あわない人がいるから幸せを感じることもあるへの応援コメント
合わない人
わかり会えない人
生活も性格も、人それぞれですし
仕方ないのかもと思います。
わたしは、近寄らないように生きてます(笑)
優しさを行動に移せるのか
自信はありませんが、言葉や行動で
助けたいとも感じる自分がいると
あらためて感じました。
コメント失礼いたしましたm(_ _)m
作者からの返信
南山之寿さん、こんばんは。
心優しきお言葉感謝いたします。
合わない人とは近寄らない。それは自分だけでなくお互いにとっても良いことのように思います。
コメント頂き誠にありがとうございました。
あわない人がいるから幸せを感じることもあるへの応援コメント
合わない人がいるから幸せを感じることもある、そんな風に思ったことはありませんでした。
どんなことでもポジティブシンキングに切り替えてしまうTiLA 様は、器の大きな方なのでしょう、見習いたいです(^-^)
TiLA 様のエッセイ、また読みたいです!
作者からの返信
marisaさん、ありがとうございます。
おそらく人生初のエッセイじゃないかなと思います。でも素の自分を曝け出すのは小っ恥ずかしいですね。
詩は自分にとって心を映す鏡のようなものなので、詩を書くことで、自分で自分を直接見ることができないように、自分の心を鏡に映して見つめ直すほうがやっぱり性に合っているし、楽しいですねー。
あわない人がいるから幸せを感じることもあるへの応援コメント
あわない人、分かり合えない人。
僕は基本的に全ての方は、そういうものだと考えています。
基本的には、他人は、全てを分かり合える存在だと思いません。
でも、どんな人にだって、小さいかもしれませんが、分かり合える部分もあるのではないか。
自分よりも優れたところがあるのではないか。
そんなところを探して、日々過ごしています。
部分だけでもいいんじゃないかなと考えています。
人生の宝探しですね。
たまに、友人や恋人が見つかります。
友人や恋人と過ごす時間は、人生の宝石ですから。
(ごめんなさい。見栄を張りました。恋人はなかなか見つかりません)
カクヨムの中はお宝だらけ。
飲食店のお話は、やはりお店の方が行動すべきだったと思います。
女性の行動が正しいとは思いますが、たまに、なぜおまえは、行動しないと言いたげに周囲の人たちを睨んでいかれる方がいます。
こうなると親切も台無し。
忙しいお店なのだから、店員が気づく時間を待つことも必要だと思います。
作者からの返信
ramiaさん、こんばんは!
人との関係やコミュニケーションって難しいですよね。
全てを分かり合える存在ではないけれど、小さな部分でも分かり合える
それはまさしく人生の宝と思います。
友人や恋人との時間は人生の宝石であり光輝くもですよね。
カクヨムはまさに宝石箱であるとおもいます。
お宝を見つけるためには、自分自身の心のあり方や行動も大切なのだろうと思います。
応援コメントいただき有難うございました。(*╹◡╹*)アリガト
あわない人がいるから幸せを感じることもあるへの応援コメント
誰しもいつかは障害を抱える時が来る。その時、初めてその人の気持ちがわかる。
それは自分の身内でも同じこと。
食事の席に視覚障害者が現れて、回りの席の人が一斉に立ち上がり、介助しようとするのも考えもの。やっぱり行く人、引く人がいて丁度いい。
もし、見解の相違でケンカになったとして、それをあわない人と捉えるなら、また別の話になってくると思います。
ごめんなさい、読みがあまいのかもしれません。
作者からの返信
オカンさん、感想ありがとうございます。
この話は実際にあった話で、そのとき自分が思ったことをストレートに書いた、たぶん初めてのエッセイじゃないかな? って思います。
なので特に暗喩とか含みがあるとかではありません。まんま自分のことを書いちゃいました。恥ずかしくなって消しちゃうかもしれませんがそのときはご容赦ください。
立場変われば気持ちもわかる、行く人、引く人みんな違って丁度いい、は共感です。
あわない人がいるから幸せを感じることもあるへの応援コメント
自分と合わない人、っていうのはきっと誰でもいて、人間誰しも悩む問題なんだと思います。
多様性というのは善し悪しあるかもしれませんが、この世に必要なものなんでしょうね。自分も気付いていないだけで、合わない人がいてこそ、人生に彩りを与えられているのかもしれません。
タイトルに興味を引かれましたが、読んで良かったです。ありがとうございました。
作者からの返信
爆裂五郎さんへ
拙作をお読みくださり有難うございます!
多様性は人生に彩りを与えてくれる。
まさに仰るとおりだと思います。
善くもあり悪くもあるというのもそのとおりで、イデアのような普遍的な価値観は一定あるとは思うものの、正義と信じる基準はそれぞれで、それが悲しい争いも生み出してしまうことも。
原爆や終戦の記念日のある8月にはその気持ちがより強く感じられます。