、おばさんが黙ったまま大皿の中から鶏肉を拾って、僕の茶碗にポイっと入れてくれたことがある。
ちょっと驚いたけど、本当は肉が食べたかったから嬉しかった。
おばさんが気にかけてくれたから嬉しかった。
「ありがとう」
おばさんを見上げたら、知らんぷりをされたので、不安になっておじさんの顔色をうかがったら、こちらも何を言うでもない。素知らぬていで蕪の糠漬けをポリポリやっていたりする。
思い返せばおじさん夫婦はいつもそんな調子だったと思う。
最初はびっくりしたけれど、慣れてしまえば気楽なものだ。ほめられたこともないかわり、叱られたこともない。運動会で一等になっても、算数の点が悪くても、家の掃除を手伝っても、ためしに大皿の肉をぜんぶ食べてしまったときも。
無関心かもしれない不干渉は、お世話になった他のお宅と比べても、しかし、それほど悪くはなかった。むしろ僕の少年時代にあっては幸福な時期だったと言える。
ただ。
この家にはひとつ、とても気になることがあった。
最初の、たしかあれはもうすぐ春休みという季節だったと思う。
夕飯時で食卓にはウドと豚肉の煮たのが乗っていた。ここ数日使ってなかったけれど、コタツはまだ片していなかった。日が暮れると少し肌寒かったので、ぼくは電気のついていないコタツの掛布団の中に膝小僧をつっこんでいた。
膳を前にしたおじさんとおばさんはあいかわらず無言で、僕は一口だけ食べてみたウドが苦かったのだけど「まずい」とも言えず、やっぱり黙って、少し豚肉をひろう他は沢庵ばかりを食べていた。
たぶん。
それはなんの前触れもなかった。
少なくとも僕はなにも気づかなかった。
味噌汁をずーずーやっていたおじさんがお椀を置いた。
おばさんもウドをつまもうとしていた箸を置いた。
そして二人は同時にすっと立ち、同じ姿勢、同じタイミングでコタツに足をかけ、上にのぼったと思ったら、そのまま同時にそこへしゃがんだ。
一連の動作があんまり自然だったので、僕はご飯茶碗を持ったまま、ポカンとして、目をぱちくり。
その光景を見守った。
「な、なに?」
聞きながら、最後のほうは笑ってしまった。
だって、大の大人がそろって食事中にコタツの上に乗るなんて。
子供がやったら絶対に怒られる。
そんな行儀の悪いことを、日ごろ仏頂面の夫婦がやってのけたのだから。
笑わずにはいられなかった。
「ダメだよ、おじさん。そんなことしちゃいけないんだよ」
二人がふざけてると思って僕はゲラゲラ笑った。もしかしたらあの家であんなに笑ったのはその時っきりかもしれない。
「あれ?」と思ったのは、ひとしきり笑ったあと。笑っているのは僕だけで、おじさんたちは全然笑ってない。
押し黙り、真剣な顔をして、なにかに耐えている風情。
どうやらふざけているわけじゃない、気がついたら笑いもひっこんだ。
そもそも僕が知る限り、二人ともこんな奇行をする人間じゃなかった。
だったら、これはなんなんだ?
二人はコタツの上の危ういバランスでかすかに震えながら無表情で丸くなっている。
食事中なのでコタツの上には料理の入ったお皿がいっぱいに並んでいた。その隙間に足を入れているものだから、乗りきらなかったおじさんの踵はコタツ台からはみ出して浮いている。
こんな状態でしゃがんでいるのはどう考えたって無理がある。
おじさんとおばさんは不安定な場所でつらい姿勢を保ちながら、ほとんど頭がくっつきそうに接近して、目を合わせることもなければ、互いの体を支えるでもない。
必死の形相でしゃがんでいる。
「ね、ねえ、おじさん?」
呼んでみたけど、僕のほうに目もくれない。
「こんなの……あぶないよ」
僕はおばさんに触れようとして、ためらったあげくに手をひっこめた。
「やめてよ、ねえ。なんか怖いよ」
おばさんも答えてくれない。
僕はそおっとコタツから出て立ち上がった。
おじさんたちはしゃがんでる。
僕はまだお箸とご飯茶碗を持ったまま。
だんだん不安になってきて。
二人の行動には意味があるんだろうと考えてみたけど、見当もつかない。
もしかしたら畳の上に何かいる?
何か……虫とか。
思いついて見回してみたけど何もない。
振り向いて玄関のほうも見たけど、やっぱりなくて。窓のほう、最後に恐々コタツ掛けをめくってみたけど何もなかった。
怖いことは確かなのに、何故なのかが分からない。
そしてその恐怖の正体を分かっていないのは僕だけなんだ。
本当に困った。
何かあったら逃げようと頭の隅で思っていたけど、どうなったら逃げたほうがいいのかも分からなかったし。
第一、ここから出ていくことが正しいのかも分からない。
それにおじさんたちを助けたほうがいいのか、とかも。
聞きたかったけれど、なんとなく声を出すのもはばかられる感じだし。
僕にはなんにも分からなくて。
しゃがむ二人を目の前に、ただ混乱して立ち尽くしていた。
どれくらいそうしていただろうか。
二人は同時に動き出した。
同じ姿勢、同じタイミングで。そろりそろり、と。
コタツから降りた。
立ったまま見ていると、おじさんたちはいつもの位置に座った。
そしてそのまま何事もなかったかのように食事を再開した。
何の説明もなかった。
その平然とした様子を見ていたら、僕は自分が幻を見た気分になってきた。
しばらく二人の顔色をうかがったけど、平素と変わりない無表情。おじさんはずーずー味噌汁を吸っているし、おばさんはウドを咀嚼している。
至って平穏な、いつもの食卓風景。
僕も静かに元の場所に座って、黙ってご飯を口にいれた。ご飯は冷たくなっていた。
二人は何も言わず、僕も聞けなかった。
いや、一度だけ、何日かしてからおじさんと二人きりの時に聞いたことがある。
「あの時さ、本当は何があったの?」
「あの時?」
「うん、あの時」
おじさんは何も答えなかった。
でも僕が何について聞いているのか、ちゃんと分かっていたと思う。
おじさんは答えのかわりに、僕をじっと見て。
ほんの少し、くちびるをゆがめた。
もしかしたら笑ったのかもしれない。
けれどその顔はなんとも言えず嫌な表情だった。
僕はすぐに目をそむけ、二度と質問しなかった。
何度もたらい回しにされている子供の勘で「ああ、これは触れてはいけない事なんだな」と分かったからだ。
その後も同じことが数回あった。
いつも同じ光景で。
二人は急にコタツの上にしゃがみ、しばらくすると急に下におりた。
なんでもなかった。
それだけのことだ。
このことを僕は誰にも相談しなかった。
相談するほどの事ではないし、第一こんな話を誰が取り合ってくれる?
それに僕はつまらないことで事を荒だてたくなかった。
おじさんにもおばさんにも嫌われたくなかった。
追い出されたくなかった。
なにしろおじさん夫婦の奇行が気になるからと言って、虐待されたわけではない。一緒にしゃがめと強要されたことさえないのだ。
おじさんの家に不満はなかった。
強いて言えば静かすぎるというくらいで。それだって悪いことじゃないだろう?
そう、おじさんの家での暮らしがずっと続くことを、僕は願っていたのだと思う。
僕がその家を出ることに決まったのは突然だった。
もしかしたら僕の知らないところでは早々に取り決めがされていたのかもしれないけれど。
最後まで子供の僕には知らされず、学校から帰ると「おまえは別の家に行くことになった」と告げられただけだった。荷物はとっくにまとめられていて、挨拶もそこそこに車に乗せられ、その家を去った。
あっけない別れだった。
それきり、その家に行くことはなかったし、おじさん夫婦にも会ってはいない。
それでも時々、ふと思う。
子供の頃は大人になりさえすれば何でも分かるようになると何の根拠もなく思い込んでいたものだ。
けれど。
大人になっても分からないことはある。
たとえば。
あの時コタツの上にのぼったら、いったい何が見えていたのか……とか。
大人になったらわかること エモリモエ @emorimoe
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