短編ホラー・怪異・不思議系

みどり怜

染み

一人の夜だった。いつもなら誰かが隣にいるはずなのに、今日は一人で家に戻った。扉を開けると、ゴミの匂いがした。たまにしか戻らないその家は、ほとんどゴミの溜まり場となっていて、他には、何ヶ月も洗っていない布団が部屋の端にぐしゃぐしゃに置かれているだけだった。

部屋に入り、電気を付けた。部屋の様子に何か違和感があったが、そのまま布団に座り、買ってきた缶ビールを開けた。ため息を吐いて、それをかき消すように勢いよくビールを口に流し込むと、天井に何かが付いているのに気がついた。黒い、染みのようなものだった。その染みは、天井の一部分にあり、林檎一個分ほどの大きさだった。染みというには黒すぎるようだったので、ゴキブリか何かがくっ付いているのかとも思ったが、そうではない。やはりそれは染みのように、天井に塗られているような感じだった。私はその染みに何か惹かれるものを感じた。なぜそう感じたのかは分からないが、私はその染みから目を離せなくなっていた。もっと見ていたい。もっと感じていたい。その欲求から、私は立ち上がり、段々とその染みへと、ゴミを足で掻き分けながら進んだ。

近くによると、それはただの黒い染みではなかった。少なくとも、私にはそう見えなかった。私には、その染みが、とぐろを巻くように、ぐるぐると回っているように見えた。まるで渦巻きのようだった。真っ黒な渦巻きが、ズズズ、ズズズと、緩やかに回転していた。それとともに、その染みは段々と大きくなっているようでもあった。少しずつ、ほんの少しだが、回転の遠心力で膨らむように、面積が広がっている。私は恐ろしくなったが、同時に、先ほどよりも強く、その染みに惹かれている自分に気がついた。私はその染みへの興味から、今日あった悪いこと全てが、流れ去られるように感じた。

私はその染みを触ってみようと思った。しかし、いきなり手で触る勇気がなかったため、手に持っていたビールの缶を当ててみることにした。急いで残りを飲み干し、なるべく端の方を持って染みへと近づけた。近づけるほどに緊張が高まり、手が震えるほどだったが、止める気にはならなかった。缶の端が染みに触れた。触れた瞬間、缶が何かに引っ張られるように染みに吸い付き、めきめきと音を立てながらその染みに飲み込まれていった。まるで圧縮機のようだった。私はさらに恐ろしくなり、もう止めようと思ったが、手は止まらなかった。

次に足元に置いてあった二リットルのペットボトルを当ててみた。ペットボトルは染みの回転に合わせるように飲み込まれていき、一瞬のうちに消え去った。音を立てて潰れていくさまは、私を妙にすっきりとした気分にさせた。その後も、近くの物を手当たり次第に押し当てていった。段々と自分が何をしているかも分からなくなり、意識が朦朧とし出したが、一心不乱にその染みへと物を与えた。何時間経ったか、ふと我に返ると、部屋にあったゴミが全て消え、布団さえも無くなっていた。どきりとして天井の染みを見ると、先ほどよりもかなり大きくなっていた。直径一メートルほどだった。ゴミを吸ったことが関係しているのか、染みの黒色がもっと濃くなっており、黒々とした渦が、私の天井で蠢いていた。ズズズ、ズズズと、大きな低い音を立てながら、緩やかに回転し、その大きさをまだ増しているようだった。それよりも恐ろしかったのは、たまに染みからポタポタと黒い液体が降ってくることだった。その液体は液体というよりも固体に近く、原油のような粘り強い泥だったのだが、それに触れてみると、じゃりじゃりとした何かが混ざっていることに気がついた。砂のようにはなっていたが、黒い泥を退けてみると、プラスチックの破片が粉々になったものがあった。私の部屋にあったゴミの残骸のようだった。

私は恐ろしさで立ち尽くしていたが、いきなりポケットに振動を感じた。ポケットに入っていたスマートフォンに何か通知が来ていた。全てを捨てたように思われたが、残っているものもあったらしい。通知を見てみると、上司からだった。仕事のことについて、何か書かれている。私は内容を見ずに、手に持ったスマートフォンを天井の染みへと放った。そして、部屋の端の方へ向かい、そこで小さく丸くなった。もう恐怖はなかった。染みは静かに回っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る