学園中から嫌われてる美少女に優しくしたら俺がいないとダメな子になってた

月野 観空

第1話 阿久津真緒という女について

 人間って生き物は、群れを作る生き物だ。

 そんな風にして『仲間』を作り、そこから外れた者を攻撃することで群れの秩序と結束を維持する。そういう本能を備えている。


 だからこそ、集団の秩序と安寧を保つためには、どうしたって『敵』が必要だ。


 うちの学校の場合、阿久津あくつ真緒まおそれだった。


 ――阿久津真緒の話をしよう。


 彼女について言われている言葉は色々とあった。


「舌禍の女」「疫病神」「ゴミ」「カス」「性格悪い」「顔だけビッチ」「売春婦」「ヤリマン」「援交女」「ヤクザに知り合いたくさんいそう」「お願いだから消えてほしい」「ウザい」「キモい」「性格が無理」「イキり陰キャ」「友達いなそう」「魔王(笑)」「なんで学校来れるの?」「そこにいるだけで不愉快」「ゴキブリの方がまだマシ」「産廃以下の女」「ぼっちだから押せばヤれそう」「目が怖い」「動物とか殺してそうだよね」「目を合わせたら祟られるってさ」


 でも一番言われてるのはきっとこれだ――「人殺しの娘」


 事実として、阿久津真緒は人殺しの娘だった。父親が人を刺して殺した、らしい。殺された人間は阿久津真緒の父親とは知り合いでも何でもなく、ただその場を通りがかっただけ、らしい。強盗目的の犯行で、刺した後に財布を奪い取った、らしい。その時財布を殺された人間の懐から奪い取ったのは、父親の犯行の手伝いをしていた阿久津真緒、らしい。


 らしい、らしい、らしい――という、憶測の域を出ない噂話ばかりだが、実際問題として阿久津真緒に父親はいない。今は刑務所にいるというのは事実らしく、従って彼女が人殺しの娘であることも本当のことのようである。


 そしてその事実は、然程大きくないこの町中に一日もあれば知れ渡ることとなり、結果として阿久津真緒は「人殺しの娘」としてある日を境に誰もが知る存在となっていた。


 阿久津真緒と同世代の子どもたちは、親から「あの子とだけは付き合っちゃダメよ」「きっと悪い影響を受けるから話しちゃダメ」と言い含められて育ってきた。親の言葉というのは子どもにとっては絶大なものであり、また俺の認識している限りでは実際に阿久津真緒の振る舞いも行儀が良いとは言い難いものがあった。


 例えばこんなエピソードがある。

 俺が今の高校に入学して、まだ阿久津真緒のことを噂程度にしか知らなかった時期のことである。


 その日、俺は学校の食堂で昼飯を食っていた。ぼっち飯だった。周りのテーブルでは友人同士連れ立って食事をしているのを一人ぼんやりと眺めながら、「俺も一緒に飯食う相手ほしいな~」なんてことを考えていた。

 そんな風にして人の輪から外れていた俺の耳に、次のような会話が飛び込んできたのである。


「ったく、阿久津と同じクラスかよ。マジだり~」

「あいつマジで物騒だよな。わざわざ学校とか来んなって感じだわ」


 声が聞こえたのは後ろのテーブルからだった。人を悪し様に言うような会話に、思わず俺は眉を顰める。そういう陰湿なやり口というか、陰口というのは嫌いだし、不愉快だし、なにより飯も不味くなる。––文句の一つでも言ってやろうかと一瞬思った。


 とはいえ、俺は阿久津何某なにがしとやらと直接の関係もなければ、会話の声も俺の知っている人間のものではない。そこであえてくちばしを突っ込んでみたところで、「なんだコイツ?」という目を向けられるだけだろう。大人・・の俺は、背後にいる不心得者共への罵詈雑言をとりあえず心の中で飲み下して、目の前の『A定食・450円』へと向き直ることにした。


 そんな俺の理性へ追い打ちをかけるかのように、後ろから聞こえてくる会話はさらに続く。


「おれ阿久津と中学同じだったんだけどさ、マジでほんとあいつやべぇわ。人殺しの娘って言われても超納得って感じ」

「そんなやべぇの?」

「おう、担任を椅子で殴ってた」

「椅子で!? え、マジかよ引くわ……」

「ほんとな。……ったく、できればあんなクズと関わり合ったりとかしたくねえのに、よりによってなんで同じ高校の、しかも同じクラスになるかな。……さっさと不登校にでもなった方がみんなのためだろマジで」

「そんなやべーのかよ。やっぱあの女は無視に限るな。触らぬ神に祟りなし、と」

「女というか、神というか、ゴミというか」

「ゴミは言い過ぎだろ~」

「だな、ゴミに失礼だったわ」

「そっちかよ、ウケる」


 ………………………………。


 ウケないんだが?

 っていうか不愉快なんだが? 切実に。


 自分のことではないとはいえ、他人を悪く言う言葉を聞いていて気分が良かろうはずもない。大人であるところの俺もさすがに我慢の限界である。

 彼らに向かって、「ちょっとお前ら、いい加減にしろよ」の一言でも言ってくれようかと思い、振り返ったその瞬間である。


 人の気配を不意に感じたかと思ったら、バシャっ! という水音が聞こえてきたのである。

 それから続いて、「あら、ごめんあそばせ?」という、なにやら人を嘲るような、取って付けたような丁寧さで繕った声が頭上から降ってきた。


「ついうっかり、手元が滑っちゃったわ~? まあゴミだからね? ゴミなら手元がうっかり滑って、うっかり中身の水を他人にひっかけちゃうぐらいのことはしちゃうわよねぇ? けどまあゴミ・・のすることだからねぇ、無視でもしたらいいんじゃないかなぁ~?」


 綺麗な声だった。綺麗な声をしてるのに、その声でつらつらと語る内容は口汚い上に悪意が特盛で乗っかっていた。ついでに言うなら、その悪意特盛なセリフを言っている女はこれまたとんでもない美少女だった。例えるならば西洋人形みたいな感じ。こんな美少女、そうはいねぇだろ、って感じの美少女だった。


 背中まで真っ直ぐ伸びる亜麻色の髪は鮮やかだった。白く滑らかな肌は清純さを感じさせた。小作りな顔立ちはとにかく整っていて、まるでCGで合成したかのようであった。


 だけど目だけはヤバかった。それはもうほんとに、悪意と敵意でどす黒く濁って、他があまりに整いまくっているだけに違和感ばかりが突き抜けていた。


 人を嘲る目であった。人を見下す目であった。人を毛嫌う目であった。憎しみを煮詰めて純化したら、こうなるだろうなという感じの眼差しだった。


 その眼差しと、ついでに水を浴びた先の会話の二人組は、そろって体を固めていた。どっちも表情が「あ、やべぇ」と言っていた。


 そんな彼らに向かって、美少女こと阿久津真緒がにっこりと––それはそれはもう本当に、悪意もたっぷりににっこりと––笑いかけた。


「それにしても飽きないわぁ? アンタらみたいなのが嫌そうな顔するのを見るために学校にわざわざ通うのは? おかげで当分の間は不登校にならずに済みそうね?」

「「……」」

「あーあ、それにしてもうっかり・・・・手が滑っちゃったから、また水を汲んでこないといけなくなっちゃった。あーあ、ほんと、私ってこういうところがほんとしょうがないんだから。まあでもゴミ・・らしいからねぇ? こういうドジ・・踏むのもしっかたないかぁ」

「「……」」

「まあでも、正直あんまりドジも踏みたくないっていうかぁ……ちょぉ~っとイライラしただけで、私ったらうっかり・・・・が増えるのよねぇ。今日はたまたま水でよかったけど……幸運だったわね、アンタらも?」


 阿久津真緒はそう言って、ギロリと陰口を叩いていた二人組を睨みつける。

 それからまるで威嚇するかのように、周囲をじろりと嘗め回すように睨みつけてから、阿久津真緒はその場を去っていった。


 これが、俺が阿久津真緒を初めて実際に見た時のことだった。

 野に放たれた野犬のような、とにかくやべぇ女だな、とその時は思った。


  ***


 次に俺が阿久津真緒を見たのは、その日の掃除中。体育館裏での出来事だった。

 体育館裏にあるゴミ箱にゴミを捨てに行ったとき、彼女の姿を見かけたのである。


 掃除中故、彼女のいで立ちも俺と同じで高校指定のクソダサいジャージ姿であったが、素がずば抜けた容姿であるために彼女の姿を見間違うのはなかなか難しい。その時は周りに他に人の姿もなく、阿久津真緒は一人きりでそこにいた。

 だから彼女の気も抜けていたのだろう。ジャージ姿で頭を抱え、彼女は地面に蹲って何やら喚き倒していた。


「あーーーーもーーーー! 私のバカ―! 高校ではちゃんとまとも・・・にやろうと思ってたのになんで私やらかした!? バカ! バカ! ゴミじゃなくてバカ! カッとなるとほんといつもロクなことしないバカ! ダメよ私、ビークール! そう、ビークール! クールは味方、冷静は味方、心に波風立てずに常に冷静沈着に! 高校ではそうするって決めたのよ! 間違っても椅子で人殴ったりしちゃダメ! あ、なら水なら逆にオッケーでは?」


 ……オッケーではない。


「……そうよ! まだ人ぶん殴ってないし、蹴ってもいないし、喧嘩だってまだ、してない! ……うん、してないわよね、多分。昼のアレはノーカンだし。ノーカン……よね? うん、あれぐらいならフランクな距離感の会話ってことにワンチャンなりそう!」


 ……ならないと思う。


「大丈夫、まだ、大丈夫! まだ取り返せる! 試合はまだ始まったばかり! 高校ではちゃんと心機一転して周りとちゃんと上手くやるって決めたんだから! 今のところ問題なにも起こしてないし、あとはとりあえず友達作るだけ! まあなんとかなるっしょ! 昼もカッとなった割には普通に話せてたし!」


 ……話せてないと思う。


「よーし、じゃあとりあえずは掃除真面目に頑張って、『あれ、実は阿久津さんってしっかりしたところもあるんじゃね?』って周りに思ってもらえるように頑張ろう! おー!」


 そんな風に能天気に気合を入れて、阿久津真緒は立ち上がる。

 そのまま、彼女は最後まで俺に気づくことなくその場から立ち去って行った。


「う、う~ん?」


 残された俺は、思わず呻いて首を傾げる。


 やべぇ女だと思ったが、もしかしてあの女––普通に友達が欲しいのか?

 でも他人との接し方がよく分からなくて、どうやらそれで困っている、と?


「ふむ……」


 俺は少し考え込み、それからやがてあることを決めた。

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