巴御前

 サラは道場の庭で素振りをしていた。

 彼女が振っているのは竹刀ではない。

 鉄の棒だ。


 先端に鉄球を溶接した作り物で、竹内の代からある物だった。

 汗に混じり、大粒の涙を溢しながら、サラは素振りの数を数える。


「ひっく。230……ぐす……231……ひっぎゅ」

「なんだよ。しみったれてんな」

「だってぇ! キモいって!」

「はあ?」


 道場に来た時から、ずっと嗚咽おえつしていたのだ。

 涙で視界はグチャグチャになり、鼻水は袴に垂れ、喉は痙攣。

 こんな状態でも、依然として振っている棒に乱れはなく、キレの良さだって変わらず、美しい姿勢を保っていた。


 実のところ、入門してから二ケ月が経過した頃に、この鉄棒を振るう稽古はやらされていた。


 理由は、筋肉増強ではない。

 竹刀を振るう時には、先端を意識しないといけないのだが、素人にはピンとこない。だから、分かりやすく体で覚えるために、先端に重しを付けて振っている。


 これで変わるのは、キレと速さだ。


 この日も同様の稽古をしているのだが、話を聞いた國井は嘆息し、一時中断させる。


「キモいって何だよ。イジメられてんのか?」

「わかんにゃい……っ」

「おいおい。そいつ、どこのバカだよ。いきなり、気持ち悪いはねえな」

「たぶん。わ”だぢ、がいじんだから……」


 サラは自身がハーフである事にとてもコンプレックスを持っていた。

 ハーフに限らず、他にも言える事だが、人と違うというのは他者との間に壁を生む。


 これが非常にネックとなっていた。


「あのなぁ。サラ」


 國井は顔をしかめて、大きな尻を叩く。

 相変わらず、時代など関係なしである。


「一つ教育してやる。何で、自分のこと外人だと思ってる? ん?」

「顔、違うもん。親、違うもん」

「バカヤロウ。あのなぁ、お前は日本人なの。何でか分かるか?」

「わかんない」

「日本の土地で生まれたら、戸籍は日本人。でも、これには意味がねえ。大事なのは、日本の言葉を喋って、日本の文化伝統の中で生きて、日本の振る舞いを身に付けてること。これが、日本人だよ。血筋とか、外見とか、変わらねえんだって」


 口を尖らせ、「そうかなぁ」とサラは小石を蹴る。

 長年抱いてきたコンプレックスは、おいそれと消えない。


 そこで國井は考えた。


「お前さ。巴御前ともえごぜんって知ってるか?」


 聞き覚えのない名前にサラは首を傾げた。

 サムライ映画は好きだけど、歴史はさっぱり。

 戦国武将などがメジャーで、深い所までは知らなかった。


「巴御前ってな。女なんだよ。俺が知る限り、一番古い女のサムライだ」

「え、そうなの?」

「おうよ。豪族の娘でな。メチャクチャ強くて、女の身でありながら、ずっと語り継がれてんだ」

「へ、へえ」


 サラの目がキラキラと輝いた。


「その巴ってやつはさ。お前みたいに図体がでかくて、美人さんだったらしいぞ」

「へえ! へえ!」


 シンパシーを感じて、サラは輝きが増した。

 巴御前のことについて、知ってることは話した。

 とはいえ、何分彼の御仁は不詳な部分が多い。

 そういう人がいた、と言うのは確かで、背の高さや美人であるということも本当だ。


 だけど、ここで大事なのは、サラにとって心を活かすための要素となり得るかどうかだ。


「私、なれるかな?」

「巴御前になっちまえ」

「わあっ! なる!」


 先ほどとは違って、元気を取り戻したサラは鉄棒による素振りを再開。

 その場から離れて弟子の姿を見守り、國井は思う。


(竹刀振ってる時と、ほとんど速さが変わらねえな)


 サラは太りやすい。

 だから、簡単に胸や尻のみならず、腹にまで脂肪が付く。

 逆に言えば、である。


(これぐらいじゃねえと。男にゃ、叶わねえぞ)


 来るべき日に備えて、國井もまた気を引き締めていた。

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