黒い影と光る猫。

 あの日、キャンプ行った日から私の見る世界は変わってしまった。

 気を失う直前に見た、あの黒い靄のようなものが時折視界にちらつくようになったのだ。

 その影は人型だったり、動物の形だったり、時には人と動物を掛け合せたような異形だったり。明らかに普通のことではなかった。

 キャンプのメンバーにそれとなく話を聞いてみたが、不思議なことに皆、あの時の記憶が無いらしいのだ。

「気付いたら神社の跡地で倒れてたんだよ」

 と、揃って同じようなことを言っていた。

 あの時見たのは夢か幻だったのだろうか。

 そう考えもしたが、あの時渡された名刺がその考えを否定してくる。

『神原探偵事務所

       神原 まとい

 そう書かれた名刺に記された住所を一度調べてみたのだが、その住所にあったのは探偵事務所などではなく古びた神社であった。




 あれから一ヶ月近くが経ったが、未だに黒い靄は消えることなく、私は少し遠くにある厄払いで有名らしい神社にお祓いに行くことにした。

 家を出て、電車に揺られて小一時間。


 辿り着いたそこは、山の中腹にあるそれは立派な神社だった。

 隅々まで手入れが施されており、石造りの鳥居と大きな銀杏の御神木が厳粛な雰囲気を放っている。

 私が鳥居をくぐろうとした時だった。


「お待ち下さい」

「…っ!?」


 いつの間にそこにいたのか。

 背後から、神主と思わしき中年の男性が声をかけてきた。

 驚き、慌てて振り返った私に神主は続ける。


「申し訳ございませんが、あなたを境内にお入れすることは出来ないのです」


「なんでですか」と聞き返そうとする私に先んじて、神主が続ける。


「大まかですが、あなたの状況も理解しております。

 のでしょう?

 今まで見えなかったものが」

「…ッ!!」

「やはりそうですか。

 あなたにものはあまりにも強すぎる‥‥‥

 それこそ、私やこの神社では祓えないほどに」


 零すように呟いた神主の一言に血の気が引くのを感じた。


「そ、それはどういうことですか!?

 此処で祓えない霊はほとんどいないって聞いてきたんですけど……」


 慌てた私の言葉に神主さんは物凄く申し訳なさそうになる。


「ええ、確かに悪霊や怨霊などであれば、そのほとんどを祓うことが出来ると思います」

「それじゃあなんで……?」

「それはあなたに憑いているのが霊ではないからです」


 なにか決定的なことを言うため、その覚悟を決めるかのように、神主が言葉を区切り、一呼吸置く。

 その僅かな沈黙がとても重い。


「…霊にしてはあまりにも強すぎるのです。

 恐らく、いえ、ほぼ間違いなく神の一柱でしょう」

「え……そんな…」


 あまりにも予想外すぎるその事実に呆然としてしまう。

 それと同時に思い出す。

 あの時廃神社で意識を手放す直前に見た黒い蛇のようなもの。

 あれは拝殿の奥、本殿から来た。

 そして本殿にあるのは御神体である。


「じゃああれが……

 わ、私はどうすればいいんでしょうか…?」

「そうですね…

 これほどの神に憑かれたなど、正直聞いたことがありません。

 しかし…心当たりはあります」


 その言葉に希望を感じ、その言い方にどことなく嫌な予感を覚えた。


「それは、どのような方なのですか…?」

「そうですね、腕は確かな人です。

 ただ…性格が少し……」


『にゃ~お』


 その時、そんな神主の言葉を遮るように猫の鳴き声がした。


「…っ!?」

「???」


 唯の猫の鳴き声に対しての反応とは思えないほどに驚く神主と、そのリアクションに困惑する私。

 振り返るとそこには仄かな光を纏った不思議な三毛猫が鳥居を背景に全てを見通しているような穏やかな目でこちらを見ている。


「な、なぜ…

 ………はッ!?」


 何かに気付き、慌てたような素振りで振り向いて、神主は石段を見下ろす。

 そして、恐らく無意識なのだろう、一歩後ずさった。

 その時だった。


「まったく、悪口は感心しないぞ

 まことさん」


 突然の声。

 その直前まで何の気配もなかったというのに発せられたそれは、察するに神主である男に向けられたものなのだろう。


 ただ私はその声に覚えがあった。

 忘れもしない、あのキャンプの日。

 目が覚めるとそこにいた黒髪の和装の男のものだ。

 確か名前は。


「…神原纒」


 そう呟きが零れ落ちたのと同時に石段を登り切ったはまさしくあの時、夜明けの空の下で出会った青年、その人だった。

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